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聖書 Part13


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064 2013/12/26(木) 16:46:27 ID:9a4OLYaWyE:au
特に、西洋社会においては、キリスト教の隣人愛志向などもあったせいで、私党編成
を正当化するのが宗教の主要目的であるという風にすら思い込まれているきらいがある。
そう思い込まれている以上は、宗教というものを根絶していかねばならないことにすら
なりかねないわけだが、当然そればかりが宗教の役割ではない。宗教に私党の正当化など
を恃まないことをわきまえた上で、信教を独立独行の拠り所などとしていくのであれば、
それはそれでよしとされるべきことである。そのような形で宗教が利用された時にこそ、
法華信者の源頼朝公による鎌倉幕府の創立の如き偉業が達せられたりもするのだから。

「斉の環、其の険を怙恃みて、其の衆庶を負み、好を棄てて盟に背き、
神主を陵虐す。曾臣、彪は将に諸侯を率いて以て討たとんす。其の官臣、
偃も実に之れに先後す。苟くも捷ちて功有らば、神の羞じを作す無し。
官臣、偃は敢えて復た済ること無からん。唯だ爾じ有神、之れを裁け」
「斉の環(霊公の呼び捨て)は、己の武力の強大さと、自国の人口の多さとを恃んで、
諸国との友好を破棄して同盟に背き、神の主たる民衆たちを虐待している。最下の
臣下である彪(晋の平公)すらもが諸侯を先導してこれを討とうとしているのだから、
官の秩序を守ろうとする臣下たる私、偃もまたそれに先後するぐらいでなければならぬ。
もしも勝って功績を挙げられたなら、それで神を辱めることもなくて済むというもの。
私は戦地に赴くためにこの河を渡ったきり、二度と還ってこない覚悟での戦いに臨む。
ただ神のみが、我が行いを公正に裁かれよ。(人民は神に守られるものではなく神の
主体である。その人民を守ることが神を辱めぬことともなる。そしてそのような試みに臨む
者こそは神の公正な裁きにかけられることをも望む。これが自力作善の益荒男の雄姿である)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・襄公十八年より)

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