レス数が 450 を超えています。500を超えると表示できなくなるよ。

ニヒリズム


▼ページ最下部
001 2011/07/16(土) 05:43:57 ID:.WJ3xPNB0A
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism / 独: Nihilismus)とは、
この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。
名称はラテン語の Nihil (無)に由来する。

ニヒリストは概して以下の論点を強く主張している。

返信する

※省略されてます すべて表示...
094 2011/08/29(月) 05:38:12 ID:nkaHRsc1Cg
「無根拠な思い上がりを」捨てるのは至極良い事だと思う。

それとは別に、
我々はいつも「身の程を知れ」と罵られるが、
「謙虚」と称して怪しげな世間智に泥んでしまうのなら、
そんな「身の程」って何だろう?愚民同盟じゃないか?

世間一般が愚昧下劣に見えて仕方がない人は独自の道を行くしかない。

返信する

095 2011/08/29(月) 15:17:38 ID:CdxDv4frj2:DoCoMo
面白くなかったら、付いてこなくていい。

返信する

096 2011/08/29(月) 19:29:43 ID:/Px0uvVqBQ
「宗教」を隠れミノにして愚昧さを相互弁護しあい
「仏への帰依」などと僭称する。
世間的な「お宗教」はそんなのばっかりだ。

返信する

097 2011/08/29(月) 20:30:25 ID:8KVMBGGnUY
「一切衆生悉有仏性」

「仏に帰依する」ということは、いち衆生としての自らに内在する
仏に帰依することをも意味するし、またそうであらねばならない。

返信する

098 2011/08/29(月) 20:40:55 ID:/Px0uvVqBQ
自らに内在する仏性をあらわすことは
無辺の衆生を済度しようという菩薩行をとおしてのこと。
口では何とでも言える。実践しなければ証明できない。

返信する

099 2011/08/29(月) 21:03:23 ID:8KVMBGGnUY
すでにこれまでにも、何百年という年月をかけての実践が積み重ねられて来てもいる。

これから行われるのも、その実践の「継続」でしかなく、決して「創業」などではない。

金が動いてなけりゃ実践じゃないと思い込む、その下劣な神経が捨て去れたときが、
他力であれ自力であれ、自らに内在する仏の実在に気づくときでもある。

返信する

100 2011/08/29(月) 21:39:28 ID:/Px0uvVqBQ
宗教の本旨=安心立命のための実践の方途も各自の探究が要る。

よく見かけるパターンは、
どこかの「教団」が上から指導しようとする項目について行く。
上からの通達に矛盾しないように自主規制し、責任は上に取らせる。

「仏法僧に帰依する」というのはこんなことなんだろうか?

たいていの教団が「宗教」ビジネスとして
世俗の権力との和合ばかりを事としている。
当たり障りのない範囲でのみ教団は現前している。
そんな教団について行くことはない。

返信する

101 2011/08/29(月) 22:14:50 ID:8KVMBGGnUY
神道の神社はもちろんのこと、仏教の寺も南都六宗や天台真言、
禅宗あたりまでは、正統な権力者の「官命」によって建立されている。

僧籍を剥奪されて、非僧非俗の身となった法然や親鸞が興した浄土教も、
法然の浄土宗のほうは徳川幕府などから手厚い庇護を受け、親鸞の浄土真宗も、
親鸞が公家(日野氏)の血筋であることから、親鸞の血を受け継ぐ
門主(大谷家)の皇族との混血などが進められてきている。

そもそも正統な宗教は全て、「官製」ないしそれに次ぐものであり、
だからこそ公益を最低限以上に慮る性向までもが根付いている。

全く公権力とも無縁な私人が、全くの我流によって、私利私欲のためだけに
興したような宗教がカルトと化すのであって、日本の場合、そのようなカルトは、
伝統的に日蓮宗のようなごく一部の宗門に限られているが、西洋などの場合には、
大部分の国が後付けで国教としたキリスト教からして、民間の重度精神障害者=
イエスが私利私欲を貪ることの手立ての一つとして編み出したものでしかない。

民間人が私欲を貪るために信教を活用しようとした時点で、
すでにカルト信仰が始まってしまっているのだ。

返信する

102 2011/08/29(月) 22:49:08 ID:CdxDv4frj2:DoCoMo
そもそも宗教団体というものは、公益を図る正統な公権力の官命によってのみ
創始されて運営されるべきものなのであり、民間人が我流で体系的な信教を自作
しようなどとすれば、それは否応なく我田引水を正当化するための邪教にしかなり得ない。

我田引水を目的にする場合にしか、民間人の分際で宗教団体なぞを興じて、
ろくに働きもせずに無駄飯を食らい続けるような意味は備わらないから。

憲法でわざわざ民間の信教の自由が規定されたり、宗教法人法で私的な教団運営が
保護されたりすることからして、すでにおかしいことであり、それ自体が紛れもなく
公益を害するカルトテロリストの活動を推進する以外の、何らの意味も持ち合わせてはいない。

真に公益を目的とする信教が、公権力からかけ離れた所で独り歩きして
繁栄を謳歌する必要性など、原理的にあり得ないことだから。

政教分離なんてものは、本来絶対に許されてはならないのであり、公益を図る政治行為と
乖離した利権がらみの宗教活動などを決して許してはならない。また政教の一致に務めた結果、
公益を害する権力犯罪活動を公権力にけしかけてしまうような邪教の健在も許してはならない。

この条件に照らし合わせてなお、存続が可能な信教だけが健在を認められ、
存在性の根本から健在が不能な信教=純度100%の邪教はこの世から滅びねばならない。

返信する

103 2011/08/30(火) 00:03:13 ID:ehiS7VCP66
>>101-102を要約すれば「宗教は権力の走狗」となる。

権力というものは多元的で互いに闘争している。
その中で勝者が「正統」と称する。いわゆる公権力である。
つまり「正統」は闘争の産物であり変遷するものである。
教団はそのような権力構造の川の流れに「かつ消えかつ結ぶ泡沫」
「君が代」も泡沫。

返信する

104 2011/08/30(火) 00:15:23 ID:QrsH73rCW.
権力を「道徳的公権力」に限定せず、
しかも「公権力」にすら限定していない。

だったら始めから「君が代」なんてない。

返信する

105 2011/08/30(火) 00:53:05 ID:utyLcq1cxM
日本語むちゃくちゃだなあ・・・。

返信する

106 2011/08/30(火) 01:32:28 ID:r8IwO43ad.:DoCoMo
まだ、根本から日本を見くびっている。

返信する

107 2011/08/30(火) 12:47:18 ID:odg0XZtjZ2
官製以外の宗教は、私利私欲のための邪教か。
おもしろい意見だなぁ。


ちゅーか、いつの時代でも、どこの国でも
国家は国民の統治の為に、宗教を利用する。
宗教の方も、組織体の存続の為に
国家にしっぽを振り、庇護を求める。

持ちつ持たれつなんじゃないかな。

返信する

108 2011/08/30(火) 13:21:15 ID:r8IwO43ad.:DoCoMo
宗教を、公益と分裂した所で独立的に捉えるべきではない。

公益以外の寸分の目的でも備わっている宗教は、
すなわち邪教であると知らねばならない。

たとえ、人が私利私欲を貪ることがあったとしても、
それが信教によってまで強化されて、推進される必要など、どこにもないのだから。

返信する

109 2011/08/30(火) 14:14:34 ID:5xqV2nnq1E
A) 「公益」という美名を帯びている権力の都合。
そのために権力の下僕として働くのが真正の宗教だ、
という説明も一理ある。そんな「真正」宗教に何の魅力もない。
B) 私利私欲の低劣なカルトもおぞましい。問題外。
これらA,B二種のあいだに線を引きたい立場・都合もあるだろう。

凡そあらゆる教団と称するもの。
欲望と裏切りに満ちた世俗の組織。
民衆を欺瞞・収奪する構造は変わらない。

返信する

110 2011/08/30(火) 16:39:57 ID:r8IwO43ad.:DoCoMo
公益に適った純正な信教にしか
存在価値も見出ださなければ、魅力も感じない。

少なくとも大部分の日本人にとってはそうだ。

返信する

111 2011/08/30(火) 17:24:48 ID:5xqV2nnq1E
存在と価値とのあいだには懸隔・乖離がある。

各自の脳内にある純粋な宗教のイメージを大切にするのは結構な事。

現前し権力の牢守として機能している教団はそれとかけ離れた存在。

返信する

112 2011/08/30(火) 20:35:50 ID:QrsH73rCW.
それがもう、いらない。

返信する

113 2011/10/15(土) 05:24:16 ID:V8SBWjLbfs
かっこよく生きろ。

返信する

114 2011/10/15(土) 13:05:06 ID:PdwWGngG72:DoCoMo
ならず者の思い通りにさせられる人生ほど、ダサい人生も他にない。

ならず者どもの思い通りになるピエロであることが仕事である、今の日本の政治家然り。

返信する

115 2011/10/16(日) 05:51:45 ID:ojkkF25Ul2
>>114
絶望的な言葉ですな・・・・・。

返信する

116 2011/10/16(日) 18:21:12 ID:EcluZpqDGY:DoCoMo
モニター越しならエラく威勢がいいのに、
こちらから間合いを詰めた途端に怯えて逃げ出す、乙女系オサーンw

返信する

117 2011/10/17(月) 02:11:57 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
絶対に人に言えないことを隠してる人間には、
自発的にクチビルを口内に引き込むクセがつく。

この状態で不用意に言葉を発すると、クチビルを噛む。
噛んだせいで口内炎になって、しばらく耐え難い痛みに悩まされる。

もう二度とそういうことがないように、不用意な言葉は発さないようになって、
言ってはならないことを言わないでいようにしておく本能が根づく。
画像削除

返信する

118 2011/10/17(月) 14:04:05 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
119 2011/10/17(月) 16:56:24 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
「公族の罪は(略)隠れたる所に刑す。国人の兄弟を慮るをゆるさざるためなり」
「公権力を掌握している者に対する刑罰は、罪が隠されている内から秘密裏に行われる
場合がある。国民が親近感からなる同情を抱いたりすることすら許さないためである」
(「礼記」文王世子第八より)

返信する

120 2011/10/17(月) 20:46:28 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
悪魔の手下として存分に虚栄を謳歌して来たその立場は、
変革後の世の中での再就職募集対象としても、どん底の優先順位にあるといえる。

蛮勇を道徳学に振り向けた子路のような儒生の例もある手前、
まだ元ヤクザや元ヤンのほうが、見込みがあるとすらいえる。

返信する

121 2011/10/18(火) 22:53:01 ID:NYqSoOOQbo
おまえらは、俺に頼ろうとしないから今のような事態を招いているのであって、
俺に頼っているから今のような事態を招いているのではないことを忘れるな。

返信する

122 2011/10/19(水) 03:00:05 ID:ciRZPEjbgk
それがお前の願望かw

返信する

123 2011/10/20(木) 04:06:56 ID:3RG5HhYjrs
違うんじゃないの?

返信する

124 2011/10/21(金) 05:28:05 ID:eJO/aG2yAM
あんたはどんな生き方をしたい?
画像削除

返信する

125 2011/10/28(金) 05:01:14 ID:ZjfnQYEF9I
生きていても仕方ないのか?

返信する

126 2011/10/28(金) 10:46:18 ID:KGkohYM0V2
新ポエマーDoCoMo現る。

そんなに儒教が好きなのか。
いちばん分かりやすかった入門書教えて。

返信する

127 2011/10/28(金) 13:44:32 ID:jvZX0dg.YI:DoCoMo
儒学の入門書で論語以上のものがあるかよ。
元から儒学の入門書として編まれたのに。
近ごろじゃ論語の入門書すらある始末だが。

現代の孔子として扱われることほど名誉なことも他にない。
キリストの再来として扱われることほど名誉毀損なことも他にない。

返信する

128 2011/10/29(土) 04:44:04 ID:zv0X52GHCo
わかりやすく書いた「論語」ならば読んだよ。

返信する

129 2011/10/29(土) 09:30:03 ID:lVXQfT26O6:DoCoMo
易経なんかは、難し過ぎて誰も理解できないせいで、
紛い物の入門書や参考書ばかりが出回ってる始末。

画像の「量子力學」が、いま公けに出回ってる易の解説書としては
比較的正確な部類だけども、やはり完全ではない。

易の法則を大衆に把握されてしまうと
非常に困る人たちが今の世を牛耳っているのも確か。

返信する

130 2011/10/29(土) 11:33:28 ID:Jga9xOcPeQ
なんで易経と、古典の量子力学の本が
関係あるの?

トンデモ科学なのか。

返信する

131 2011/10/29(土) 11:46:45 ID:PacRJWhQm6
ただの統合失調症です。

返信する

132 2011/10/29(土) 13:50:06 ID:lVXQfT26O6:DoCoMo
この世界、この宇宙を包括する完全な物理法則は、
最終的には大きすぎも小さすぎもしない易の対称性に合致する。

相対性理論では説明できない、光速よりも速いニュートリノの観測も、
易を物理構造化した理論によって、すでにその妥当性が認められている。

ユダヤの権威の牙城の一つでもある、アインシュタインを過去の人と化す試みには、
未だその真偽に関わらず冤病を当てこする言論テロが続いている。

返信する

133 2011/10/31(月) 00:07:06 ID:nO9EuD39gs
易の真義は、確かに狂気じみている部分もあるので、
ド素人が興味本位で近づくのは避けるように警告したほうがいいかもしれない。
かといって、絶対にひた隠しにすべきだというほどにも悪質なものでもないが。

返信する

134 2011/11/01(火) 19:40:36 ID:nQzarYJxyM
いい加減、俺の言うとおりにしなければ
どうにもならなくなる局面に入りつつあるようだが。

さんざん「おまえの言うことなど誰も支持しない」などと言い捨てて、
俺への徹底拒絶を決め込んでいた奴らが、一転して、借りてきた猫のような
ちっさい態度で救いを乞うて来た時の爽快感たるや、半端なものではないだろうな。

今まで俺に当て付けてきた侮りや辱しめの数々すべてを自分たちのほうに買い戻して、
全ての汚辱をおまえらだけが一括して背負っていく形を整えてからでもない限りは、
こちとら一族皆殺し級の迫害に遭ったっとしても、応ずることはないからな。

返信する

135 2011/11/02(水) 01:56:43 ID:iHzBcqpv/A
お、今日もバカだねw

返信する

136 2011/11/02(水) 13:24:54 ID:7tEBkvENro
「馬鹿(ばか、バカ)」という言葉は、その語源である「史記」秦始皇本紀からして、
「鹿を馬とすらいわせる強権力者の横暴」という意味を持っていて、俺のような
何の権力も持たない市井の民間人に対して用いられるべき言葉ではない。
(長年江戸幕府に公権力を剥奪されて来た旧豊臣方の大坂人も、
「阿呆」と言われても怒らないが、「馬鹿」と言われると怒る)

その「馬鹿」という言葉の語源を作った秦帝国の悪宦官・趙高も、
群臣が皇帝と直接面会することを一切禁止し、自分が皇帝との仲介役となるフリをして
その実一切皇帝に話は通さず、自分一人の独断でほぼ全ての政務を取り仕切っていた。
それとは逆に、こちとら「まず天皇陛下に話を通して、その上で朝廷を通じてこちらにも話を
持って来い」とすら言っているわけだから、これまた全く馬鹿宦官の所業には当たらないと言える。

むしろ、鹿を馬といわないものを法律違反で罰した、
宦官趙高並みの権力濫用による横暴に及んでいるのもおまえらのほうであり、
道徳性を著しく欠いた無機質な実定法文のおまえらによる絶対化が、人々の心根からの
深刻な荒廃を招き、罪を犯させては罰を科す、殺伐としたマッチポンプの様相を招いてもいるのだ。

返信する

137 2011/11/02(水) 17:51:31 ID:mnwxIkWtos
削除(by投稿者)

返信する

138 2011/11/03(木) 13:39:03 ID:RwRqFLHBTI:au
ニヒリズムとカルト信仰は、
最も貧相で低劣な人間精神の様態である点では共通している。

返信する

139 2011/11/04(金) 22:09:58 ID:nV0bHEYniM
俺が、天皇陛下に正式な重職に任命された時に
述べるつもりでいる、抱負の言葉を教えてやろうか?

「これからも立派な社会人として、誰に対しても恥ずかしくない、名誉ある業務に取り組んでいく所存です」だ。

「これから は 」じゃない。「これから も 」だ。

返信する

140 2011/11/05(土) 05:11:38 ID:1iTqfKddb6
あーあ、糞スレになっちゃった。

返信する

141 2011/11/05(土) 07:47:07 ID:A6wHh8XbdY:au
おまえらを不快にすればするほど壮快になりたいのではない。
しかし、それにしても壮快だ。

返信する

142 2011/11/05(土) 13:33:20 ID:545i6g4r2M
似たような人が、docomoだったりauだったり
はたまたPCだったり、いろんな所から
書き込んでるな。

狼は何匹いるのだろう?

返信する

143 2011/11/05(土) 13:44:37 ID:A6wHh8XbdY:au
俺がdocomoからauに替えただけだから。
今後はdocomoではなくauとPCからになる。
つか、匿名なんだから大してどうでもいい話だが。

返信する

144 2011/11/05(土) 17:27:42 ID:545i6g4r2M
ふーん、そうなんですか。
似たような人が3人いるかと思った。

返信する

145 2011/11/05(土) 21:29:43 ID:A6wHh8XbdY:au
削除(by投稿者)

返信する

146 2011/11/06(日) 12:56:12 ID:v./kWR3ndY
自由人のくせに携帯が必要なのか?
そもそもあんなの持ち歩く気が知れねえ

返信する

147 2011/11/06(日) 19:44:36 ID:HjIIHMD1EA
潜在的な自殺への恐怖がある人間は、
首吊りを触感的に想起させるタートルネックを嫌ったりする。

それと同じように、携帯という媒体、PCという媒体へのアレルギー反応を催す人間も、
それに近似するような、何らかの事物への潜在的な恐怖を抱いている可能性がある。

おそらく、「脳内情報交換装置」である点が、それと共通する。

返信する

148 2011/11/07(月) 12:24:51 ID:u88znG0vHc
キリストとエホバがこの世から消えてなくなることほど、壮快なことも他にない。

それは、カルト信仰が消え去った後にあるものが矮小なニヒリズムなどではなく、
潤沢な人間性と、正統な神仏への畏敬に根ざした、福徳に満ちた健康であるからだ。

返信する

149 2011/11/13(日) 06:51:48 ID:xZ7i/ho/A.
これからは創価学会の時代か?

返信する

150 2011/11/13(日) 09:39:35 ID:p43eqQuFsM
「宗教」はたえず形骸化・硬直化・世俗化・権力志向の道を辿る。
そしてまた改革の火の手が上がる。昔からの繰り返しだ。

返信する

151 2011/11/13(日) 18:59:28 ID:RprWLB4MkU:au
市民の宗教依存が高まるということは、
それだけ暴政による困窮がはびこっているということ。

聞く耳持たない身勝手な為政者への不平を、都合のいい信仰対象に振り向ける。
最悪の場合、その信教の指導者が体制革命の旗頭になることもあるが、
困窮に喘いでいた民に対して、為政者でもない立場から何でも望みを叶えてやるような
放言を繰り返していたのが、いざ本当に為政者としての立場に立ってみれば、
そんなに甘いはずもない現実に立ち往生してほとんどの契約を果たせず、
以前に聞く耳持たなかった悪政者とも同じような暴政を繰り返すこととなる。

「民生宗教による体制の乗っ取りは、暴政の繰り返しを招く」という絶対法則。

返信する

152 2011/11/13(日) 19:12:07 ID:p43eqQuFsM
宗教改革は異端として出現し、
新権力と連携して正統となる頃には
権勢に都合よく変質・堕落している。

絶対的な権威のある宗教なんて無いよ。
あらゆる宗教屋が売春稼業であることを
民衆は見抜いているよ。

返信する

153 2011/11/13(日) 19:31:26 ID:RprWLB4MkU:au
だから、元から官製の宗教だけにしとけというに。
たとえ信じていなけりゃいられないのであっても。

返信する

154 2011/11/13(日) 20:24:47 ID:0073oQHFLI
ユダヤ人は、自分たちでは商売だけして国家をちゃんと運営できもしない不具民族だし、
イエスも、そのユダヤ人の中でも「妾腹の私生児」というひどい不遇に晒された民間人。

ムハンマドは、イスラム教の開祖であると同時に、一端の政治家や軍人でもあり、
その政治家や軍人としての功績にイスラム教義が寄与していればこそ、
イスラム教もまた中東などの人間に莫大な支持を取り付けることとなった。

釈迦は、生地の王族の出身だったが、市井の民たちが困窮に置かれていることと、
自分たち王族の生活の華やかさとのギャップに苦悩を抱き、何とか政治以外の方法で
民たちを安楽に向かわせられないかと考えて、一念発起出家し、悟りを啓いて仏教を興した。

仏教とイスラム教が、高度に政治的な目的性を持っている点で共通するのに対し、
ユダヤ教とキリスト教は、自分たちが善政を志しているわけでもないただの民間人が、
全くの無責任なままに個人的な願望を叶えようとしているだけの信教である点が共通する。

返信する

155 2011/11/13(日) 21:12:54 ID:p43eqQuFsM
宗教者は権力者の偽善を暴いてしまうこともあるんじゃないか?
そのような宗教者は異端として権力によって弾圧された。

権力との関係が難しいのは解る。和合を旨とせざるを得ない。
偽善を看破してもそ知らぬふりをしなくてはならないんだろう。

返信する

156 2011/11/13(日) 21:22:12 ID:0073oQHFLI
偽善じゃない善政のあり方をちゃんと見極めた教学が儒学としてちゃんとあるから、
政治の偽善を暴くことだけが目的の宗教など、儒学のあるところではあり得ない。
(儒学にも政治の偽善を暴く学科部門としての春秋経学が存在する)

逆に、政治の偽善を正当化美化して、推進していこうとするような邪教のほうが問題。
そのような邪教であればあるほど、真善の政治学たる儒学の教条にことごとく相反する教義を溜め込んでもいる。

返信する

157 2011/11/13(日) 22:40:13 ID:p43eqQuFsM
儒学も学派に分かれていて論争もあったと聞いている。
権力に都合のいいイデオロギーとして利用もされた。
四書五経の言葉を根拠に封建的道徳で人を縛りもした。

返信する

158 2011/11/13(日) 22:51:22 ID:0073oQHFLI
それは、儒学の本質を儒者までもが理解しきれていなかったが故の不幸だ。

もちろん、全ての儒者の考究が全くの過ちだったなんてことはなく、
それなりに儒学の本質に肉迫できていた儒者も数多い。
それが孔子だったり孟子だったり朱子だったりするわけで、
少なくとも儒学が「絶対不能の邪学」などではないからこそ、
その本質に接近しようとしてそれなりの成果を挙げた儒者も数多い。

本質が完全に理解されれば、もはや儒者同士での仲違いが起こることもない。

返信する

159 2011/11/15(火) 05:06:54 ID:L/fBWUR4LA
儒学も考え方によっては危険な思想です。

返信する

160 2011/11/15(火) 13:04:01 ID:FYcwqwsrbg
「陰摩羅鬼の瑕」って読んだ?
推理小説だけど、儒教がテーマだった。
ある洋館の主人が、ニートのポンコツ儒学者で
儒教独特の!?、ある認識の違いで
悲劇が起こるってやつ。

返信する

161 2011/11/15(火) 13:19:16 ID:5juwiaq0KI:au
聖書信仰や洋学よりも一段階上等なだけの教学が、そんなに高尚なわけもない。

質よりも量の儒学、量よりも質の神道、質も量もの自力仏教。
体得のしやすさもこの順番で、昔の日本人も神道や仏教に進学するための
入門として儒学を捉えている場合が多かった。

儒者たち自身の質も全くのまばらで、本当に聖人君子である者もいれば、
まだ目指している段階の者も、目指しもせずに聖人君子を騙っているだけの者もいる。

全ての儒者が正しいわけでもなければ、
「孔子は正しかったが後続者はみな間違っている」
なんていう、ルターみたいな言い分も通用しない。

アリかナシかの極論ばかりに走りたがる異生羝羊心の持ち主には、
ファジーな側面の多い儒学という学問の体系からして、なかなか受け入れ難い。

返信する

162 2011/11/15(火) 21:15:12 ID:itGcNpzhFg
儒学の流布は多分、古流柔術の現代版である合気道の流布に近い形式になるかと思う。

合気道家にも色々いて、本当に合気技の体得を志している人間もいれば、
お遊び程度でやっている人間もいる。全く営利目的抜きで運営している道場もあれば、
講習料を稼ぐためにそれなりの営業システムを整えている道場もある。

実際のところ、ぜんぜん技を体得できてもいないのに
合気道の看板だけ掲げてるようなエセ道場もあるが、合気道の神髄自体は本物なので、
その神髄をすら体得できたなら、少女が大男を張り飛ばすことだってできなくはない。

ただ、その神髄を会得するのが極めて困難なことなので、
実際の合気道家が本当に実力があるかどうかはまちまちとなり、
「合気道家なら絶対に技量を信用できる」というところまでは、さすがにいかない。

それでも、合気道人口が増えれば、総合的に見て合気技を体得できている可能性のある
人間の数も増えることになるわけで、そこら中に合気道の修練者がたむろしている状態
ともなれば、もはやならず者もヘタに暴力行為などに及ぶことは避けるようになる。

それと同じで、儒者であれば絶対に知見の信用が置けるなんてことはなくても、
そこら中に儒学の勉強者がたむろするようになれば、徒党を組んで権力犯罪をやらかそうにも、
告発や大勢の人間からの村八分扱いが怖くなって、おいそれと手出しができなくなる。

それこそは、儒学の流布によって実現しようとするところであり、儒者なら全てが全て
聖人君子であるなどというところまでは期待しない。全ての儒者を聖人君子にするぐらいなら、
神道家や仏僧を育成していくことのほうをまだ優先すべきだ。東洋学の登竜門であり、
はじめの第一歩でしかないからこそ、仮に靴泥棒だった孟子の弟子のような人間が
いたとしても、それを以て儒学の権威が全否定されたりするのではかなわない。

儒学の流布は、それ自体が一つの儒学の実用になるわけだから。

返信する

163 2011/11/18(金) 17:30:54 ID:68KEk21m4U
今の日本に必要なのは儒学ですか?

返信する

164 2011/11/18(金) 18:17:54 ID:8rAWJXeAMk
今の「世界」に必要なのが儒学だ。

聖書信仰は要らない上に、根絶しなければならない。
洋学は現代インフラを保全するため程度には必要だが、決してよいものとして扱ってはならない。
儒学は早急に全世界に流布していかなければ、人類の衰滅を招く。
仏教は、より潤沢な人類の繁栄のためには興隆していくことが推奨される。

洋学の研究成果の多くは、儒学の研究対象に転用することも可能だ。
ただ、研究成果を私利私欲や権力犯罪のために用いることが禁止されて、
世のため人のため勧善懲悪のために用いることが義務付けられるようになるだけ。
そのための心構えや具体的な手段こそを用意しているのが、儒学でもある。

洋学がやっているようなことを、昔の儒者もある程度はやっていた。ただ、
人間道徳よりも概念論や博物を優先する洋学的な志向性を認めていなかっただけだ。

返信する

165 2011/11/18(金) 22:31:47 ID:8rAWJXeAMk
この世に儒者ほど、ニヒリズムから
かけ離れた人種が他にあるだろうか?

主君を敬い、親を敬い、自分でこれだと選んだ師匠を敬い、
それでこそやっと人の上に立つ君子士人となる。

全く宗教とも無縁なところで、こんなにも数多くの人々に崇敬を
捧げられる余地があるというのに、どうしてただ一つの架空神だけを
信じるか信じないかなどという所に、全てを還元しなければならないのか。

それほどにも粗末な尊崇の有無しか論じられないことが、
ありのままに人間精神の荒廃であるといえるのではないか?

返信する

166 2011/11/19(土) 04:42:49 ID:VId3sOOIMQ
今の世の中に
朱子学は必要ですか?

返信する

167 2011/11/19(土) 15:39:48 ID:W83gZujAQc:au
朱子学は、古典儒学よりも程度が低い。

学識の忠実な実践よりも、四書などの書物の知識への
依存が高まり過ぎて、頭でっかちになっている。

そうであることの受容が、明代の中国では官僚腐敗を招いた一方で、
武術との兼学に処した徳川日本では大成功を呼び込んだ。

朱子学をより積極的に実践しようとした新儒学に陽明学があるが、
古典儒学ではなく朱子学の概念知識を積極的に実践しようとしたため、
結局のところ、不注意な行動も憚らぬ多動者を続出させることになってしまった。

今の警察なんか陽明学中毒者が多いが、どうせ古典儒学は難し過ぎて理解できないだろうから、
理念をもてあそぶ以上は主知主義でいる朱子学の首輪で繋ぎ止めておくべきだとはいえる。

返信する

168 2011/11/21(月) 16:18:49 ID:wjZOnM13ts
>>167
ご教授ありがとうございます!

返信する

169 2011/11/22(火) 04:27:31 ID:l9VeBbbZug
>>167

>今の警察なんか陽明学中毒者が多いが

そのあたりを分かり易く教えて頂けますか?

返信する

170 2011/11/24(木) 21:49:43 ID:mxIYr/PlXM
よく考えてから行うことは朱子学で是とされるし、
なるべく考えずに動くことは武術の極意だったりする。

「考えれば即動く」という陽明学の知行合一は、上のいずれにも属さない。
思考と行動を必ず一致させ続けるということで、両者を一致させ続けるために、
極端に狭隘で限定された思考や行動しかできなくなる。

それはおそらく、学祖である王陽明の意図にも沿わない陽明学の享受法。
朱子学で主知主義に入れ込みすぎた勉学者が、いざ行動に移すとなった時に、
躊躇してろくに実践もできなくなかったりすることを戒める目的で提唱されたのが
陽明学だったに違いなのに、陽明学を朱子学の対立理念と捉えて、よく考えもせずに
「考えれば即行う」という部分だけを、今の警察や一部の権力者が実践していたりする。
聞く耳持たない上に、自分でもよく考えはしない、奴隷戦士も同然の酷吏の出来上がり。

武経七書中の「司馬法」に、「決戦においては最良の書物すら打ち棄てよ」とあり、
兵法の観点に即するなら、思い切った行動にはもはや雑多な思考は一切ご無用だと
されるわけで、江戸時代の武士なども、朱子学で蓄えた豊富な知識をいざ実践に移すや、
もはや何も考えないという、主知主義と無念無想の二刀流で為政に臨んでいたわけだが、
狭隘な思考と、その思考と共にある限りにおいての行動という、朱子学にも東洋兵法にも
沿わない「ヘタな陽明学の享受」に今の警察とかは耽溺している。坂本龍馬の斡旋で、
三井住友ら大坂の豪商と結託して、グラバーから重火器を購入して幕府を倒壊させた薩軍の
末裔が多い今の警察官としては、朱子学+兵学という幕府の学制は受け入れ難いのだろう。

返信する

171 2011/11/24(木) 22:17:45 ID:DP/nDEj/nU:au
これだけ窮地に追い込まれても、
降伏後の処遇改善に向けた取り組み一つ考えられもしない。

ちょっと考えたらすぐ行うという、陽明学中毒状態では、
少しだって長い目でものを考えることはできないから。

返信する

172 2011/11/25(金) 16:48:08 ID:Lw0VBpgK8Q
「桀の犬、堯に吠ゆ」(鄒陽・於獄上書・白明一首)

犬は、飼い主の敵とあらばなりふり構わず吠えてかかる。
たとえ自分の飼い主が桀王のような暴君で、その敵が堯帝のような
聖王だったとしても、自分の飼い主の敵だという理由だけで吠えかかる。

主君の行いや命に対しても自主的な精査をこなし、
大きな過ちがある場合には諫言も辞さないというような、
高等な臣下(君子)であるためには、古典儒学をありのままに実践したり、
あるいは朱子学で豊かな学識を身に付けて、それを無念無想の武術の極意で
実践していくといったようなことが必要で、いずれにしろ膨大な勉学を要する。

そうではなく、朱子学の主知主義へのアンチテーゼとして唱えられた、
陽明学の「知行合一」という部分だけを実践して、ろくに勉強もしなければ、
自分でもよく考えようとはせず、ちょっと考えればすぐにそれを行うという
脊髄反射状態でいたならば、それこそ主君への諫言などができるはずもない。
できることといえば、飼い主の敵とあらば無条件に吠えてかかる犬程度、
堯帝にすら吠えてかかる桀王の犬程度のことでしかあり得ない。

返信する

173 2011/11/25(金) 16:50:19 ID:ucjm.Wx6y6
考えずに身体を動かすのは武術の極意だけど
それは、戦闘の範疇での事だと思う。

戦闘より上の、戦術、戦略の場面で
考えずに動くのを是とする人はおらんだろう。
そんな兵法はないと思う。

返信する

174 2011/11/25(金) 18:02:43 ID:Lw0VBpgK8Q
「戦略を戦闘に移すときはもう考えない」と言っているのに、何を勘違いしてんだか。

「大智不智、大謀不謀、大勇不勇、大利不利(六韜・武韜)」というのもあるにはあるが。
俺が非常に気に入っている言葉の一つでもある。

返信する

175 2011/11/30(水) 05:51:56 ID:X0NXO7cI0s
動かざる事、山の如し。

返信する

176 2011/12/02(金) 12:26:34 ID:gxfwV04402
あ、すいません。へんな事書いてた。
いつものことだけど。

続けてください。

返信する

177 2011/12/13(火) 14:08:25 ID:A6wHh8XbdY:au
日本の武術の理合は、神道と禅に因る所が大きい。

禅の無念夢想が武術に応用されているのはよく知られているが、
神道が武術にどんな影響を与えたのかは、あまり知られていない。
「精神主義」であるのは確かだが、具体的に精神主義とは何なのかといって、実は非常に神妙なもの。
易学や道術を日本的に昇華させた所に神道の精神主義もあり、
それは戦前の国家神道が国民に強いていた闇雲さなどとは一味も二味も異なる。

有り体にいって、非常に面白い。
諸法実相をありのままに用いたパズルとでもいったようなもので、
形而上の超越神などを想定しなくたって、この世界の内側にも
驚くほど多くの神妙な現象法則が存在していることに気づかされる。

ニヒリストである人間も、ニヒリストであるままに一度神道や神道系武道をやって見ればいい。
決してニヒリストだからといって、この世界のノッペリさからなる鬱屈などにかられる必要はないのだと知る。

返信する

178 2011/12/13(火) 15:11:10 ID:lDJWwNEbx6
杖道で神道夢想流とかあるけど
あれの「神道」は、そのまま神道。
「夢想」の部分は、禅の無念夢想から来てるのか。

神道が武術に与えた影響かー。
そういや、武道の道場に神棚がある所が多いですね。
キックボクシングのジムでも、置いてるところがあった。


神道が、道教や儒教の影響を受けたって
部分は・・うさん臭そうだけど、ありえるかもなぁ。

返信する

179 2011/12/16(金) 05:08:58 ID:iak0dBI9Gs
今の日本人。
全員儒学を教えるべきだ!

返信する

180 2011/12/21(水) 04:13:43 ID:EX0NTWL2AM
ある思想を「ニヒリズム」だとして非難するとき、
あるいは必ずしも否定的に評価をせずとも「ニヒリズム」であると診断するとき、
(しかし「ニヒリズム」という言葉は常に否定的な評価として機能してきたんではないかとも思うが)
さらにまた、「我々はニヒリズムの中にいる、目的や目標が失われている、何を言ったって、したって、無駄だ、さらにこうして無駄だと言うことすらもが、無駄だ」
とまでも言うとき、
それでもなお、「無駄だ」という言葉が「無」を含むということは、その先に「無」と反対の「有」を想定しているはずなのだから、有を想定していなければ無とすら言えないのだから、
そうしたニヒリズムについてのあらゆる言明は、
非難であれ診断であれ、
さらに、何をしても無駄だという言明でさえ、
全ての言明が、未だにニヒリズムの先に目的や目標を持っているのではないのか?

返信する

181 2011/12/21(水) 09:34:08 ID:P3/x3vYSQ.
無を主張することは、有の存在を確信することでもあるんか。

バットマンのジョーカーが、(善)バットマンがいるから
自分みたいな(悪)ジョーカーも存在するって言うてるのと一緒の
やや厨2っぽい発言で、めずらしく分かりやすいです。

SM 阿闍梨によると、仏教での、無と有は並列する同格の概念で
それら両者をまとめる上位概念が、空ですってね。

返信する

182 2011/12/21(水) 10:59:49 ID:aEF4JekeDQ:au
何もかもを否定する過程で、
自意識過剰の思い上がりだけはかえって肥大化させているのがニヒリスト。
何よりもまず自意識の否定から取りかかるのが般若。

自らの自意識への否定を他の事物にも振り向けるから、
否定されることによって相手がどんな気持ちになるのかも分かりきっている。

「こういう否定のされ方なら、自分だってされたって構わない」という否定を他者に加えてみる。
それで反発してくる相手は心練が足らない未熟者、納得する相手は自分並みの達観ができている者だと分かる。

いずれにしろ、自意識過剰をお互いにぶつけ合うような意図はどこにも無く、
相手が自意識過剰によって食ってかかって来たところで、
こちらに対抗してかかるような自意識はどこにもない。

醜悪な自意識過剰を未だに持ち越している側だけが、
その思い上がりによって、自業自得で極重の苦悩にかられ続ける。
否定の刃を無闇に乱用して、自意識の否定だけは怠っていたニヒリストなどもまたその内に入る。

返信する

183 2011/12/24(土) 05:24:04 ID:ioIB5nazxg
現在の我々にとって「アポロン」、「ディオニソス」(ともにニーチェ初期から現れる思想概念でニーチェ著『悲劇の誕生』)、
「能動的ニヒリズム」(ニーチェ著『権力への意志』)という語は馴染みがないのですが、実は「ニヒリズムの克服」と同様かつての流行語でありニーチェの思想概念です。
三島氏が当時の流行概念によって自らの思想を語ったのか、
当時の日本がニーチェ著『権力への意志』に記される「ニヒリズムの到来」時期と重なって思われてその語を用いたのか、

それともニーチェの思想に信服してこのように言ったのかは更なる研究を待たねばなりませんが、
「もはや道理は要らない。道理はガタピシして、持ち運びのたびに、壁のあちこちに傷をつくる厄介な家具であり、その上ノスタルジーと関わりがあるから、あまりに主観的なのである。思い出は要らない。」
という文句はニーチェ思想そのままとは言えないものの大いに影響を受けた形跡有りと私には思われます。

返信する

184 2011/12/24(土) 08:27:19 ID:AF1vPoaf5Y:au
ニヒリストもサイコパスも、行き着く所まで行かないと思い知らない。
「道理なんかいらない」と思い込んだ先に何があるのかを思い知らねば。

返信する

185 2011/12/24(土) 13:22:34 ID:i1wf1wYWNU
ふと思ったんだけど、儒学を学び、人格が完成に近づき
徳が高まった人物は、他者の信仰や考えを、下品な言葉で激しく
糾弾することは控えるんじゃなかろうか。

教え、諭し、導こうとするならまだしも
ただただ愚弄するだけなら、二流三流の仕事かと。

返信する

186 2011/12/24(土) 13:52:43 ID:AF1vPoaf5Y:au
まだ教え諭す段階じゃない。自首勧告の段階だ。

刑務官も拘置者の肛門をかっぽじってチェックする。
今ならエックス線検査でも済みそうなもんだが、
そのほうが「二度と入って来るな」という戒めになるからなあ。

返信する

187 2011/12/29(木) 03:39:13 ID:WyVZY2H.gg
「能動的ニヒリズム」とは、将来的な創造の構想はなくとも既成の古めかしい道徳・価値を否定・破壊し対抗しようとする思想です。
ニーチェは次のよう言います。
「精神の上昇した権力の徴候としてのニヒリズム、すなわち、能動的ニヒリズム」(『権力への意志』工藤綏夫『ニーチェ』清水書院の訳より)。
この「能動的ニヒリズム」という語によって後にも見られるように陽明学を形容・限定することには賛成しかねます。
何を根拠に陽明学をニヒリズムとするのかは次に見る文によってはっきりします。
太虚という語が虚無と表面上類似しているように見えるからですが、太虚に価値の否定という概念は含まれていません。
虚無という語は陽明も用いていますが、現代のニヒリズムの概念とは全く異なります。

返信する

188 2011/12/30(金) 07:17:30 ID:0X0yzLZP.A
「ゲシュテル」とは「漢意(からごころ)=朱子学的イデオロギー」と同義であり、一種の「原理主義」であろう。

宣長や徂徠は朱子学的な漢意を徹底して批判し続け、これをディ・コンストラクション(脱構築=転倒)させたが、しかし漢意をディコンストラクトな状態に止めておくことは至難の業であろう。
それほど漢意の根は深いのだ。

宣長や徂徠は「やまとごころ」によって「からごころ」を締め出すことに成功したが、すぐさま明治新政府によって天皇親政は復活する。
天皇機関説(国家主権説)を真っ向から否定した蓑田胸喜らの天皇原理主義者も出てくる。
もっとも日本的と観られていた者たちが、実は無自覚にも漢意のイデオロギー・・・(西洋ロゴス中心主義とはやや意味合いを異にするが体系的には同じである)・・・に染まった者たちであったといえるのだ。
つまり精神の平衡感覚を喪った「左翼主義者」ということである。

返信する

189 2011/12/30(金) 12:50:23 ID:lL.rpgk5Xs
なんかよくわからんけど
儒学をディスる人が出てきたな。良いことだ。

本居宣長は儒学が嫌いだったのか。

返信する

190 2011/12/30(金) 13:14:56 ID:C9DUpXYL0Q:au
本居宜長は当然国学者だが、古事記という日本固有の史書の研究に努力を注いだ当たりは、
「日本固有の儒者」としての功績であるといえ、中国の史書や礼法ばかりを
偏重する「儒教徒」以上にも、純粋な「儒学者」としての立場を貫いたのだとすらいえる。
(江戸時代に数多の儒教徒が横行していたことは、佐藤一斎も悪しき風習として指摘している)

荻生徂徠は、赤穂義士の処分に対する見解が、御用学者の林派などと比べて
過酷なものであったことから「法家の徒」であるなどと勘違いされがちだが、
徂徠が赤穂義士切腹の罪状と見なした「私党編成」は、孔子も衛霊公第十五・二二で
「君子にあるまじき行い」として非難しており、情念や時の世論などに惑わされず、
本来の儒学に根差した見解によって徂徠も、赤穂義士の罪状が切腹相当であると断じたのだといえる。

本居宜長も荻生徂徠も、江戸幕府で御用学とされた朱子学が、絶対服従の「儒教」と
化すことに抗っていたことには違いないが、だからこそ本来のあり方にまで遡った
模範的な儒学者であったとも言え、決して儒学という学問体系の
全否定までをも企むような蒙昧の徒ではなかったと言える。

返信する

191 2011/12/31(土) 07:39:29 ID:bjwpTjeq7Y
日本は儒教国なんですよ。学校で「子いわく云々かんぬん」
て習ったでしょ。あの論語ってやつは日本が儒教国だから習うわけ。
儒教を一言で言うと、礼と徳は全能であり、仁と礼と徳でもって世の中の全てを動かせるという帝王学の一種です。
でも僕はそういう付け焼き刃的で押しつけがましい作法が間違いだと感じていて、だからあの「子いわく」の授業がイヤでイヤで、あまりにもむかついたので孔子の生涯を調べたら、当時すでに誰からも相手にされていなかった。
記録に残っている中で当時孔子を嫌った最も高名な人物が晏子(晏嬰・晏平仲。子は尊称)。
晏子はいろいろな物語に理想の宰相、理想の人物として名前だけは登場する中国史における偉人中の偉人で、サッカー史で言えばペレやボビー・チャールトンのような存在です。誰もが晏子を絶賛したけど、一人だけ晏子に批判的なポジションを取った人物がいた。
それが孔子大先生。
その理由が実に感情的で低俗な理由で、晏子が当時の大国・斉の宰相だったとき、孔子が斉に仕官を求めてやってきた。斉の王が孔子に乗せられて召し抱えようとするのを晏子が諫めたので、孔子は晏子を恨み、生涯晏子の陰口を叩き続けた。

返信する

192 2011/12/31(土) 11:21:18 ID:3Avpg5/abw
yoyo
口の悪い僕ちゃんだyo
お前らの儒教とかいう趣味ウザいよね
社会生活の苦難からの逃げ口上に儒教を利用してんだろ?
それって二次元アニメに興じる引きこもりと同じ理屈じゃないの?
テレビゲームやスポーツなんかと同じじゃないの?
それに没頭して社会生活を忘れるんだろ
おんなじじゃねーか
指導する人間はともかくよ
出家する人間なんてのはテイよく社会生活から逃げ出した引きこもり君だろう
社会の中に人間関係に幸不幸があるのに逸脱しちゃあ犬猫と変わらんね
お前らのソレは良く言って趣味的だ

返信する

193 2011/12/31(土) 16:42:37 ID:ghtkYN/2/U
孔子の業績は、むしろ死後におけるその教学の受容による
数百年規模の泰平社会の幾度にもわたる実現だといえる。
それは決して管仲や晏嬰にもない業績である一方、朱子学で主要学問対象のうちに
組み込まれた孟子などにはかなりあるもの。孟子も存命中の受け入れは惨憺たるものだった。

では、孔子が存命中にほとんど世に受け入れられなかったのはなぜかって、
当時がまだ春秋時代という「低度の乱世」にあったから。当時すでに相当な腐敗状態に
あったにしても、まだ諸侯たちが淫蕩な振る舞いに耽っていられる余裕があったから。

戦乱が深刻化し始めた戦国時代ともなれば、もはや諸侯も淫蕩より敵国との争乱に
明け暮れることのほうが主題となったが、それでもまだ徳治にまで目を向ける必要はなかった。
理想の徳治を言葉として述べ立てた孟子が、当時の諸侯に受け入れられなかったのもそのせい。

諸侯が秦に征服されて統一帝国となり、乱世のペースのままの暴政を秦帝国が民衆に
敷くような段階になってから、ついに「こんな権力者などいないほうがマシだ」という
大義が完全に立つようになり、陳勝や項羽らの反乱によってあっという間に秦帝国は崩壊し、
楚漢戦争の動乱の後に高祖劉邦によって打ち立てられた漢帝国が、ついに徳治を敷くようになった。

乱世でないとき以上にも、乱世が極まって権力者が総倒れになったときにこそ、徳治も敷かれる。
牧歌的な田舎社会などで、格式ばった徳治などを志す必要も別にないわけで、莫大な権能を持つ
権力犯罪者たちが大いに世の中を傷め尽くした先にこそ、癒しとしての徳治までもが必要になる。

今という時代も、秦帝国崩壊前夜か、それ以上にも乱世が極まった状態にあるわけで、
だからこそ次の時代に治療目的での徳治を施す必要までもが出てくる。まさに今の時代の
権力者こそが、自業自得で呼び込む孔孟の政であり、怨みたかったら今の権力者を怨むしかない。
道家的な立場からいえば、儒学すら本当はいらないものなのに、わざわざそれを必要なものと
してしまったおまえらの親分たちに、すべての不満を押し付けるようにしなければならない。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:289 KB 有効レス数:465 削除レス数:3





思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:ニヒリズム

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)