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聖書 Part13


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001 2013/12/04(水) 18:43:51 ID:PSVDGrHlv6
全世界、全人類にとっての最も模範的な聖書たる儒学の聖書=四書五経こそは、あまりにも
程度が高過ぎるために、人類一般が模範とするのは無理があるようなより高尚な教学や、
その手の教学の聖書を理解して体得して行く上での架け橋的な役割すらをも担えるものである。

道家の老荘列思想やヒンズー教の教え、日本神道の精髄などを理解する上での架け橋ともなるし、
世界でも最優等の教理を有する仏門の教えを学んで行く上での素地ともなるものである。
(そのため、弘法大師も最初期の著書である「三教指帰」から教理大成の書である「十住心論」
に至るまで、四書五経を含む儒学の教えを縦横無尽に引き合いに出したりもしている)

それらのより優等な教学と、「低くて親しみやすい」儒学の教理とが必ずしも
相容れているとは限らない。特に、儒学における忠孝の理念と、仏門の出家主義志向
などが決して相容れるものではなく、そのため宋儒の朱子らが一時は禅門に傾倒
しながらも、最終的には仏門を異端排撃の対象とするなどしてしまったのだった。

中国発祥の儒学とインド発祥の仏教とは、いずれにとっても遠征地となるこの日本においてこそ、
ほぼ全く矛盾を来さない形での融和を果たした。儒学は朝廷や幕府や、一家の後取りとなる
長男らがより重んじた一方で、仏門は養子先もないような次男三男や嫁ぎ先のない女子などが
出家先とした。それにより、個々の家門が厳重に尊ばれながらも、人口管理もまたそれなりに
行き届くといった、非常にバランスの取れた社会体制が実現されたのだった。(明治期
の廃仏毀釈や儒学の簡素化以降はこの均衡が破れたために、国土に不相応な人口爆発や、
その副作用としての食糧自給率の低下や少子高齢化といった大問題を招くこととなった)

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002 2013/12/04(水) 18:47:34 ID:PSVDGrHlv6
「一家から出家者が出れば三代は家も安泰(玄峰老師の無門関提唱)」といい、
「華厳経」などにおいても総出で仏門に帰依する国や王家の繁栄が約束されている通り、
仏門もまた、人口過剰などの問題を解消するバランサーとして、家や国の繁栄を貢献することを
始めから企図しているものであることには変わりないのである。家を尊び、嫡子の父母への
孝養を尊ぶ健全な世の中がより一層の泰平や繁栄を実現して行くためにこそ仏門もまた
尊ばれて行くべきものなのだから、ごく客観的に見れば、仏門の出家主義が忠孝の理念
などに反することを理由に仏門を排撃したりする必要もないことが分かるのである。

絶対に許されてはならないのは、世の中総出を挙げての忠孝の毀損を促すような邪教蛇学
までもが容認されてしまったりすることであり、これこそは世の中の破滅すらをも招く
こととなる紛れもない害悪の元凶たるものである。残念ながら、今などはそのような
粗悪な邪教が儒学や仏教以上に持て囃されてしまっている時代であり、だからこそ、
世界規模での人口爆発による人類滅亡の危機にすら見舞われてしまっているのでもある。

忠孝そのものによるのであれ、嫡子の忠孝を助成するための出家によるのであれ、
世の中が忠孝を主とした営みを保てばこそ、世の中もまた破滅に陥ったりしなくて済む
一方で、世の中が総出で忠孝を蔑ろにするようなことがある分だけ、世の中も致命的な
破滅に見舞われることとなる。それは、現代を含む人類の歴史が漏れなくそうである
ことを実証し続けていることでもあるし、ある程度以上に世の中の仕組みというものを
計り知ったならば、そうでしかあり得ないことが自明に察せられることでもある。

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003 2013/12/04(水) 18:48:15 ID:KIpJYY2GZY:au
万物斉同の諸法実相が真理であるために、究極的にもそんなことは通用しないないわけだが、
仮に個々の世の中の内の一つ、ヨーロッパの一国だとかヨーロッパ全土だとかが忠孝を蔑ろにする
邪教の蔓延などによって破滅に見舞われたとする。仕方ないので外界に新天地を求め、実際に
アメリカ大陸のような格好の場所を見つけて再スタートを切ったとする。だとした所で、そこでまた
忠孝を蔑ろにするような粗悪な社会運営に及んだならば、またそこで致命的な破滅に見舞われる
のみである。最終的には逃げ延びるに値するような新天地もなくなって、忠孝を蔑ろにするような
風潮や、それを正当化するような邪教を廃絶するのでもない限りは、自分たち自身が逃れようのない
絶滅に見舞われるしかなくなる。その時の無様さたるや見る影もなくなるわけだから、始めから
忠孝を蔑ろにするような真似に及ばないでいたほうがよかったということになるわけである。

「不孝は誅せ」
「不孝者は必ず誅戮せよ。
(春秋五覇の盟約の第一。この頃が古代中国の乱世の幕開けの時期であり、親を捨てるような
不孝者までもが現れ始めたために、このような盟約すらしなければならなくなった。こんな
取り決めが為されなければならないような乱世を招かないことから儒者の本分であるわけ
だけれども、招かれている以上はこれをも遵守しなければならない。儒学を志す者が親を
捨てることを本分とする聖書信者の横行などを絶対に許してはならない論拠となっている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句下・七より)

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004 2013/12/05(木) 14:39:02 ID:jkMRbzGVZU
朝早くから晩遅くまで懸命に働き、夜はその疲れも
あってぐっすり熟睡し、夢の一つも見させられることがない。
そんな生活こそは、人として最も恵まれた部類の生活だといえる。

満州帝国皇帝に就任した元宣統帝の溥儀も、先祖への公的な祭祀を禁じられて
国家神道への帰依を強要され、傀儡皇帝としての形骸的な公務を細々とやらされる
ような生活に追い込まれたからこそ、夜は午前二時頃まで寝られず、朝も十一時ごろ
までは起きられず、私的に構えた仏式の祭壇の前で先祖の霊が降りてきたかのような
幻覚に見舞われたりしていたという(「わが半生」参照)。傀儡とはいえ皇帝だから、
物質的にはかなり恵まれたほうの生活を送れていたにも違いないわけだが、だとした
ところで、ろくな仕事にも与れず、先祖崇拝すらをもろくにできないような状況に
追い込まれたことが本人に多大なる精神的負担を強いたことにも違いがなかった
ものだから、そんな不健全な生活習慣にも追い込まれざるを得なかったのである。

「熟睡状態こそは梵我一如の境地である」とはウパニシャッド哲学にある教説だが、
もう少し現代人でも納得の行きやすいような言い方をすれば、夢も見ないような熟睡状態
こそは。自分が生まれる前や、死んだ後における意識状態と同等のものであるといえる。

死ぬ瞬間には「走馬灯」などと呼ばれる幻覚を見たりすることが臨死体験などからも
知られているから、それには当たらない。完全に死んだ後の、脳の活動が完全に停止
した後の状態こそは熟睡状態に近似するわけで、熟睡状態を生きている内から多分に
経験して特段恐怖にも思わないでいられる者こそは、死んだ後の状態などを恐れたり
する必要もない。しかれば、そうであるような人間、そうでいられるような生活環境に
与れているような人間こそは、心理的にもより恵まれた人間であるとも言えるのである。

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005 2013/12/05(木) 14:42:34 ID:jkMRbzGVZU
旺盛に働いたりすることだけでなく、一日中座禅していたりすることもかなりの
疲労を本人に課すものだから、そのおかげで熟睡状態が得られたりもする。どんな
手法に頼るのであれ、覚醒中に多大な疲労に見舞われることでこそ、死への恐怖を
克服する糧となる熟睡状態が得られるわけだから、むしろそのような機会に与れている
ような人間こそは、限りある命の持ち主である人としてより恵まれているのだといえる。

夢を見ることも、それはそれで有益だったりもするから人間に備えられた機能なのではある。
ただ、それは怪我をすれば患部が痛んだりするのと同じ、ある種の警告機能でこそある
のだといえる。良い夢にしろ悪い夢にしろ、基本は全てまやかしであり、そこから自らの
問題点を察知して、その改善に努めて行くための材料とすべきものでこそある。たとえば、
中年以降になっても若かった頃の思い出の夢ばかりを見たりするようならば、それが楽しげ
であるとした所で、つまらない現状から逃避しようとするような願望を自らが本能的に
帯びているからそんな夢を見てしまったりするわけだから、そんな夢を見なくて済む
ようになるような現状の打開こそを企図すべきだといえる。(それがなかなか無理
なものだから、夢の中で楽しかった思い出を想起してしまったりもするわけだが)

本当は一種の警告であるにもかかわらず、楽しいものだから、ある種の夢に耽ってしまう
ようなことがある。それこそ、「夢を見る」という機能に惑わされた状態であるわけで、
そのような夢を楽しむことよりも、それが現実の自分に対する如何なる警告であるのかを
探り当てることに専念して行くようにしなければならない。その原因を察知して、着実な
改善に努めた結果として夢を見なくなれば、その時にこそ、現実の自分が以前以上の
健全な向上と充実とに与れるようになれているに違いないのだから。

「朝に奠するは日出ずるよりし、夕に奠するは日に逮ぶ」
「神に供物を捧げることも、日の出から日没の間までとする。
(朝から晩まで働くものこそを見守ってくれる神もまたあり、それこそは正神でもある)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・檀弓上第三)

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006 2013/12/06(金) 13:15:36 ID:8uActplxNM
人間にとって、人道を尊ぶことが、天道や仏道に至る上での第一歩ともなる。
とはいえもちろん、人道にも尊び方というものがあるわけで、墨家の提示した
兼愛薄葬だの、共産制の導入だのは、人道の尊び方としては甚だ不適なものである。

君臣父子夫婦の三綱を機軸とした封建的社会秩序の確立こそが、分家や末子を宮司家や
出家者に充てるなどの形で、実質面からの神仏帰依の興隆にも貢献して行くこととなる。
封建制による世の中の保全と、寺社の保全とが厳密に連動すればこそ、富裕者からの寄進
などによって教団が保たれて行く場合などと比べても遥かに安定的に寺社が保全されて
行くこととなるし、また公権力の側の腐敗がそのまま神仏文化の衰退にも直結するもの
だから、神仏文化の興隆こそが公権力の腐敗予防という効果をもたらしもするのである。

ひるがえって、人道をかなぐり捨てての某神への帰依を促す例の邪教たるや、
比較的実践主義的とされているような教派であっても、司祭が失恋のショックを
気概にして出家していたりする始末である。そんな脆弱な理由で司祭になったような
連中が教団を形成していたりするものだから、教団の利害が天下国家と必ずしも一致
しないのみならず、世の中から一方的に利益を巻き上げて、人々を困窮に陥れるのと
引き換えに自分たちの富裕を貪ったりするような真似にまで及んでいるのである。

天下国家と厳重に利害を共にして行くものだから、人道と共なる神仏帰依こそはより
安定的である一方で、そのような条件をかなぐり捨てているからこそ、人道を蔑ろに
した邪神への帰依こそは世界の破滅を招き、以って自分たちが生き延びるためにこそ、
そのような邪教への帰依を破棄しなければならなくなってしまう。より普遍的だから
安定的であり、より危ういから普遍的ではないというのは、もはやトートロジーの域で
すらあるわけで、「天」とか「神」とかいった言葉にも「普遍的なもの」という含意が付与
されていればこそ、どちらがより神や天の域に近いのかまでもが自明に判明するわけである。

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007 2013/12/06(金) 13:22:24 ID:8uActplxNM
どこの文明社会にも、一時ぐらいは封建制が存在していた。しかし、封建制やそれに
基づく宗教帰依が必ずしも天下国家の公益への寄与や、より安定的な社会統治に結び
付いていたとも限らない。それは、封建制が君臣父子夫婦の三綱全体を重んずる形で
確立されていたか否かによって、大きく左右されていた面だといえる。三綱全体が
重んじられていた封建制であれば、それが個々の家門の尊重に直結して、士農工商万民
の家に渡るまでの隙のない利害の統制が実現されて行く一方で、せいぜい君臣長幼の
関係ぐらいまでしか重んじられていない封建制となれば、公権力者が一部の富裕者などと
結託して暴利を貪り、その金で宗教に帰依したりすることまでもが容認されてしまう
ものだから、封建化がかえって世の中の困窮や破滅にすら結び付いてしまうのである。
(そのような封建下で帰依される宗教こそは、司祭が失恋のショックで出家してたりする)

封建制を三綱五常の堅持と共に営んで行くということは、儒学の重んじられていた一部
の東洋社会でのみ実践されていたことだし、それとて必ずしも成功してはいなかった。
三綱は三綱で尊ぶとしても、それ以上に世の中での職制による階級差別のほうが偏重
されてしまい、三綱の尊重が万民への公益寄与にまでは結び付きもしなかったのだ。
(明清代の中国や、李氏朝鮮などがそのような様相を呈してしまっていたようである)

ただ封建制を確立するだけなく、そこに階級差別以上に重んじられる三綱五常という
「徳治の核」が埋め込まれるのでなければならない。三綱五常を抜かした封建制などは、
魂を入れぬ仏もいい所で、そんなものをいつまでも持て囃したりしたせいでの仏罰に
すら見舞われかねないから、その時にはまた易姓革命で政権を再建するぐらいしなければ
ならない。家門の尊重が恒常的に階級制以上のものであり続けて来たからこそ、日本の
君主制が有史以来完全に途絶えたこともないわけで、ただただ平和だったから保たれて
来たわけでもないのは、武家時代以降における数多の戦乱を見ても分かる通りである。

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008 2013/12/06(金) 13:37:34 ID:GPnXT1iJUU:au
「一人慶有れば、兆民之れを頼りて、其れ惟れ永く寧んぜん」
「世の中の内のただ一人にでも善良さがあれば、億兆の民たちが
彼に頼ったとしても、それで末永く世の中も安んじられることだろう」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・呂刑より)

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009 2013/12/07(土) 15:42:41 ID:q5VMT4KicM
帰依者が信仰過程において相当な迫害下に置かれるようなことを、「法華経」なども予言している。
これが、熱心な法華帰依者だった鎌倉幕府初代将軍源頼朝にとっての、伊豆流刑時の心の支えに
なったりもした一方で、日蓮宗不施不受施派や今の創価学会などが閉鎖的な教団派閥を形成して、
異教徒との敵対関係を激化させて行く上での自己正当化材料ともなってしまったのだった。

法華経の場合、頼朝公や道元禅師や白隠和尚や本阿弥光悦などのように、個人で深くその教理に傾倒して
行く場合にはそれなりの功を奏する一方で、比叡山や各種日蓮教団などのように、徒党派閥を組んでの
帰依対象とした場合には、利権の吹きだまりと化してしまうなどの問題を来すことが通例となっている。

これは、信者に試練を科す類いの教理を持つ法華思想が、さらに個人に集約される試練として
透徹するか、あるいは集団に科される試練として緩慢化するかによって大きく食い違ってしまった
部分であるといえ、前者が功を奏して後者が問題を来したからには、法華思想を含む試練予言型
の思想信条は、団体ではなく個人で受け止めて行くことこそが適切であるのだと言える。

極論すれば、法華思想ほど個人で帰依するのに相応しい仏教思想もない一方で、
法華思想ほど集団で帰依することが危うい仏教思想も他にないのだとすら言える。

仏教においてですらそのような、集団帰依が問題性を帯びる類いの教理が一部あるのだから、
他の教学であればなおさらのことだといえる。人との和を尊ぶ儒学といえども、みんなで一緒に学んでばかり
いるのではなく、自分こそが独力で率先して学んで行こうとすらする場合にこそ、深い理解が得られたりする。
元より孔子や孟子自身、当時の儒学者の中でも白眉中の白眉な存在だったわけで、ただみんなで仲よく
お勉強してたばかりの存在ではなかったわけだから、そのような姿勢ばかりでいれば孔孟はおろか、
孔孟がそれなりに評価していた子路や楽正子といった弟子程度の上達者にもなれはするまい。

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010 2013/12/07(土) 16:10:24 ID:q5VMT4KicM
個人で諸々の苦難を受け止めて行くのと、集団で苦難を受け止めるのとでは、「苦難を受け止める」
という点は同じでも、根本的に本人たち自身の心象の位相から食い違ってくる。片や自力作善の心持ち、
片や他力本願の心持ちとなるわけで、自力作善の心持ちと共に苦難を受け止めるのは至当となる一方、
他力本願の心持ちでいながら苦難を受け止めたりするのは本質的に不健全なこととなってしまう。

孟子も「仁者こそは大成のために心志を苦しめられる」と予言しているわけで、この世に
仁政を敷こうとするような自力作善の者が苦難を受け止めるのはそれなりに理にかなったこと
だといえるが、そんな志しもない他力本願の徒が同様な試練を課されたりすることには、なんら
そのような目的性が見込まれないのだから、進んで苦難を受け止めようとしたりするだけ無駄だといえる。

逆に、集団で苦難に遭うことがお互いの精神的な苦しみを折半してしまうが故に、大して苦しんで
いないにもかかわらず、多大な苦難を受け止めていられる自分たち同士での思い上がりを募らせる
ようなことにすらなってしまうわけだから、より大概にすべきことであるとすら言える。

他力本願の徒だろうが何だろうが、進んで苦難を被ろうなどとすらしない内から、
先天的に課されるような労苦がいくらでもあり得る。そのような、義務性を帯びた労苦のほうを
ちゃんとこなして行くことのほうに他力本願者であれば専念すべきなのであり、それすらをも
蔑ろにしての、分不相応な苦難の受け止めなどを希求していたりしたなら、苦難などできる
限り避けようとして来た場合以上にも悲惨な顛末すらもが待ち受けることとなるであろう。

「天の方に難ぜるとき、憲憲と然る無かれ。天の方に蹶せるとき、泄泄と然る無かれ」
「天が苦難を課そうなどというときに、偉そうにものを言うな。天が物事を覆そうというときに、
傍観者然とした多弁であるな。(上天は声もなく臭いもなし。天や神を騙って偉そうにすべきでない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——大雅・生民之什・板より)

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011 2013/12/08(日) 13:20:47 ID:3Pj1ImtSJ2
ある程度以上に自意識過剰の思い上がりが肥大化してしまった人間は、
自分を認めてくれる相手は善い人間、正しい人間であり、認めてくれない
相手は悪い人間、間違った人間だなどと平気で決め付けるようになる。

本当は、正しい自分を認めてくれる相手や、間違った自分を認めてくれない
相手こそは善人であり、その逆であるような相手が悪人であるわけだが、
思い上がり屋にはそのような分別もなく、ただ自分を認めてくれる相手を
是として近づけて、認めてくれない相手を否として遠ざけてばかりいよう
とする。結果、そのような人間関係ばかりを構築していったことがかえって
自らの過ちを助長して、改善不能な状況へと陥れてしまったりするのである。

それこそ、一切合財が善人を寄せ付けない悪人の群れ、小人の群れと化して
しまっているわけで、そのような集団が国家規模の権力すらをも乗っ取ったり
した場合にこそ、亡国や大戦級の災厄がもたらされることともなってしまう。

漢帝国の帝室のように、過ちをズケズケと指摘する直言の士(袁盎など)を
あえて重用したりするだけの度量の深さを、君子こそは持ち得るものだから、
そのような人間すらをも近づけるか否かが、当人が君子であるか小人である
かを計り知るうえでの格好の判断材料の一つともなる。そのような人間を
あえて近づけすらすべきなのは君子階級の公職などであって、小人同士の
職場関係や友人関係などではそんな義務性までもが伴うわけでもないから、
まず公職者がそのような直言者を近づけるか否かを見るべきである。近づ
けるようならば、当該の公職が君子によって占められている可能性が高く、
遠ざけるようならば、小人によって占められてしまっている可能性が高い。
(君子は君子と、小人は小人と群れたがる上記のような法則があるため)

自分を認めてくれる相手を無制限に是とし、認めてくれない相手を無制限に
非とするような人種が君主制の下で権力を乗っ取った場合にこそ、「暴君」
が生じもする。政商呂不韋が数多の食客などと共に秦王国を乗っ取って、
悪逆非道の限りを尽くして統一中華帝国を創立した結果として、中国史上
でも最悪級の暴君である始皇帝が誕生もしてしまった。ただただお互いを

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012 2013/12/08(日) 13:24:57 ID:3Pj1ImtSJ2
認め合ってばかりの集団なわけだから、直言の士すらをも受け入れるような
君子同士の集団などよりも、個別の集団としては磐石な一枚岩を形成する。
その結束力によってこそ、中国統一級の大業が成し遂げられるにも違いない
わけだが、それは同時に致命的な権力腐敗の温床ともなってしまうものだから、
案の定、秦帝国もたった十五年しか政権を保つことができなかったのだった。

君主制ではなく、民主制の下で上記のような思い上がり屋どもが政権を
乗っ取った場合には、あからさまな暴君というのが表には現れて来ない。
大統領や首相もあくまで民意の代行者以上の存在ではないとされるから、
そこで暴君然としていられるはずもなく、もし内心そうであるとした所で、
表向きにはできる限り面従状態の媚びへつらいを貫いておこうとする。

だからといって、民主制といえども、思い上がり屋が政権を乗っ取ってしまっ
たが故の因果応報としての危難を免れられるものではない。あからさまな
暴君を表向きに立てたりしなかった分だけ、「麻酔漬け状態でのガンの進行」
的な問題を深刻化させることとなり、同様の問題を帯びた君主制が崩壊する
場合以上にも深刻な問題を宿した大崩壊を招くことにすらなりかねない。

権力機構が思い上がり屋の小人ばかりで占められたりしなければ、体制が
君主制だろうが民主制だろうがいずれでも構わないわけだが、残念ながら、
民主制は始めから小人が政権や主権を掌握することを目的としたイデオロギー
であるため、そのような条件を満たすことが永久にできないようになっている。

君主制とて、必ずしも君子に政権を握らせられるとは限らないわけだが、
その可能性が多少なりともあるというだけでも、民主制よりはまだ見込み
があるわけで、君主制によって君子こそが政権を握れるように企図して行く
ことこそは、政治にかけての万人にとっての最善となるに違いないのである。

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013 2013/12/08(日) 13:43:45 ID:26M52K.vZM:au
「此こに人有り、其の我れを待つに横逆を以ってす。則ち君子は必ず自ら反りみるなり、
我れ必ず不仁ならんや、必ず無礼ならんや、此の物奚宜ぞ至るべけんやと。其れ自ら反りみて仁なりて、
自ら反りみて礼有るも、其の横逆由お是くのごとくなれば、君子は必ず自らを反りみるなり、
我れ必ず不忠ならんやと。自ら反りみて忠なるも、其の横逆由お是くのごとくなれば、君子も曰えり、
此た亦れ妄人なるのみ、此くの如くは則ち禽と奚ぞ択ばん、禽獣に於いて又た何をか難とせんと」
「ここにひとり人間がいたとして、その人間が自分に対して横柄で逆らうような態度で臨んで来たとする。
すると君子はまず自らを反省してみる。自分に不仁な所はなかったか、無礼な所はなかったか、
どうしてこのようなものを相手にしなければならないのかと。十分に自省してみても自らが不仁でも
無礼でもないのだと確認できたのに、なおのこと相手が横柄で逆らうような態度のままでいたとすれば、
また君子は自らを反省してみる。自分に不忠なところがなかったかと。十分に反省してみてもやはり
不忠などではなかったが、それでもやはり相手が横柄で逆らうような態度でいたとすれば、その時にこそ
ついに君子も諦めてこう言うのである。『こいつはもうただの禽獣も同然の存在ではないか。禽獣を
相手に何を問題とする必要があるだろうか』と。(逆らうような相手も、君子は二度まで自省の材料にする)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句下・二九より)

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014 2013/12/09(月) 14:36:43 ID:xZyuCDQ8jk
仏に特有の身体的特徴とされる三十二相八十種好のうちに「肉髻」というのがある。
仏像好きであれば誰でも知っている頭頂部の盛り上がりであり、そこにどんな意味が
あるのかはともかくとして、古来から仏像製作上での重要な取り決めの一つとなっている。

一方で、儒学の祖である孔子は、頭頂部がへこんでいたという伝説がある。
人間は生まれた直後には頭蓋骨に隙間があり、特に頭頂部の間隙が大きい。
それが成長と共に塞がれて行くわけだが、孔子の場合、あまりにも頭脳の発達
が著しかったために、脳の発達に頭蓋骨の成長が追いつかなくて、頭頂部が
へこんだような形で頭蓋が形成されてしまったなどの原因があったかも知れない。

頭頂部が膨らむ仏の身体的特徴と、頭頂部がへこんでいたという孔子の身体的特徴とは
半ば相反するものであり、超俗の聖賢と世俗の聖賢が根本的に別物であることを
暗に示唆する説話となっている。そして、超俗の聖賢たる仏や菩薩こそは人間の
生死をも超えた真理を追求する一方で、孔子や孟子に代表される儒者こそは
「生を養い死を喪して憾みなく(梁恵王章句上・三)」という、人間たち自身の
福利厚生にかけての最善を尽くすという、実践面からの枝分かれをきたしてもいる。

生死を超えたところに有る絶対真理を探究するのも、真理からは大分かけ離れた所にある
人間たち自身の福利厚生を追い求めて行くのも、いずれもが尊ばれるに値する偉業と
なるに違いないわけだが、これらを一人の人間が両立させて行くことは甚だ困難なこと
となるし、そもそもこの二つの道が根本的に別物であり続けることには変わりがない。

大乗の仏者として真理の悟りを追い求めながら、土木事業のような社会事業に参画して
行く場合もあるが、そのような仏者ほど己れの身命をかなぐり捨てての荒行に臨むわけで
(61歳で自ら即身仏となった弘法大師などがその典型例)、自らの命や家の保守と共に
君子階級としての仁政を志して行く儒学の実践者などとは大いにその様相を異にしている。

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015 2013/12/09(月) 14:52:07 ID:xZyuCDQ8jk
儒者こそは「未だ人を知らず、焉んぞ真理を知らん(先進第十一・一二の趣意)」
といった姿勢であり、真理を追い求めるような出すぎた真似に及ぶことなく、
忠孝や仁政に励んでいこうとする。しかもそれでこそ、大乗の仏者など以上にも、
世の中を親身になって利そうとする仁者としての主役的立場を担って行くこととなる。

日本史上などにも名僧の数は多いが、それらの僧たちも客分的な立場から世の中を
利して行くことに特化していたわけで(徳川家康のブレーンとして暗躍した天海などが
その最たる例)、世の中での善行に取り組む主人公中の主人公といえば、それはやはり
天皇公家や将軍大名やその群臣たちといった、世俗の公権力者たちでこそあった。
そしてそのような公権力者たちこそは儒学の実践を本分とし、仏門への帰依などは
あくまで世俗からの副次的な嗜みにとどめ続けて来た。真理も尊びはするが、それは
あくまで超俗の出家者たちの本懐とするところとし、自分たち自身は家を保つことや、
家の名誉にかけての仁政徳行に励んだりすることのほうを本分とし続けて来たのだった。

主君や親への忠孝に励んだり、それに基づく泥臭い善行に励んだりすることが、
決して真理に直接的に親しむような効用を持ち合わせているわけでもないが、
それでこそ自分が最大級に厚い生を享受することとなるし、自分以外の誰かに真理
探求の役割を担わせて行くための仏門興隆に資することすらもが可能となるのである。

人間自身の福利厚生と、絶対真理とは、根本的に相容れない部分がある。両者を
本格的に追求して行くためには、最低でも二人以上の人間が分業を心がける必要がある。
そうであることを諦められる物こそは、何もかもを自分一人で貪り食らってしまおう
とするような思い上がりまみれの渇欲を自制することができるようにもなるわけで、その
自制心こそが、人間たち自身の福利厚生を追求して行く場合と、絶対真理を追い求めて
いく場合とのいずれにもおける適格者としての基本的な素養となるに違いないのである。

返信する

016 2013/12/09(月) 14:53:49 ID:8QI4mH/gH2:au
「礼儀なるものは〜生を養い死を送りて鬼神に事える
所以の大端なり。天道に達して人情に順う所以の大宝なり」
「礼儀こそは、人が自他の生を養い死を喪する上での大端であり、天の真理に達して普遍的な
人情にしたがっていく上での大宝である。(礼儀には生を養うことだけでなく死を喪すること
も含まれるし、孟子などはむしろ死を喪することのほうが大事だとすら述べているわけだが
〈離婁章句下・一三参照〉、それこそが真理に達するための手段として最適ともなるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼運第九より)

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017 2013/12/10(火) 11:24:08 ID:JnxHKZsO52
東西を絶海によって隔てられた絶好の地勢と、世界最強の軍備とで、
外界からの侵略を全く寄せ付けないままでいられているアメリカといえども、
自国民の浪費が原因での経済破綻までをも防ぎとめることはできない。
かつての秦帝国の権力腐敗による自壊などと同じで、外的な腕力の強大さ
ばかりに駆られて内実を疎かにした結果、全くの自業自得の自壊を招く
ということがあるわけで、これこそは、外界からの侵略などによる
場合と比べても絶対に免れようのない破滅となってしまうわけだから、
外的な腕力以上にも、自分たち自身の自己修養こそは、致命的な
破滅を免れるための決定打となることが確かだといえる。

一部、比叡山の僧兵などの軍事勢力化してしまった事例を除いて、
仏僧のほとんども徒手空拳で他者への危害なども徹底して禁じられて
来ているわけだけれども、かえってそれによってこそ、外的な守りに
入ったりする余地を断ったことによる本格的な自己修養をこなすことができた。
それが自分たち自身だけでなく、助言を講じてやる在家の公権力者などに
とっての自己修養の助けともなるから、仏門を囲い込むことが国家鎮護の礎に
なるとすら認められて、国を挙げて仏教が尊ばれるなどして来たのである。

それがたとえば、蒙古襲来時における鎌倉武士の健闘などにも生かされた。
日本にないような新兵器や新戦法をも駆使した蒙古軍を相手取った幕府の執権
北条時宗に対し、禅僧の無学祖元は「驀直去(迷わずまっすぐ進め)」と助言した。
案の定、世の中に敵船に乗り入っての切り込みなどの積極的な戦法に出れば、
個々人は中国や朝鮮から徴発された練度の低い雑兵だったりすることの多かった
蒙古軍は総崩れとなり、退却を余儀なくされた。座禅を本務とする禅僧であればこそ、
無制限に戦線を拡大していた蒙古軍の内情の脆弱さすらをも本質的に見抜けていた
可能性があるわけで、禅の嗜みが一流の兵法にすら達する場合があることの示唆となっている。

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018 2013/12/10(火) 11:54:05 ID:JnxHKZsO52
その、鎌倉武士の健闘などを参考にして、旧日本軍も米欧列強を相手にした奮戦
を繰り広げたわけだけれども、こちらは鎌倉時代の日本人と違って、仏門を尊ぶ
ほどもの自己修養などは全く疎かにした上での猿真似に過ぎなかったものだから、
最終的な敗北を喫した。自己修養ということであれば、真珠湾攻撃の瞬間まで保守的
な中立志向を貫いて、自国の工業力の養生に専念していたアメリカあたりのほうが
まだ上であるぐらいだった。もちろん真珠湾攻撃に至らせるための日本に対する
経済包囲網などの策謀をアメリカのほうが企てもしたわけだから、太平洋戦争の
全責任が日本にあるなどとするのも言いがかりとなるわけだが、国力の養生などが
未だ疎かなままであることを半ば自覚しながら無謀な対アメリカ戦争に及んだ当時の
日本人のほうが無謀であったことにも違いなく、そもそもが当時の日本人からして、
鎌倉武士ほどもの自己修養を積める機会などが始めからなかったのだといえる。

それはもう、イギリス商人との結託によって倒幕をやらかしたような国賊たちが
実権を握った明治以降の日本にとって、到底避けられぬことでもあった。「始めに
毛筋ほどもの過ちを犯していれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」というが、
この場合、始めから千里の過ちを犯していたようなものなのだから、その末路たるや、
言わずもがなである。日本の軍事技術と、アメリカの金融システムの両方をイギリス
が掌握しているような状態で、ただ日米ともども出来レースに加担させられたと
いうばかりのことなのだから、お互いに多大なる損害をもたらしてしまった分だけ、
両者共倒れの様相だったといえる。どこにも十分な自己修養の持ち主がいな
ければこそ、そのような卑劣な乱戦状態がもたらされてしまったわけだから、
これはもう、当時の世界全体の悪逆非道に対する敗北だったとすらいえる。

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019 2013/12/10(火) 13:07:55 ID:QtfS80evA2:au
そして未だ、人々の自己修養が非道な暴力主義を淘汰できていない現状において、
世界も破滅への一本道を邁進し続けている。核抑止力によって大戦級の戦争災禍は
今のところ防ぎ止められているが、だからこそ、世界総出での経済的壊滅状態の
様相を呈しつつもある。これこそは、人類という種族にとっての最大級の敵が、自分
たちの外ではなく内にこそ潜在していることを実証している何よりの証拠だといえる。

「若し其の身を艱難し、以て大人を危険からしめて、
名の章らかに徹る有らば、攻難の士、将に之れに奔走せん」
「もし自らが艱難に遭い、そのせいで目上の人間すらをも危難に陥れて、
それで自らが名を馳せられたりするようなら、聞き分けのない人間がそのような
愚行に奔走し始めることだろう。(『攻難』で『聞き分けがない』を意味する。
擬似的な精神障害によってまで聞き分け能力を損なうカルト信者も攻難だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・昭公三十一年より)

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020 2013/12/11(水) 15:23:22 ID:1YmfQd9Jlw
本物の忍耐は、自らの名誉を守るところなどではなく、名誉すらをもかなぐり
捨てての不遇に甘んずるようなところにこそ存在する。そしてそうであることに
気づけるか否かが、己れの品性を君子か小人へと決定的に分かつ機縁ともなる。

小人は、ただ名誉のないところ、ただただ不遇であるという状態を、そもそも
耐えようとすらしない。自らにそれに耐えられるだけの忍耐力があるか否かに
関わらず、「そこは耐えていたりしてはならない部分だ」などと勝手に思い込む。
そこから蘇秦や李斯のような、手段も選ばない妄動による成功を追い求めて行く。
不正な金儲けや鉄砲玉働きや外交犯罪の請け負いなどによってでも、とにかく
自分自身が富と名声を手に入れての人生の謳歌に与ろうとする。そしてそのような
人種の跋扈こそが世を破滅にすら陥れるわけで、ただ全くの不遇状態に耐えようと
しなかっただけのことがそれほどもの災厄をこの世にもたらすことこそはまさに、
「始めに毛筋ほどもの過ちを犯していれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」
という罪過の雪だるま式の増幅法則に寸分たがわず合致した有り様となっている。

道家の隠遁志向や仏門の出家志向などとはまた別に、儒家にもまた「乱世に限って
の遁世」を促す教理が多少なりとも備わっている。それは、そこでこそ乱世の汚濁
に溺れることなく君子としての素養を磨き上げられるからであるわけだけれども、
それこそ、小人にとってはただ耐えられないだけでなく、そもそも耐えるべきで
ないとすら思えるような境遇にあえて甘んじる出処ともなるわけである。それでも
あえてそうすることの価値を計り知り、実際に鳴かず飛ばずの無名者で居させ
られる忍耐を心がけられるのは、まさに自らが君子であるからでこそあり、そこは
小人がどうしたって越えられない壁の向こう側にある境地だといえるのである。

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021 2013/12/11(水) 15:26:25 ID:1YmfQd9Jlw
「舜は畎畝の中より発せられ、傅説は版築の間より挙げられ、膠鬲は魚鹽の中より
挙げられ、管夷吾は士より挙げられ、孫叔敖は海より挙げられ、百里奚は市より挙げらる。
(以下既出)故に天の将に大任 を降さんとするや、必ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を
労せしめ、其の体膚を餓せしめ、其の身行を空乏せしめ、其の為さんとする所を
拂乱せしむ。心を動かし性を忍ばせ、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり」
「舜は田圃の中から起こり、傅説は土方から挙げられ、膠鬲は魚塩の商人から挙げられ、
管仲は囚人の中から挙げられ、孫叔敖は海辺の部落から挙げられ、百里奚は市場から
挙げられて功を成した。これらの事情からも分かるとおり、天がある者に重大な任務を
与えようとする時には、必ずその心情や志しを苦しめ、筋骨を労せしめ、身体髪膚を疲弊させ、
身の行ないを失敗ばかりに導き、為そうとする所をことごとく食い違わせる。心の機微を
研ぎ澄まし性情を忍ばせて、誰にもできなかったことをできるようにさせるためである」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句下・一五より)

上の著名な記述を見ても分かるとおり、孟子は小人が「耐えていてはならない」とすら
考えるような全くの無名状態こそを「耐え忍ぶべき試練」として例示しているわけで、
そここそを耐え忍ぶべき所と見立てて修養の場とする者こそは、君子としての素養を
身に付けて行くものとすら考えているわけである。(一部管仲など、徳性よりはむしろ
覇道政治の能力で名を成した人物例も挙げているため、全てが全てそうでもないが)

それなりの地位や名誉を保ったところでの忍耐による修養などは、たかが知れてる、
徹底的に地位や名誉を失い尽くした所での忍耐にこそ、次なる道を切り開いて行く
本格的な修錬が伴いもし得る。それは、陰極まれば陽に転ずる易の法則にも合致して
いる法則であり、故にこの世界この宇宙を万遍なく包摂し尽している法則でもある。

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022 2013/12/11(水) 15:29:31 ID:GOYraogAns:au
だからこそ君子は、小人が耐えようともしないような最低度の不遇をも修錬の場とし、
そこでこそ君子としての素養をより磨き上げて行こうともする。仏者も最悪の不名誉
すらをも耐え忍ぶ「忍辱行」を修行の一環として重んじていたりするとおり、むしろ
より高い品性の持ち主こそは最悪の不名誉にすら甘んじて行くというわけである。

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023 2013/12/12(木) 14:21:25 ID:GBocE32mbw
世界でも、日本列島ほど、単なる居住地として恵まれない環境と、
その環境的不遇をバネにした聖賢の練達に適した条件とを
高度に両立させている土地も他にないといえる。

ただそこに安住したいというだけならば、可住地域の狭さや、夏場の
高温多湿さや、冬場の乾燥や豪雪や、地震や津波や台風や火山噴火といった
数多の障害が待ち受けている、それはそれは条件の悪い土地であることが
明らかである。ただ、そのような条件の悪さを逆手にとって、狭い土地での
人々の和睦に努めたり、急峻な山間地域での修行に励んだり、豪雪地帯での
農産に務めたり、大水や渇水を手玉に取る土木事業に励んだりすれば、
それが自分たちにとっての修養となる。そうして実際に多くの日本人たちが、
世界でも突出する程もの精神的、技能的な練達度を磨き上げてきているのである。

弘法大師空海が四国山中などでの長年の修験道修行に取り組んだ後に、唐に
乗り込んで密教寺の門を叩くや、そこでも他に類を見ないほどの才覚を発揮した。
密教の中でも最高度の完成度を誇る後期密教を継承していた青龍寺の恵果和尚は、
その空海の才覚を見込んで即座に密教の奥義を伝授し、当初の留学予定期間である
20年を遥かに下回る2年という短期間で空海を祖国である日本へと帰国させた。
(そのせいで空海は違約の咎を被って一時大宰府に滞留させられることともなった)
恵果和尚がそれ程にも空海を厚遇したのも、何も空海一人の才覚の突出度ばかりを
見込んだからではあるまい。儒教の本拠地でもあるために、教義の一部が倫理違反
として排撃の対象にすらなっていた中国などと違って、日本が密教の修得や温存に
うってつけの土地柄や国柄であることを、自国での修錬によって密教修得の素質を
磨き上げていた空海の才覚を通じて間接的に見取っていたからこそ、極東の島国
からの渡来者などにあえて密教の奥義すらをも早急に伝承したに違いないのである。

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024 2013/12/12(木) 14:27:09 ID:GBocE32mbw
近代以降に日本で工業技術が急激に発達したのも、日本刀などに代表される高度な
伝統工芸技術が昔から培われて来たからでもある。たとえば、その日本刀の原料
となる玉鋼の生産のためにも膨大な木炭が必要とされる。その木炭の産出地として
最適であったのが今の岡山県にあたる備前一帯であったものだから、そのあたりで
長船一派に代表される刀工たちが数多の名刀を作製して来てもいるのである。
しかし、豊富な木炭を生産できるからには、備前一帯は昔から森林を急激に成長
させる程もの豪雨地帯でもあったわけで、そのせいで洪水が絶えることもなく、
天正18年の大洪水によってついには長船一派の道統も一度は完全に絶えることと
なってしまったのである。これもやはり、住むには適さないような過酷な環境が
ある種の高度な技能を発展させた一例であるといえ、人間たるもの、真に偉大な功績
を挙げるためには、時には本当に洪水に呑み込まれる程もの身の挺しようでなければ
ならないことがあるということの、まさに身を挺した見本ともなっているのである。

自分一身の安楽などよりも、自らが身を挺してまでの大業のほうを自らが
追い求めて行くことができるのは、これもやはり大人の男だけである。女や子供は
そんな試みに及んでみた所でさしたる業績も挙げられない程度の社会的能力しか
持ち合わせていないのだから、そんな志しを抱けないのも仕方の無いことだといえる。
だからこそ、男の大業によって世の中がより一層の繁栄に与るためには、わが身を
挺してまでの大業に取り組もうとする男の性向が、男たち自身によっても、女子供
によっても、誰しもから優先的なものとして尊ばれて行く必要があるのでもある。

「上は下を厚うして、以って宅を安んず」
「君子は社会的上位者として下位者の福利厚生を企図することで、
自分たち自身の居住まいをも安んずる。(社会的な上下関係はあっても、
両者の関係はギブアンドテイクなものであり、どちらかがもう一方の衣食住を
一方的に安んじてやったりするものではない。そうであることをよく重んじ
ればこそ、人間社会における最大級の安寧が獲得され得もするのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・剝・象伝より)

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025 2013/12/13(金) 14:56:35 ID:XzSeBMOnx.
「吾が道は一を以て之れを貫く」
(里仁第四・一五)

妾腹の私生児という恵まれない境遇に産まれた孔子が、その不遇をバネにした
自学自修に励んで学者として大成したのも、ただ首尾一貫を心がけたからでこそあった。
生まれつきの境遇自体は恥ずべきものであると自覚し、それに相応の努力を心がけた。
疎かなままとなっていた家族関係も整理して、亡き母を父の墓に合葬し、孔家の
正式な跡取りともなった。それら全ての振る舞いが、どこまでも不遇を乗り越える
上での正攻法であったがために、孔子も着実に卑しさを乗り越えることができたのである。

同じ妾腹の私生児として生まれたにしろ、イエスなぞはそうすることができなかった。
恵まれない境遇に取り込まれて自暴自棄となり、父親の身元が知れないのをいいことに
自らを神の子(キリスト)だなどとまでうそぶいた。それは、孔子の場合などとは逆に、
自己を偽ることでの現実逃避をやり込めた有り様であったといえるわけで、故にこそ、
それがカルト教義による深刻な自己洗脳の雛形としての模範にされてしまったのだった。

心持ちとして、自己を偽ったりすることなく、幼児の頃からの初心を貫徹するということ、
それは、妾腹の私生児ほどにも恵まれない環境に生まれた人間であろうともそうすべきで
あることなのだから、それ以上に恵まれた環境に生まれ育った人間であればなおのこと
であるといえる。人間にとって、生まれ付きの最原初から備わっている本性こそは善であり、
その善性にこそ従っていくことこそが先天後天両面における人としての徳行ともなって行くの
だから、特にそれへの障害がなければ恙無くそうして行くべきだし、生まれの不遇さのような
障害があったとしても、着実な自助努力によってその障害を乗り越えて行くべきだといえる。

人それぞれ生まれた境遇は異なるのだから、そこから徳行を積み重ねて行く上での手段も
さまざまとなる。ただ、それはあくまで個人差を埋め合わせるだけの差異であるわけで、
差分を差分で埋め合わせた上で徳行によって積み重ねられる徳というものは同一である。故に、

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026 2013/12/13(金) 15:01:48 ID:XzSeBMOnx.
「夫れ道は一なるのみ」
「(徳を積んで行く)道は本質的に全て同じものであり、首尾一貫している」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・一より)

というのであり、当該の一本道を歩むことを奨励する教学こそは正学正教となる一方、
その道に外れた邪道を歩むことを促す教学こそは邪教邪学ともなってしまうのである。

人が徳行のために邁進すべき道は本質的に首尾一貫している上に、人間の本性に即して
言うならば、それは「初志貫徹」すべきものでもある。小さい頃から本性を見失って、
性悪状態を自らのデフォルトだなどと思い込んでいる人間もいたりするから、必ずしも
「自らの心に素直に」などということも言えないが、本当に自己の本性を自覚している
人間ともなれば、その本性に素直であることを一生貫いて行きすらすればいいのである。

人間としての本性に根ざした初心を貫徹して行くのならば、そこに何らの浮ついた要素
も伴うはずがない。始めから初心を貫く場合であれ、一度見失ってしまった初心をまた
見つけ直して行く場合であれ、極端に珍奇なことにかかずらわされるような心持ちは
一切排されて、親子兄弟水入らずの時のような自然体の心持ちでいられるはずである。
そうでいられないというのなら、何かがおかしい。あからさまにカルト宗教に帰依して
自己洗脳状態と化してしまったりしているのでなくとも、何か己れの本性から遠ざかって
しまうような不自然な情報的要素を心象に差し挟まれてしまっている可能性が高い。

それは、誰でも分かるようなあからさまなものから、専門家が精査してみることで
やっと判明するぐらいに巧妙なものまで様ざまであるため、常人が自力でその全てを
退けるなどということはほとんど不可能である。孔子級に有能な聖賢が、世の中の
言語情報の名辞から矯正して行くぐらいの措置を採らなければその十分な撃退も困難で
あるため、ただ誰しもが初心を貫徹すらしていればそれで道徳の一本道を歩めるような
時代が到来するためには、まだそれなりの期間を必要とすることともなるだろう。

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027 2013/12/14(土) 14:46:58 ID:lXvreg6Qos
世の中における部分の平和と、全体の平和とは、半ば相反するものですらある。
全体の二割にも満たないような部分的派閥が自分たちだけの安寧を貪って、過剰な
我田引水によって世界中の富を巻き上げて、その富を元手に強大な軍備を整えて
外界への威嚇に用いたりすれば、それで派閥内だけでの平和は維持されるが、全体の
八割以上に相当するような大半の世界が荒廃と戦乱とに見舞われることとなってしまう。

あえて「二割」という派閥規模を例示したのは、部分的派閥が全体からの富の収奪に
よって自分たちだけの平和や繁栄を企図することのできる限界が、自分たちの派閥規模
が全体の二割程度までである場合であるからで、それ以上に自分たちの相対的な派閥
規模が増大してしまえば、もはや我田引水が富の豊満にも結び付かなくなってしまう。

そのため、そのような我田引水による自分たちだけの平和や繁栄を企図するものは、
自然と全体の二割程度の派閥規模でいるようになってしまう。今の世界における資本主義
勢力の人口規模も、世界人口の二割程度に止まっていて、それ以上に勢力を拡大しようと
して巨大人口を擁する中国などへの進出を試みたなら、かえって自分たちの経済的停滞や、
中国での公害による致命的な環境破壊などの大問題を来たしてしまうこととなった。

全体の二割程度の派閥規模というのが、我田引水目的の派閥が部分としての栄華に
与れる最大限の比率となると共に、そのような派閥が当該比率での横暴を続けた場合に
世界規模での致命的な経済的破綻を招く原因となる条件を満たす比率ともなっている。
派閥規模が二割よりも十分に小さければ、自分たちの我田引水のせいで世界がそこそこ
貧しくなるとはいえ、致命的な破綻を招く所まではいかない。自分たちは自分たちで
全体の二割程度の勢力は擁したいと考えて、実際にそれを実行に移した場合に、
ついには世界全体を破滅に陥れるほどもの大災厄を招くこととなってしまう。

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028 2013/12/14(土) 14:53:02 ID:lXvreg6Qos
今の欧米聖書圏を主導者とする資本主義勢力などは、ただ自分たちが我田引水
本位のガン細胞的派閥となるのみならず、その勢力規模を世界の二割程度にまで
拡大する暴挙すらをも共に犯してしまっている。それは、ただ自分たちが他者を
不幸に陥れてまでもの狭隘な栄華に与りたかったからのみならず、そのような
不正な手段によってであっても、あたかも自分たちが世界の支配者や代表者で
あるかのような振る舞いにすら及びたかったから、あえてそうしたのである。

どんな世の中でも、商売人は我田引水で身銭を稼ぎ上げる。その商売人がいればこそ
人類文明も発展して来たところがあるわけだから、文明を全否定するのでもない限りは、
我田引水を仕事とするような人間の存在も全否定まですべきではない。しかし、その
ような人様からの一方的な富の巻上げによって食い繋いでいるような連中が、世界の
支配者すらをも気取り始めたりしたならば、それは身の程知らずにも程がある所業と
なってしまうわけで、実際に今の資本主義勢力もそのような真似に及んだものだから、
自分たちの過ちが原因での自他共なる決定的な破滅を招いてしまったのである。

我田引水で食い繋いでいるような連中などが、着実な自分たちの生産的活動によって
富を得ているような人々よりも上に置かれるようなことがあってはならないとは、
常識的に考えてみればごく当たり前のこととして認められることである。もしも
人間同士の上下関係を規定するというのなら、むしろ前者が後者の下にすら置かれて
然るべきだとすら考えられるのに、あえて我田引水野郎の分際で人様の上にすら
立とうなどとしたのは、まさに過ちを過ちで塗り固める狂人の所業だったといえる。
虚構の超越神による権威性の付与によってでもなければ正当化もおぼつかないような
その手の暴挙の末路が致命的な大破滅であることもむべなることであるといえるわけで、
過ちをあえて積み重ねる程もの思い上がりに相応の、反省の時がやって来るわけである。

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029 2013/12/14(土) 15:17:28 ID:5pk9NB3k26:au
「是の月や、以て官の事無きものを罷め、器の用無き者を去る可し。
闕廷門閭を塗り、囹圄を築き、此れ以て天地の閉蔵する所を助くるなり」
「この月には、朝廷に仕える百官の内で特に仕事のないものを辞めさせ、
必要のない祭器を取り去るようにすべきである。街中の人の出入りの多い場所や、
門の内外の空き地や、民家や郷里や港の門などを修繕装飾して、天地が人知れず
閉蔵している者に対するまでの助成を行き渡らせるようにする。(朝廷はただ
仕えればいいというものではないし、祭器もただ多ければいいというものではない。
一方で、別にいま主君への忠誠を誓っているわけでもないようなどこぞやの誰かに
対するまでの配慮を欠かさぬようにする、それでこそ仁君に相応しいあり方だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・月令第六より)

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030 2013/12/15(日) 13:25:56 ID:KAbJPZYarI
世界中にゴマンと存在する求道手段の内で、三つか四つ程度の手段だけでも
冷静な比較対象と出来たならば、二度と聖書信仰などを自らの求道手段に
据えようとはしないだろう。それほどにも、正道を外れての不実な邪道を
邁進する手段として、聖書信仰が極端な実例であることが間違いないのだから。

自力仏教のような、あまりにも高尚すぎる求道手段を、急激かつ単一な
聖書信仰との比較対象としたりしたならば、あまりにも両者の次元が違い
過ぎて冷静な比較ができなくなり、そのため、自分自身が聖書信仰のほうに
信奉心を抱いてしまっていたりする場合には、よく分かりもしない内から
無理に聖書信仰のほうを是としてしまったりもするかもしれない。

ただ、自らに数多の求道手段を冷静に比較できるだけの十分な能力が備わ
っているのならば、聖書信仰などを自らの求道手段とすることも、他者が
聖書信仰を求道手段とすることを認めたりすることも絶対にない。ただ偏に、
自らが数多の求道手段を冷静に俯瞰できるだけの能力も持ち合わせていない
ような未熟な見識の持ち主である場合にのみ、聖書信仰が多少なりとも、
自他にとっての求道手段として適格であるような気がしたりするのみである。

他人に全ての罪を押し付けての悪逆非道に邁進することなどを、自らが
是とすることができるとするなら、それは、自らがよっぽどの無知であるか、
もしくは、ろくな判断能力がないにもかかわらず無闇に多くの知識を取り
入れ過ぎたせいで個別の知識の価値の優劣の見分けが付かなくなり、それが
原因での自暴自棄に陥ったせいでの罪悪の開き直りに陥ってしまっているか
のいずれかであることが間違いない。自らにそれなりの知識があって、尚且つ
それらの知識を整理して価値を査定することもできたならば、そのような
邪道の極致などを決して、人が歩むべき道として認めたりすることはない。

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031 2013/12/15(日) 13:28:41 ID:KAbJPZYarI
すでに、聖書信仰を多少なりとも是認させられてしまっているような人間は、
そもそもが、数多の教学を聖書信仰と同等なものとして比較することすら
すでに不可能と化してしまっている。仏教もあれば儒学もある、神道も、
道教も、ヒンズー教も拝火教もイスラム教もそれなりにあるとした所で、
聖書信仰だけはそれらと全く別格の聖教であり、おいそれと対等な比較の
対象にしてはならないとするような心理状態を潜在的に帯びてしまっている。

それは何も、完全な聖書信者ばかりには止まらない。自分たち自身が聖書
信者ではない日本人などまでもが、そのような思い込みに苛まれたままで
いてしまっているものだから、古くから自分たちが親しんできた儒学や仏教
のほうをかえって下に見てしまうような状態ともなってしまっている。現状、
日本を軍事的経済的な征服下に置いているのがアメリカやイギリスであり、
そのアメリカやイギリスがキリスト教を実質的な国教としているものだから、
自ずと聖書信仰にまで頭が上がらないようなザマと化してしまっている。

そのような状態でもなければ、日本人並みに優等な教学ばかりに伝統的に与っ
て来た人々が少しでも聖書信仰を認めてくれたりすることもあり得ないわけ
だから、アメリカやイギリスも、無理にでも日本を征服下に置き続けておこう
とする。自分たちがあまりにも粗悪な求道手段ばかりを自分たちの精神理念
として来たことの劣等感を紛らわすために、無理でもそうしておこうとする。

そうして今、極東情勢は緊迫した状態を向かえ、地政的に肝心要の位置にある
日本の再軍備を認めでもしない限りは、中国の暴走を食い止められもしない
ような事態を呈しつつある。自分たちの虚構のプライドを保つために、これから
も日本人に聖書信仰を是認してしまっていられるほどの骨抜き状態でいさせた
結果として中国の侵出を許すか、もしくはそのような現状を打開するか。

命が惜しいか、それとも聖書信仰が惜しいか、その二者択一が今迫られている。

返信する

032 2013/12/15(日) 14:14:05 ID:FPS7rKaqSc:au
「吾れ聞く、夷子は墨者と。墨の喪を治むるや、薄きを以って其の道と為せると。
夷子は以て天下を易めんと思えり。豈に以て是に非ずと為して貴ばざらんや」
「(孟子)私は、夷子は墨家の学者だと聞いている。墨家では親の葬儀を簡素
なものとすることを自分たちの道としているとも。夷子もその道によって天下を
正そうと志しているのには違いないわけだから、その手段が間違っているから
といって、全く尊重してやらないなんてことまではない。(目的が『天下を正す』
とかの正当なものであるのならば、外道といえどもまだ尊重してやれる所がある。
その目的からして『自分個人の安楽逸居のため』とかの不正なものである場合に
こそ、外道なりのものとして尊重してやるにすら値しない外道中の邪道となる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・五より)

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033 2013/12/16(月) 13:40:56 ID:DTtRMh4DQc
インド神話の三神一体よろしく、関数の極限の発散・収束・振動への大別よろしく、
あらゆる現象は破壊と創造と維持の三つの志向性によって成り立っている。
人間が形作る世の中もまたこの三つの志向性に司られていて、この三つが調和
している世の中こそは健全性を保つ一方、三つの調和が損なわれた世の中こそは
不健全さを増して、最悪の場合には亡国級の破綻を招くこととなるのである。

破壊と創造と維持の調和が損なわれた結果として、まず維持が調和から脱落する。
極端な破壊と創造によって世の中が支配されるのが低度の乱世であり、中原の
面積規模での開発が急進して行った春秋時代の中国だとか、最上級の日本刀や
それを用いた武芸が発達した鎌倉期〜室町期の日本だとかがそれに当たる。

さらに調和が損なわれた結果として、今度は創造が脱落する。世の中全体が
破壊を基調とした最悪の乱世となり、人々も飢えや戦乱に常日頃から苛まれる
こととなる。それこそ、戦国時代の中国だとか日本だとかがその典型例であり、
将兵の武勇伝が乱造されるぐらいのことしか、見るべき所もなくなってしまう。

中国大陸だとか日本列島だとかが一定以内で閉じられた社会であったものだから、
戦国状態が極まった結果として、中国も日本も歴史的な撥乱反正を余儀なくされた。
項羽や信長による極度の破壊行為と、始皇帝や秀吉による極度の文明的創造とで
戦乱状態にけりがつけられ、後には劉邦や徳川家康のような穏健さを本分とする
最終勝利者が残って、新たに平和な世の中を築き上げて行くこととなった。

中国の春秋時代や日本の武家時代初中期のような破壊と創造の入り混じる時代と、
戦国時代のような破壊まみれの時代とであれば、罪悪を無制限に許し続ける聖書圏
の人間といえどもある程度は享受することができる。実際、欧米聖書圏の歴史と
いうのは、破壊と創造の両輪状態か、もしくは破壊一辺倒であるかのどちらかで
あり続けて来たわけで、だからこそ文明発展にかけても先進的でいられたのだった。

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034 2013/12/16(月) 14:20:22 ID:DTtRMh4DQc
ただ、中国や日本の戦国状態がある時期に極まってそれ以上の発展のしようが
なくなったのと同じように、聖書圏が破壊と創造もしくは破壊だけを念頭に置く
ようなペースでの文明発展を続けて行く余地も、この地球上になくなってしまった。
文明的創造による発展はすでに天井打ちとなり、次の破壊は核大戦のみと来ている。

それでもう、聖書圏を含む全世界が、破壊と創造の両方を超克するほどもの維持に
頼るしかない事態となっている。世界規模での漢王朝や徳川幕府の再来を否応なく
欲せざるを得ない事態となっているわけだが、両政権も儒学を統治理念としていた
通り、そこでは仁義道徳に基づく体系的な統治が執り行われていくこととなる。

儒学統治を基調とする以上は、儒学教理に決定的に相反する邪教邪学を排して
行かねばならず、その急先鋒が聖書信仰でこそあるというのはもう幾度も述べて
来たことであるけれども、聖書信仰が現象を司る志向性である破壊・創造・維持の
内の維持を決定的に損なわしめるものであるからこそ、維持を基調とした社会統治
のために聖書信仰の根絶が必須となる理由もまた、以上の如くであるといえる。

漢代の中国でも覇王項羽の四面楚歌時の奮闘が英雄的に取り沙汰されたり、江戸
時代の日本でも武田信玄が武神的な存在として崇められたりしていた通り、維持を
主体とし始めた時代といえども、破壊や創造といった要素を排し去るのではない。
それら三つの要素の調和こそが図られて行くのであり、そのためにこそ、破壊者や
創造者と比べれば立場の弱くなりやすい維持者こそが社会統治の主体にすらなって
行く。これは一種のカウンターバランスの補完であり、決して維持者が何もかもを
征服し尽くすことなどを意味してはいないのだから、今まで維持者こそが支配者
となったようなことのない西洋人などが、それを恐れたりする必要もないのである。

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035 2013/12/16(月) 14:25:30 ID:qISgG8TMe6:au
「君子の礼に於けるや、〜曲にして殺ぐこと有り」
「君子といえども礼を実践する場合に、あえて正式を曲げて殺ぐようなことがある。
(たとえば、逆縁で母が父よりも先に亡くなった場合に、父の気持ちを慮ってあえて
短期かつ簡素な喪に服したりする。この世に絶対にこれだけが正しいなどという取り決め
もあり得ないのだから、些細な過ちに打ちひしがれたりするのも大概にすべきだといえる。
またそれでこそ、絶対に許すべきでないような大罪の見分けも付くようになる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼器第十より)

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036 2013/12/17(火) 14:20:48 ID:VXsyAH3X3Q
愛は愛で、俗世に生きる人間にとっての欠くべからざる要素の一つではあるが、
決してそればかりが俗人にとっての全てでもない。むしろ、愛や憎しみを
超えた所にある冷徹な分別などのほうが、世の中を主導的に司っていく
立場にある大人の男などにとっては、より重視されて然るべきものともなる。

とはいえもちろん、大人の男といえども、愛する妻子を養いつつ俗世の事業に
携わって行ったりするわけで、冷徹な分別に根ざした徳行ばかりに専念して
行くこともなかなか難しいこととなる。だからこそ、儒学においては妻子
への情愛以上にも親や主君への恭敬を優先させるように促すし、仏教に至るや、
愛欲を完全に断ち切った出家者への崇敬すらをも奨励する。それでこそ、
片手間程度には妻子を愛することも必要となる大人の男の主導する世の中が、
愛欲にたぶらかされたせいでの汚濁にまみれたりするようなこともなくて
済むようになるためのカウンターバランスが補完されるのである。

凡そ、人間が自分たちの高潔な思想信条上の理念として据えるべきものに
あたるのが、愛欲の妄りな増長を控えさせたり捨てさせたりする志向性である。
人間とてサルから進化した半動物であるわけだから、愛欲なんてわざわざ
文化文明によって増強されたりしなくとも、いくらでも沸いてくるものである。
むしろそこからの愛欲の暴走こそが、文化文明を構築して行く能力のある
「万物の霊長」たる人間としての品位を損ねる暴慢を来たしてしまったり
することのほうが問題であるわけだから、人間が人間としてのより一層の
向上を目指して行くからには、愛欲を増すよりはむしろ控えて行くことの
ほうに重きが置かれて行くのが、ごく自然な流れとなっていくわけである。

人間もまた動物であるからには、愛欲を完全に断ち切るのも半ば不可能に等しい
ことであるのもまた間違いない。なればこそ、その愛欲を完全に断ち切るぐらいの
心意気と共に精進を積んで行くことが、ちょうどいい塩梅ともなる。原始時代に、
洞窟を住居としていた原始人の男が、洞窟の中では女と愛し合って子供を作っ
たりもした一方で、洞窟を出るや猛獣などとも勇敢に戦って、収穫を得ては住居

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037 2013/12/17(火) 14:24:39 ID:VXsyAH3X3Q
に帰って行ったようにして、愛を貪る場とはまた別のものとしての、勇猛な挺身
の場を得て、むしろそこでこそ人間としての社会的な事業にすら取り組んで行く。
それが元来からの人間としての模範的なあり方に沿った姿ともなっている。

「愛のない世界」などというものを企図して、愛欲を断つ思想信条を本是
として行くのではない。むしろ、巷に出回る愛が適正化されるためにこそ、
愛欲のバランサーとしての制欲系の思想信条こそが優先的に推し進められて行く。
それが成功していたのが、たとえば平安時代の日本社会などであり、世の中
総出を挙げての仏門帰依による愛欲の節制が行き届いていればこそ、当時の
数多の女流文学などに半ば過剰気味にすら描かれているような恋愛物語の
ネタとなるような男女の睦みというものが実現されていたのでもある。

むしろそこにこそ、品性ある人間ならではの魅力的な恋愛絵巻が展開されても
行く。十分に愛欲が節制されているからこそ、獣のような醜さでもないし、逆に
その醜さを覆い隠すような浮ついた修辞で、下手に愛を着飾ったりもしていない。
そういった洗練された恋愛模様を追い求めればこそ、制欲を促す類いの思想信条
を尊んで行くということもあるわけで、「愛があるか、ないか」なんていう極論
を超えた中庸の域に達せられる者こそが、その価値をも計り知れるのである。

「愛を貪るは不祥なり、鄰りを怒らすは不義なり」
「自分たちばかりの愛着のために財を貪るのは不祥というものであり、
そのせいで隣国を怒らせたりするのは不義というものだ。(秦が飢饉と
なった時に晋国が援助を出し惜しみしたために、晋国の大夫である慶鄭が
恵公に奏上した言葉。恵公はこの言い分を聞き入れず秦に援助を送らなかった
ため秦人の怨みを買い、後の戦いで秦に大敗して捕虜となった。隣人関係以上
に隣国との関係を重視することは、国際戦略上からして時に必要なことである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・僖公十四年より)

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038 2013/12/18(水) 13:47:24 ID:LS1ms7IDXQ
「狎れ侮るものは死するまで畏れざるなり(既出)」
「馴れ合って人を侮ろうとするものは死ぬまで他者を畏れるようなことがない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・表記第三十二より)

一定以上の濁念にまみれた人間が、自らの畏敬心や警戒心を損ねてしまうということは、
何もカルト信仰などに即さなくとも普遍的にあり得ることである。秦の宰相呂不韋が
商売人上がりの分際で、自らの私生児に秦の王統を簒奪させたことなども、本人の
何ものをも恐れない思い上がりこそがそうさせたのである。政商のような不正な身分で、
食客のような不正規な手下を多数囲い込んでのお山の大将気取りでいたことが本人の
濁念を致命的に増長させて、世界史上でも屈指の大権力犯罪にすら至らせたのだった。

それ程もの致命的な濁念に見舞われてしまった人間というのは、本当に死ぬまで
更生の機会も得られぬままに終わってしまうことが多い。社会的な状況からして、
本人たちに改悛の機会を与えてやるようなことが皆無と化してしまうために、
入獄や強制治療などの適切な措置すら被れば存命中の更生も可能だったりする
にもかかわらず、そのような機会を得られずに無残な最期を遂げてしまったりする。
それも、別に偶然だったりするのではない。呂不韋らが主体となって創立した秦帝国が
封建制を廃して一君万民の完全独裁体制を敷き、誰一人として体制に楯突ける余地も
ないような状況をあえて招いたようにして、濁念に囚われた本人たち自身が他者からの
矯正に与る余地を奪い去ってしまうからこそ、そうなる。その結果として、内部腐敗が
原因での体制ごとの自滅を招いて、亡国級の末路を辿ることにすらなってしまうのである。

上の呂不韋の事例一つを取っても、王統の権威を畏怖したり、権力犯罪の非道さに動揺
したりすることのほうがむしろ、人間としての自己防衛本能の発露であることが分かる。
ただただ何もかもを恐がる怯懦さなども、それはそれで問題を来たしたりするものだが、
本当に畏れ謹むべきものを畏れ謹むことだけは確かに、自分自身がより無難かつ上等な
運命に与って行くための手段として健全に有用であることが分かるわけである。

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039 2013/12/18(水) 13:56:09 ID:LS1ms7IDXQ
一度でも、人々が社会規模で何ものをも恐れないでいる程の濁念に囚われてしまえば、
そこから世の中を健全な畏敬心の通用する状態へと持ち直して行くことも、なかなか
困難なこととなる。春秋戦国時代と秦代における権力者の横暴によって多くの人々
が濁念に囚われてしまった中国などでは、後の漢代や唐宋代にそれなりの世相の改善
が試みられたが、それでも完全な矯正までは不可能であったために、今に至るまで、
一定以上の人数の中国人がならず者然とした性向を帯びたままでいてしまっている。

中国で、濁念に囚われた人間の十分な矯正が覚束なかったのは、一定以上に世相が
汚濁化してしまって後にも相変わらず文治優位軍政劣位の体制であり続けたからだった。
日本などでは、平安末期に致命的な政治腐敗を来たして後には武家政権が発足し、能動
的な武力行使による、濁念に囚われた人間の強制的な粛清にすら及んでいたものだから、
一部の地域などを除いて、人々の精神汚染が一定以上に深刻化することがなくて済んだ。

軍事政権といえば、今では陰惨なものの代表格として受け止められている場合が多いが、
日本の武家政権はただ軍力で人々を締め付けるのではなく、何ものをも恐れない人々の
思い上がりを殺ぎ落とした清浄な世の中を保つためという確固たる目的があって運営
されていたものだから、軍力を主体とした中央集権によって権力者が狭隘な栄華を貪っ
たりするような、昨今の軍事政権にありがちな問題性を来たさずにもいられたのだった。

武力行使によってでもなければ、人々の思い上がった濁念の十分な抑制を講じられない
ような事態からして、まず招かないようにすべきものではあるけれども、いったん招か
れてしまった以上は、もはやそうする以外に最善となる道が開かれていないこととなる。
そこで相変わらず中国のような文治優位の体制を保ち続けたならば、そのせいで却って
人々の危うい思い上がりを募らさせてしまうことにすらなるわけだから、時には為政者
があえて刀を手に取ることこそが、人々のためともなることが確かなわけである。

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040 2013/12/18(水) 14:24:27 ID:6pkxWcDQig:au
「彼の黍離離たり、彼の稷之れ苗す。
行き邁きて靡靡たり、中心搖搖たり。我れを知る者は、我が心憂うと謂う、
我れを知らざる者は、我れ何をか求めんと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや」
「(昔周の古都があった土地に)黍が離離として生い茂って穂を垂れ、稷も苗を
生やし始めている。そこを通り過ぎるとき、私は行き去るのが忍びない気持ちに
なり、思わず進む速さを落とした。その心中は半ば動揺しているような有様だった。
その姿を見た人があったなら、私を知る者であれば『ああ、心憂えているのだな』と
思っただろう。私を知らない者であれば『穀物を見つめて、何を欲しがっているの
だろう』などと考えただろう。ああ、悠々たる蒼天よ。誰がこの地をこのようにして
しまったのだろうか。(西周の興亡を嘆く大夫の歌。半ば他人事ではあるけれども、
幽王らの失態によって崩壊してしまった西周の有り様を、心中からの動揺と共に
『人の振り見て我が振り直せ』の材料ともしている、君子としての心がけの描写)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・黍離より)

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041 2013/12/19(木) 14:19:36 ID:RN3WdJ9hi6
東洋史上の、特に正史上における主要な登場人物は、そのほとんどが正規の公権力者
であり、なおかつ順風満帆とまではいえないような人生を送らされた人間のほうが
大立ち回りを演じている場合が多い。それは、数多の君子たちの挺身的な取り組みに
よって世の中が形作られた結果、多くの人々が安寧に与れるようになったことへの
感謝と尊敬の意が込められているからであり、なおかつそのような人々の活躍こそを
前面に押し出して行くことが、その手の人種の尽力があることで初めて健全に成り立って
いける世の中というものを、よりよくして行く上での最善なる姿勢ともなるからである。

中国初の正史である「史記」においては、貨殖列伝において、ただ個人的な栄華に与って
いただけの有名人が記録されていたりするが、より権力道徳的な見地から編纂された
二番目の中国正史である「漢書」などにおいてはそれも廃されて、公権力の興亡のために
一役も二役も買ったような人間ばかりが記録されることとなった。中には王莽のような、
大逆罪を犯した大悪人までもが記録されていたりするわけだが、>>32の墨家に対する孟子
の態度よろしく、それとて公権力者としての志しあるが故に犯した過ちであったことには
変わりなかったわけだから、始めから世のため人のために働くことも放棄して、自分個人の
狭隘な栄華ばかりを貪ろうとする小人などと比べればまだ特筆する余地があったわけである。

世の中が一定以上に大規模化すれば、商売を生業とするような連中の中からどうしたって
小人が生じてしまうこととなる。そのような小人と、世の中全体の責任を負って行こうと
する君子とが居たとして、ただ個人的な安寧に与れる可能性が高いのは、やはり小人の
ほうである。君子はそのような小人を含む、天下万民の安寧を実現して行くためにこそ
命を削るような重責を果たして行くというまでのことなのであって、だからこそ、その
ような人身御供然とした職務に励む君子こそを上位者として崇め、歴史上としての
主人公格として取り扱って行くことがカウンターバランスの補完ともなるわけである。

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042 2013/12/19(木) 14:23:19 ID:RN3WdJ9hi6
君子たる大人の男こそは、命を削るような重責を果たして行く、にもかかわらずでは
なくだからこそ世の中の主人公格として尊重し、正史にもその名を止めさせる。それとは
逆に、女子供や小人男はのんべんだらりと怠惰で無難な生活を送れたままで人生を終える、
にもかかわらずではなくだからこそ脇役扱いとし、正史にその名を載せてやるような
こともない。世の中全体の姿勢がそのようであるということ自体が、満てるものを
損ない謙れるものを益する陰陽法則への準拠となるわけで、この世界この宇宙の全てが
陰陽法則に司られている以上は、人々もまたあえてそうして行くことで、普遍法則に
人為で抗ったがための無様な破綻などを招かないようにして行くべきだといえる。

それは、個々の男女関係などについても同じことである。男のほうが女よりも偉いから
世の中に出て働くべきなのではなく、男のほうが世の中での重労働に従事するに値するから、
その大変さを汲んでより尊んでやるべきなのである。同じように、女のほうが男よりも
卑しいから家内に引き籠っているべきなのではなく、女には重労働をこなす能力がない
から家内での家事や育児に専念すべきである。だから男ほど尊ばれる必要もないという
ことであって、そこにドクマとしての尊卑の差別などが遍在しているわけではない。

君子は小人よりも、男は女よりも尊ばれねばならないといった古くからの慣わしが、
あたかもカルト宗教のドグマのように絶対無謬のものとされているかのように思い込まれた
結果として、その反発で民主主義や男女平等主義が謳われることともなってしまった。
実際にカルト教義のような妄信対象としていたような人間もいたに違いないわけで、
その手の疑念を一掃するためにも、君子や男の小人や女に対する優位がドグマに即して
是とされるなどということはないという風に、一度は明確に断言しておいたほうがよい。
ただ、そのような優劣関係を講じたほうが色々と都合がよい、完全に反故にしてしまったり
したのではそのせいでの破滅すら免れられなくなるといった実用性にのみ即して、その手の
序列関係を復活させて行くようにしなければならない。仮に、復活させるのだとしても。

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043 2013/12/19(木) 14:24:13 ID:s9s0mr1SEI:au
「其の泣けるや喤喤と、朱芾は斯れ皇けり、室家の君王なる」
「生まれて来た男児の泣き叫ぶ姿たるや浩浩と、前垂れも煌々と輝けるその姿は、
この家の跡取りとして王君となるにも相応しい。(スサノオの号泣伝説よろしく、
東洋では『泣く』ということが健全な男子のあり方として肯定的に捉えられている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・祈父之什・斯干より)

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044 2013/12/20(金) 14:15:09 ID:v5p46C6bUY
家単位での人口管理が行き届いていた江戸時代のような封建時代には、
子供が男か女か、長男か次男以降か、嫡子か庶子かなどで厳重に選別されていた。
嫡子の長男こそは一家の跡取りとして念入りに尊ばれ、それ以外の子供は
嫁ぎ先や養子先、出家先などをさっさと決めて放り去ってしまうのが常だった。

それでこそ、安定した人口構成のまま何百年という治世が実現されたりも
していたわけだから、それを疎かにしたせいで人口爆発が生じてしまっている
今のような時代と比べても、そのようであるほうがまともなのだといえる。
親の子に対する愛情にもやはり節度が必要であり、特に愛すべき対象となる
立場の子供と、そうでない子供との間に一線を引くことも時に必要となるのである。

然れば、そうであるべき親の子に対する愛情などをそのまま、世の中の支配者の
被支配者に対する愛情などに転用してしまったりしたなら、そのせいで個々の
被支配者に対する差別などが生じてしまいもするのである。その差別を例えば、
士農工商の四民の序列に即させたりすれば、世の中を穏健に統治して行く上での
必要悪的な差別ともなったりするわけだが、逆に悪徳商人を偏重して堅実な産業
従事者を軽んじたりすることになれば、それが乱世を招く原因にすらなってしまう。

「万民を身分のわけ隔てなく平等に愛する」とした所で、その場合にはやはり、
複数のわが子を生まれ付きの分け隔てなく愛そうとした場合などと同じような
「多兎を求めて一兎も得ず」の問題を招いてしまうことになるから、現実問題と
してそこに一定度の差別を講じなければならなくなってしまう。支配者が被支配者
をわが子のように愛するということ自体、いざ実践に移してみれば、決して綺麗事
ばかりでは済まないこととなるわけだから、そこに絵空事のような理想を抱いたり
する人間がいるとすれば、そのような人間自身が世間知らずだからなのだといえる。

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045 2013/12/20(金) 14:19:17 ID:v5p46C6bUY
為政者にとって、民たちをわが子のように愛するということは、非常にシビアな
現実論として受け止めつつの実践対象として行くべき教条に当たる。自らも孝子
としての尽力に励んだ上で、ついには自らもまた人の親となり、家門を保全して
行くための適切な親子関係というものを構築して行く、そういった身内同士での
経験の積み重ねがあって初めて、為政者としての自らがいかに衆生をわが子の
ように愛しつつの仁政に取り組んでいくべきなのかまでもが知れてくるのである。

実際問題、為政者が民に対する場合も含めて、養子関係にもないような他人を
わが子のように愛したりすること自体、偽善止まりとなってしまう場合がほと
んどである。本当に天下万民をわが子のように愛する機会に恵まれたりするのは、
漢の劉家のようなよっぽど天運に恵まれた家の人間などに限られるわけで、大体は
一領地の親玉でいるぐらいが限界となる。その部分的な領地における領有ですら、
地主による恵まれた土地だけの私的占有のような身勝手さを帯びてしまった結果、
自らの領分に沿わないような偏愛を来たしてしまったりすることがあるわけだから、
よっぽど権力道徳者としての素養に恵まれているのでもない限りは、より多くの
報土の領有を志すことはおろか、他人をわが子のような支配対象とする権力者
などを微塵たりとも目指したりするようなことからしてあるべきではないといえる。

元より、偽善としての他人に対するわが子のような寵遇などはあるべきでもない。
接客を担当しないような商取引で成り上がったような富豪が、私財で他人をわが子
のような扱いで囲い込んだりすることが資本主義社会では多々あったりするが、
それこそ偽善の極みであり、始めからそんなことが目的で金が稼がれたりする
ようなことからしてあるべきではない。人が人の親になるということの重大さを
父子関係の厳粛化などを通じて今一度わきまえ直していく必要があるといえる。

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046 2013/12/20(金) 14:21:18 ID:sFDM.oyFZA:au
「陳亢、伯魚に問うて曰く、子も亦た異聞有るか。対えて曰く、
未だなきなり。〜陳亢退きて喜びて曰く、君子の其の子を遠ざくるを聞けり」
「孔先生の孫弟子で子貢の弟子である陳亢が、孔先生の実子である伯魚に聞いた。
『あなたは何か先生から特別なことを教わりましたか』 伯魚『いいえ、特に何も』
陳亢は退いた後喜びながら言った。『君子はわが子をあえて遠ざけるのだとさ』
(わが子を愛すればこそ、特別扱いして堕落させてしまうことを避けたのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・季子第十六・一三より)

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047 2013/12/21(土) 14:27:10 ID:NjZlqqgPxs
道理に基づく因果応報こそは善であり、道理に反する虚構の因果応報こそは悪である。
逆に言えば、上記のような文章構造に即して「道理」と定義されるところのものこそを、
人間たち自身が道理としての普遍的な度量衡に用いている。人間たち自身が1+1=2を
算術上の規則としている程度には、道理も自明なものとして予め規定されていて、
その道理に即して善なるものも悪なるものも派生するわけだから、人間たち自身が
始めに規定した「自分たち自身のもの」としての道理を見失わない程度の正気を
保っている以上は、確かにそこに普遍的な善悪もまた存在するのである。

道理も、真理ほどに磐石なものではないが、少なくとも、1+1を3にも4にもするような
虚構まみれの状態よりはよっぽと磐石なものである。道理に基づく現象の因果応報こそは
最も普遍的な因果応報であり、道理を蔑ろにしたところで作為的に操作される因果応報など
はそれより一段も二段も後付けの代物でしかないわけだから、精巧な日本の工業製品よりも、
中韓製のコピー品のほうが後から作られておきながら先に壊れて駄目になるようにして、
作為によって塗り固められた虚構の因果応報のほうが早急な破綻に見舞われることとなる。

また、虚構の因果応報を弄ぶ悪党といえども、道理に基づく因果応報に即した堅実
な為政や生産労働などに全く頼らないでいるわけにもいかない。世界中の人々が、
程度の差こそあれ、道理に根ざした社会運営というものをそれなりに心がけている中に、
後から欧米聖書圏が侵略の魔の手を広げて行って、一方的な権益収奪の対象として行った
からこそ欧米社会も一時の栄華に与ることができた。それが、搾り取れるものはすべて
搾り取るところまで行き着いてしまってもなおのこと、どこまでも際限なく不正な富を
貪り続けようとする欧米聖書信者の卑劣な性向だけが持ち越されたままという状態と
なってしまったものだから、もはやそのせいでの経済破綻しか選択の余地がないような
事態となってしまったわけで、これこそは、虚構の領分が道理の領分すらをも上回ったり
しようものなら、あっという間に全てがダメになってしまう紛れもない証拠となっている。

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048 2013/12/21(土) 14:31:07 ID:NjZlqqgPxs
資本主義災禍が深刻な様相を呈している現今の世界においては、「金カネ」こそが道理
に根ざした因果応報と、虚構の因果応報とをみそくそにしてしまう基幹としての役割を
果たしている。堅実な労働に従事することで、実体経済に即した収益を挙げている人間も
多数に上る一方で、株式市場や為替相場によってその収益の多くを博打的な運用の対象
ともし、現行の金融システムを熟知していたり、そもそもが金融システムを司っていたり
するような連中に一方的に富が巻き上げられるようなことが許容されてしまっている。

カネが必ずしもそのような、不条理な社会構造の基幹となったりするわけでもなく、
大規模な都市社会においてですら、ある程度はそのような金融経済の悪用に歯止めを
かけていくことが可能であるわけだけれども、資本主義国たるや、金融操作によって
不正に富を巻き上げているような連中に政治権力すらをも掌握されてしまっていたりする
ものだから、なかなか自浄作用としての悪徳金融の取り締まりなどを実行に移すことも
できない。最悪の場合、一度は自国を崩壊に追いやるのでもなければ、悪行による収益が
善行による収益を上回るような破滅的事態に決着を付けることもできなくなったりする。

カネ自体は元来、善でも悪でもない「無記」たる数的概念であるわけだが、まともな
善悪の分別を損なう差し障りたる「有覆無記」として人類史上最悪級の災禍をもたらす
ことともなってしまった。カルト宗教などはむしろ、善悪の分別を完全転倒させての
悪逆非道を推進するものであったわけだから、有覆無記というよりは害悪そのもので
あるため、それだけで全世界を破滅級の災厄に陥れることまではできなかった。そこに、
悪徳金融や科学技術の悪用の如き有覆無記の要素を加味することで初めて、カルト宗教圏
たる欧米聖書圏が全世界を破滅に陥れる程もの害悪の元凶と化したわけだから、ただ
害悪の元凶中の元凶たるカルト宗教などを根絶の対象として行くのみならず、その
ような元凶がもたらす害悪を支援する有覆無記となるような諸概念への警戒もまた
十分となるようにしていかねばならない。つまり、カネの濫用への警戒などが、
以上のような切実な理由に即して、取り組まれて行く必要があるわけである。

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049 2013/12/21(土) 15:13:19 ID:RprWLB4MkU:au
「寛柔を以て教とし、無道に報いざるは南方の強なり。君子も之れに居る」
「寛容と柔和を教条として、無道な横暴などにも報いようとしないのが、南方人が
『強さ』とする所である。(これはよき慣習であるので、)君子もそれを領分とする。
(イスラム圏やイギリスからの侵略にも非暴力で答えたインド人などが、
まさにこの性向を持ち合わせている。無道な悪行には自業自得の報いが
あるから、あえて被害者のほうから報復を企てたりする必要もないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・一〇より)

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050 2013/12/22(日) 15:12:41 ID:Wl0lrhgnOs
この世には、手塩をかければかけるほどより結果がよくなる仕事というもの
があり、それこそはあらゆる職業のうちでも最も善良な部類の職業となる。

農業や漁業や林業といった自然を相手にする仕事は大半がそうだし、モノ
を相手とする工業も、製品の質を向上させて行くのであればそうであり得る。
料理や掃除や洗濯や育児といった、家事にまつわる仕事も当然その内に入る。

むしろ、下手に手塩などかけずに、悪知恵一つでの一攫千金的な成果
ばかりを目指していたほうがいいような仕事も残念ながらあり、悪徳が通用
するような世の中ではむしろその手の職業のほうが「勝ち組」の職業として
持て囃されてしまったりする。悪徳商売などはその分かりやすい例だが、
難関試験に合格してそれで既得権益に与る類いの職業が、あからさまな
悪徳商売などでないにもかかわらずその手の性向を帯びていたりする。
大企業の重役なども少なからずその手の性向によって富裕を謳歌しているし、
腐敗まみれの民主主義国の公務員なども、自分たちの仕事にかけてより
一層の努力を積み重ねて行ったりしない点では全く共通しているといえる。

手塩をかければかけるほどよりよくなるような善良な仕事を貶めて、一攫
千金でウハウハとなるような悪辣な仕事ばかりを賞賛していれば、最後は
今の欧米社会のように極度に生産性の乏しい社会となって、国際金融市場
の操作で何とか切り盛りするか、それも諦めて破綻するかぐらいの選択肢
しかなくなってしまう。そのような末路を辿ったりしないためにも、上記の
ような意味での善良な仕事を、悪辣な仕事以上にも奨励して行く必要がある。

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051 2013/12/22(日) 15:15:39 ID:Wl0lrhgnOs
しかし、手塩をかければかけるほどよくなる仕事ほど、多大なる
苦労を課せられる上に、あまり格好良くもなかったりするのが常である。
農家がまさにその代表格であり、機械による農産などが発達していなか
った近代以前には、農夫といえば長年の屈み作業で背骨がひどく前屈して
しまっているのが常だった。そのような農夫の不恰好な姿に嫌悪感を抱いて、
都市部での一攫千金を企てたような連中が町人となったりもしていたわけで、
農業のような純良な産業を奨励することばかりによって、その手の問題を
十全に抑制して行くこともまた、なかなか難しいこととなるのである。

そこで、農工商の三民の序列の上にさらに「士」を置いて、この士が
かつての武士のような「人の花形」としての扱いを受けると共に、自分たち
の本業である為政にかけて最善の限りを尽くして行くことが、善良な職業を
奨励して悪辣な職業を抑制して行く上での特効薬的な役割を果たすこととなる。

庶民が佩用を禁じられる大刀を差したり、着用を禁じられる袴を着たり、
武術の修錬によって高度な戦闘能力や洗練された立ち居振る舞いを身に
付けていたりする壮士の有り様が、人々にとっての羨望の対象となると共に、
そうでありながら職務に最善をも尽くして行く有り様がこれまた、人々に
より職務にかけての努力を尽くさせて行く上での指針となっていくのである。

より手塩をかけて行くべき善良な仕事を奨励し、一攫千金ばかりを狙う
ような粗悪な仕事を抑圧して行く上での鍵となるのは、結局のところ士人
たる人間たち自身となるわけだから、まずは尊ぶべき人間を尊んで行くと
いうことが義務性を帯びてくることともなる。人間すら敬うこともできない
のに、どうして虚構の神ばかりを敬っていていいものか、ともなるわけである。

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052 2013/12/22(日) 15:19:12 ID:j6WBj8GwsM:au
「祭も數しばするを欲せず、數しばすれば則ち煩し、煩しければ則ち敬さず」
「神を尊ぶような祭りもやり過ぎはよくない。あまり頻繁に行いすぎると
そのせいで心を煩わされることとなる。煩わされれば心からの畏敬心も
損なわれることとなる。(日曜日に毎日教会に通わされるキリスト教系
の祭儀なども、実はそのせいでかえって信者の畏敬心を損なわしめて、
思い上がりを助長させるようなこととなってしまうのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭義第二十四より)

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053 2013/12/23(月) 14:57:16 ID:l9ViNl9vc2
「牛」という生き物ほど、人間社会に功罪両面における甚大な影響をもたらして来た
動物も他にない。「功」という面では、肉食などの面で豊かさの象徴となって来た面が
あり、「罪」という面では、その豊かさへの貪り故の乱世の原因となって来た面がある。

「左伝」荘公十年においても、肉食が豊かさの象徴として挙げられていたりする通り、
その手の風潮は洋の東西を問わず認められて来ていることである。ただ、その肉食を
豊かさの象徴として是認して来た中国社会こそは、幾度もの帝国の興亡にも苛まれて
来ていたりするとおり、肉食を欲する程もの富裕志向こそが絶え間のない乱世の原因
ともなってしまうのが確かであるため、恒久平和を企図するインドや、万世一系の皇統
の存続を企図する日本などでは、伝統的に肉食が禁忌とされて来た。それでも、農耕牛
や牛車などの形での牛の活用が西日本などで続けられていたものだからも(東北などは
人力での耕作が容易な水田地帯であったため、耕牛利用の必要もなかった)死んだ牛の
遺体処理などに携わる人間が被差別部落としての権益を増長させて行くなどしたため、
今に至るまである種の腐敗的利権の吹き溜まりを形成することとなってしまっている。

肉食はともかく、耕牛や牛車としての牛の利用価値は、機械文明の発達によって大幅に
低減された。魚食やスパイス料理などの、肉食禁忌地域の伝統料理の美味さや栄養価の
高さが評価されるなどして、食物としての牛肉や豚肉の忌避などもある種の人々から
の心がけの対象となっていたりする。そして何より、肉用獣としての牛や豚の飼育が
エネルギー消費の面からいって穀物などよりも遥かに生産効率が悪いことが認められて、
人口増大に対応する食習慣としての、穀物主体の食事が推奨されるなどして来ている。

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054 2013/12/23(月) 15:02:02 ID:l9ViNl9vc2
もしも、人間たち自身が本気でそれを心がけるというのなら、有史以来、豊かさの
象徴とされて来た牛や豚のような大型畜獣への依存も断ち切ることが出来るように
なっていて、なおかつそれでこそ万人の腹が膨れる程度の最低限以上の豊かさが世界
規模で実現されて行くようにもなっている。ただ、万人が完全に牛豚のもたらす富裕を
断ち切るとなれば、それこそ「味気ない」ことともなるわけで、そこまでストイックでは
ありたくないと、肉食まみれ状態でいる現代人が考えたとしても仕方のないことだといえる。

この世界に牛や豚といった動物がいて、それを何らかの価値で利用してやりたいなど
と考える人間がいる以上は、それを全世界で厳禁して行くのもなかなか無理がある。
ただ、牛や豚の活用など決して人間にとって必要不可欠なものではない、それらへの
依存を断ち切ることもできなくはないということをインドや日本の歴史などをも参考
によく認知して、にもかかわらず肉を食いたがったりする自分のほうが意地汚い貪欲
さの持ち主であることを十分にわきまえた上で、なおのこと食いたければ食うという
程度の姿勢で以って、牛や豚を活用したりすることも実行に移されるべきだといえる。

現代人としての現実的な対処を案じてみるなら、普段は穀物や野菜が主体の生活を
心がけるが、何か祝い事などがあった場合に限って会食の余興程度に肉料理を食べたり
する程度にすれば良いだろう。「礼記」にもあるとおり、体力の弱った老人などで
あれば肉を常食とするのも可とするなど、あくまで薬餌的な材料として肉を用いたり
するのも一つの手である。いずれにしろ、人間にとって絶対不可欠のものなどとして
肉を取り扱ったりしないことが善後策となって行く事例であるわけで、それでこそ、
引っ切り無しの中華帝国の興亡のような問題を来たしもしなくなるからには、それが
世のため人のためにすらなるものとして志して行かれてもいいこととなるわけである。

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055 2013/12/23(月) 15:02:56 ID:9LA2LoSLY6:au
「純離を牛と爲す。世乱るれば讒勝つ。
勝たば将に離に適く。故に曰く、其の名を牛と曰う、と」
「易の離卦は牛を意味している。世が乱れると他者を貶めようとする讒言が蔓延る
ようになる。そうなれば世の中は離の如き様相を呈する。そのため、その辞を牛とする。
(牛の如き従順さはそれはそれで有用なものだが、そればかりが持て囃されるように
なると、牛肉への貪りが乱世をもたらすようにして、讒言蔓延る乱世がもたらされる
ことともなる。たとえば、『子を産む女がいなければ世の中も成立しない』とした所で、
だからといって女ばかりを持て囃していたりすれば世の中が傾いたりするのと同じこと。
世の中に有用だったり不可欠だったりするからといって、無闇に持て囃されたりする
ようなことにまではなってはならないのが、牛だとか女だとかいった存在だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・昭公五年より)

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057 2013/12/25(水) 00:52:41 ID:XzPG3RNjZU
「夫れ礼は、吉凶の道を異ならしめ、相干することを得ざらしむ。之れを陰陽に取るなり」
「礼儀は慶事と災厄との領分を別って、お互いを干渉し合わせないことを目的とする。
そのため、両者を光と闇のような相容れないもの同士に見立てての分別をも心がける。
(吉事と凶事は光と闇のように相容れないものだから、そうであることに即して適切に扱って行く
のである。光も闇も支配するような虚構の超越神を想定してしまったりしたのでは、吉凶を相容れ
ないもの同士として適切に取り扱おうとする心がけが損なわれることになるため、好ましくない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・喪服四制第四十九より)

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058 2013/12/25(水) 01:21:09 ID:XzPG3RNjZU
正義と悪は、ちゃんと両者の領分を別って行くようにするのが正義だ。
両者をくそみそと化しての罪悪の誤魔化しを企てたりするのが悪だ。

道家や仏門のような善悪を諦観する部類の教学門派といえども、
俗世で善悪が明確に別たれるべきであることは認めてるんだ。
だからこそ、自分たち自身が超俗志向であろうともしている。

政商や食客や縦横家のような権力犯罪者として暗躍する場合も含めて、
俗世での甚大な活動に及ぶ以上は、善悪吉凶をちゃんと弁別するのが
ルールというもの。それでこそ正義たり、そうでなければ自動的に悪となって
しまうものだから、正しく善悪を超脱しようとした聖者たちは皆、自分たち
自身が「善悪吉凶の踊り場」たる俗世に携わることから避けようとしたのだ。

作為でどうにかできる領域が全て陰陽法則に司られているこの世界
この宇宙において、少しでも善悪吉凶を不正に超越しようなどとすれば、
それだけで自分たちが罪悪や災禍ばかりに与する手合いと化してしまう。
善悪を超越したければ何もするべきでなく、何かをしたかったら善悪の
分別を徹底すべきだという普遍法則があるのもまた、そのためである。

全ては結局、陰陽法則に根ざした位相問題に集約される。
そうであることが善いことか悪いことかをいえば、これまた善いことで
あるという他はない。陰陽法則を尊重して来た東洋人の言行こそは最高に面白い
一方、蔑ろにして来た西洋人の言行こそは酷くつまらなかったりもするのだから、
全ての面白さの精髄すらをも司っている陰陽法則というものを、科学を含む
無記以上に尊ぶべきものとすれど、決して蔑ろにすべきものだなどは思わない。

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059 2013/12/25(水) 14:35:12 ID:XzPG3RNjZU
権力犯罪聖書——通称聖書にあるような粗悪で凶暴な言葉だけでなく、
権力道徳聖書——通称四書五経にあるような善美で至当な言葉もまた、
言葉として堂に入るよりは、むしろ「言葉以前」のままのものであるに
越したことのないものであった。前者は、言葉として権威付けられたり
したことで、さらなる罪悪推進の材料にされたりしないためにこそ
言葉に起こされたりすべきではなかったし、後者は、そもそも言葉
にされるまでもない実践の対象とされるべきものであるからこそ、
わざわざ言葉にされたりする以前のままであるべきだったといえる。

春秋戦国時代における極度の文化荒廃以降、中国人は孔子や孟子が樹立した
儒学体系を、その教科書である四書五経などを金科玉条にしながらの実践
対象として来た。それも、漢や唐や南宋の代にはそれなりに成功したものの、
極度の文辞主義が蒙古のような暴力主義者たちからの格好の侵略の的ともなり、
また実践の疎かさが自分たち自身の権力腐敗を招く結果ともなってしまった。

それと比べれば、殷周革命以降に殷の遺臣である箕子からの直接統治を
受けて来た東夷の治世のほうが、さらに普遍的に良好なものですらあった。

殷の統治理念もまた「書経」の洪範九疇などの形である程度は文面化されて
いるが、その洪範九疇を周朝に伝授した箕子が直接統治した東夷社会において、
ある特定の文面などを金科玉条としての文治などが試みられたことはなかった。
箕子統治時代の日本や朝鮮の歴史が文面として遺されていないことからも
分かるとおり、箕子やその末裔たちは文面以上に直観的な実践を重んじつつ
の統治を心がけていたものだから、春秋戦国時代以降の中国で呈したような
怠慢的な統治を予防して、今に至るまでの日本社会における人々の民度の高さ
の起源ともなるような、非常に善良な為政を敷き続けることができたのである。

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060 2013/12/25(水) 14:41:28 ID:JFgq6NSakg:au
一応、「書経」に洪範九疇が記録されていたりもするが、周代以降の中国人
の内で、洪範九疇を本当に実践できていた人間などがいたかといえば、それは
もう皆無にも等しいほど少なかったといえる。洪範九疇の第六・三徳を本当に
実践の対象とするならば、日本の平安時代ほどにも清浄の限りを尽くした為政や、
武家時代ほどにも武勇の限りを尽くした為政が必要とされて行くわけだけれども、
そのいずれもが、周代以降の中国で十分に実践されたような試しもないのだから、
その世相からも、洪範九疇の厳重な実践者などがいたなどとは推定し難い。

それはもちろん、中国が日本よりも遥かに巨大な群国でもあるからなわけだが、
それほどにも中国が巨大化したこと自体、春秋時代以降の王侯が利権への貪り
を尽くしての中原への開発三昧であり続けたからなわけだから、それはそれで、
中国人たち自身の自業自得というものである。日本のような限られた範囲の
領地で、世の中の量ではなく質の向上を心がけて行くことのほうが、夏殷時代
の中国人たちの為政への心がけとも共通していたわけだから、確かにその頃から、
極東社会の王権の星も徐々に、中国から日本へと遷移していったのだといえる。

とはいえ、その日本においても、近代以降は秦人系の暴虐な権力者が実権を握り、
権力機構への徴用手段も学校試験のような文辞一辺倒のものに取って代わられて
しまったわけだから、中国を含む大陸社会における権力腐敗の波がついには、
この日本にまで到達してしまったのだといえる。中国社会が、文辞一辺倒が原因
での権力腐敗に見舞われてしまっていたのはもちろんのこと、欧米社会もまた、
聖書信仰が原因での権力腐敗を続けて来たわけだから、文辞主義が原因での両者
からの直接間接の侵略を受けたことで、日本社会も腐敗してしまったのだといえる。

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061 2013/12/25(水) 14:45:53 ID:JFgq6NSakg:au
いま、世界といわず日本といわず、地球人類がみな進んで行くべき道にあたるのが、
「文辞主義からの解放の道」である。聖書信仰におけるロゴス主義の呪縛から
人々が解き放たれるべきであるのはもちろんのこと、春秋戦国時代以降の中国
における経書一辺倒の文辞主義などからも解き放たれたままでいるべきである。
その頃の中国人などではなく、箕子の実践主義的統治をも受けた東夷の雄である
日本人こそが、洪範九疇のより厳重な実践者たり得てきたりもしているわけだから、
四書五経の実践のためにこそ、経書の文面ばかりに溺れたりすべきでないといえる。

「天下に道あらば、丘は与に易えざるなり(既出)」
「天下に道があるのならば、私もあえて世直しを試みたりもしないのだ」
(微子第十八・六)

と孔子も述べていた通り、当時が道の行われない乱世だったからこそ仕方なく
文面に起こされたのが四書五経であるという事情も踏まえることでこそ、孔子の
意向に則った経書の受容までもが可能となって行くのだから。真の儒者としての
大成のためにこそ、四書五経の文辞に拘泥することすらあるべきではないといえる。

「天地を以て本と為す、故に物挙ぐ可きなり。
陰陽を以て端と為す、故に情睹る可きなり」
「天地を根本としていればこそ、物事も取り上げるに値するものとなる。
陰陽光闇を極端とすればこそ、情念も汲み取るに値するものとなる。
(天地や光闇すら超越してしまった所には、もはや見るべきものもない。>>57も参照)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼運第九より)

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062 2013/12/26(木) 16:30:37 ID:ramDvucd.c
現状、あまり認知されていない群集心理のいち法則として、
「人間は、私的な徒党派閥を形成すると理性を見失う」というのがある。

「群集心理が蒙昧化しやすい」というのはかなり認知されていることではあるが、
それが公的なものであるか私的なものであるかによっての差異が生ずることなどが
十分に考究されて来た試しが、古今東西において今のところついぞ見られない。

民主主義社会では、その手の法則にまつわる考究は半ば自動的に禁止される。
というのも、民主主義においては私的な民衆の意志こそが最優先対象とみなされ
るわけだから、そこにこそ人間の蒙昧化の極北が存するなどということを、
仮に事実であったとしたところで、到底認めるわけにはいかないからである。

封建社会では、そもそもが私党編成が法度として禁じられて行くものだから、
私党を構成する人間がいかに心理状態を蒙昧化させて行くのかということを
具体的な研究対象として行く余地がなかった。最初期に「君子は群して党せず」
という言葉を述べた孔子あたりは、私党編成の具体的な危険性を見抜いていた
に違いないわけだが、その孔子の言葉をただ真に受けてその通りにして来た
だけの人々までもが、実際的な私党編成の問題点を見抜けていたとは言い難い。
(だからこそ、私党によるテロを引き起こした赤穂浪士
の切腹に数多の儒者や大名が反意を抱きもしたのだった)

私党編成によって蒙昧化してしまった群集を、日本神話では「ヤマタノオロチ」
という怪獣に見立てて具象化している。そのヤマタノオロチをスサノオが退治する
出雲神話の下り自体、古代豪族を天皇家の先祖の親族が平定して行ったことの伝説化
であるわけで、ヤマタノオロチとはまさに、私的な利権の溜め込みによって狂乱化
していた古代の豪族たちのことを指しているのである。そこに、怪獣に見立てて
然るべきほどの危うさが存在していることを見抜いていた古代の日本人の叡智こそは
突出したものであったといえ、現代人もその発想こそを参考にして行くべきだといえる。

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063 2013/12/26(木) 16:43:23 ID:ramDvucd.c
現行法に即しても、複数の人間で少数の相手を痛めつけるようなリンチ行為に
ついては、実際的な殺傷行為に及んだのが誰であるのかが曖昧と化してしまう
などの理由で、刑罰が定まらなかったり、軽くなったりしてしまうことがある。
だからこそ、私党の編成から法度とされて行くのでもない限りは、群集の一員と
して悪行を働こうとするような人間の罪悪感も薄まったままであり続けることとなる。

憲法で「結社の自由」などが規定されている自由主義社会ともなれば、私党によって
悪さを働いて行くことが推進されて行くことにすらなるわけで、確かにそこでは、
罰せられるべき犯罪行為が何の呵責もなく犯された挙げ句に、本当に十分な裁き
にかけられることもないままに終わるようなことにすらなってしまうのである。

私党の編成から法度とされて行けばこそ、その手の罪悪の積み重ねが十全に食い止め
られて行くこととなるわけだが、それは同時に、私的な宗教団体の結成などが規制の
対象となって行く機縁ともなるわけだから、「信教の自由」までもが同時に抑制
されて行く事態ともなるわけである。そのため、昔の仏門のように、寺社奉行の厳重
な管理下に置かれた状態での教団運営などに限っては許容されて行くことともなる
わけだが、中には、私的な教団であることこそが本懐であるような宗教団体も存在する。
ローマ皇帝にカノッサの屈辱の如き仕打ちを加えたキリスト教団などがその代表例
であり、そのような私党編成の正当化こそを目的としたカルト宗教団体については、
始めから公的な認可の対象ともせず、一方的な禁教の対象とのみして行くしかない。

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