SARO&Desperado隔離スレ
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ルドルフ・カール・ブルトマンという二十世紀を代表するドイツの新約
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
ところでルカによるとイエスの最後の言葉はこうです。『父よ、私の霊をみ手にゆだねます』。
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
今日9月10日は、日本205殉教者の記念日です。彼らは安土桃山時代から
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
マリアは途方にくれました。『貯金もあまりないと言うのに、私は
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
はたせるかな、その年の秋の頃から、イエスはそわそわし出したのです。
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。
そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。
そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。
『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。
人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。
『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。
『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。
『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。
この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。
(つづく)
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。
そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。
そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。
『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。
人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。
『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。
『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。
『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。
この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。
(つづく)
こんな、誰も読んでいないような場末の掲示板の
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。
なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。
これが信仰の力と言うものでしょうか。
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。
なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。
これが信仰の力と言うものでしょうか。
>>212
過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
今日9月13日は、カトリックでは聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士の
記念日です。
この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。
しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。
記念日です。
この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。
しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。
しかしヤコブらには、そんな従兄弟のイエスが『気が変になっている』
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。
人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。
もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。
『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。
『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。
イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。
(つづき)
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。
人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。
もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。
『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。
『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。
イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。
(つづき)
ふたりともきえちゃったな
消えてないよ。名無しに戻った。
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?
カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?
カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!
カトリックの場合、断食と言っても少しは食べていいんだ。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。
だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。
これでいいのだろうか。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。
だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。
これでいいのだろうか。
人は全て神の息子、娘なので、全人類はいわば「兄弟」なのだ。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。
人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。
ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。
ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。
ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。
キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。
人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。
ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。
ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。
ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。
キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。
引き続き、4月のカトリック暦一覧・・・
6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。
カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。
19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!
復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。
6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。
カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。
19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!
復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。
わたしを知らないのは、本質的なことを知らないのである。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。
あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。
わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。
あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。
なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。
あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。
わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。
あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。
なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
[YouTubeで再生]
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)
いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)
いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン
[YouTubeで再生]
世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。
プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。
主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。
以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...
世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。
プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。
主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。
以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...
ペスカドール・デ・オンブレスは初代ローマ法王になったぺトロ目線の曲なんだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
聖書の中で一番古いマルコの福音書を書いたマルコも、金持ちのぼんぼんだったらしい。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。
最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。
マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。
と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。
最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。
マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。
と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。
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