俺も、今の世の中での言葉遣いに流されて、
「東洋では男尊女卑が基本」だとか、「男尊女卑ではなく夫唱婦随を実践すべき」
とかいった物言いをしてしまっていたことがあるが、原典の本意に立ち戻ってみるなら、
これらの「男尊女卑」や「夫唱婦随」といった言葉の使い方は、厳密には間違っている。
「男尊女卑」は、天下万人去来今の三世にかけての、永久不変の真理である。
女を家長にする蛮習のあるド田舎の村落や、女王陛下擁するイギリスだろうとも、
必ずそこに男尊女卑が遍在している。だから軒並み女よりも男のほうが心身の能力も
優れている。人間程度の大きさの脊椎動物にとっては、それが物理法則にも適っているから。
「夫唱婦随」こそは、人間たち自身が積極的に追求していったり、逆に蔑ろにして
いったりすることのある道理。男女平等社会だとか、女権社会だとかいったものは、
この夫唱婦随の道理の実践こそを蔑ろにしているのであり、それは実際、ある程度は
実現が可能なことである。ただ、夫唱婦随を実践する男権社会と比べれば、そのような
社会は男尊女卑の真理に抗うことになるために、勢力を弱体化させてしまうことにもなる。
>>2 「列子」天瑞第一で、列子は浮浪者も同然の老翁に男尊女卑の遍在を説かせている。
男といえども、決して優れているともいえない境遇の持ち主に男尊女卑を肯定させたのは、
それほどにも、男尊女卑が避くべからざる真理であることを強調したかったからだ。
「易経」家人卦には「夫は夫たり、妻は妻たることで家が正され、天下も治まる」と
いう風に、「目的のための手段」としての夫唱婦随を明示している。家を損ない、
天下を乱したければ夫唱婦随の実践を疎かにすればいいだけのことでもあると、
夫唱婦随の大意の原典である易の法則からして、暗に認めているのである。
真理は逆らいようがないが、道理が逆らいようがある。
だから道理に従っている東洋社会が人口面でも繁栄し、
道理に逆らっている西洋や今の日本が少子高齢化にも悩まされている。
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