日本は歴史的に、男色に寛容な国ではあるが、
同時に男色を「堕落の象徴」として捉えている国でもある。
柳生宗矩も「兵法家伝書」で、「性にただれて少年ばかり買ってると後ろ指を差されるぞ」
と釘を刺しているし、忠臣蔵四十七士の筆頭である大石内蔵助も、赤穂藩没収後の浪人中に、
妻子と縁を切って京都の遊郭で放蕩し回り、挙句には男色にまで手を出すことで、吉良側
からの監視勢に己が身の堕落を見せ付けて、復讐への警戒を怠る油断を促したという。
密教の修行の一つとして実在する男色も、乗り越えるべき試練の一つとしてあるまでで、
それ自体が恥ずべき堕落であることには変わりないから、弘法大師も存命中には
密教の奥義の一つに“それ”があることを直弟子にすら打ち明けず、
死後に開封することを命じていた遺書の中で、初めてその存在を明かした。
別に禁止したり、禁忌扱いしたりはしないが、恥ずべき堕落としての扱いは受けていたわけで、
キリスト教の影響などで表向きは禁忌扱いを受けながら、裏では限りない嗜好の対象と
されている今の男色受容のほうが、だからこそムッツリスケベでキモイのだともいえる。
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