「無宗教の日本人が怖い」という概念の理解


▼ページ最下部
001 2016/01/13(水) 18:44:42 ID:TNvLm0CmBU
無宗教。
特に、死後の世界や神の裁き、神の怒りを信じない・恐怖を抱かない人間は、結局のところ「怖いものなし」という事になる。
身を委ねる神の愛や怒りや裁きを信じないという事は、そういった神の愛への渇望も無く、地獄や煉獄の責め苦を恐怖する事も無く、大いなるものに対する畏怖が無い。
神仏に愛されたい・加護を受けたいから善行を行う、功徳を積む。
神仏の怒りを受けたくない、地獄で永遠の責め苦を受けたくないから身を慎む、誰も見ておらずとも犯罪を犯さない。
そういった倫理観が育たない。
無宗教と言う事は愛も恐怖も解らないという事。理解しないという事。
無宗教の人間からすれば、人を虫けらのように殺しても地獄に行かず、善行を積まずとも恥じるところが無い。
自分に理解出来ないからといって神を侮辱し愚弄し唾を吐き後悔しない。
死後に神の裁きがあると説いてもどこ吹く風。何も恐れずに愚挙を行う者。それが無宗教者。
まるで心の無い人形が暴れているような、倫理観を期待できない異形。それが無宗教者。
恐ろしい・・・。

返信する

※省略されてます すべて表示...
041 2016/05/02(月) 09:28:52 ID:YIVagdTdYk
>>40
父祖の霊=万物の霊のもっとも近しい存在 だよ。
父祖は死と共に土や塵、水や大気に還元し、自然の一部となり、いずれ自然の霊そのものとなる。
親を敬うのならば当然のごとく祖父母を敬い、祖父母を生み出した「なにか」も敬う事になる。
それはつまり自然だ。
自然はつまり太陽であり山であり海であり、空気であり水であり火である。
自然無くして尊敬する父祖は生まれず、父祖は死と共に自然の一部に戻る。
身近な人の死と還元を目にする事で、自分も当たり前ながら自然の一部である事を意識する。

祈るのも恥じない行為をするのも、「願いをかなえて下さい」という事ではなく、
「自分を生み出してくれてありがとうございます」という感謝と、
「いずれ死すべき時が来たら、私もそちらの一員に加えて頂きます」という仲間意識だと解釈する事も出来よう。

「神様のいう事に従います。だから願いを叶えて下さい」などという短期的・世俗的な宗教観ではなく、
自分も神々の末席・将来的に神々の一員に加わるという自覚こそ原始神道の根源なのではあるまいか。

まったく世俗的な例えを出すなら、いずれ日の丸を背負ってオリンピックに出ようと志す少年少女が、
普段から生活を慎み礼儀正しく日の丸を背負うに足る人物になるのだと目指すようなものではないか。

返信する

042 2016/05/02(月) 20:08:54 ID:Vfb4xWrVcw
>父祖の霊=万物の霊のもっとも近しい存在

もっとも近しい存在だからこそ、効験あらたかなのではあるまいかと申したまで。
「裁く権限がなく、いつも見ているだけ」というキャラには「神」よりも「わが血脈を慈しむ祖霊」
のほうが似合う。

返信する

043 2016/05/02(月) 22:01:14 ID:Vfb4xWrVcw
>自分も神々の末席・将来的に神々の一員に加わるという自覚

神の普遍性は自明ではないが、一先ず信じるとして...
神は人類に禍福を降すほどの能力を備えた威霊であるから、誰でもなれるという設定の宗教はないのではなかろうか。
神認定のハードルが低く「霊」との区別が曖昧な神道にしても、生前優れた業績で名を馳せた人物もしくは怨恨を残し
て亡くなった人物という選考基準がある。靖国神社は国家のために戦死せにゃならんし。

>「いずれ死すべき時が来たら、私もそちらの一員に加えて頂きます」

神に「一員に加えない」権能があるからこそ、信者は畏怖の念を抱き、機嫌をうかがい、懇願する。

返信する

044 2016/05/04(水) 06:11:11 ID:FCKeXbzTcU
>>42-43
>もっとも近しい存在だからこそ、効験あらたか

逆逆。
近いという事はまだ人間に近いという事で、より上位・高位の方が神威がある。

>誰でもなれるという設定の宗教はないのではなかろうか。

それが神道。

>神認定のハードルが低く「霊」との区別が曖昧な神道にしても、生前優れた業績で名を馳せた人物もしくは怨恨を残して亡くなった人物という選考基準がある。

ああ、誤解してますね。
人は死ねば全て「神」になるんですよ。選考基準なんかない。
もちろん、広く信仰されるような神威あらたかな神としてではありませんがね。
父祖が亡くなれば、「祖霊」として祀る。
これは「個々人で祖霊を祀る」という事ですが、「神」を祀るのと同義なんですよ。

これは神道でいうところの「神」を、「西洋的一神教の神」と解釈していたら理解しにくいかもしれません。
祖霊とは神であり、神とは自然であり、自然とはつまり世の中全て・・・つまり世界そのものだという事なんですよ。

>神に「一員に加えない」権能があるからこそ

人間は死ねば必ず神に加わるんですよ。
自然の一部となる。神となる。子子孫孫を見守る存在になる。
そんな「将来的に神になる自分」が恥ずべき行為は出来ないでしょう?

返信する

046 2016/05/04(水) 08:11:08 ID:380OzZrfV6
>>44
そもそも
『善行って神様に気に入られるためにやるものなの?』
『いつも見ておられる神様に恥じない為にやるものだよ』
との応酬を見て
『「いつも見られているから恥ずべき行為はしない」という理屈ならば、神様よりも父祖の霊を措定したほうが
効験あらたかなのではあるまいか。』
と発言したという経緯をご理解頂きたい。
裁いたり祟ったりする権能まである神では、取り入ろうとする者が出て当然。

>人は死ねば全て「神」になるんですよ。選考基準なんかない。

往古の原始神道であれば「人」とは「周りの人」、少し拡張して「日本人」を想定していればよかったのだろうが、
グローバル化し、宗教多元主義のような思想までが湧く現代では、神選考の基準変更も無理からぬことであろう。
かくて、仏教徒、ひいてはキリスト教徒やイスラム教徒に対して二枚舌を使うことになる。


というわけで、なぜか神道限定の議論にすり替えられてしまったのだが、この際スレタイは
『「無宗教の日本人が怖い」という概念の理解』
ではなく
『「神道以外の日本人が怖い」という概念の理解』
としてはどうか。

返信する

047 2016/05/04(水) 09:14:25 ID:380OzZrfV6
ときに、
原始神道の「誰でもオッケー!」という神概念を進化生物学的観点から論じた場合、トゥーマイのような人と
チンパンジーの共通祖先と思しき霊長類の霊は人世界の神になれる資格があると言えるのか、言えないのか?
あるいは、初期のヒト属であるホモ・ハビリスの出現を待たねばならぬのか?

返信する

048 2016/05/05(木) 01:02:37 ID:5NvjOrxAeA
人は誰でも神になれます
(ただし日本人に限る)

返信する

049 2016/05/05(木) 01:47:47 ID:yFB3p/M8Rk
日本人が祖霊を祀るとは即ち日本人を祀ることになるのだから、他国民に対して排他的にならざる負えない。
神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたなどと言われる所以。

返信する

050 2016/05/05(木) 08:40:37 ID:yFB3p/M8Rk
善行を行う動機が「神様の罰を怖れ、褒美を期待する」だと卑俗な印象を免れ得ないから「いつも見ておられる神様に恥じない為」
という理由を持ってきたのだろうけど、およそ世の宗教は大衆化する過程でアメとムチを以って衆生を魅了してきたという歴史が確
固としてあるのだから、その動機を蔑ろにしようとする企ては悪手でしかない。

もっと言うと、「神様に見られているから恥じない為に善行をする」というのも、見られていなければやらないのかと勘ぐられかね
ん言い様だ。
この点、神や仏といった「超越的存在」を措定しない孔子は明朗。善行を為すにあたっての徳目として「忠(真心)」、「恕(思い
やりの心)」を唱え、それらは人間に自然に具わるものとしている。
孟子は、他人に対して忠恕の心を持つのが本能のみでは難しい場合、「修練によって家族と見なすことを学びなさい。」と諭す。
怪力乱神を語らぬ儒教は潔い。

返信する

051 2016/05/07(土) 07:35:24 ID:5Qr7KEwJwA
そもそも、善行すると天神地祇や祖霊から褒美があるとか神道にあったっけ?
悪いお行いをすると罰があるというのも神道にあったっけ?

閻魔大王は仏教だが、神道には天津罪・国津罪もあるから一応罰はあんのかな

返信する

053 2016/05/07(土) 17:11:42 ID:pIPq5648Ag
「大衆化する過程」とわざわざ書いたであろう。
神道は神仏習合という歴史があるのだから「アメとムチ」の謗りを免れ得ぬ。
神社成立の勃興期とされる6世紀、すでに仏は蕃神と呼ばれていた。
奈良、平安時代には護法善神説、本地垂迹説などを経て、神仏の習合は更に進展する。
仏教の要素を排斥し、日本古来の思想に立ち返ろうとする復古神道が誕生したのは江戸時代後期
であるから、もはや大衆化の時代とは言えまい。
ちなみに、「権現」という神号は仏の仮の姿ということらしい。

返信する

055 2016/10/20(木) 23:03:07 ID:UFEBlX4QYU
散々語られているが。

日本の無宗教はほかの宗教をすべて包含する存在。
人間を超えた不可知の存在全体を敬い祝し奉る信仰。

神なんてものは概念でこの世の絶対原点。
そこではすべての条件が同時に満足される設定。
仮想のまま実在して平行線が交わったり箱の中の猫が死にながら生きていたりする世界。

そういうものだ。 宗教戦争は神の名を騙った人の利権争いで実に下らない。

返信する

056 2016/10/23(日) 11:53:04 ID:8XJ7BrkT.A
宗教というものがヒトの脳の作り出す概念・幻想として
第9次元とか超ひも理論(この世界のすべての物質がひもからできてる)とか
世界そのものが仮想であるかもしれないとか、そういう科学的理論の元に説明され尽くせば
オカルトもカルトもひっくるめて宗教そのものが
科学で今まで解き明かせなかった脳の未知の機能として説明されるようになる
商売として、権威として、今までどおり使えなくなると困る人たちも出てくるだろうけど

返信する

057 2016/11/08(火) 10:20:14 ID:aMCTCe4eBw
>>1
日本人が無宗教といわれるゆえんは
日米とか日独、日仏語などとの翻訳上の問題にあるのかもしれんがね
しいていえば一般的な日本人は無宗派に近いだろう
それも
綱領もなければ経典もなく聖書もなくてコーランもないのに
大本山が日本の国土そのものにある日本教の信者だから話がややこしい
際たるものは
神主があげる祝詞、坊さんがあげるお経、牧師や神父のアーメン、今話題のコーラン等々
無宗教であるはずの日本人に受け入れられる縁(よすが)となるものは
何を隠そう
日本教の大本である言霊信仰があってのことでしょう・・・
街はそろそろクリスマス一色になりかけていて
終わったら除夜の鐘を聞いて氏神様に初詣
まあ
外見的に見ても無宗教ではないようですがね(^。^;)

返信する

058 2017/05/26(金) 23:17:34 ID:/eUma.tmPU
欧州や中東地域は他民族が入り混じって抗争を繰り返す歴史があり今も続いている。
信仰を明らかにすることで敵か味方か信用していいか判断できる。
宗教や宗派は便利な道具、支配の手段。

いちいち人となりを確認する猶予はない。
ほぼ単一民族の日本人には理解できないほど生き方が異なっている。

それゆえ何を信じて生きているかわからない日本人は
既存の宗教で細分化された欧州の連中にとって恐ろしい存在なのだ。

実は日本人の万物を神とする土着信仰はそれらを包含するのだが理解できないらしい。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:34 KB 有効レス数:55 削除レス数:3





思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:「無宗教の日本人が怖い」という概念の理解

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)