本の中で、もう一つ、アーミッシュの人間常識を越えたエピソードが紹介されています。 
 マリーさんは事件後、約1週間、親族にかくまわれて、また警察の協力を得て、 
 マスコミの襲撃から守られましたが、夫の葬儀と埋葬式のために、どうしても外に出なければなりませんでした。 
 自分と子どもたちの写真が全国の新聞や週刊誌に掲載されることを恐れながら、車に乗りました。 
 埋葬式が行われることになっていた墓地に着くと、やはり、カメラを持って、多数の報道人が待ち構えていました。 
 マリーさんは覚悟を決めて、子どもたちと一緒に車を降りようとしました。その瞬間です。 
 突然、どこからともなく大勢のアーミッシュの人々が現われて、マリーさんの一族と報道人との間に壁を作ったのです。 
 そのために、新聞等に写真が載ったのは、異常な行動を取ったアーミッシュの人々だけでしたが、実は、 
 アーミッシュは宗教上の理由で、写真を撮られることを極端に嫌う人々です。彼らは、モーセの十戒に含まれる 
 「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、 
 地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」という言葉を厳守するのですが、 
 マリーさんの家族を守るために、自らの戒律を破った訳です。 
 私はこの話を読んで、深い感激を覚え、涙が出ました。アーミッシュこそ、キリストの愛を実践した人々だと、 
 心底、思ったのですが、結果的には、学校で起きた惨事よりも、アーミッシュの事件後の不可解な行動が 
 世界中のマスコミで大きく取り上げられることになったのです。そして、アーミッシュを通して、 
 キリストの愛を知るようになった人々も多くいたことでしょう。 
 「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 
 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、 
 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5章6—8節)。
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