還元主義の成功はまだ続いている。
社会科学もまだそれを使えるものとして、ビッグデータなどの新ネタでいましばらく遊べる(予算がつく)と狂喜している。
こぼれ落ちるものが一定量を超えると、ホーリズムの台頭を許すことになりはしまいか?
経営学も経済学も、その問題意識に比して実用性が著しく低いのが弱点なのに(法律学のような存在意義しかないのに、悟りきらずに)、科学へのお追従をやめはしない。
統計学が熱いとか言っちゃって、何がこぼれ落ちているかを注意を払う気づかいもない。
実用性が優る自然科学や工学ならいざ知らず、実用性の低さを「複雑系ですから^^」みたいな・・・
「把握しがたいものについて単純に語れること」・・・正しかろうが間違っていようが、否定しがたい算数データが取れるところに陣地を構えて「単純」に語れること。
これが寄って立つ唯一の実利。
複雑系が聞いてあきれますがね。
問題意識から企てに移行するシーンで、算数メモが飛び散り、時として「気合い」が前面に出たりする。そんなところだ。
つまり、単純が、輪をかけて単純になるカラクリまで内包している始末。
「問題意識高きが故に正しくはない」好例の提供に事欠かない。それが社会科学。
「人間」も怪しい
「個人」も怪しい
「市民」なんてもっと胡散臭い
「自由意思」も、「責任主体」も、「権利」も、「義務」も、
召喚された事情(=人類共通のプラットホーム作り)は理解できるが、
そのような概念をもてあそんでいるうちに、(エネルギー資源量が間に合えば)世界政府の実現が自動的についてきそうだ。
幸いにしてホーリズムは、中身が空っぽだが正しいという、ニヒリズムやシニズムに似ている。
いずれもが到底予算がつかない学問という点で一致。
ディオゲネスも世界政府主義者だったし、中身のないホーリズムやシニズムが補完する個人の完全従属という幸福な事態を、はたしてニヒリズム(ごとき)が拒絶できるのだろうか?
まあ、無理だわな。拒絶すべきかどうかもわからんが。
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