ウパニシャッド哲学 世界最古の哲学にして、人類哲学の本流


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001 2011/03/04(金) 18:34:31 ID:Z/yErBN3aA
まるで当たり前の事実であるかのように、「哲学発祥の地はギリシャ」だの、
「詩文学の発祥地もギリシャ」だのの、全くの思い違いが公然とまかり通り続けているが、
世界最古の本格的な詩文学は、ギリシャのホメロスなどではなく、インドのヴェーダであり、
そのヴェーダに注解を施す形式で編み出された「ウパニシャッド」こそは、
ギリシャ哲学よりも数百年程度は先んじて発祥した、世界最古の哲学にあたる。

古代中国の諸子百家が、政治行為などに関連する実際論に終始した素朴な「思想」止まりで
あったのに対し、ウパニシャッドは、理念に昇華された思索を重んじる純粋な「哲学」であり、
その内容も、「人類哲学の先駆け」としての存在性にも見合った、極めて上質なものとなっている。

その、哲学的根幹に値する「梵我一如」は、日本人などには、密教や禅などの仏教哲学を通じて
知られている場合が多いが、元はといえば、ヴェーダの解釈学でもあるウパニシャッドの根本教理であり、
ヴェーダの絶対的権威を否定した釈迦が説いた「諸法無我」とも決定的な相違を伴っている。

思索が「ネーティ、ネーティ(〜ではない、〜ではない)」と、否定を重畳していくことによって
アートマン(真我)を把捉し、そのアートマンこそは最高真理ブラフマン(梵)とも同一であるとみなす
ところなどは、「思索の構造が真我であったり梵であったりすることはない」ということを定立しているわけで、
思考が自我であることはウパニシャッドによっては否定されるため、「我れ思う、ゆえに我れあり」の
デカルトのコギト論も、ウパニシャッドによってとっくの昔に完全否定されていることになる。

ヘーゲルが、インド哲学批判の論拠とした「構造体系の欠如」も、「思考それ自体が真我であったり
梵であったりすることはない」という、明確な理念に即して徹底されていることであり、批判材料にはあたらない。
もちろん、思考の絶対性を否定するインド哲学の姿勢が、思考を絶対化する西洋哲学の価値を一切合切無効化
してしまうものだから、西洋哲学者などにとっては特に受け入れがたいものでもあるのだろうが、思考の絶対性を
否定するインドのウパニシャッド哲学こそは、全地球人類にとっての、哲学の源流であると共に本流でもある。

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059 2011/06/11(土) 19:31:23 ID:..HmeGfp/2:DoCoMo
カルト信仰に惑わされている精神薄弱者の心理状態が、
そのまま実践上の権力犯罪行為に直結しているわけだから、
それをヒンズー教に求めれば、ただオウムみたいになるだけだよね。

仏教に求めれば日蓮教の一部みたいに、神道に求めれば平田神学由来の右翼神道みたいになるだけ。
さすがに人道の儒学だけは、人でなしのカルト信仰級の迷妄を許すことはないが、
それでも渋沢論語みたいに、ビジネスモデルとして曲解して悪用しようとした例も見られる。

聖書信仰であれそれ以外であれ、カルト信仰に特有の迷妄だけは棄てたくないってんなら、
やっぱり「大人の幼稚園児」としての、十分な保護下に置かれた余生を送るしかないな。

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060 2011/06/12(日) 23:36:02 ID:D2ra5kFqvo
平たく言えば、間違った解釈は、意志の弱い奴が自ら進んで間違った結果だから、
保護、つまり飼殺すしかないってこと?

現実の処置としてはそれでもいいんだけど、
哲学的にはどうなのそれ。
間違った解釈を正す言葉を持たない哲学って、価値あんの?

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061 2011/06/12(日) 23:55:17 ID:40p.IZI4x.
大いなる正しさ(愚童持斎心)と、大いなる過ち(異生羝羊心)の喧嘩を両成敗して
さらなる高みにおいて止揚するだけの素養を持つ哲学も、確かにあるらしい。

しかしそれは、六道輪廻の範疇を遥かに超越した「超超人」の領域にのみあるもので、
せいぜい人道や天道で頭打ち状態にある現状では、強制的に解凍することすら不可能なもの。

聖書の百倍以上の分量を持つ、大蔵経全文を丸暗記している僧侶がそこら中にたむろしている
ぐらいの時代になってから初めて、天地万物全宇宙をも包括して余りある完全真理哲学の復興も
叶うわけで、それを実現するためには、どんなに急いでも、まだ数十年は待たねばならない。

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062 2011/06/13(月) 01:28:36 ID:P3s4jSZdes
大きな意味での人の有り様を正す哲学が成り立つには、
今しばらく英知の蓄積を待たねば、と言う話ならわかる。

でもその事が、今現にカルトに迷う者に語る言葉を持たない理由にはならんでしょ。
てか、語る言葉をもたん哲学の予定する"高み"なんて幻としか思えんし。

あの、別に上げ足取って間違い探ししようと思ってるわけでも、
そもそも議論吹っ掛けてるつもりも無いのよ。
ちょっと前までのスピリチュアルブームとか、
根底にウパニシャッドの世界観の曲解があるように思ってたので、
(根を同じくするカルトについてももちろんだけど)
あなた詳しそうだから、その辺どう思うかなと、
教えてもらいたいだけで。

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063 2011/06/13(月) 01:48:10 ID:uKIsP6Mhg.
一生年金生活で、めでたしめでたし。

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064 2011/06/13(月) 02:15:15 ID:9ObqgeSZBc:DoCoMo
大昔から今に至るまで、この世の全てが、儒学やその亜流によって形作られている。

全ては儒学であり、責任があるとしても、その全てが儒学の責任だ。

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065 2011/06/13(月) 12:37:16 ID:uKIsP6Mhg.
「成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず」

現在進行形の災禍すら十分に押し止められれば、すでにやらかして
しまったことをぶり返して咎めたりすることはないという、孔先生のお言葉。

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066 2011/06/13(月) 20:19:46 ID:9ObqgeSZBc:DoCoMo
四書五経すら聖書として受け入れられないで、一体、
ほかの何を犯罪聖書の代用として受け入れられようか。

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067 2011/06/13(月) 21:28:00 ID:P3s4jSZdes
え〜〜〜〜?
儒教スレになっちゃうの〜〜〜〜?

>>1で、諸子百家は実際論に終始してるとか言って、
ウパニシャッドはがっつり抽象度上げた話ししてくれんじゃなかったんか

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068 2011/06/13(月) 22:02:06 ID:uKIsP6Mhg.
抽象的つったって、ウパニシャッド擁する現ヒンズー教ことバラモン教は、
世俗社会の最高階級である「バラモン」の宗教なわけだからな。

ヴェーダやウパニシャッド以上にも、今のヒンズー教徒にとっての汎用的な
聖典となっている「マハーバーラタ」ハイライトの「バガヴァッド・ギーター」なども、
相当に思弁的な哲学を展開してはいるものの、やはり社会において自分たちが
どうあるべきかということが至上命題として掲げられていて、決して人間性から
完全に乖離しきった無機質哲学を取り扱っているわけではない。

確かに、人間論一辺倒の非哲学的思想である儒家教学(易学の一部を除く)などと比べれば、
抽象的な哲学展開にウパニシャッド哲学も長けてはいるが、それが人にとってどういった
意味を持つのかという答えが必ず用意されていて、決して実践上の権力犯罪行為の
陰惨さから目を背けたりするための、現実逃避を目的として編纂されているわけではない。

世俗社会のしがらみから完全に脱却しているのは、それこそ仏教哲学であって、
実践上の「人間以下」な悪行による苦しみから逃れたりするような、不純な目的すら
備わってはいないから、そこにこそ、本当に人間性を超えた「人間以上」の哲学があるといえる。

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069 2011/06/14(火) 00:52:00 ID:w.kUfJwWrQ
メタレベルに立つと人間性から乖離すんの?
梵我一如的には人間性の中心は宇宙と一体やなかったんかいな。

あと、ウパニシャッドが、現にある命のありように哲学的な答えを用意してると言うなら、
まさに現実逃避まっただ中のカルト信者に語る言葉を問うに、
説かず、諫めず、咎めず、なんて答えちゃうのはどう言う意図あっての事じゃろか。

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070 2011/06/14(火) 01:37:27 ID:Q.iq6Sjtf2:DoCoMo
仁を為すは自らに由る、人に由らんや。

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071 2011/06/15(水) 15:45:47 ID:VknkW9pL6E
しっかし簡単な事を難しく言う奴はなんとやらってのを地でいくスレwww

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072 2011/06/23(木) 14:36:14 ID:IboOwul5K6:DoCoMo
古代ギリシャにおける、記録上最古の哲学者はターレス(皇紀36年‐114年)であり、
こいつがしばしば「(すべての)哲学の祖」扱いまでされることがある。

確かに、その生没年は釈迦(皇紀94年‐174年)や孔子(皇紀108年‐181年)よりも早い。
しかし、釈迦が「インド哲学の祖」なわけでもなければ、孔子が「中国思想の祖」なわけでもなく、
ヴェーダやウパニシャッドを本流として、三千年以上前から続くインド哲学の諸々の理念を、
“ウパニシャッドの権威を認めない形で”集大成したのが、釈迦の興した仏教なわけだし、
堯・舜・禹・湯・文・武・周公といった数多の聖王賢臣の政治思想を正統に受け継ぎ、
管仲や子産や晏嬰といった、春秋時代の名政治家たちの思想をも批判的に受け継いだのが
孔子が興した儒学だったわけで、ことにインド全体や中国全体にとっては、釈迦や孔子などは、
インド哲学や中国思想が隆盛を極めて、一番脂が乗っていた時期の「真打ち」に当たる存在なわけで、
そこにインド哲学や中国思想の「源流」をも還元すべきような存在には、決して当たらないのだ。

強いて言えば、人類にとっての普遍的な「哲学の祖」は、初期ウパニシャッド中の
登場人物でり、皇紀元(神武天皇即位紀元。今から2671年前)前後に
活躍したともされる、インドのヤージュニャヴァルキヤだといえる。

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073 2011/06/23(木) 14:59:23 ID:IboOwul5K6:DoCoMo
たとえ釈迦や孔子より年上であろうとも、本物の哲学の祖(ヤージュニャヴァルキヤ)を差し置いて、
後輩の分際で哲学の祖を騙っているような奴がいれば、やはり「こいつ」扱いしたくなる。

たとえ孟子や龍樹より年上であろうとも、釈迦や孔子といった本物の思想哲学の大成者を差し置いて、
「自分たちが哲学の大成者だ」みたいな面をしてる奴らがいれば、やはり「坊や」扱いしたくなる。

時系列の前後や新古はともかくとして、その時期に生まれ落ちたなりの身の程をわきまえていれば
尊ぶに値する一方で、身の程もわきまえずに先輩を出し抜くようなマネをすれば尊ぶに値しなくなる。

そういう意味で、西洋人どもは二千五百年以上も昔から
身の程をわきまえぬ無礼ばかりを犯し続ける、破廉恥な歴史のみを紡いで来ている。

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074 2011/06/24(金) 10:08:29 ID:ej7vVa26HI
西洋哲学disる理由は自らに由らなくていいんっすね

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075 2011/06/24(金) 10:27:24 ID:BT8NB7XowU:DoCoMo
身の程を、わきまえさえすればいいだけの話。

人類哲学の支流の支流や、世界宗教の支流の末流としての
自分たちの本当の身の程を、西洋哲学や聖書信仰がわきまえさえすれば、
その存在から「なかったこと」にされるほどものホロコーストまでは被らずに、
「キワモノのサブカル」なりの扱いぐらいは保たれるというに。

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076 2011/06/24(金) 10:35:44 ID:BT8NB7XowU:DoCoMo
みうらじゅんやいとうせいこうが、
仏像や般若心経ではなく、ギリシャ彫刻や讃美歌をいじり倒すようになるだけだ。

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077 2011/07/25(月) 11:35:18 ID:23rX8VvglI
天地の万有こそは「有の極致」であるとして、
「ネーティ(〜ではない)」の重畳によって自我の構造を解体し尽くした結果、
当人の自我が万有と一致する、そこに「絶対的有」としての梵我一如があるとする。

一方で、仏教の般若思想などは、自我そのものから否定していくことにより、
不虚なる真実としての万有に己れが一致することが果たされる。

求道の手段はそれぞれであるにしろ、構造的な自我が万有の実相から乖離して
虚無に浮いた状態と化してしまうことを両方ともが忌避しており、それこそ瓦礫の山
のような無機物にすら通じている、万有の実相にこそ素直であり、さらには己れが
万有の実相そのものとなるところにこそ、虚無ではない真実の歓喜があるとしている。

己れが万有の実相に完全に帰一するのは、それこそ死ぬときだといえる。
死こそは最大の安眠であることは、儒者の荀子あたりまでもが認めるところだが、
別に本当に死ぬことで最高の安楽を得る「無余涅槃」ばかりではなく、
生きながらにして己れを万有に帰一する「有余涅槃」もまた可能なものとされる。

それこそ、有余涅槃の王道であるのはむしろ、ウパニシャッドの梵我一如のほうであり、
完全なる死こそを涅槃の完遂とする仏教思想のほうが、有余涅槃については傍流だといえる。

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078 2011/08/20(土) 21:35:52 ID:pNyBjWE2/w:DoCoMo
「真理」というものを歴史上初めて提唱したのも、ウパニシャッド哲学だ。

それ以来、バラモン教か仏教かヒンズー教かによらず、
「真理とは何か」がインド哲学の根本命題であり続けて来た。

真理に対する考究も多少は働かせているにしろ、
決して根本命題などにはして来なかった中国思想や西洋の思想哲学は、
ことに真理を論題にする以上は、インド哲学に一歩も二歩も譲らなければならないという点で共通している。

インド哲学の構築した、真理教学という大山の麓で、
自分自身はその山に登りもせずに、真理とはああだこうだなどという
「憶測」を並べ立ているのが西洋哲学であり、そもそも無闇に
論じ立てることから避けているのが、中国思想であるといえる。

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079 2011/08/21(日) 09:03:23 ID:tud6cp5h/A
胡散臭いジジイ

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080 2011/08/21(日) 11:04:00 ID:dF754mMVC6
我こそは真理と唱えてるのに、
凡人の相談事には「自分で考えろ」ってか。
役に立たんのぅ

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081 2011/08/21(日) 12:47:16 ID:VDiRVB5OHQ:DoCoMo
そもそも俗人の分際で、真理などについて考え込むなと。

乱交パーティーしながら「禁欲とは何か」を語ろうとしてるようなもん。

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082 2011/08/21(日) 19:30:32 ID:dF754mMVC6
哲学と銘打ったスレで哲学全否定ワロタ

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083 2011/08/21(日) 22:47:55 ID:VDiRVB5OHQ:DoCoMo
俗人が哲学をやるようなことからして、本来異端なことだもの。

血筋から正統な祭司階級(バラモン)であったり、
俗世のしがらみを完全に絶った出家修行者(沙門)だったりしてから初めて
哲学を本格的に探求したり、その成果を語ったりすることも認められる。

自分だって別に、正統な祭司階級でもなければ、正式な出家者でもないから、
ここでのウパニシャッドに関する論及もごく表層的・紹介的なものに止めて、
その内奥にまで立ち入ったような、僭越な論じ立ては避けるようにしている。

代わりに「哲学」ではなく「思想」止まりである、中国思想の王道である儒学を
「聖書(=四書五経)」スレで相当に深入りまでしつつ論じ立てている。あくまで
そちらのほうが本分であって、高遠な哲学まで本格的に掘り下げることは敬遠している。

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084 2011/08/21(日) 23:21:35 ID:dF754mMVC6
不可触なものを定義づける。これ、宗教ね。
哲学が不可触だってんなら、哲学教成立ね。

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085 2011/08/21(日) 23:36:40 ID:J.f9y1QdgM
哲学こそは密法だ。宗教や思想はそのスポークスマンだ。

それが正しい「教学(礼記・学記第十八)」のあり方。
スポークスマンが秘奥から乖離して独り遊びするのは、つまらない。

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086 2011/08/22(月) 11:52:12 ID:L2ArkbluKM
哲学=philosophy=智を愛する、ね。
で、縁起説では愛は執着で苦の根本ね。
ダメ上司w

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087 2011/08/22(月) 13:50:13 ID:w7TB9nBSXI:DoCoMo
ギリシャやらドイツやらの異端哲学ではなく、
禁欲の先にある真理を把捉する、正統な人類哲学だ。

ネーティ(〜ではない)の重畳によって最高真理ブラフマンと合致するということは、
雑多な知識への愛執もいつかは棄てなければならないということでもある。

そのための「学識」こそは、ウパニシャッド哲学や仏教哲学が用意してもいる。
愛執を逆用して悟りへと導く、離れ業までをも共に用意しつつ。

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088 2011/08/23(火) 11:14:51 ID:iyGp1HJPnU
仏教の設定ではブラフマンは全然真理っぽくない気が…ま、いいや。

ところでさぁ、
梵と我は、なぜに一如と言えるのか?
逆になぜ一如であることに気付かないのか?
みたいな素朴な疑問にはどう答える?

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089 2011/08/23(火) 13:32:08 ID:k2/laSKZdw:DoCoMo
その答えは、すでに>>34などに書いてある。

ブラフマンと一如である我は、個我としての雑念雑考を解体し尽くした先にある真我だけなのであり、
雑多な汚濁情報にまみれた個我や、カルト洗脳によって心神喪失状態と化してしまっている自我などは、
真我からも梵からも程遠い、儚い泡沫にも等しい虚仮なる存在に過ぎない。

仏法の真理と同じように、アートマンの実体もまた言語道断の領域にあるため、
それを「真我」と呼ぼうが「無我」と呼ぼうが、大して変わらないということもある。

いずれも俗人やカルト信者が「これこそは自我だ」などと思い込んでいるような、
思考の構造によって形成された虚仮の自我などとは無縁の存在であり、
虚仮の自我こそを真我と見なすデカルトのコギトあたりと梵我一如を混同しているようでは、
仏教の諸法無我だけでなく、ウパニシャッドの梵我一如もまた永久にその正体を察することはできない。

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090 2011/08/23(火) 17:58:09 ID:iyGp1HJPnU
いや、そう言う事では無くてね。
どうして梵と我が一如では無い可能性が無いと言い切れるのかの解説をね
我は求め訴えたり

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091 2011/08/23(火) 20:17:53 ID:1r.iBYcd0w
冤罪で刑死して三日後に生き返るトンチキチンな生き物の実在は信じられて、
真理に合致する我の実在は信じられないなんて、ずいぶんと都合のいい神経してんな。

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092 2011/08/24(水) 09:35:35 ID:bwdyP3dQ9w
そんな露骨に話そらさなくても

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093 2011/08/24(水) 10:20:05 ID:d/1UJQI6c.
>>90
すでに梵と我は一如であって
あえて目指さなくても良いのだよ
って事ですか?

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094 2011/08/24(水) 20:57:53 ID:bwdyP3dQ9w
>>93
いや、そうでなくて。
梵と我が一如だとするなら、それを証明する言葉はあるのかなと。

例えば、
<1>物を落とすと下に落ちるのはなぜ?と言われれば、
重力があるから、と答えられる。
では、
<2>重力があるのはなぜ?と聞かれれば…
世界がそのように出来てるから、としか言いようがないと思うけど、
専門的知識があればもう少し深く答えられるのかな。
でも、
<3>重力がある事の証明してよ、と言われれば、
物を落としてみればわかるわけ。

このような問答を梵我一如に当てはめると、
<1>は答え自体が梵我一如
<2>は多分、アートマンを把握してない凡人には理解できない、とか
それを問うこと自体肥大した自意識の現れ、とか言われるんだろうけど
専門的な理解をお持ちの>>1なら、深い答えを持っているのかな、と期待してる。
で<3>のように、梵我一如の証明となるような言葉があるならそれにも期待、と。

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095 2011/08/24(水) 22:38:17 ID:hSIuQ5.L8U
「夢すら見ない熟睡状態が梵我一如」とは、ウパニシャッドの方々に散見される記述。
その記述に即するなら、人間は夢すら見ない熟睡状態となって、また起きることができるから、
その「人間は熟睡が可能な生物である」という事実を以て、梵我一如もまた実在するという結論を導き出すことができる。

これと同じように、すべての生きとし生けるものはいつかは死んで、必ず個我と共に無に帰すから、
この「諸行無常」という事実を以て、諸法無我もまた真実であると結論付けることができる。

問題は、人が生存中の覚醒中に、梵我一如や諸法無我を悟れるかどうかであって、
それはやはり、自分自身が悟らないことには、悟れない。

そもそも、覚醒中の人間の個我が、思考の構造への帰納によって梵我一如や諸法無我を悟ることは、
思考の構造が真理ではないことを定立しているウパニシャッドや仏法とも矛盾している。
個我が思考の構造への執着を捨て去ったところにこそ、梵我一如や諸法無我があるとされているのだから、
思考の構造への帰納によって梵我一如や諸法無我が把握されることは、原理的に不能(インポ)だといえる。
画像削除(by投稿者)

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096 2011/08/24(水) 23:56:48 ID:hSIuQ5.L8U
そもそも、バラモンや仏者たちは、なぜ梵我一如や諸法無我の悟りを追い求めるのかといって、
それによって思考の構造(イデア)を構築していくことに執着することによる、個我の苦しみから脱却するため。

雑念雑考(イデア)への執着こそは、思考者の個我を苦しめる元凶中の元凶であり、その苦しみを紛らわす
ためにこそ、数多の他人を不幸や非業な死に追いやってまでもの、精神障害カルトや重権力犯罪を通じた
放辟邪侈までもが繰り返されるのだから、そもそもそのような、あらゆる災禍の元凶となる濁念(イデア)
への執着を断ち切るために、梵我一如や諸法無我の自覚的な悟りまでもが追い求められている。

濁悪な煩悩(イデア)への執着を、梵我一如や諸法無我の自覚的な悟りによって断ち切った結果、
個我が根本的な悩乱の苦しみから解き放たれて、カルト信仰や権力犯罪を通じての迷惑千万な放辟邪侈などを
志すこともなくなる。それが引いては世界平和や、人類の繁栄にも最大級に貢献することとなるために、
そのような梵我一如や諸法無我の把捉者の誕生が、「世界平和や人類繁栄の先駆者の誕生」としてめでたがられもする。
(シャンカラや竜樹菩薩も、「ウパディーシャ・サーハスリー」や「中論」で梵我一如や空の悟りを「めでたいこと」と言っている)

カルト信仰や、権力犯罪を通じての放辟邪侈をより推進するためにこそ、その原動力となる個我の苦しみを
思考の構造(イデア)の構築によって肥大化させようとするのに対し、そのような害悪の元凶となる悪念(イデア)への
執着を断ち切ることで、個我の苦しみを立ち消えにさせるために、梵我一如や諸法無我の悟りもまた追い求められるのだから、
悪念の構築によってこそ梵我一如や諸法無我を悟って、それをさらなる有害無益な放辟邪侈の推進に悪用しよう
などとするのは、そもそもの梵我一如や諸法無我の悟りを追い求める目的にも反しているといえる。

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097 2011/08/25(木) 22:19:30 ID:y6ocdrjKVk
>>95 >>96 いいね。期待したいい答え。ありがと。

で、またいろいと疑問が出てきたんだけど、とりあえず
>そもそも、覚醒中の人間の個我が、思考の構造への帰納によって梵我一如や諸法無我を悟ることは、
>思考の構造が真理ではないことを定立しているウパニシャッドや仏法とも矛盾している。
このへんについて教えを請いたい…んだけど、どう聞けばいいか上手く思いつかんので
たとえ話にして見る。気が向いたら答えてみて。

俺が御飯を食べるとする。
御飯食べなきゃ餓死す事を知っているし、食べたいと言う欲求もある。
そこに「真に美味しい御飯の食べ方は、口を開かない事」という真理が説かれたとする。
俺はこの真理を手に入れるにはどうすればいいか考える。
(栄養素抽出して点滴とか、テクノロジーによる解決は無しね)
一つは、ご飯を口の中にテレポートさせる、オカルト的手法。
そのためには己の中の超能力を目覚めさせる修行にふけることになるが、
まぁこれは論外。

続く

返信する

098 2011/08/25(木) 22:19:43 ID:y6ocdrjKVk
一つは、ただひたすら口を開かずご飯を食べることについて考え続ける。
常識的には不可能な「真理」に挑み続けて、やがて俺は絶望するだろう。
しかしそれでもなお挑む事をやめなければ、いずれ俺の脳はその絶望から逃れるために、
記憶の中から御飯の味を再現して「食べたような気に」なってくるかもしれない。
実際、人の脳にはそのような機能もあるようだし、それが高じれば、
俺は、実際の御飯の味よりはるかに美味しいご飯を食べたような経験と手法を
臨場感をもって会得するかもしれない。
でもこれはカルト的手法。
実際はご飯は俺の体に入っては訳だし、こんなこと続けてりゃいずれ餓死する。
俺が自分の得た錯覚を「これが真理だ」と世に広めたりしたら、
多くの人間が餓死することになるだけだ。
結局、真理に基づいた食べ方の会得は、
世間的な常識や、そもそもそれを求める原因となった欲求からすら離れた
「悟り」を持ってしか為し得ない、と言うことになるのか。
そこでだ。
俺が悟りを経て、真理に基づいて御飯食べるとき、現象として茶碗のご飯は減って、
俺の体体重がその分増え、俺の体を維持するための栄養素になるんだろうか。
またその時の俺の姿は、そもそも御飯と俺には境界など無く、
ただ美味しいという感覚が御飯の本質として俺に追加されるだけで、
現象としての俺と言う存在の口が開いたとか開かないとか、栄養になったとか餓死したとかは
全て等価(もしくは無)である。という態度に、他者からは見えるんだろうか。

返信する

099 2011/08/25(木) 23:05:12 ID:J./o4UMT9I
絵に描いた餅ではなく、本物の餅を食え。
そしたら空腹も癒される。

思考の構造には執着せず、処方の実相に帰一せよ。
そしたら実相の一介に過ぎない自己も満足する。

絵に描いた餅に満腹感を期待してもそれは満たされず、
思考の構造という虚構に自己の満足を追い求めても、どこまでも不満なまま。

粗食や断食も含めた、厳しい修行に励む出家者なども、
完全な虚構と、完全に不虚なる真実との明瞭な区別を付けて、
真実の不虚にのみ安んじて、無上の満足を得ることをこそ
根本目的としていることを勘違いしてはならない。

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100 2011/08/25(木) 23:50:41 ID:J./o4UMT9I
たかがジョブズの辞任報道だけで、ダウもNASDAQもみるみる下がる。

今のアメリカ人が、どれほど実経済に餓えているかということ。

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101 2011/08/27(土) 01:14:41 ID:pKQKrF8jEE:DoCoMo
ジョブズ引退で、日本の携帯産業をも圧迫している
スマートフォンの先行きが暗くなった。

そしたら日本の株価が上昇。それに釣られてアメリカの株価までもが上昇。
さらにそれに釣られて、全般的に下がり気味だった欧州の株価まで急上昇。

虚構でない実質がどこにあるのか、もう欧米人も気づいてんだよ。

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102 2011/11/15(火) 07:16:27 ID:pkxbb3Sq/Q
ちょっとちょっと、
根本聖典が消えかかっていますよ!
一体、インド人は、今まで何をやっていたのですか?

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103 2011/12/28(水) 16:52:53 ID:mC9gT5QqeE:au
インド人自身、最古級のヴェーダやウパニシャッドは象牙の塔に閉じ籠らせて、
マハーバーラタなどの比較的新規な聖典を広く受容するようになっているからなあ。

イギリスによる植民地支配の禍根で、アフリカ並みの荒廃に晒されたままの現状では、
古代の最優等文化を再興していく気にもなれはしないのだろうな。
日本だって武家時代以降は仏教文化が簡素化しているのだし。

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104 2012/05/09(水) 11:37:17 ID:W83gZujAQc:au
105 2012/05/09(水) 18:57:23 ID:W83gZujAQc:au
・大乗仏教は、仏教思想のウパニシャッド哲学による理論的補強。
・小乗仏教は仏教思想(阿含経典)、大乗仏教は仏教哲学(大乗経典)を司る。

と考えれば、それぞれの根本的な存在性を悟りやすいかと思う。

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106 2018/02/14(水) 20:45:16 ID:Kx.Ylss/bQ
古過ぎてわからん

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107 2018/02/14(水) 20:49:30 ID:Kx.Ylss/bQ
ギリシャうざいわな

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