神は人智を無限に超えるおかたなので、そのお姿も人間が想像できるものでもないし、
もちろん男でも女でも無い。人間が想像できる限界を超えているので、お顔もまったく
わからないし、お名前だってさだかではない。ただしそれでは困るので仮にヤーウェという
文言をあてる。
だから神の姿を見た人間はいない。まったく想像を絶するお姿なので、人間に化けたり、
あるいは天使や聖霊にご命じになり、人間に遣わされたことはある。
声だって人智を超えるものなので、それを聞くなど本来は有り得ないのだが、過去には何人か
そのお声を聞いた者もいる。そのような者を預言者という。ではどんなお声だったか。
一説によると自分自身の声とまったく同じだったという。
神がご自身の計画を実現されるために遣わされたのがイエス・キリストで、すなわちイエス以前に
亡くなった者は救われない状態にあった。しかしイエスが十字架につけられ人類のあがないをし
ご復活されたことで、イエス以外の人間もそれにあやかり天国の門を叩くことができた。
さて現在我々が生きているこの世界にも最後の瞬間がやがて訪れる。終わりの無い無限な存在など
有り得ないことは科学的にもわかるだろう。その最後の瞬間の時には天上にラッパが鳴り響き
イエス・キリストが再び来られて救われない死者、および最後の瞬間にも生きている人々を
救ってくださる。これを主の再臨という。
その時、人々は天上で本当の喜びを知るはずだ。ちなみにカトリックには地獄という概念は
やや薄い。代わりに煉獄という場所がある。人は現世→煉獄→天国へと至る。
煉獄というと字面から地獄を連想しがちだが、そうではない。ここは天国への待合室だ。
現世で罪深かった人はここで十分反省することができる。いや自分は正しい行いしかして
来なかったという嘘つきも、一旦ここで冷静になって自己を顧みることができる。
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