人類文明の根本は宗教か?


▼ページ最下部
001 2011/01/11(火) 19:57:47 ID:qiyobeNKTw
今から約5200年前、現存する限りでは最古の人類による古典「易」が伏羲氏によって発案された。
その内容には確かに呪術信仰的な側面もあった一方で、光と闇や物質と波動、さらには生物の男女雌雄などの
陰陽関係の実質的な調和をつぶさに見極めたものでもあり、自身は全く東洋宗教などに興味のなかった
ライプニッツやボーアなども、その実相学的な秀逸さから「易経」などを愛読していたという。

自然物理の実相から全くかけ離れたところで、「神が七日間で世界を作った」とかの珍説が今でも取り沙汰されているが、
それはまあ、無学の馬鹿者の妄想であったとして、果たしてそのような妄想が、人類文明の原初だったりしただろうか?

七日間でのエホバによる世界創作を説く、旧約聖書冒頭の「創世記」からして、今から約2600年前に、
今の日本のど田舎の集落ぐらいの人数に過ぎなかったユダヤ人が、バビロンに拘留されていた頃に自作したもので、
その古さでも人類最古の古典「易」に大きく遅れるものである上に、きわめて少数の部落員が拵えたものであり、
そのせいもあってか、話の作りも稚拙で、ちっとも実世界の実相にも即していない。

そもそも人類文明の始まりが、「エホバが七日間で世界を創った」みたいな与太話であるという認識からして誤りであり、
そんな戯言よりも二倍ほどの歴史の古さを持つ古典が、現代物理学の自然解釈にも一目置かせるほどもの秀逸さを伴っている。
別段「易」が科学としての体裁を厳密に保てているわけでもないが、宗教か科学かでいえば、むしろ科学的な見解のほうが
人類の歴史に先んじており、反科学的かつ邪教的な見解のほうが、その発祥からして遥かに立ち遅れたものともなっている。

蒙昧な迷信宗教こそは人類文明の根本であり、理知的な科学こそは人類文明の末節であるだなんていう考えからして
とんでもない思い違いであり、宗教的迷信は質や量だけでなく、古さにおいても科学的な思考に遅れたものでこそある。

返信する

※省略されてます すべて表示...
031 2011/05/23(月) 22:44:40 ID:2IuMBU7moQ:DoCoMo
…だいぶ話が脱線しているけど、話を戻すよ。

人間に知性と呼べるものが現れた当初は、科学

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:19 KB 有効レス数:31 削除レス数:0





思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:人類文明の根本は宗教か?

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)