ヤクザが仁義を掲げているのは、儒学ではなく玄学(道家の学)に依る。
「大道廃れて仁義あり(老子)」
世相が荒んで、権力者が盗賊紛いの暴虐に及び始めた春秋戦国時代になって初めて、
古代中国でも孔子や孟子が仁義道徳を学術体系として提唱し始めたのであって、
それ以前にはそもそも「仁義」などという言葉で道徳があげつらわれることすらなかった。
だから老子も上記のように言ったわけだが、日本のヤクザと来たら、その老子の言葉を真に受けて、
任侠としての自分たちの振る舞いを「仁義」という言葉で正当化しているわけだ。
「史記」の遊侠列伝などを見れば、古代中国のヤクザとでも呼ぶべき遊侠の徒の子分格が、
自分たちの振る舞いに文句をつけてきた儒生に腹を立てて、その儒生を殺して舌を切り取ったとある。
当時すでに武帝による儒学統治が敷かれ始めた前漢中期であったため、制裁でその遊挟の親分も一族皆殺しにされているが、
古来、儒者とヤクザとは犬猿の仲であったことがうかがえるエピソードだといえる。
またこの列伝で司馬遷は、任侠の心持ちを如実に現した言葉として、
「仁義など知る必要はない。ただ自分に利益をもたらしてくれる相手を有徳者と呼ぶだけだ」
という俗言を引いており、ヤクザの理念は本来、仁義とは相反するものだったことを明示している。
ただ、完全に無軌道な強盗集団などと比べれば、ヤクザには仲間内での信義を立てたりする
マシな側面があるから、そのマシ側面をあえて「仁義」という言葉で飾っているのである。
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