KNHS、KNRS(行為能力否定主義、行為能力劣後主義)


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001 2010/08/31(火) 18:53:35 ID:KMizCd6yFY
「KNHS」・・・行為能力否定主義、もしくは行為能力否定主義者の略。
法的金銭的権利(行為能力)の行使こそは世を乱す元凶であるとして、自らも
できる限り社会的権利をかなぐり捨て、またそれらの権利と無縁であろうとすること。
乞食行に専念するインドの聖人や、世を避けることに専念する中国の隠者など。

「KNRS」・・・行為能力劣後主義、もしくは行為能力劣後主義者の略。
KNHSのように行為能力を完全否定するのではなく、世の繁栄のために
善用することも可能であるとした上で、その暴走による世の乱脈を制御するために、
行為能力を直接取り扱う法治主義や商業を劣後して、道徳主義や士人を優先する。
富貴と貧困の両極端に振れ切らない中道を説いた仏教、鬼神を敬してこれを遠ざく儒家など。

今の世では、とにかく粗大に行使できる者であればあるほど偉いとされている行為能力の価値を
完全否定したり、完全否定とまではいかずとも十分に劣後したりする方向性が東洋哲学にはあり、
それによって乱世を抑制してきた優秀な歴史がある。行為能力を完全否定するKNHSだけでなく、
完全には否定せずとも十分に劣後するKNRSまでもが仏教や儒家などとして樹立されたために、
単なる乞食や隠者の増えすぎによる世の衰退も未然に防止してきた。全肯定しても、
全否定しても弊害の生ずる行為能力への対処として、あらゆる選択肢を取り揃えている。

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002 2010/08/31(火) 19:02:17 ID:7SShVWGCy.
003 2010/08/31(火) 19:19:17 ID:KMizCd6yFY
このスレの主題はあくまでKNHSやKNRSとしていくが、上記の定義に基づいた場合、
とにかく働いとけばいいと思っていたり、社会的に成功すればそれでいいと思っているような
今の先進国の大多数をも占めているタイプの人間は、KNKS(行為能力肯定主義者)や
KNGS(行為能力原理主義者)であるといえる。KNKSはまだ、過労への忌避なども
持っていて、仕事を「仕方なくやるもの」のように考えている場合もあるが、KNGSともなれば、
仕事や社会的成功こそは人生の全てとなり、それらに価値を見出さず、興味も示さないKNHSやKNRSを
「ダメ人間」や「ニート」などといった言葉で貶めようともする。実際、先進国内において無職やニートで
あるような人間は、自分のあり方を「いけないもの」だと思い込んで、やっぱり働いたほうがいいという
内面的なKNKSである場合が多く、自分がKNKSであると共に、無職やニートでもあることの
乖離に悩んでいたりする。つまり、実践面がKNHSやKNRSに即していることと、当人が
KNHSやKNRSであることとは必ずしも連動しておらず、ガッポリ大金を稼ぎながら
「働くことなんかに大した価値はない」などとほざく、ホリエモンのような人間もいる。

この俺はといえば、自分自身ではKNRSを自認しているものの、実践面ではKNHSですらある。
働いたり社会的に成功したりすることにも場合によっては価値があるが、今のような行動即犯罪の世の中に
おいては、まずそのような価値はない。そのため論調はKNRSでありながら、実践面では自他に対して
KNHSを推奨する、多少の名実の乖離がある。ただ、自分自身の実感も踏まえて言わせてもらえば、
KNHSとKNRSの乖離はそれほど心的負担にはならず、行為能力に対して少なからず肯定的である
KNKSやKNGSと、少なからず否定的であるKNHSやKNRSとに名実が分かれた場合にこそ、
セルフイメージと事実上の姿との落差による苦悩が生まれてしまうようである。

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