【真理】男尊女卑×夫唱婦随【道理】


▼ページ最下部
001 2012/06/27(水) 16:51:12 ID:Q86ltKstzc
「男尊女卑(出典は『列子』天瑞第一)」は、ただの真理である。
天下万人は普遍的に男のほうが尊くて女のほうが卑しいという、ただの永久不変の真理である。

「夫唱婦随(出典は『関尹子』三極.大意の原典は『易経』家人・彖伝)」こそが、道理である。
人々が積極的に男尊女卑のことわりをわきまえて、それに積極的に従っていこうとする道理である。

男尊女卑が真理だから、それに積極的に従おうとする夫唱婦随の実践に努めれば、子宝にも恵まれて、
家内安全ともなる。今でも夫唱婦随が基本である中国やインド、中東などの家庭がそうであるとおり。

男尊女卑が真理であるにも関わらず、その断りに逆らって夫唱婦随の実践にも努めようとせず、
男女平等や、さらには婦唱夫随のノミの夫婦ですらあろうとしたなら、そのせいで子宝にも恵まれず、
別居や離婚や家庭内暴力などの問題をも生じさせてしまう。仮に世の中全体でそれを目指したなら、
世の中全体が少子高齢化にも苛まれることになり、身寄りのない高齢者を介護するための移民流入
までもが避けられなくなる。今の日本や欧米諸国などが苛まれているのも、まさにこの問題である。

返信する

002 2012/06/27(水) 17:26:40 ID:bdY4.JIxgE:DoCoMo
問答無用の男尊女卑論ではなく、なぜ女が男に従うのかという『倫理的成立』との条件をつけるならば、
『女は男に従うもの』とは“男は家族や人生に命懸けであり、その努力と研鑽は女の及ぶ範囲を越えており、いざというには命を捨てる覚悟と気概があり、併せて慈愛も備えている人格者”
という、まさに女には対抗できない働きを持った状態により成立するという構図がある。

男である俺に逆らうな、ではなく、男には逆らえないという女側からの敬意と、その敬意に値する生き方が男に備わっているということ。

男が自らの口から発するただひたすらの理由なき“男が上位”論や強硬主張には、
成すべきことを成さない自身への自尊心のなさ・自信のなさの裏返しによるスリ替えが多い。

男が上位であるのは【真理】であり【道理】だという短絡的な結論から入ることにより、男として備えるべき責務の有無を論じることを回避することができるからだ。

返信する

003 2012/06/27(水) 17:50:37 ID:Q86ltKstzc
俺も、今の世の中での言葉遣いに流されて、
「東洋では男尊女卑が基本」だとか、「男尊女卑ではなく夫唱婦随を実践すべき」
とかいった物言いをしてしまっていたことがあるが、原典の本意に立ち戻ってみるなら、
これらの「男尊女卑」や「夫唱婦随」といった言葉の使い方は、厳密には間違っている。

「男尊女卑」は、天下万人去来今の三世にかけての、永久不変の真理である。
女を家長にする蛮習のあるド田舎の村落や、女王陛下擁するイギリスだろうとも、
必ずそこに男尊女卑が遍在している。だから軒並み女よりも男のほうが心身の能力も
優れている。人間程度の大きさの脊椎動物にとっては、それが物理法則にも適っているから。

「夫唱婦随」こそは、人間たち自身が積極的に追求していったり、逆に蔑ろにして
いったりすることのある道理。男女平等社会だとか、女権社会だとかいったものは、
この夫唱婦随の道理の実践こそを蔑ろにしているのであり、それは実際、ある程度は
実現が可能なことである。ただ、夫唱婦随を実践する男権社会と比べれば、そのような
社会は男尊女卑の真理に抗うことになるために、勢力を弱体化させてしまうことにもなる。

>>2
「列子」天瑞第一で、列子は浮浪者も同然の老翁に男尊女卑の遍在を説かせている。
男といえども、決して優れているともいえない境遇の持ち主に男尊女卑を肯定させたのは、
それほどにも、男尊女卑が避くべからざる真理であることを強調したかったからだ。

「易経」家人卦には「夫は夫たり、妻は妻たることで家が正され、天下も治まる」と
いう風に、「目的のための手段」としての夫唱婦随を明示している。家を損ない、
天下を乱したければ夫唱婦随の実践を疎かにすればいいだけのことでもあると、
夫唱婦随の大意の原典である易の法則からして、暗に認めているのである。

真理は逆らいようがないが、道理が逆らいようがある。
だから道理に従っている東洋社会が人口面でも繁栄し、
道理に逆らっている西洋や今の日本が少子高齢化にも悩まされている。

返信する

004 2012/06/27(水) 18:06:39 ID:OzsiPHPFUc:au
夫唱婦随は、実際にその実践が疎かにされることがある。

疎かにされることで、家中でもDVなり別居なり離婚なりの問題が発生し、
天下国家レベルでも少子高齢化のような大問題を招いていしまう。

それは、夫唱婦随という「目的のための手段」とはまた別に、
「未来永劫、恒久普遍、金剛不壊の絶対真理」としての男尊女卑があるからだ。

夫唱婦随はあったりなかったりするが、男尊女卑は否応なく遍在する。
だから個々の男女の場合分けによる有能さや低能さなどにも囚われずに、
絶対不変の真理としての男尊女卑に従って夫唱婦随をも実践することが吉になる
一方、男尊女卑に逆らって男女平等や婦唱夫随を実践していくことが凶になる。

男女平等や婦唱夫随も、試みることだけはできる。でも試みられるだけで、
絶対普遍の永久真理たる男尊女卑に成り代わることまではできない。だから、
どんなに男女平等や婦唱夫随を試みたところで、不吉な結果しか招かない。

返信する

005 2012/06/27(水) 18:29:10 ID:OzsiPHPFUc:au
仮に、夫唱婦随が実践されるのなら、その時にこそ人々が皆、
「女よりも男のほうが優れている」と積極的に諾っていくのである。

身体能力や知能が優れているのみならず、その人格や根本的な存在性
からして、普遍的に男のほうが女よりも優れていると完全に許諾して、
その磐石な認識に根ざした、女以上の男に対する尊重を心がけていくのである。

そんなことは実際、しないでもいられる。男よりも女のほうが優れている、
身体能力や知能は男に劣っていようとも、その内面の人格の部分は
男よりも優れているとかいったような思い込みを講ずることもできて、
その思い込みに根ざしたカカア天下状態を画策することも実際にできる。

どちらも実際に可能なことだが、夫唱婦随を心がければ普遍的に
家と国家と天下とが正される一方、カカア天下を企てれば必ず家と国家と
天下とが乱される。それは他でもない、人間という生物にとっての絶対無謬、
逸脱不能の不断なる真理としての男尊女卑が遍在しているからで、たとえカカア
天下を企てた所で、決して男尊女卑のことわりを逸脱できているわけもはない。

返信する

006 2012/06/27(水) 19:09:31 ID:Q86ltKstzc
×逸脱できているわけもはない
○逸脱できているわけでもない


「男尊女卑」を自著の寓話の中で説いた列子は、自らも道家の思想を実践するために
仕官を断って家に引きこもり、妻の代わりに家事をやっていたりもしたという。
おそらく働かない夫の代わりに、列子の妻も内職なり何なりの仕事をこなしていた
ものと思われる。それでもなお、列子は「男尊女卑」という真理を悟っていたのである。

夫唱婦随を積極的に実践していくことを促す儒家の教理にも、道家は否定的である。
夫婦男女の序列を夫唱婦随などによって無理に矯正して行かずとも、始めから男尊女卑が
絶対普遍の真理なのだから、男が甲斐性なしだろうが何だろうがドンと来いというもの。
この当たりが、儒家以上にも道家のほうが男らしい部分でもあるといえ、昔ながらの
東洋の男の威厳というのも、このような無為自然の真理にこそ即している所がある。

何か偉いことをやったから女よりも男のほうが偉いとかではなく、何もしないでいた所で
女よりも男のほうが偉いというのが、道家が提示した真理である。そこから儒家的な夫唱婦随
の実践に進むかどうかはまた別の話として、まずは「ただの真理」としての男尊女卑を諾う。
それだけでまず昔ながらの男の威厳というのは取り戻されるのであり、その威厳に即して
物事を為して、それが偉業に繋がれば、自然と夫唱婦随も実践しなければならなくなったりする。

男尊女卑という絶対真理を諾いもしない内から、夫唱婦随だけを実践してみた所で、その中身も
カラッポであり、男女共に違和感を抱かされることになるものだから、実践以前の単なる真理の
諾いとしての男尊女卑こそは、夫唱婦随を実践していく上での「核」にもなるのだといえる。

返信する

007 2012/06/27(水) 22:30:10 ID:Q86ltKstzc
男尊女卑の根拠は、無為自然である。

「何かができる」などという所に、男尊女卑の根拠はない。

それはただの、パシリとしての有能さの根拠でしかない。

返信する

008 2012/06/27(水) 23:50:49 ID:OzsiPHPFUc:au
原文:男女之別、男尊女卑。
読み下し:男女の別あるも、男は尊く女は卑し。
(「列子」天瑞第一・七より)

原典からして「男は尊く女は卑しい」という単なる形容であり、
「男を尊び女を卑しむ」なんていう能動的な意味は全く持ち合わせていない。

それでいて、この言を発したとされる老翁は、泰山の麓で、乞食のような身なりで
琴をかき鳴らして唄い楽しんでいたというし、列子自身もその老翁に勝るとも劣らぬ
やくざ者で、百発百中の弓矢の腕前を持ちながら、その腕前を活かすこともなく
家に引きこもり、自分を慕ってやってくる人々すら自分から突き放していたという。

男を尊び女を卑しむなんていう作為は排して、むしろ男としての最底辺の生活や素行ばかり
に務めておいて、それでいて「静的な真理」としての男尊女卑をゴロリと投げ出している。

男尊女卑は、ただの静的な真理でしかなく、むしろそうでしかないようにしなければならない。

積極的に男を尊んで女を卑しむのではなく、男は尊く女は卑しいという「事実関係」を尊重して、
卑しいが故にろくな思考や言行もすることができない女を、男が保護的に教導していくという、
「男尊女卑の埋め合わせ」としての夫唱婦随こそを、講ずるとしても講じなければならない。

返信する

009 2012/06/28(木) 00:23:01 ID:XbdBVWSjUw
>>2
男尊女卑は「倫理」ではなく、天地万物一切に絶対普遍の「真理」だ。

男尊女卑が真理だから、その真理に準拠する夫唱婦随が「倫理」としても成立する。

男尊女卑が遍在するこの世界で、夫唱婦随という倫理を実践するか否かで
どのような結果が生ずるのかは、今の地球社会全体を俯瞰すれば分かるとおり。

普遍的な倫理としての夫唱婦随を講じている中国やインドや中東は人口規模で繁栄し、
倫理としての夫唱婦随を疎かにした欧米や日本は、少子高齢化の疲弊に苛まれている。

男尊女卑を「真理」として承諾しているような事実がないから、欧米や今の日本は、
夫唱婦随を普遍的な倫理として認めることもない。男尊女卑が「旧来の悪習」
であるとすら決め付けられて、真理としての男尊女卑が根本から覆い隠されて、
男尊女卑が真理でないことには普遍的な倫理としての成立のしようもない
夫唱婦随もまた、大して実践する意味がないものとしての扱いを受けている。

返信する

010 2012/06/28(木) 09:42:04 ID:/QpLo22wsw:au
夫唱婦随が講じられない世の中で、男尊女卑はかえって深刻化する。

女が男からの教導を受けることもなく、自分勝手な考えや言動ばかりに
終始している男女平等主義社会においてこそ、女の卑しさも極まる。

女の卑しさを極大化させて、それを公然猥褻にならない程度に
かりそめの美化で取り繕ったのが、所謂「女らしさ」に他ならない。

返信する

011 2012/06/28(木) 16:02:07 ID:/QpLo22wsw:au
大前提:天下万人は永久普遍の絶対真理に根差して男尊女卑である。

儒家:男尊女卑だから、夫唱婦随によって女も男並みに引き上げてあげないといけない。
道家:別に男尊女卑のままでもいいじゃないか。

道家:別に今のままでもいいじゃないか。

返信する

012 2012/06/28(木) 16:28:45 ID:/QpLo22wsw:au
儒家:大前提が男尊女卑だから、夫唱婦随によって女も男並みに引き上げてあげないといけない。

返信する

013 2012/06/28(木) 19:15:14 ID:XbdBVWSjUw
「イエス・キリストは救世主である」
「普遍的な善悪は存在しない」
などとも並ぶ、人類史上最大級の勘違い、

「男尊女卑は後天的なものである」

返信する

014 2012/06/29(金) 11:57:22 ID:CTKq2ve2Bo:au
「男尊女卑は先天的なものである」
「普遍的な善悪は存在する」
「イエス・キリストは世界を破滅に陥れる邪悪の化身である」

本当に矯正が実行に移されたなら、一旦は世界が終了する程の
認識革命になることが間違いない真実ばかり。

返信する

015 2012/06/30(土) 21:14:22 ID:RZjCJGH1W6:au
男は尊く女は卑しい、ということは、女は人格から卑しい存在だということ。

自分から好き好む相手といえば、イケメンか金持ちか。
天下に美名を轟かせる大英雄などは、かえって自分の立場がなくなってしまうので
敬遠したりする。その女の好みをありのままに尊重してやるとするならば、
女たらしや守銭奴の卑しい男ほど偉くて、真の偉業を志す大丈夫ほど偉くないことになる。

女の好みをありのままに押し通してやれば、世の中のほうの価値基準が卑しくなってしまう。
だから、女の好みの根源でもある、女の人格こそは卑しいという風にも結論付けられる。

返信する

016 2012/07/01(日) 13:10:12 ID:gfLGPbsuis:au
とりあえず板スレ、いい感じで盛り上がってたのに強削しやがった。

やっぱり実力行使による啓蒙も必要か。

返信する

017 2012/07/01(日) 13:52:23 ID:/QPszM5WMU
 男は女の股から生まれてきて、カーチャンによって育てられて来た。
男尊女卑という価値観も、女によって形成された概念で「男は女を護る」事を
前提に考えられて来た。
 嫁を貰うに当たっても、一番の決定権はお姑さんが握って居たから、男を盾にした
院政・・若しくは傀儡が戦前の一般的な「家」と云うシステムだったと思う。

返信する

018 2012/07/01(日) 14:20:30 ID:.hDm5n0b2A
男尊女卑は「価値観」じゃない。
永劫普遍の真理に即した、真如の実相だ。

名刀を下賜されることが名誉にはなっても、
便器をプレゼントされることが名誉にはならないようなものだ。

家が火事になった時に秘蔵の名刀を持ち出すことはあっても、
便器をトイレから引っ剥がして持ち出したりはしないように、
どちらのほうがより大事にされて然るべきなのかも明らかだ。

便器は便器で、必要なものであるにしてもだ。

返信する

019 2012/07/01(日) 14:42:13 ID:gfLGPbsuis:au
「尊い」とか「卑しい」とかってのは、名誉の基準だ。

男であることには名誉があるが、女であることには名誉はない。

だから、男が尊くて女が卑しい。
どちらのほうが有用だとか無用だとかは、また別の話だ。

返信する

020 2012/07/01(日) 16:17:23 ID:gfLGPbsuis:au
仮に、男があらゆる名誉を捨てて女並みになった所で、
前提上、男には名誉があって、女には始めから名誉がなかったことには変わりない。

前提が男尊女卑だったことには変わりない。

返信する

021 2012/07/01(日) 19:05:23 ID:.hDm5n0b2A
「息子が欲しかった」 生後3カ月の娘を実父が殺害 インドの現実
http://www.cnn.co.jp/world/30006987.htm... http://www.cnn.co.jp/world/30006987-2.htm...

男と女、どちらかが生き延びて、どちらかが死なねばならない時には、当然、女が死んで
男が生き延びるべきだと考える、それが「男尊女卑の遍在を認識している」ということだ。

男尊女卑そのものは、天下万人全世界に必ず遍在しているが、現時点ではそれと同時に、総体が
男尊女卑の遍在を認識している世の中と、未だ遍在までは認識していない世の中との両方がある。

男尊女卑の遍在を認識しているインドや中国や中東は、人口規模からの繁栄にも恵まれている一方、
その認識が疎かになっている欧米や今の日本では、少子高齢化などの大問題が巻き起こってもいる。

男尊女卑の遍在を認識するに至る過程は人さまざまであっても、仮に本当に男尊女卑の真理としての
遍在を十分に認識したならば、誰であろうとも、男女のいずれかを殺してもう一方を生かさねばならない
時には、女を殺して男を生かさねばならないと考えるようになる。そんなことは、当たり前のこととして。

返信する

022 2012/07/01(日) 21:51:27 ID:.hDm5n0b2A
「漢書」宣帝紀・地節四年の五月、前漢九代皇帝の宣帝が
「親が罪を犯した子を匿い、夫が罪を犯した妻を匿った場合には死罪とするが、
子が罪を犯した親を匿い、妻が罪を犯した夫を匿った場合には無罪放免とする」
という内容の詔を下している。

明らかに、論語の「子は父のために隠す(子路第十三・一八)」という教条を流用した法定だが、
法定上でこう規定されたということは、「子が親と非業の運命すらをも共にしようと
することは評価するが、親が子と非業の運命を共にしようとすることは評価しない」
と見なされたということだ。

同様に、
「妻が夫と非業の運命を共にしようとすることは評価するが、
夫が妻と非業の運命を共にしようとすることは評価しない」
とも見なされている。

子が親のために生きることは賞賛に値するが、親が子のために生きることは賞賛に値しない。
それと全く同様に、
妻が夫のために生きることは賞賛に値するが、夫が妻のために生きることは賞賛に値しない。

家族関係の非可換性が、男尊女卑を承諾する方面に向けて、是とされてもいる。
その程度たるや、妻が夫のために生きることを、夫が妻のために生きることの上に置くほど。
「男は女のために生きる」という考え方が、着実に卑劣なものとして認定されているのである。

返信する

023 2012/07/02(月) 12:25:30 ID:gPLLvQ97z2:au
出典:

「夏五月、詔に曰く、父子の親、夫婦の道は天性なり。患禍有ると雖も、死して猶お死之れに存するを蒙らんとす。誠なる愛を
心に結ぶは、仁厚きの至りなり。豈に能く之れに違わんや。今より子の首して父母を匿い、妻の夫を匿い、孫の大父母を匿うは、
皆な坐する勿れ。其の父母の子を匿い、夫の妻を匿い、大父母の孫を匿うは、殊く死罪にするも、皆な廷尉に上請して以って聞かしめよ」
「地節四年の夏五月、今上帝の詔が下された。『父子が親しみ合い、夫婦が自分たちのあり方に道義性を感じ取るのは、
天性に適ったことである。大きな艱難辛苦があった所で、死を賭してでも共にあろうとする。このような誠意に満ちた愛情に根ざした
結婚を堅持していようとすることこそは、仁徳に厚からんとすることの至りであるといえる。どうしてこれを咎めたりできよう。これからは、
子が父母の罪を匿ったり、妻が夫の罪を匿ったり、孫が祖父母の罪を匿ったりしたことに対しては連座責任を問わない。父母が子の罪を匿ったり、
夫が妻の罪を匿ったり、祖父母が孫の罪を匿ったりした場合には、今までどおり法定上は死罪とするが、廷尉に上請してその言い分を聞かせよ』」
(「漢書」宣帝紀第八・地節四年・夏五月より)

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:38 KB 有効レス数:42 削除レス数:1





思想・哲学掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:【真理】男尊女卑×夫唱婦随【道理】

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)