モノの価値を全否定することで清廉を決め込むような人間は、
まず大前提としてモノの良し悪しを見分けられない、見識眼の未熟さの持ち主である。
そのため、いざ物欲を許容してしまえば、安かろう悪かろうの中国製品でもなんでも
溺愛してしまって、金カネがあるだけゴミを買い込むような事態に陥ってしまうから、
物欲や物品の価値を何もかも全否定する暴挙に及びたがるのである。
しかし実際問題、人間には生活のために最低限必要な物品というモノがあるし、
安かろう悪かろうよりはそれなりに良いモノを長年大事に使ったほうが、
トータルでは無駄遣いをしない清廉さを保てたことになったりもする。
そのため、本当に物欲から解き放たれた本物の達者は、それなりに価値ある物品の存在
なども認めて、結果的に節約となるようならあえてそれを用いるようなことも兼ねながら、
消費も貯蓄も最低限に控え、世間への迷惑を最小限に止めながら健康長寿を全うする。
物欲から解き放たれたフリをするような未熟者は、これとほぼ真逆の暴挙に
まみれた人生を送るものだから、頭隠して尻隠さずとなるわけである。
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