刀の美しさは、殊更に男性的というわけでもなければ、女性的というわけでもない。
刀身自体、細身で優美なものもあれば、太身で豪壮なものもある。
刀装も龍や明王をあしらったいかにも男らしいものから、
花や小動物をあしらった、現代では少女趣味にも見紛いそうなものまである。
ただ、一部の同田貫や美濃刀のように実用第一で美観を蔑ろにしたりするのではなく、
あくまでその美しさをも大事にするというのであれば、刀の美しさは
野蛮なほどに過剰な男性性と、軟弱に過ぎるような女性性の
いずれをも良しとしない、人としての中庸さに与するものとなる。
男性性も女性性も過剰であれば色欲に結びつき、色欲が過剰ならばその邪念から
>>60に書いたような理由で心が騒ぎ、刀と共に無難などではいられなくなる。
如来や菩薩の仏像も殊更に性的な特徴を強調したりしない造形で彫られるように、
普遍性を象徴せんとする美は自ずと過剰な性から遠ざかる。そこから完全に
色欲を捨て去った出家者となるのか、俗世での家系ぐらいは守り続ける君子となるのかは
本人の立場にもよる所だが、天下万人誰しもにとっての浄心の指標となるのには違いない。
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