文明状態ではなく、カントのいう動物野時代=畜生の域においてこそ、
ただひたすら欲望のままに貪り食らう下劣な品性が生じた。
しかし、人間以外の動物(畜生)はその程度の品性しか持たない
代わりに、体系的な文明を構築して行けるだけの知能も持たないもの
だから、その「二重の暗がり」によって、自分たちから自業自得の
破滅をもたらすようなこともなくて済むようになっている。
人間は、動物と違って体系的な文明を構築して行けるだけの
開物成務の能力を具えている。なればこそ、天地人三才の一角を担う
「万物の霊長」たり得もするわけだが、にもかかわらず、どこまでも
果てしなく欲望の赴くままであり続ける畜生レベルの品性までをも
持ち越したままでいたなら、それが「一重の暗がり」となって、
自業自得で滅亡級の破滅すらをももたらすこととなってしまう。
天地と肩を並べられるだけの能力の持ち主であればこそ、
人間もまた、天地の如く遍き盛大さを湛えた存在でなければならぬ。
すなわち、天下万人を利して我が利ともする仁徳の持ち主である
必要があり、それでこそ真人となりて、正則な存在たり得もする。
仁者こそは、天とも肩を並べられて、なおかつ天のようにあまねき
慈悲の持ち主であるわけで、これこそは、人間もまた天に倣う
ことでこそ善性を克ち得る存在である確たる証拠ともなっている。
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