ちょと質問なのだけれども、
四書五経には呪いや呪いのような罰は書かれているのだろうか。
インド系の聖典には何故だか、凄まじい呪いの言葉が記されている。
法華経の方便品やスッタニパータのコーカーリヤには凄まじい呪いの言葉が書かれている。
「尊き師(ブッダ)よ。サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求にとらわれています。」
この言葉を三度釈尊に尋ねただけで、真面目な修行者コーカーリヤは千億兆年も紅蓮地獄に落とされたと書いてある。
この3分程度の言葉による行為が千億兆年の地獄に値するとはどうしても私には理解できない。
そのような言葉や意識は民族の心の中に置かれたまま続いてしまっている。
現代の指導者でもそういう傾向が時として出てしまう。
自分が神に等しい聖者であると公言する者たちが平気で自分の意に従わない人や信徒を、
平気で殺そうとする源流は此処にあると思う。
刑事的な訴追を受けるので手を下さずとも、「地獄に落ちる」と自分の信者たちを恫喝し続けている。
さもなくばこの世の因果の法則を悪用して不幸になるように病に落ちるように暗示を用いたりする。
聖書でキリストはその部分を、かなり修正してきた。
「わたしに何を言っても許される」そう宣言したのだ。
でも、聖霊を悪く言うものは後の世にも許されないと語った。
しかし、実際に聖霊に出会う者など殆どいないので、呪いとはいえないかもしれない。
神道にもそういう傾向は見受けられるのだけれども、四書五経には、そういう箇所はあるのだろうか。
それに、それだけ「四書五経」を勧めるならば、
何処かで現代語訳が、ネットなどで入手できるだろうか?
ついでに音声合成でMP3にもしてあると助かるのだけれども。
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