というわけで末法思想(というレッテル貼り)に異を唱える人が続出したり、経典自体が後の人が書いたものだからあてにならん。
と言う人が出てきたりするわけですが、これがそもそも末法なわけで。
どこに書いてあるか?とか言い出す人は経典を読んだことが無いことを自白しているし、経典なんかあてにならんと言っている人は論外なわけで。
釈迦の功力は像法時代に弱まり、末法においては消滅するという事を。反論する人自身が証明するというお粗末さ。
末法なんて無かった事にしたい人は何を守りたいのか?宗派?
これ全部法華経に書かれていること。釈迦の最高の教えは法華経であることは明白。
自身の信じる宗派を守るために、経典をも否定する。そのくせ葬式の読経は、法華経を一番高い料金に設定している。
仏教を食い扶持を稼ぐ手段にした、まさに葬式仏教と揶揄される姿であり、このような形骸化がおこることを釈迦は法華経で予言している。
正法時代:釈迦の説法を聞くだけで衆生が救われる時代。
像法時代:釈迦の説法を理論的に理解することで救われる時代。
末法時代:説法を聞くこともできず、仮に聞いても理解できず。又仮に理解しても救われないばかりか、理論では救われない時代。
末法では地涌の菩薩が出現し、それらが衆生を説法教化し救済すると法華経には書かれている(虚空会の儀式)
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