「キリスト教徒が、いい加減な家族計画によって産み捨てた孤児や私生児の末路」 
 であるに過ぎない欧米のユダヤ教徒を、よくもそこまで偉そうなものとして説けたものだ。   
 「ユダヤ民族」などというものは、今の世界に存在しない。 
 ただキリスト教圏で、先天後天諸々の理由によって一般社会を追われた人々が 
 「ユダヤ教徒」としての派閥を形成しているだけで、悪行に走る連中が多いのも、一般 
 のキリスト教社会からはじき出されて憎悪を募らせた人間や、その子孫だからでしかない。   
 「孤立した臣下や妾腹の子は、注意力を研ぎ澄ませて上達する場合がある」とは 
 孟子も言っていることで、幼い頃から家庭的な庇護が疎かな中で育った人間というのは 
 確かに特殊な能力を蓄える場合もある。しかし、その能力も害益でいえば一長一短であり、 
 孔子のように治世の指針となる権力道徳を体系化することもあれば、イエキリのように 
 乱世を激化させる権力犯罪の寓意を体系化させることもある。前者は世の中にとって極めて 
 有益だった一方、後者はただただ有害無益でしかなかったわけだから、不遇をバネにした上達 
 というのを一概に評価の対象とばかりしていていいものでもなく、特に大悪人としての上達の 
 頻度が著しいユダヤ教徒の能力などを、手放しに称賛するのは決して許されることではない。   
 金融犯罪者として、世界中の富を先食いしようとしたユダヤ教徒の試みは確かに成功し、 
 誰一人としてユダヤ教徒以外に、世界の大局を左右する者がいない程もの事態を招いている。 
 しかし同時に、「先食い」という不正な手段によって世界の支配権を奪取したことが 
 世界に大きな負担をかけ、挙句には人類滅亡の危機をも呼び込んだため、結局は自分たち 
 ユダヤ教徒が全ての権限を放棄して他者に委譲するしかない事態をも招いた。故にこそ、 
 不正に手を出してまで世界の支配者になろうとした、ユダヤ教徒の振る舞いも決して 
 誉められたものではなく、妾腹の私生児でありながらも先祖供養を尽くし、自学自習 
 によって権力道徳学を大成させた孔子のような、畏敬の対象とするにも足らない。
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