神がもし唯一絶対のものであるなら


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001 2012/02/18(土) 16:35:36 ID:dZez8jHqS.
この世にいろんな宗教は並立しないはずだが。
なにゆえに、さまざまに世界観の異なる宗教が林立しているのか。

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002 2012/02/18(土) 16:57:20 ID:dWiic4Layw:au
それは、神が唯一絶対の存在ではないからだ。



〜終了〜

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003 2012/02/18(土) 18:15:04 ID:yu.MNw1SrY
人が作ったものだから

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004 2012/02/19(日) 01:11:35 ID:5juwiaq0KI:au
唯一絶対のものにでもすがらないことにはやってられない、切ない事情があったんだよね。

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005 2012/02/19(日) 01:33:14 ID:ytZegNPtmw
人が存在しなければ神も存在しない
人が存在すれば神も存在する
神とは人の思考に依存した存在なのである。
byフランソワポッコチン

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006 2012/02/19(日) 07:34:34 ID:sviHjPClxo
何故、「「神が唯一絶対のもの」であるなら「この世にいろんな宗教は並立しない」はず」だと結論付けるの?

例えば、神自身が人間に試練を与えるためにわざといろんな宗教を作ったとか、
試練じゃなくとも悪戯、悪意で作ったとか考えられるでしょう?

例えばキリスト教的に言えば、神様はアダムとイブを楽園から追放するぐらい嫌っていたんだから、
その子孫が戻ってこられないように様々な嫌がらせをしているかもしれないよ。
全知全能唯一神の神様からすればほんの手慰み程度に邪教を広めてやれば、
人間は面白いようにそれに引っかかって自ら天国行の切符を手放す。
「人間どもよ、勝手に淘汰されてくれ。それでも楽園に戻って来る奴がいれば、それは考えんでもない」とかさ。

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007 2012/02/19(日) 13:57:12 ID:5juwiaq0KI:au
まず新旧約聖書ありきでしかものを考えられなくなっている人間ってのは、
本当に、哀れなほどに蒙昧だな。

思考回路が狂いきっている上に、精神力も最低レベルまでへたり込んでいるから、
一定以上の精神力を要する健全な思考を手に入れる目処も立たない。

算数しか知らない小学生が、中高教育を介することもなく大学数学を理解する並みか
それ以上にも、聖書信奉者が聖書の外側の世界を計り知ることは難しい。

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008 2012/02/19(日) 15:48:28 ID:jYm0uXxlsc
たとえば東西が交易していた古代中国では
仏教もイスラム教もキリスト教も入り混ざって
互いに寛容だったはずだよね。
お互いの世界観のなかに相手の神や世界観をうまく取り入れることで
おのれの宗教観を止揚していったケースも多いのではと思う。

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009 2012/02/19(日) 16:33:55 ID:5juwiaq0KI:au
シルクロード交易はムスリムが主に行っていたし、
キリスト教の宣教師が中国や日本にまで侵入して来たことはあっても、
儒者や仏者が西洋への布教を行ったような事実はない。

アブラハム教勢が一方的に自分たちの文化を押し付けていただけで、
双方が融合的な文化交流を行っていたような事実はない。

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010 2012/02/19(日) 18:45:08 ID:8a1yi9XpjI
なぜ神が人間の味方であると言えるのか?
なぜ神が人間だけの味方であると妄想するのか?
神の愛とは、単に人間がこの宇宙に存在してよい、
生存するための衣食住を与える、それ以外の
事を要求するなということ。

神が絶対的に正義というのはキリスト教的
一方的な思い込みである。

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011 2012/02/19(日) 19:42:45 ID:5juwiaq0KI:au
形而上の人格神まずありきでしかものを考えられないことが、
すでに新旧約信仰の病理に溺れたままでいる証拠になっている。

そのレベルの病理に溺れている状態では、正しいものの考え方に根差した教学は一切理解できない。
まず御主人様ありきでしかものを考えられない、精神のへたりきった惰弱な奴隷型思考回路のままでは、
儒書や仏典が字面として読めたところで、そこに書かれてあることの意義を理解することは到底覚束ない。

高尚な正統文化を理解することが絶対に不可能となる檻に
信者を閉じ込めるのが、新旧約信仰という心の病だといえる。

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012 2012/02/20(月) 11:55:03 ID:P4IERDwbI2
異教の神さん同士はどういうお付き合いしてんだろうね。
キリストと仏陀とか。

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013 2012/02/20(月) 12:20:04 ID:jLidEPcGuo:au
>キリストと仏陀

悪魔の化身(キリスト)と真理の化身(仏陀)

どっちも神じゃない。

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014 2012/02/21(火) 12:47:48 ID:9y/VPYNoEU
唯一絶対の存在でないものを、はたして「神」と呼べるのか

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015 2012/02/21(火) 15:14:03 ID:sONGkvKbVI:au
キリスト教圏以外で「神」とされているものの正体、それは「道理の化身」だ。

道理の化身、すなわち正義の化身。
邪義を司るものは妖怪や悪魔と見なされ、神とした所で「邪神」とされる。

イスラムも、アラーを唯一絶対の神としているが、
アラーは汎神でもあるが故に、道理や正義の化身たり得てもいる。

キリストやエホバが唯一絶対であることばかりが執拗に信じられているのは、
エホバやキリストが邪悪の化身(邪神)であること自体は信仰の対象としにくいので、
「唯一絶対」であることを口実に、無理に信じられようとしているから。

ある意味、エホバやキリストが「唯一絶対の邪神」であることは確かで、
人類史上でも、キリストほどにも唯一無二の害為正法外道が他に現れた試しもない。

しかし、道理や正義の化身たる本物の神は一柱や二柱ではなく、
道理を追求する道がいくつもあるようにして、神として現出する場合にも様々な形をとる。

唯一無二でしかいられないのは、ただひとえに余裕のない、邪悪の極みでしかないからだ。

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016 2012/02/22(水) 21:41:22 ID:1N1SYWxgE2
スーパービックリマンで巨魔界神・ザイクロイドアノド
という悪魔の神が出てくるが、実は天使も創造した
全知全能の正義の神でもあった。

神とは善悪両方の属性をもっているのさっ♪
たしかキリスト教でも一時期は神に対して自由に
意見がいえた時代もあったんだがな。

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017 2012/02/22(水) 21:48:18 ID:QXQp69n5is
>>1
考え方が逆です
唯一無二絶対の存在を神と呼ぶことにしたんです

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018 2012/02/22(水) 22:14:02 ID:F4.5uskZuk
>>16
「神が善も悪も包摂する存在である」という考え方は、
少なくとも、聖書圏以外では通用していない。

アラーを勧善懲悪の絶対神としているイスラム圏で、まず通用していない。

神が道理や正義の化身であるとする一方で、善も悪も無記(善でも悪でもない)も
全てを完全に包摂する、絶対真理の化身を仏や菩薩としているのが仏教圏であり、
善悪を超脱する絶対真理を全て仏法に丸投げしているから、神が邪悪の化身である
ようなことはどこまでも異端とされ、当然邪悪の化身や善悪みそくその化身である
神などを崇めたりもせず、唯一絶対のものとして服従したりも、もちろんしない。

神に悪や善悪みそくそを仮託するような風習は、聖書圏以外ではどこまでも悪習と
見なされており、神が悪や善悪みそくその化身などではないから、「神が唯一絶
対である」などという思い込みに、精神的な依存をしたりする必要も全くない。

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019 2012/02/23(木) 19:33:20 ID:9ZJZKlAgpE
下等な神・デミウルゴス、もしくはヤルタバオード。
聖書の中に出てきて人類を虐待?するのは
偽神デミウルゴス。

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020 2012/02/24(金) 15:09:36 ID:BG5yu9q2/E
聖書圏、イスラム圏、仏教圏、ヒンズー圏といった
「カテゴリー」分けを超越する絶対的なものは存在するのか

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021 2012/02/24(金) 17:54:41 ID:wBijOxcSZo
神様はいるかもしれないが、人間なんぞミジンコ以下の存在としか見ていない。

神に祈りお願いするなんて、人間の好きなように神様を使いぱしりにするということ。

不届き千万な考え。ゆえに神様は人間の願いなど聞きもしない。

アリが人間の足元で「踏まないで」と祈っても、人間は気にもせず踏み殺していく。

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022 2012/02/24(金) 18:07:12 ID:rW0HSyg2jY:au
それこそ、邪神そのものだな。

正邪善悪ってのは、人間にとっての自明な倫理基準でしかないのだから、
人間の立場から見て有害無益な神は、正邪とか善悪とかいった
言葉の定義(名辞)に即して、自明に邪神と定義付けることができる。

1+1=2のような、人間自身の定義に根差した自明な認定だから、
「俺はそうとは思わない」とかいった個人的意見のがなり立ては、通用しない。

人間自身が自明に邪神と定義せざるを得ないものを、
「俺はそうとは思わない」の押し通しで否定したとすれば、それは、
目の前にいる鹿を「馬だ」と言い張るも同然の所業になる。

つまり、馬鹿である。

馬鹿が信じる、邪神のすり替えとしての、唯一絶対神。

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023 2012/02/24(金) 19:14:25 ID:BG5yu9q2/E
自分の考えに沿わない者はすべて莫迦

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024 2012/02/24(金) 19:30:26 ID:PfauooWRKM
「自分の考え」じゃない。
人間同士が事前にお互いで示し合わせているはずの、
純正な言葉遣いに根ざした、自明な定義の導出だ。

言葉遣いが始めから間違っていれは、人間にとって
有害無益な神を「邪神」と認定しない場合もある。人間同士が
意思疎通のために用いている、本来の言葉の定義に即した正邪や善悪を見失って、
間違った意味の正邪や善悪といった言葉を用いていたなら、人間にとって
有害無益な神を「正神」だ「唯一絶対神」だと誤認する場合もある。

人間同士の意思疎通の道具としての、「言葉」の本来の存在意義を見失って、
言葉の定義などは自分独りでいくらでも勝手に捻じ曲げて構わないと思い込み、
実際にそうしたりしている。人との語義の示し合わせを欠いたところで、勝手な
言葉の定義を創作したぶんだけ、その言葉を用いた人との会話も通じなくなる。
それでは、言葉の根本からの存在意義が失われるのであり、人と人、人間同士の
思いの通じ合いのためにこそ編み出されたはずの言葉が、全く以って無価値と化すのだ。

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025 2012/02/24(金) 20:37:04 ID:C5G/0IN7Mo
この宇宙に正義などない。全て幻よ。
正義と思うのは自分から見ての主観に過ぎない。
また正義・悪とは勝者の属性にしか過ぎない

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026 2012/02/24(金) 22:27:29 ID:rW0HSyg2jY:au
うん、そうやって後付けで正義や悪の定義をねじ曲げることだっていくらでもできる。
しかし、またそういったねじ曲げられた定義による正義や悪を論ずる語法が
新たに蓄積されていくことになるだけで、本来の語法と整合性のない、数多の我流の語法が
世の中じゅうに溢れ返った結果、人間同士の意志疎通にまで致命的な滞りを来して、
遂には破滅に陥ることにもなる。これ全て、身勝手な言葉遣いを
無数に流布しようとした者たち自身の、自己完結した自業自得。

世の中にとって有益無害なものが善であり、正義。世の中にとって有害無益なものが悪であり、邪曲。
これが、人間たち自身が本来の語法上の示し合わせに即して定義している、善悪や正邪の判断基準。

有害無益なものを世にのさばらせれば、破滅にすら陥って都合が悪いから、邪悪と判断して戒め、
有益無害なものを世にちりばめれば、福徳が呼び込まれて都合が良いから、正義と判断して奨励する。

別にこれ以外の定義に即して、正義や悪といった言葉を使うこともいくらでもできるが、
それは大多数の人間にとって益がない上に害のあることだから、
自然と他の定義に即した正義や悪といった言葉を用いる言葉遣いは淘汰され、
世の中にとって有益無害なものを正義、有害無益なものを悪と呼ぶことが一般的となっていった。

まるで、玉鋼が鍛えられて名刀へと焼成されるようにして、
人間が用いる言葉の定義(名辞)もまた、言葉が人間たち自身によって
ふんだんに使い込まれることを通じて、普遍性を帯びて来ているのだ。

人類史上でも初めて、意識的な名辞の鍛え上げに取り組んだのが、他でもない孔子でもある。

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027 2012/02/24(金) 23:02:58 ID:PfauooWRKM
「善悪」とか「正邪」とかいった言葉は、
少なくとも、「金銭上の利害」並みには実のある言葉だ。

自分にとって利益になるということが「金になる」ということであり、
自分にとって利益にならないことが「金にならない」ということ。

これと全く同じように、

世の中にとって利益になるということが「正義である」ということであり、
世の中にとって害になるということが「悪である」ということ。

世の中の内側には自分自身も含まれているから、別に世の中の利益と自分の利益が
相反するとも限らず、仁義道徳を本旨として君子の業務に取り組む人間であれば、
自分と世の中の利益とが完全に合致もする。世の中から甚大な富を収奪してまで
自分自身の利益を貪ろうとする者に限って、自分と世の中との利害が決定的に
相反するのであり、そのような人間に限って、公益を貴ぶことを「全体主義」
などと決め付けて不当に貶めようともする。(実際には、公益を図るための仁政を
実現するためにこそ、君臣父子などの個別的な人間関係がより尊重される必要がある)

正邪善悪すら虚無だというのなら、金銭上の利害だって虚無なはずで、
そこまで達観しきれているというのなら、全財産を放棄して、禁治産や
参政権剥奪の処分に甘んずるぐらいのことは、どうということもあるまい。

インドの乞食行者並みの生活下に置かれた所で、
まるで豪邸暮らしほどにも裕福であるに違いない。素晴らしいことだ。

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028 2012/03/03(土) 23:19:18 ID:yYc/6yS4Oo
「神」という概念は、どうして生まれてきたんだ?

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029 2012/03/04(日) 04:54:16 ID:L/ivvHOKv2

 神がもし唯一絶対のものでないなら    愛は元々1つなら…比べなくってもすむの……

            善悪なんて概念も,好き嫌いの概念もなかったかな・・・
  

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030 2012/03/04(日) 06:31:45 ID:L/ivvHOKv2
[YouTubeで再生]

 神は,愛その者なり

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031 2012/03/04(日) 07:45:05 ID:NRHvWwY7pE
善とは秩序。
悪とは無秩序。

善とは秩序維持。
悪とは秩序破壊。

神は唯一絶対にして全知全能であるが、その全てを人間には見せていない。
神は善であり悪である。
世界の秩序を作り維持するのが神なら、無秩序を作り秩序を破壊するのもまた神に他ならない。
その行動原理は、人間の思いや祈りに左右されない。神の御心のままに世界は作られ、破壊される。

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032 2012/03/04(日) 11:40:43 ID:x6cRBkpn1U:au
怪物化した集団意思を西洋人は「神」と呼ぶ。

日本人は「ヤマタノオロチ」と呼ぶ。

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033 2012/03/04(日) 13:49:51 ID:x6cRBkpn1U:au
>>31が言っているのは、早い話が、ただの「怪力乱神」だ。

怪力乱神をみだりに論ずることは、
権力犯罪者やテロリストが自らの反社会活動を正当化するための
論拠などとして用いられかねないため、キリスト教圏などのごく一部の
部落社会を除く大半の地球社会においては、概ね戒められて来た。

太古の昔から、地球人類にとっての思想哲学上の至上命題は、
「格物致知誠意正心修身斉家治国平天下」である。

秩序と無秩序、善と悪をみそくそに扱うことで、劣悪な破壊活動が正当化や推進
されることを未然に防ぐための格物致知、怪力乱神に仮託した権力犯罪やテロ活動を
この世から駆逐するための修身斉家こそは、大多数の人類にとっての、思想哲学上の至上命題であり続けている。

善悪すらみそくそに扱う概念夢想の俗世への適用や、
怪力乱神に仮託した反社会活動の正当化などは、まさに思想哲学上でも異端中の異端の論議なのであり、
ただそんなものを好き好んで論じて来た連中がごく少数に止まるだけでなく、
大多数の世の中においては、積極的に排除されて来たものですらある。邪魔だから。

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034 2012/03/05(月) 06:58:41 ID:nUfhji6hZ6
>>33
神は弱者を救わず、聖は魔を駆逐出来ない。
秩序と無秩序、善と悪などと言う「くくり」こそ
人間がその狭い思想の中で勝手に定義しただけの
「自然の一部」に過ぎず、それを全体に敷衍しようとするから
「全知全能で聖なる神」などというカタワな存在を仮定せざるを得なくなる。

テロリスト容認などと、多くの人が拒否反応を示す言い方をするからその事実を認めがたくなる。
人間社会として秩序破壊者を忌み嫌うのは、人間社会のルールでしかなく、
そこから外れたものが反秩序的な行動をするのは至極当然の帰結なのである。
これは反社会活動を容認すると言う類の物ではなく、正義や神の名においてではなく
自らの責任と嫌悪によって他者を排除する覚悟を持たなければ事実は見えてこないのである。

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035 2012/03/05(月) 12:29:54 ID:bonclb3atM:au
相も変わらず、怪力乱神へのウレシがりを正当化しようとする不埒者。

事実こそはむしろ、権力犯罪者やテロリストの自己正当化事由が怪力乱神なだけなのであり、
儒学道徳などを通じて怪力乱神やその論及への忌避が総出を挙げて排除されている世の中においては、
悪に相当するものがこそ泥か、せいぜい火付盗賊止まりにまで矮小化して、
世界を破滅に陥れるほどもの権力犯罪者は完全に絶やされる。
これこそは、怪力乱神の正体が、単なる反社会主義者の自己正当化の気休めでしかない証拠だといえる。

民間の暴力団や赤軍の破壊活動は許されないのに、怪力乱神の虚飾によって
自己を正当化した権力犯罪者の横暴に限っては許される世の中があったとする。
それはただ、怪力乱神への妄想が未だ十分に晴らしきれていない未熟な世の中であるだけなのであって、
そんな集団妄想は排除しようと思えば実際にできるわけだから、それを心がけないのもまた単なる怠慢だといえる。

「怪力乱神やその議論をこの世から絶やすことはできない」
などとほざく者がいたとすれば、それは本人自身が蒙昧で不埒な未熟者なだけなのである。

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036 2012/03/05(月) 13:16:36 ID:bonclb3atM:au
削除(by投稿者)

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037 2012/03/05(月) 15:16:01 ID:bonclb3atM:au
仁義道徳の勧善懲悪によって、盗跖のような、
無信仰のただの盗賊が跋扈し得る余地が生まれた、それは確かに事実だろう。

大盗賊が方々を荒らして回る余地が生じてしまう程にも、
世の中の富の目方を増してやったのが仁者による徳知なのだから、その仁政に対する「甘え」としての、
盗賊の呼応的な発生があり得た、これは事実だ。(そのような盗賊の発生までをも
食い止めるためには、仁徳だけでなく、仏法による統治までもが必要とされる)

怪力乱神への偽託による気休めを糧にして、
世界を破滅に陥れるほどもの重大権力犯罪を巻き起こすものがいたとすれば、
これはもはや、勧善懲悪の対蹠の域をも越えてしまっているといえる。

「子、怪力乱神を語らず(述而第七・二〇)」とある通り、
怪力乱神にまつわる能弁を絶やすことから、勧善懲悪の一環であり、
実際に、古代の儒者によっても極度の迷信が廃絶されたり、日本でもキリシタン禁教や島原平定などを通じて
邪宗門の排除が完遂されるなどして、怪力乱神に偽託した権力犯罪活動が巻き起こるような余地が絶やされていた。
それでこそ、数百年に渡る治世が何度も実現されて来ているのだから、
勧善懲悪と怪力乱神の争いなどが、世の常などであっていいわけもない。

実際に、怪力乱神こそは思想哲学上の至上命題であり続けて来た西洋には、
儒学ほどにも勧善懲悪を純正に体系化した仁義道徳は、一つもないではないか。

鳥なき里のコウモリが羽を伸ばすようにして、勧善懲悪による駆逐の手が及ばなかった範囲でだけで、
怪力乱神に偽託した権力犯罪も野放しにされて来たのではないか。まさに、「井の中の怪力乱神」ではないか。

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