日本の仏教
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040 2015/11/04(水) 18:46:47 ID:JcqpBwbM2g
>>39 古い信仰の形がなぜ重要なのか?信仰の形に意味はあるか?
そもそも、後の五百歳には釈迦の功力は全て消えると釈迦自身が言っていますから、現代は釈迦の教えでは衆生を救えないということになります。
釈迦滅後の世情を語るには正像末の三時は欠かせませんね。諸説あるから明確に何年から何年とは言いませんが、現代が末法で有ることに異を唱える人は少ないと思います。
法華経の従地涌出品第15、如来寿量品第16、分別功徳品第17、随喜功徳品第18、法師功徳品第19、常不軽菩薩品第20
これらを調べてみれば末法における信仰の形(心)はわかるはずです。
釈迦も所詮は俺教でしょう。ただし、俺教では人が集まらないなどという単なる勢力拡大や自己実現を優先するような考えは持っていなかったと思いますけど。
人集めが目的なら、悟りを開いた後に、それを広めるべきかどうかを苦悩したりはしないでしょう。
否、自己実現の方法として苦悩したのだ、権威が欲しかったのだ、とそう考えるというならば、それが即ちその者の機根が汚れていることの証左であり、今時が末法であることの証左でもある。
仏とは自身の中にあり、仏をどう解釈するかがそのまま自身の器を示すのです。仏とは自身を映す鏡だと私は考えています。その鏡が汚れていれば仏の姿は見えません。
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