士農工商


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001 2010/04/03(土) 19:43:05 ID:W4Y.XZtdps
四民(原典では分類が定かでない)・・・「書経」偽古文尚書・周書・周官に初出。後付けの可能性もあり。

商農工賈(サービス業と農業と工業と小売業)・・・「春秋左氏伝」宣公十二年に、随武子が民の生業を指す言葉として。四民の内実の初出。

士産分離(士大夫と産業階級の分離)・・・「論語」子路第十三・四などにおいて、礼儀道徳に基づく士大夫階級と産業階級の分離が提唱される。

士工農商(士大夫と工業と農業と商業)・・・「荀子」儒效篇第八・十二において、大公以下の支配階級も含めて「大夫士・工・農・商賈」とされる。

末業断罪・・・「韓非子」五蠹第四十九において、農業などの本業と比べての、末業としての工業や商業の偏重が断罪される。

士農工商(士大夫と農業と工業と商業)・・・「管子」乘馬などにおいて、支配階級を含めた明確な四民制が初出。農業と工業の地位が引っくり返る。

四民制の定着・・・「六韜」などにおいて、絶対的正当性が確立された士農工商の保全のための権謀術数が「目的のために選ばない手段」として展開される。

「管子」の書名にもなっている管仲は、孔子の活動時期よりも昔の春秋時代中期の人物だが、
書物としての「管子」は漢代以降に編纂された仮託書で、諸子百家中最終の「韓非子」よりも新しい。
「六韜」も殷周革命の立役者である太公望呂尚が述べた兵法とされているが、その成立は遥かに遅れる。

非常に多くの紆余曲折を経て、最終的に確立された「士農工商」という四民制の格付け。
不当に貶められた商人の不満のガス抜きのために、部落階級が設置されたなどと勘違いされている場合が多いが、
部落差別は、早くから奴隷制を根絶させた日本社会に特有の問題で、中国原産の四民制とは直接関係がない。
日本でだけ「皇族華族士農工商穢多非人」という長大な階級差別が生じたことも踏まえた上で、議論されたい。

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002 2010/04/03(土) 20:16:43 ID:UX9Q4/FbkQ
>>1 小谷野敦乙

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003 2010/04/03(土) 20:22:35 ID:oRZFyag9Qs
一般人>>>>>>>>>>>ニート

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004 2010/04/03(土) 20:53:04 ID:W4Y.XZtdps
ニートが社会の底辺であることは真実であるにしても、真実に背く、
誤った職業倫理を是としているおのれらに、それを認める資格はない。

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005 2010/04/03(土) 21:48:37 ID:A.n4TmIFAo
ニートは高等遊民だから頂点の方だろ。

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006 2010/04/04(日) 08:00:25 ID:P8F8zKwlAc
「高等遊民」などという考え方は、明治以降に古代ギリシャの有閑階級を参考したもので、
四民制はもちろんのこと、元祖無為自然の道家思想とも関係がない。
「荘子」では、無為自然・万物斉同の肯定のための当然の帰結として、
醜人や障害者や盗賊の存在すらもが正当化され、無為自然が決して綺麗事ではないことが提示される。

「恒産なくして恒心ある者は、ただ士のみよくすることを為す。民の如きは、すなわち恒産なければ、
よって恒心なし。いやしくも恒心無ければ、放辟邪侈、為さざるなきのみ(「孟子」梁恵王章句上・七より)」
とあるとおり、無為自然の中でも徳性を堅持し、養い育てられるのは一部の君子士人だけに限る。

昔の牢人などは、武士だか無職だか分からないような立場にもいたが、やはり隙あらば
仕官する志しを持ち、放辟邪侈に走らないことも心がけた(それでも盗賊などに身を堕す者はいたが)。
士大夫が士大夫としての地位を確立し、大量繁殖して憚らなくなったのは孔子らの道徳学的後押しがあったからで、
士人道徳も四民制も廃絶された、今の社会の公務員にも無職やニートにも、士大夫たらんとする片鱗すら垣間見られない。

民主主義や資本主義の社会でも、結局ある程度は士人に相当する支配階級が必要になるんだが、
士大夫の存在意義が根底から否定されていることから、その扱いもなおざりなものとなり、
自分たちでも盗賊に見紛うような権力犯罪にまで奔走し始める。

民主や自由の名の下に、存在せざるを得ない支配階級の倫理観までもが崩壊し、
以て全社会の荒廃、行動即犯罪化が達成されてしまう。税金払うだけでも人殺しになる。

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007 2010/04/04(日) 08:22:26 ID:9Vhxj5W7HQ
士農工商は日本では掛け声倒れで、実際は「商工士農」だった。
儒教は日本には向かない。

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008 2010/04/04(日) 08:23:46 ID:9Vhxj5W7HQ
農も隠し田やワイロで結構儲けていたようだ。

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009 2010/04/04(日) 08:36:11 ID:P8F8zKwlAc
江戸時代の概ねの職業別人口区分(多少変動あり):
武士・・・約10%
農民・・・85%以上
町人(工人、承認)・・・5%以下

今の日本の概ねの職業別人口区分(同):
公務員・・・約3%
第一次産業(農業など)・・・7%弱
第二次、第三次産業(工業、商業)・・・90%以上

人口で言えば、江戸時代までは農民が圧倒的多数を占め、次いで武士、一番少なかったのが町人。
当時の町人にあたる第二次、第三次産業従事者が9割以上を占め、次いで第一次産業、公務員となっている
今の社会とは人口区分が極端に異なり、決して商工業界の優位などを叫べる状況ではなかったことが分かる。

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010 2010/04/04(日) 08:53:08 ID:P8F8zKwlAc
四民制の確立には、儒家だけでなく法家も深く関わっていて、
特に農業のような被治民の本業と、工業や商業のような末業の優劣が
転倒することへの断罪は、激烈な反儒教主義者である韓非によって初めて主張された。
韓非の師匠とされ、性悪論を唱える異端の儒者であった荀子ですらも「士工農商」を唱え、
儒学の範囲だけでは、工業までをも末業として、農業の下に置くまでの措置には至らなかった。

昔の日本で「農工商」の三民の格付けが希薄であったとしても、
それは中国の法家思想を日本人があまり本気で取り入れなかったからで、
決して儒家思想が日本人に馴染まないわけではない。本業と末業の転倒を否定する、
中国の法家思想は本気で取り入れなかったくせに、西洋由来の重商主義的法治主義だけは取り入れ、
法文を金科玉条化しない儒家のいい所も、生業の本末を正す法家のいい所も捨て去った、
最低最悪の選択に今の日本人こそが溺れている。たとえ農工商の格付けが中国ほど
徹底されていなかったにしても、昔の日本が今よりもマシであったことだけは間違いない。

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011 2010/04/04(日) 13:13:22 ID:6ATQ.Flfxw:DoCoMo
>>1の書き込み内容だけでも、今の最先端の四民制研究の遥か先を行っているが、
その四民制に真っ向から反する、行動即犯罪社会で高禄を食んでいる今の学者陣には、
一言も真っ当な論及を返す術がない。

自分たち自身もまた食い扶持を必要とする、俗世の学者の研究範囲もまた、
とめどなく広いようでいて、実際には極めて限定された領域に止まっている。
「儲けになる」という。仏者は愚か、世俗道徳を重んずる儒者にすら、昨今の学者が及ばない部分。

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012 2010/04/04(日) 17:57:46 ID:P8F8zKwlAc
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%...
Wikipediaも、「士農工商」の項は間違いだらけ。
「荀子」に出てくるのは、「士商工農」ではなく「(大夫)士工農商(賈)」。
「農工商」の三民の本末を正して、この順番に徹底したのは儒教ではなく法家の韓非子。

儒家が直接関わったのは、今の公務員に当たる士大夫階級と、産業階級の明確な区別。
「支配者がよくよく礼儀を正し、仁義や信頼を重んじれば、自ら耕し織らずとも、被治者たちが付いて来る」と、
孔子が「論語」子路第十三・四などにおいて主張したことから、君子士人の職業的な独立性が確立され、
科挙や日本の武士のように、道徳性を重んずる公務員が、一つの文化として極東社会で花開くこととなった。

>>9を見ても、江戸時代の公務員に当たる武家階級が、今の日本社会の3倍以上もの割合に上っていることが分かる。
とはいえ今の公務員とは違い、「富は道義に即しなければ取らない(論語・里仁第四・五)」の潔癖主義で、
給料も石高制であったことから、民間人の妬みを買うようなこともなく、却って尊崇の対象にすらなっていた。
堕落した侍も多少はいたにしろ、「花は桜木、人は武士」というほどにも、完成された人間像の一つとなった。

それは、農工商の三民の上に置かれて、誇り高き仁義道徳を重んずる徳治者であったことにこそ基づき、
決して武術が優れているというばかりの理由ではなかった。四書五経や諸子百家や朱子語類といった、
仁義道徳のあり方を論ずる豊富な勉学にも基づいて、体系的にその存在性を確立されたものたればこそ、
武士はあれほどにも完成された賢人たり得た。士農工商の四民制を抜きにして、武士を見習うことはやはりできない。
ある意味では、刀や髷以上にも武士が武士たり得た最大の根拠、それが士農工商でもある。

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013 2010/04/04(日) 20:28:28 ID:6ATQ.Flfxw:DoCoMo
知識の不足よりも信仰の過剰よりも、仁義の欠如を憂う。

杞憂には違いないが。

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014 2010/04/05(月) 10:23:18 ID:knIE9EEXv.
>>1の中で特に注目すべきなのは、儒家の正典四書五経中の「春秋経」の代表的注釈書である
「左伝」に、「商農工賈(サービス業と農業と工業と小売業)」という言葉が出てくる所だ。

四書五経自体は、「書経」偽古文尚書・周書・周官に「四民」という言葉が出てくるだけで、
士農工商とか士商工農とかいった、四民の区分に関する言葉は出てこない。「論語」や「孟子」にもなく、
儒教では外典的な存在に当たる「荀子」などで初めて「士工商農」や「農士工商」といった区分が出てくる。

四民の区分が「士農工商」で定着したのは、やはり「韓非子」五蠹篇を読んで感銘を受けた始皇帝が
統一秦王朝を創立してから後のことで、それ以前の諸子百家が活躍した戦国時代や、さらにその前の
春秋時代には、四民に何を当て、どのような格付けにするかの徹底は図られていなかったようだ。

春秋時代は、酒池肉林を極めた殷の紂王を、周の武王が太公望呂尚や周公らの手を借りて放伐した後、
周の力が衰えて、いち地方政権に格を落とし、諸侯の覇権争いが横行するようになっていた時代で、
王道政治を賞揚して覇道を批判する孟子も「春秋に義戦なし(孟子・尽心章句下・二)」といい、乱世における
処世としての覇道を甘受する荀子も「彼ら(春秋五覇)は誠に称するを羞ずべきなり(仲尼篇第七・一)」という。

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015 2010/04/05(月) 10:30:26 ID:knIE9EEXv.
孔子による「春秋経」の編纂は、「聖人の仕事」とされるも、そこに描かれている諸侯の振る舞いは
反面教師的なものが多い。随武子による「商農工賈」という四民の区分もその一つで、「士農工商」の
「士」にあたる部分を「商」に置き換えている。我田引水を目的とした覇権争いに終始する、春秋時代の支配者の
態度が、商売人とも変わらないことを揶揄したようにも取れるし、本気で「商」を上位に当たるものと考えていた
可能性もある。「商」という文字も「殷」王朝の別称であり、殷紂らによって極められた酒池肉林の我田引水政治
が今の商業にあたるようなものであったことからも、サービス業と小売業が「商業」と呼ばれるようになった。

四書五経が編纂され、「左伝」の書かれた約2500年前には、まだ「士農工商」の順位は徹底されておらず、
春秋外伝とされる「国語」などで実験的に提唱されるに留まっていた。それが戦国時代の、荀子や韓非子といった
諸子百家の思想哲学的な煮詰めによって、漢代以降にやっと「士農工商」で定着するようになった。
孔孟や老荘と比べれば、諸子百家中の「捨て駒」の部類に入る荀子や韓非子にすら、ある程度の業績はあった。

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016 2010/04/05(月) 12:05:25 ID:TKTfU0Asv2
017 2010/04/05(月) 14:08:23 ID:TKTfU0Asv2
何あわてて削除してんだよw

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018 2010/04/13(火) 13:07:17 ID:0Ye2Codrbw
「荀子」君道篇第十二・五にも
「工賈を省(すくな)くして農夫を衆(おお)くし、盗賊を禁じて姦邪を除くは、是これ(民)を生養する所以なり」
とあるなど、荀子もすでに重農主義的な主張はしている。それどころか
「農農たり、士士たり、工工たり、商商たり(荀子・王制篇第九・十二)」
など、士人よりもさらに上に農夫を置き、自分では耕さない士大夫が増えすぎることを警戒もする。

法家の韓非は「韓非子」五蠹篇で商工業などの末業が増えすぎることを徹底的に断罪したが、
荀子は農業という民衆社会の「本業」を奨励し、時には士人階級以上にも農産階級を優遇しようとすらした。
本業の奨励と末業の断罪と、両者が出揃って「農工商」の格付けは決定付けられた。

しかも、中国で春秋戦国時代の後、約550年ぶりに統一王朝を創始した秦の始皇帝が採用したのは「韓非子」のほう。
性悪論を唱えた異端の儒者・荀子よりもさらに意地汚くどす黒い断罪者だった韓非の主張にこそ基づいて。
物事の悪いところをあげつらう論駁志向は、攻撃力に関しては最大となるが、自己保全力には欠け、
統一秦王朝を長引かせる原動力にもなり得なかった。商業や工業といった末業の断罪以上にも、
農業という本業の奨励のほうがまさに「本末の本」なわけで、単なる揚げ足取りなんぞよりも重要なこと。

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019 2010/04/13(火) 14:33:15 ID:s7R55ciDH.
実際には士農工商は江戸中期以後はもうほとんど有名無実化してたでしょ
町人とか中産階級が勃興して豊かになった結果
農民でも誰でも伊勢参りにいったりもうボーダレス化が著しい

武士=官僚と、その他市民という構図にもはやなってた。
実際の当時の実態を直視すると、あんまり意味無い議論に思う。


カーストでもそうだけど、これが厳密化できるのは貧困な時代だけで
みなが豊かな安定して文化が勃興する時代には成り立たなくなってくもんでな

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020 2010/04/13(火) 14:36:07 ID:s7R55ciDH.
ていうか、単なる儒教かぶれがわいて変な持論がなりたててるだけか。
思想板でもそういえば以前異常な儒教最高論を言いつづけるキティが居たな。

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021 2010/04/13(火) 19:50:09 ID:0Ye2Codrbw
ちっとも誰しもが富み栄えているわけじゃない。欧米先進国というわずか8億人程度の小社会だけで、
地球資源の8割以上を独占し、日本もどさくさまぎれにそのおこぼれに与っているだけだ。
自分たちでは何も生み出さず、しかも我田引水に奔走する商売人だらけでありながら、
あたかも誰しもが富み栄えているかのような気分になっている。

それは、未だ人類社会が争乱を収拾しきれない国際主義社会であり、仁義による王道統治も叶わない、
「覇道主義」の社会であるからだという弁解がなされるだろう。しかし、元祖覇道主義肯定者である
荀子の論説によれば、覇者というのは、その時代時代において最大級の全体社会において、
責任ある統治を行なおうとする複数の大権力者のことを指す。たとえば中国春秋時代における
「五覇」と呼ばれていた諸侯たち(斉の桓公以外は選出が一定しない)は、当時における中国全土において、
最大級の勢力規模をそれぞれに誇っていたのであって、ちょうど一つ一つの国が、今の地球人類社会における
全中国13億や全インド12億、全アラブ13億ほどもの規模的割合を伴っていた。決して欧米8億の中の
アメリカ3億やロシア1億5000万、フランス6千500万やイギリス6千万などというような
矮小社会中の些細な覇権争いなどではなかった。当時の中国において覇者であろうとするならば、
もはや中国全土の多数派を養うほどもの覚悟が必要で、外界の遊びなどを想定することはできなかった。

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022 2010/04/13(火) 19:50:22 ID:0Ye2Codrbw
まだシルクロードも開けておらず、インドの仏教も生まれたか生まれてなかったかぐらいで
もちろん中国にも入ってきておらず、ローマ帝国もまだ存在していなかった時代、
基本的な財政の切り盛りは、全て中国本土内で完結しており、外界から富を奪うような余地はなかった。
だから当然のこととして、本業(農業)が重んじられて末業(商工業)の抑制が謳われた。
「本(業)を務め末(業)を禁ずることの材(財)を多くせんが為めなることを知る(荀子・君道篇第十二・九)」
との通り、自己完結状態にある全社会で我田引水目的の商工業(主に商業)をのさばらせることが、
社会全体にとっての財政の傾きを助長するものであることがわきまえられている。

世界全体にとっての覇者であるためには、もちろん世界全体の利益を慮る必要があり、
世界全体の利益にとっては、商業権力は百害あって一利のないものであることを悟らねばならない。
それを悟ることもできず、欧米先進国程度の小社会のためだけに覇権を目論んだりするのならば、
それは荀子のいう「覇道」には値せず、国を亡ぼす「亡道」にしかならない。
「荀子」王覇篇第十一の冒頭に、それらしきことが非常に簡潔に述べられている。

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023 2010/04/13(火) 22:07:46 ID:LOJxKtZdwU
>>20

初めて見たけど、このスレ開いてマジで引いたよw
ネットは真性が稀に居るのがちょっとな・・・。

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024 2010/04/13(火) 22:10:31 ID:PprMvgCKT6:DoCoMo
×真性
○真正
◎神聖

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025 2010/04/13(火) 22:58:12 ID:LOJxKtZdwU
>>24

いやいや。違うだろ・・・ってネタだな。すまん。

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026 2010/04/14(水) 06:24:56 ID:rX56vYYBWw:DoCoMo
>>21の図を見てて、気分が悪くなって来た。
長年動かされなかった石の下にへばり付いた、大量のウジやナメクジやゲジゲジやヤスデを見た想い。

商売はどこまで行っても商売でしかなく、誰しもの利益を慮る仁義などには与しない。
だから士や農と比べれば卑しいのであって、卑しまれるのが嫌なら商売人を辞めなければならない。
商売人であるままにルサンチマンを解消しようたって、わざわざ卑しい身分でありながら
高みに上ろうとする、その態度姿勢が全くの自己矛盾をきたしている。

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027 2010/04/14(水) 13:05:40 ID:XvaZqbx3ao:SoftBank
あんまこういう事言いたくないんだけどさ…
>>1>>21>>26は同一の自演

詳しくは聖書(嘘)Part3の268 269の書き込み参照
ついでに
飢餓で苦しんでる人を見て 憐れに思うなら
家に引きこもって掲示板にべったり粘着してないで ボランティアとして活動に行くなり 少しでも働いて 最低限の生活で残りは寄附するなりすれば?
君のDoCoMoを解約してその分寄附すれば何人かの命は救える

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028 2010/04/14(水) 13:22:25 ID:rX56vYYBWw:DoCoMo
別に自演したつもりもない。
>>21の図を見てて“自分でも”気分が悪くなって来たってことだ。

俺がボランティアで貧困者を救おうとした所で、またすぐ
そのそばから国際金融資本が根こそぎ奪い去っていくだけじゃねえか。
そんな無益な、権力犯罪者の尻拭いの徒労などまっぴら。

悪を除くにはその根本から(書経・泰誓下)。
ユニセフだの何だのも焼け石に水であり、単なる婦人の仁に過ぎない。

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029 2010/04/14(水) 13:36:55 ID:XvaZqbx3ao:SoftBank
この掲示板に四六時中かじりついてるよりマシだよ
君の発言を見て嫌悪してる人間しかいないじゃないか

ハッキリ言って君と話ししていると儒学がどんどん下らないモノに思えてくる
それは君の責任だ

「権力犯罪者の尻ぬぐいの徒労などまっぴら」という自己中が沢山の命を殺してるんだよ

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030 2010/04/14(水) 13:47:17 ID:TeN/3wkbI2
下らないと思えばいい。江戸時代までの日本人にとっては単なる一般常識でしかなかった儒学など、
信仰も何もなく、ただ事実として受け入れる程度のものであれば、それだけでいい。

俺もまた大した人間じゃない。天下国家や仁義道徳を論じ、地球の裏側の貧困者や餓死者を
あげつらっておいて、自分ではその実なにもしてない。全く救済などの積極性も伴っていない、
単なる口先男に過ぎない。その俺ですらもが、何千兆円という富の吸い上げによって、何万何億人
という人々の命をドブに捨てている国際金融資本の親玉よりはまだマシであるということ。
悪徳金融に尻尾を振ってそのおこぼれに与ってるような連中よりもまだマシだということ。

ただそれだけのことに過ぎない。最底辺付近の駄目男なのが俺ではあるものの、それでも
最低最悪の重大犯罪者よりはまだマシであるという、ただそれだけのことに過ぎない。

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031 2010/04/14(水) 13:57:02 ID:XvaZqbx3ao:SoftBank
その開き直り 自分本意こそ諸悪の根源だ

他人にあーだこーだ言う前にまず自分の正義を疑え

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032 2010/04/14(水) 13:57:25 ID:XvaZqbx3ao:SoftBank
削除(by投稿者)

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033 2010/04/14(水) 13:59:43 ID:TeN/3wkbI2
俺は厚黒(面の皮が厚く腹黒い)な善人だ。

てめえらは偽善者である悪人だ。

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034 2010/04/14(水) 18:41:32 ID:rX56vYYBWw:DoCoMo
普遍的優劣:善人らしく見える善人>厚黒なる善人>偽善者である悪人>厚黒なる悪人

1位:善人らしく見える善人(内面の善良さが表側にも出ていらっしゃる。こちらが最良)
2位:厚黒なる善人(内面の善良さが表出まではしていない。これでもまだマシ)
3位:偽善者である悪人(内面は悪だが表向きの偽善は取り繕う。もはや劣悪)
4位:厚黒なる悪人(内面も外面も悪。最悪だがそこまで悪に徹している人間も少ない)

備考:善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。

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035 2010/04/14(水) 19:14:18 ID:TeN/3wkbI2
善人らしく見える善人などは、天皇陛下あたりにお任せしておけばいい。
いわば俺は、天皇陛下とおまえらとの中間。陛下ほど偉くはないが、おまえらよりはまだマシな厚黒なる善人。
内面の善性はいかなる外面上だけの偽善にも優り、外面上が最低の厚黒だろうとも、内面が善であるんなら、
外面上だけ偽善を取り繕う悪人よりはまだマシ。善悪は内面という本質についてこそ、外面の虚構より優先される。

大切なのは表向きの取り繕いなどではなく、内実からの善性の練磨であるというのに、
おまえらはその内面の善性は磨かず、濁悪なる情念に惑わされていっぱしの悪人となり、
内面が悪人と化してしまっていることからなる、ルサンチマンの解消のために外面の偽善だけを磨き上げ、
実質の伴わない虚勢だけでの世界征服を目論み、>>21の図のような地獄絵図をも現実化させやがった。

そうじゃない、おまえらが「ルサンチマン」と呼ぶ、小悪人故の嫉妬の解消のために必要だったのは、
巨大商業権力を囲い込んでの外面ばかりの取り繕いなどではなく、仁義道徳に基づく世界全体の平穏の画策。
商工業のような末業よりも農業のような本業、さらにそれらの産業全体を公平に切り盛りする君子士人の尊重。
自分たち自身が君子士人を目指して、内実からの善性をも磨き上げてこそ、ルサンチマンなども本当に解消される。
そうともせず、内面の濁悪さはそのままに、外面だけの偽善でどんなに突っ張ったところで、外面はどこもかしこも
厚かましくて腹黒いだけな善人にすら敵わない。物事を成そうとするに関して、始めの部分から手順を取り違えている。

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036 2010/04/14(水) 21:08:00 ID:XvaZqbx3ao:SoftBank
何もしないより 偽善でも手を差し延べられる方が>>21の画像の子供達にとっては有り難いと思うけどな

つか天皇は善人て なんで?

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037 2010/04/14(水) 22:59:41 ID:TeN/3wkbI2
本人たちが嬉しい嬉しくない以前に、優しい救いの手を伸ばしてやったつもりでいる
偽善者たちこそが、国際金融資本のやりたい放題も黙認して>>21みたいな状況に追い込んでるわけでな。

物事には必ず始まりがある。別段食糧の絶対量が不足しているわけでもない今の地球社会で、
未だに貧困や餓死にあえいでいる人間がいる原因を突き止めようともせず、ただその場その場だけでの
可哀相がりから救いの手を伸ばしたりするなら、それが真犯人たちにとってのカムフラージュにもなる。
救済という美談を派生しているから、自分たちのやってることにも価値があるだなどとまで思い込む。

むしろ、表向き自分は厚黒に徹して、どこにも積極的な善行の働きも見られない駄目男でいて、
それでも世の中にとって有害無益な存在である重大犯罪者などよりはまだマシであるということを
如実に見せ付けることのほうが、偽善でなくて、しかも遥かに切実な効果がある。やりたい放題ならぬ
言いたい放題な俺を見て、おまえらは悔しがり憤り嫌な気分になる。それでも自分たちも従犯状態な故、
何もしていない俺にも及ばない畜生であるために、まともに反抗もできずに撃退されて泣き寝入りする。

その悔しさをバネにして、悪行そのものを減滅させる努力をすればいい。「何もしない」からでもいいから。
何も他者に対して快感を与えるばかりが正しい行いとは限らない。悪人には不快を与えるほうがまだマシ。

返信する

038 2010/04/14(水) 23:27:26 ID:XvaZqbx3ao:SoftBank
自分の都合の良い脳内変換やめろって
異常な思い込みは 狂気を生み出す 君を見ているといつか犯罪を犯しそうだよ

何もしないのが善ってw
最近の日本人の典型的だな
見て見ぬふり 君は最悪な人間だ

返信する

039 2010/04/14(水) 23:53:04 ID:rX56vYYBWw:DoCoMo
見て見ぬふりしてるのもてめえらのほうじゃねえか。
余計な貧困や餓死の元凶となっている国際金融資本や、その原動力となっているイスラエル聖書信仰を
見て見ぬふりしたり、さらには肯定や賞賛の対象にまでしようとする。

おまえらこそは、>>21の貧困者や餓死者を生み出すことを欲してもいる。

自分たちの私利私欲によって、相も変わらずの超巨大格差社会が存続することを望んでいる。
実際には所得格差などないに等しかった四民制下の江戸時代などは否定するくせに、
持つものと持たざるものとで千兆倍以上もの所得格差が生じている現聖書圏(欧米とアフリカ)は肯定している。

自分たちから所得格差の開きを欲し、富の平等配分を拒絶している、
そんな救いようのない真悪人どもに、何もしないことで所得も拒絶している
この俺が最悪だなどと非難される言われは微塵もない。

紛れもない大悪人であって、それをやめようともせず、さらに巨大な悪ですらあろうとする、
おまえら自身の超絶的な劣悪さを、まず鏡でも覗いて確かめろってんだ。

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040 2010/04/15(木) 00:49:41 ID:HnhK8xOVo2:SoftBank
俺はそんなに裕福ではないが被災者募金 盲導犬募金を出来る限り行っている

所得を拒否?
では君はどうやって生きているの?
生きる為に必要ではない 贅沢品なパソコンや携帯代金は誰が出しているの?
親を泣かせる事は儒学では善い事なの?

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041 2010/04/15(木) 01:14:54 ID:ir6oI/5ubU:DoCoMo
何事にも程度がある。

理想のために(放伐革命という)劣悪な現実への順応を徹底拒否して、
自分たち自身が山にこもって餓死した伯夷や叔斉のような
人々もいて、儒家では聖人中の聖人の内にも入れられている。

しかし、そこまでいかずとも、ある程度劣悪な現実に順応した中で、ある程度の限度に踏みとどまり、
最低最悪な連中と比べてのマシさこそを明らかにすることにも、それなりの意味がある。

天皇陛下や戦前の特攻兵など、理想のために捨て身の任務に携わる人間も多くいて、
むしろそのような理想に殉ずる人々と、最低最悪を極める鬼畜どもとの温度差の開きすぎこそが問題になっている。

見た目でも内面でも善人である人々と、本当は偽善者の悪人でしかない連中との間に割って入り、
厚黒な善人という微妙な立場から、両者の相違や優劣を明らかなものとしている。

それが自分の領分だとわきまえている。伯夷や叔斉のような聖人そのものとまではいかない、
亜聖だったり亜亜聖だったり。それでも最低最悪を極める鬼畜どもよりはマシである。

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042 2010/04/15(木) 03:09:24 ID:HnhK8xOVo2:SoftBank
要は親の脛かじってる自分を罪悪感から正当化したい訳だね

君の親は働いてるんだよね?
なら君の親は悪なのかい?

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043 2010/04/15(木) 08:23:03 ID:ir6oI/5ubU:DoCoMo
俺ごときを糾弾することで気が晴れるんなら、いくらでもすればいいさ。
実際には俺を貶めることで、その俺よりもさらに下にいる
自分たちまでをも同時に貶めることになるのであっても。

ただ、いくらあがいたって、栄光の日々はもう二度と戻って来ない。
内実を疎かにした偽善や、誤った職業倫理といった、虚構を土台にした王国を作り込んだ成れの果て。

人はやはり、堅実な所からしか普遍的な栄光に与ることもできない。
光あるうちに光の中を歩む無理ではなく、永遠の光を見つけ出す努力こそを。

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044 2010/04/15(木) 08:47:54 ID:fKtr7XLb8Y
そしてこんな風に

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045 2010/04/15(木) 09:24:59 ID:rf9PklylQI
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