このスレの主題はあくまでKNHSやKNRSとしていくが、上記の定義に基づいた場合、
とにかく働いとけばいいと思っていたり、社会的に成功すればそれでいいと思っているような
今の先進国の大多数をも占めているタイプの人間は、KNKS(行為能力肯定主義者)や
KNGS(行為能力原理主義者)であるといえる。KNKSはまだ、過労への忌避なども
持っていて、仕事を「仕方なくやるもの」のように考えている場合もあるが、KNGSともなれば、
仕事や社会的成功こそは人生の全てとなり、それらに価値を見出さず、興味も示さないKNHSやKNRSを
「ダメ人間」や「ニート」などといった言葉で貶めようともする。実際、先進国内において無職やニートで
あるような人間は、自分のあり方を「いけないもの」だと思い込んで、やっぱり働いたほうがいいという
内面的なKNKSである場合が多く、自分がKNKSであると共に、無職やニートでもあることの
乖離に悩んでいたりする。つまり、実践面がKNHSやKNRSに即していることと、当人が
KNHSやKNRSであることとは必ずしも連動しておらず、ガッポリ大金を稼ぎながら
「働くことなんかに大した価値はない」などとほざく、ホリエモンのような人間もいる。
この俺はといえば、自分自身ではKNRSを自認しているものの、実践面ではKNHSですらある。
働いたり社会的に成功したりすることにも場合によっては価値があるが、今のような行動即犯罪の世の中に
おいては、まずそのような価値はない。そのため論調はKNRSでありながら、実践面では自他に対して
KNHSを推奨する、多少の名実の乖離がある。ただ、自分自身の実感も踏まえて言わせてもらえば、
KNHSとKNRSの乖離はそれほど心的負担にはならず、行為能力に対して少なからず肯定的である
KNKSやKNGSと、少なからず否定的であるKNHSやKNRSとに名実が分かれた場合にこそ、
セルフイメージと事実上の姿との落差による苦悩が生まれてしまうようである。
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