
だから、仏教やヨガの修行による成道の境地が「無種子三昧」などとも呼ばれている。
心の妄動を止滅するという意味だが、書いて字のごとく子孫保存本能を断つことをも含む。
精力減退などではなく、精力による修行の限りを尽くした先に得られる境地だから、
五体満足の健常者でなければ務まることではないともされている。(正法眼蔵)
並みの俗人は目指そうとも思わないような境地だし、俗人でなくとも
近代の神道のような子孫繁栄を謳う宗教からも忌み避けられているものである。
そこで言えるのは、目指すとしても在家のまま妄りに目指したりはすべきでないということ。
正式に得度して頭も丸めて、出家そのものが仕事となる立場を確立してから目指すべき。
それにより、無種子三昧がいかに難儀な境地であるのかがよく人々に知れ渡ると共に、
仕事でもないのに無闇にそんな境地を目指したりすることへの忌避感も働くから。
(これを「アンダーマイニング効果」などとも呼ぶらしい)
虚飾に己れを託して社会的な栄達を追い求めることが愚かしいのも一面なら、
>>2の言うようにそれもまた一つの人としての一面である。対立するよりは共存を図ることだ。
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