キリスト復活劇は悪質な偽証 信用するに値しない記録姿勢


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001 2011/09/14(水) 01:20:03 ID:o5RCZKCEMg
「そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。 イエスは大声で叫んで、
言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」
(通称新約聖書——ルカ23:44〜46)
「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。
ところが、石が墓からころがしてあるので、中にはいってみると、主イエスのからだが
見当たらなかった。そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣をきたふたりの者が、
彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、
『あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここには
おられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話に
なったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、
十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか。』」
(通称新約聖書——ルカ24:01〜07)

ルカの他、マタイとマルコを合わせた「共観福音書」と通称されている、新約聖書冒頭のハイライト。
この日は安息日(土曜日)の先日(金曜日か木曜日)だったともルカ23:54などに書かれており、
さらに刑死後、三日目の安息日の翌日(日曜日)に、イエスは復活して墓穴を自分から出て行ったとも書かれている。

この証言が事実かどうかという以前に、上記の共観からの引用部分の冒頭に書かれている日食とほぼ同等の日食が、
イエスが死んだとされる西暦28年の翌年、西暦29年の11月24日、09時31分〜14時15分にかけて、実際にイスラエル付近で発生している。
(この記述と同様の日食は、イエスが刑死したとされる西暦28年前後には、他にない)

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※省略されてます すべて表示...
004 2011/09/14(水) 13:27:16 ID:o5RCZKCEMg
>>3の画像の滲み無しなGIF版。
>>1も「画像削除」になっているが、「原寸表示」で鮮明な画像が閲覧できる。


放火魔は、必ず現場に立ち戻ってくるというし、その他の知能犯も、
あえて自分がやった証拠を残す場合があるという。良心の呵責に駆られて
というよりは、自己顕示欲の発露によって、わざわざアシを残していく。

精神障害者も、あまりにも知的退行がひど過ぎれば、社会に実害を及ぼす
犯罪行為すら行えなくなるが、サイコパス患者などの場合は、犯罪行為にかけて
常人以上もの知能を蓄える場合があり、罪を犯すことにかけての事実関係の
把握などにも長ける場合がある。それでいて、世の中に迷惑をかけることが、
世の中の一員である自分にも危害を及ぼすことにまでは頭が回らなかったり、
自他を害する有害無益さと、多大なる辛苦とを忌もうともしないあたりが、
精神障害者の「障害者」たる所以なわけだが、共観福音書を著述したサイコパス
患者が事実関係も多少は把握していたということが、共観福音書が確実かつ
確信的に、社会に実害を及ぼすことを目的として書かれた証拠ともなっている。

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005 2011/09/14(水) 22:04:23 ID:5cxJ7Oq0AM:DoCoMo
話の真相は、大体こうだ。

西暦28年ごろ、いま「イエス・キリスト」などと呼ばれているような男が、実際に十字架にかけられた。
ただし、その日は日食のあった安息日である土曜日ではなく、
ユダヤ人が労働を禁止されている安息日の先日、木曜日か金曜日だった。
ただ、話を誇張する目的で共観福音書の著者は、その頃に実際に起きていた日食をイエスの刑死の脚色に用いた。

イエスとよばれる人間が刑死したことも、その頃にイスラエルで日食が発生したことも事実だが、ただ「同日」ではなかった。
にもかかわらず両者を同日のものとして記したもんだから、共観福音書の記録全体が事実と決定的に食い違うこととなった。

福音書の著者が蒙昧だったからそうなったのかもしれないし、
この記録が事実ではないことを暗示するために、あえて事実と食い違う記録を差し挟んだのかもしれない。

いずれにしろ、「福音書」という書物が、
信用するに値しない記録姿勢で書かれたものであることだけは間違いがない。

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006 2011/09/14(水) 22:24:34 ID:o5RCZKCEMg
イスラエル付近で皆既日食が観測されたのは、「グレゴリオ暦」の西暦29年11月24日だ。
これはユリウス暦の西暦29年11月26日にあたり、陰暦(和暦含む)の11月2日にあたる。
当時のイスラエルで用いられていたのはユリウス暦と陰暦らしいが、
それでもこの日が「土曜日」であることには変わりない。

共観福音書の学術的研究から、イエスが刑死したのは月の14日か15日と考えられているらしいが、
グレゴリオ暦でもユリウス暦でも陰暦でも、実際に日食が起こったのは14日でも15日でもない。

曜日でも月日でも、日食の日にイエスが刑死したというのは、現実との辻褄が合わない。
なまじ日食の描写が実際にあった日食に酷似しているもんだから、全くのお伽噺扱いによる言い逃れもきかない。
事実関係こそを捻じ曲げて書かれていることが明らかだから、その記録内容の信憑性までもが現実的に否定される。

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007 2011/09/17(土) 00:28:12 ID:1bc8NTnum2:DoCoMo
これは、全てのキリスト教徒やキリスト聖職者までもが学ぶべき、教訓た。

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008 2015/03/26(木) 11:18:26 ID:wRLWsRDM5.
「そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。 イエスは大声で叫んで、
言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」
(通称新約聖書——ルカ23:44〜46)
「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。
ところが、石が墓からころがしてあるので、中にはいってみると、主イエスのからだが
見当たらなかった。そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣をきたふたりの者が、
彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、
『あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここには
おられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話に
なったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、
十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか。』」
(通称新約聖書——ルカ24:01〜07)

ルカの他、マタイとマルコを合わせた「共観福音書」と通称されている、新約聖書冒頭のハイライト。
この日は安息日(土曜日)の先日(金曜日か木曜日)だったともルカ23:54などに書かれており、
さらに刑死後、三日目の安息日の翌日(日曜日)に、イエスは復活して墓穴を自分から出て行ったとも書かれている。

この証言が事実かどうかという以前に、上記の共観からの引用部分の冒頭に書かれている日食とほぼ同等の日食が、
イエスが死んだとされる西暦28年の翌年、西暦29年の11月24日、09時31分〜14時15分にかけて、実際にイスラエル付近で発生している。
(この記述と同様の日食は、イエスが刑死したとされる西暦28年前後には、他にない)

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