キリスト教徒は重度精神障害者


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001 2010/12/29(水) 13:13:51 ID:JCFN4c7XTE
十字架に張り付けられたキリストの偶像を見ただけで、キリスト教徒は自分自身の罪が償われたような気になる。

キリスト教徒は「鏡映認知障害者」である。

鏡に映った姿が自分の姿であり、キリストの偶像が自分の姿でないことは、チンパンジーにだって分かる。

チンパンジーのIQは40〜50。

キリスト教徒のIQは40以下。IQ20〜35程度の「重度知的障害」に相当。

ただし、キリスト教徒は知能テストなどでそれなりの数値を出すこともできる。

つまり、キリスト教徒は時系列の発展によって知能が乱高下する「重度精神障害者」に該当する。

重度精神障害者の禁治産は、全ての行為能力を剥奪される「成年被後見人」となることが適当。

誹謗中傷ではなく、厳然たる事実として、20億人もの人間がある種のカルト信仰によって重度精神障害に罹患し、
にもかかわらず適切な行為能力制限などを受けることもなく世に跋扈し続けているという、残念極まりない現状がある。

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002 2010/12/29(水) 14:43:02 ID:wy7kDcLbSg
それよりノーベル賞受賞者を解放しなさい

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003 2010/12/29(水) 16:59:06 ID:F9Q3mY2vcA
ID:JCFN4c7XTE

いい加減、オマエを隔離した方が良いようだな。

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004 2010/12/29(水) 18:18:25 ID:JCFN4c7XTE
カトリックとか正教とかの、聖書信仰の正統を標榜するキリスト教徒は、
ただキリスト信仰によって重度精神障害に罹患し、精神薄弱状態(いわゆる「白痴」)に没入して
ヘロヘロの状態でい続けるのが主であり、とてつもなく犯罪的知謀に長けていたりすることもない。
キリスト教発症当時の古代には、信者同士がイエスをまねて自殺ごっこ(デシメーション)を行うことなどが
相次いだために、アウグスチヌスが上座部仏教から自殺の禁止という戒律を剽窃してキリスト教徒にあてがうなど、
当初から頭のおかしい連中の集まりであることは明らかだったが、それにしたって、正統を名乗るキリスト教徒が、
他者へと危害を及ぼすことにかけて、他民族と比べてとてつもなく突出しているなどということも少なかった。

しかし、プロテスタントやユダヤなどは、カトリックなどと同じように、
聖書信仰によって重度精神障害に罹患した上で、さらに犯罪的知謀にかけては
常人並みかそれ以上もの知能を擁し、世界を破滅に陥れるような大権力犯罪にまで及びながらも、
少しの罪悪感も抱かないようなサイコパス状態にまで精神状態が悪化してしまっている。
カトリックや正教などがただ精神薄弱に罹患してヘロヘロでいるばかりなのに対し、
プロテスタントやユダヤは、IQ20〜30程度にまで知能が退行する重度精神障害が
罪の意識をも全くなきものにしてしまうことを存分に悪用して、人並みの知能を保ち続けられる
精神的健常者であれば到底思いつかないような、高度な知能犯罪にまでも及んでいる。

カトリックや正教の信者の大部分が、サイコパスとまではいかないただの精神薄弱であるのに対し、
プロテスタントやユダヤの信者の場合は、精神薄弱とサイコパスを併発している場合が多い。
いずれも聖書信仰による重度精神障害への罹患、「鏡映認知障害による知能不安定症」とでも呼ぶべき
深刻な精神障害を下地としており、サイコパスとも化している連中が許されないのはもちろんのこと、
ただ精神薄弱でのみあり続けているような連中だって、決して健全な精神の持ち主であるとはいえない。

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005 2010/12/29(水) 18:22:48 ID:JCFN4c7XTE
中国の劉氏の開放は訴えながら、
日本の劉氏の隔離拘束は強めるってか。

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006 2010/12/29(水) 19:57:43 ID:IIvkTP2ebo:DoCoMo
このスレは、さすがに削除規制が要請されるようなら、自主的に削除する。

決して中傷目的などではなく、戦うべき厳実のありのままの掲示なわけだが、
正論であろうとも時宜にかなわなければ、その道理が通らない場合があるのも
知っているから、どうしてもやめてくれってんなら、やめないこともない。

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007 2010/12/29(水) 23:59:08 ID:zNDWvbBBw.
キリストが罪を被ってくれると勘違いする事と
キリストを自分だと誤認識するのは全然別の話だ。

むしろ磔にされたキリストを自分自身とは別の存在と見ているからこそ
罪を被ってくれて罪が許されるなんて勘違いが出来る。

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008 2010/12/30(木) 10:49:48 ID:kJmkzLc1W.
自他の区別も付かないから、
冤罪によって自らの罪が償われるだなんて勘違いをする。
十分に鏡映認知障害の範疇だ。

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009 2010/12/30(木) 11:49:59 ID:ao/9Ke4jAU:DoCoMo
キリストを信仰するということは、すなわち鏡映認知障害に罹患するということだ。

キリスト信仰が敬虔であるということは、すなわち鏡映認知障害が重症だということだ。

それ以外のいかなる意味も持たない。

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010 2010/12/30(木) 18:34:27 ID:mlwSvZM8B6
信者がキリストと自分の同一視する事はあり得ない。

奴らにとってキリストは人間以上の存在だ。
だからこそ人間の罪を許す力を得ているという考えが前提にある。

奴らは自らを「使い」もしくは「代弁者」と名乗る、それこそが証拠だ。

自分がキリストだと思ったらキリストに祈る必要がなくなる。
自分以外のキリストを祈る事が間違いと感じるようになるだけだ。

行為が明らかに間違ってるのに正しいと思ってるマトモな連中だ。

もっともお前は自分以外全てが精神病患者という前提で語ってるから
マトモといっても十分精神病患者なんだろうがw

鏡映認知障害という症例でないことだけは確かだ。

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011 2010/12/30(木) 19:07:28 ID:kJmkzLc1W.
人以上の存在である超越神が、人の姿を借りて、
冤罪で磔刑に処せられることで人々の罪を償ったなどという子供だまし。

人間社会の犯罪行為を罰するための刑罰によって、罪が償われ得るという程度の
社会倫理上の理解は働いているのに、自分以外の人型の生き物が刑罰に遭うことで
自分自身の罪が償われるだなどと思い込む。それは、「自他の区別が付かない」という
ある種の精神障害に陥ることで、本人たち自身が罪悪感をかなぐり捨てようとしているからだ。

人以上の存在である、超越神が実在するか否かという問題はひとまず置いといて、
そんなこととは無関係に、キリスト教徒は、「他人が刑罰を受けることで自分の罪が償われる」
という自己完結した物語構造を信じていて、それによりまともな罪悪感をも喪失している。

それは、超越神による保護などとは無関係に、キリスト教徒たちが、自他の区別も付かない
鏡映認知障害に罹患しているからだという、ただの一言ばかりで説明しきれる代物であり、
そこに超越神の介入を主張したりするのは、それ自体が精神障害の正当化にしかなっていない。

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012 2010/12/30(木) 19:31:08 ID:kJmkzLc1W.
キリスト信仰は、確かに“効能”をも伴っているんだ。

欧米聖書圏8億だけで、地球資源の8割以上を独占することで、
世界中を破滅に追いやり、自分たちばかりが狭隘な利権を貪る重権力犯罪に
手を染めながら、少しの罪の意識すらも抱くことなく平然としている。

それは確かに、自他の区別が付かない鏡映認知障害に罹患することで、
自分が罰を受けるのも他人が罰を受けるのも大して変わらないような気分になって、
仮想敵なり何なりに自分たち自身の罪を擦り付けても「それでよし」とするようにも
なってしまっているからで、元はといえばそれは、一応は人型をした生き物であるキリストが、
自分たちの代わりに罪を背負ってくれたなどという欺瞞をも信じ込んでいたからで、
冤罪によって自らの罪が償われるなどという物語構造を狂信してきた伝統がそれなりにあるから、
それが世界一般に通用するものだと思い込んで、人類史上未曾有の大犯罪にも及んでいる。

それは、キリスト教徒やユダヤ教徒ででもない限りは、志しすらもしなかったこと。

罪は罪人本人が相応の罰を受けることによってでしか償われ得ない、天地万物に恒久普遍の因果律を、
数理物理学の完成などを待つまでもなく始めからわきまえて、将来自分たちが禁治産民族などに
なってしまったりしないためにも、世間一般に滞留する犯罪性を全般的に抑制せしめようと
してきた人々のほうが遥かに多いのであり、どこまでも罪を犯し続けて、それでどうにかなる
だなどという迷妄を未だに持ち越していることのほうが、特殊なこと。

すべてのキリスト教徒を、鏡映認知障害者という名の重度精神障害者であると断定したところで、
それは世界人類のごく一部にすぎず、世界人類の誰しもを精神障害だなどと断定することにはならない。

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013 2010/12/31(金) 12:53:17 ID:fYQfKe7buE
アフリカの飢餓児であれ、アラブの特攻戦士であれ、
自分たちの代わりに罪を被らされて死んでいく人々は、
ことにキリスト教徒やユダヤ教徒からすれば“神性”を帯びた存在ともなる。

別に、アフリカ人やアラブ人を、我らが主であるキリストだなどと崇めているわけでもない。
しかし、「自分の罪を他人が被ることで自分の罪が償われる」という物語構造が
「是」とされつつ聖書圏には広く流布されていることから、実際にそういうことが
あり得るような気分にもなって、外界の他民族などが、自分たちの虚栄の犠牲となって
破滅に陥るような現象全般が、神秘性を帯びた聖なる奇蹟であるかのようなつもりにもなる。
それにより、キリスト教徒やユダヤ教徒は、他者に自らの罪責をあてこする卑劣さを正当化する。

いついかなる時、どんな場合においても自他の区別が付かないのではなく、
自分たちの罪を他者に押し付ける場合にかけてのみ、特定して自他の区別が付かなくなる、
あまりにも都合のよすぎる精神構造を、キリスト教徒たちは半ば確信的に利用して来たわけだが、
早い話がそれは精神障害であり、故意の自己罹患であることも含めて、禁治産事由となるものだ。

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014 2011/01/01(土) 16:52:33 ID:lfB6yCn2Ts:DoCoMo
まず、蚊や蝿を叩き潰すことにも恐れおののくほどの、脆弱さにまみれた儚い精神がある。

その精神を、健全な人間道徳などによって補強するのではなく、
キリスト信仰という誤った方法によって保護しようとし、
「鏡映認知障害による知能不安定症」とでも呼ぶべき心神喪失状態に陥る。

当然これは「精神障害」であり、キリストを確かに信仰しているほどならば、
間違いなく「重度の精神障害」であり、中度や軽度の精神障害ですらない。

おおよそ、人間が罹患する上で最も重度な類いの精神障害であり、
行為能力を完全に喪失して、金融計算なども全くできなくなる精神障害のほうが、まだ軽度ですらある。

そして、キリスト信仰によって最重度の精神障害と化した人間の中には、
サイコパスをも併発する人間が多く、実際に高度な知能犯罪を冒しもする。

「鏡映認知障害による知能不安定症」という重度精神障害に罹患したからといって、
必ずしもサイコパスを併発して知能犯罪を冒すわけではないが、確かにそうなる場合もあり、
健全な人間道徳によって精神を補強している人間などよりも、その頻度は遥かに多い。

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015 2011/01/02(日) 12:53:49 ID:5fq28pjA0g
しかし、お前もお前の考えに異を唱える全ての人間を隔離すると言った。
つまり拝む対象が違う人間を簡単に殺せる一狂信者にすぎない。

ただ仲間が多いか少ないかの違いだけ、
ごくごくありふれた、能無しが始めるカルトと何一つ違わない。

使い古された警告と危機感の列挙。実にクダラナイ。
お前の人生そのものと同レベルにクダラナイ思考展開だ。

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016 2011/01/04(火) 15:34:09 ID:RfGZAf3X32:DoCoMo
俺の考えが俺個人の考えであることなんて、どうでもいいんだよ。

ただ、1+1を2であるとわきまえる精神的な健全さが保たれているか、
1+1を3にも4にもする知能不安定の精神障害に陥っているかだけが問題。

精神障害者が20億人集まったところで、20億人の精神障害者の集まり。
たった一人の健常者でも、健常者である以上は一人前の健常者。
どちらの意見を普遍的に尊重すべきか、問いただすまでもない。

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017 2011/01/04(火) 19:06:02 ID:TigaSbOxU.:au
ま、相対的な社会で身に付けた知識を己の絶対的な価値観にして自己完結するヒトも居ますね

モノの見方というか

主観と客観も
主観は絶対的であり客観は相対的に感じるという分類が肝というところ

どんな真理も相対的な真理でなくては無意味だと言えるでしょう

神が絶対というのも願望に過ぎないのです

己を真に理解できるのは自分だけ

ゆえに神が存在したとしても、その言動は相対的な真理としか言えない

それは知恵者ということ

神でなくとも他者とはそういったものです

つまり社会とは、己の絶対性を補完するための相対的な場であると考えれば期待も落胆もないと思います

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018 2011/01/04(火) 19:52:57 ID:POrVEwgdyc
算術をするときに、「1+1=2」とかを定義しているのは、自分自身だ。
そこにまだ真理があったりするのではなく、自分自身が身勝手に取り決めた定義があるのみだ。

それなのに、後々から「1+1=3」や「1+1=4」などにしてしまうのは、
自分自身が「1+1=2」だと定義したことを忘れてしまっているから。「私自身」という自性の把捉が
連続せずに方々で途切れ、自分が定義したものをさも、他人が定義したもののように思い込んでいるから。

近ごろの言葉でいえば、「精神分裂」とか「統合失調」とかいうもの。
ただ、自性の在り処である精神が分裂したりすることは実際にはなく、分裂して
自他の区別や自己の同一性がわきまえられなくなっているのは、正確には精神ではなく知能のほう。

「知能分裂」であり、「知能統合失調」。鏡映認知障害による知能不安定症、
これが昨今「精神分裂」とか「統合失調」とか呼ばれているものの正体。

精神障害の責任もあくまで、精神ではなく知能の乱脈のほうにある。

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019 2011/01/04(火) 22:57:55 ID:TigaSbOxU.:au
問題点は統合失調症や精神分裂などの病気?がなぜ起こるのか?や解決案が必要なのであって解説は要らないのでは?

問題点は個人の責任 つまり病気?は勝手になった自身の弱さが原因なのか

それとも社会に たとえば競争社会に 人間関係に苛まれているということなのか?

どちらに求めるべきか?

どちらに原因を求めたとしても、身心ともに打ちのめされても生きようとする人間の本能 本質は変わらない

どんなになっても生きたいということが生命の本質だ

社会は
政策は
その本質に則しているだろうか?

けっきょくのところ政治の話に帰結する

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020 2011/01/05(水) 11:29:59 ID:uqgxL2BTzA
精神障害者にとって問題であるのは、精神ではなく知能の破損だが、
知能の破損は純粋精神たる自性把捉を喪失したところで発生する。
そのため、知能破損の未然の防止のために、自性把捉を徹底することが、
精神障害の治療や予防のために効果がある。

「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」というわきまえを常時保ち続けることで、
場合によっては己の欲せざるところを人に施してしまうような自己矛盾を排していく。
結局はそれが、自らの精神障害の治療や予防ともなっていく。

小人が罪を犯すからといって、小人に重罰を科したりするだけでは下策止まりであり、
小人の放蕩を未然に防止する君子こそを主体的に養っていくことが、上策になる。

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021 2011/01/05(水) 13:17:25 ID:uqgxL2BTzA
「知る」ということはごく簡単なことであり、
「分かる」ということもまだ簡単なほうのこと。
しかし、「わきまえる」となれば一挙に難しくなり、
「常時わきまえる」ともなれば極めて困難となる。

それこそ、「1+1=2」ですらもが、常時わきまえるとなれば、
相対性理論や量子力学を理解する以上にも、困難なこととなる。

礼儀正しく正座しておくことなども、一時ならば簡単なことだが、
長時間正座し続けていれば、足もしびれて痛くなる。楽に長時間正座
し続けているためには、上半身の重心を前に置いて、膝内に紙一重
程度の間隙をあけておく心持ちでいるなどの、工夫が必要になる。

建物から装束から文化から、何もかもが軽々しかった江戸時代の風俗などは、
人間道徳を常時わきまえ続ける重苦しさを相殺することにも、一役買っていた。
逆に、鉄やコンクリートやアスファルトなどでガチガチにかためられている
現代の文明構造は、その中でさらに重苦しい人間道徳までをもわきまえ続けること
などに嫌気を抱かせるような効果をも伴ってしまっている。純粋精神とか自性とか
いったものを常時把捉し続けているためには、かえってそこに付属する現象構造自体は、
軽快なものであったほうがよく、石造りの重々しい教会なども、不適切な部類に入る。

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022 2011/01/05(水) 13:31:55 ID:7RGL6IcPdw:au
ただの…己の少ない経験からの発露に過ぎないかもしれない

しかし自分以外の人間を思いやり…どうにかして解決案を模索するのは人間としての自然な姿であると思う

規範意識などや社会性が作り物だということは十分に理解しているつもりだ…

その作り物の中にこそ人間ならではの虚構の世界観があり…その世界観は人間関係であるということもわかっている

善悪とかも虚構の中での人間関係の都合が顕されたに過ぎない

そんなことはわかっている

しかし生き物としての現実が…虚構の世界観の中での現実が…たとえ仮初めだとしても人間を苛むのだ

問題点はすべてわかっているのに、解決案がでてこないのだ…

自分だけが正しいであろう生き方をして立派だと形容されたとしても、それは虚構の世界観からみた話…それでも現実も虚構も世界も変わりはしない…

もしも人間の進む先には地獄しかなかったとしても仕方ないのであろうか…?

みんな許容範囲が狭いのかな?それとも大切なものが多すぎるのかな?

作り物の世界での価値観がそれほど大切ならば、自分以外の人間も大切にしなければスグに消えてしまうよ…そんなこともわからないのかな?

物語をみんなで描いている

ほんとうに大切なものなどドコにもないが、すべてが大切なものでもある

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023 2011/01/05(水) 18:32:41 ID:PeQ3P.4Hoo

poema-sankara………『愛が神なり』

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024 2011/01/05(水) 20:17:45 ID:uqgxL2BTzA
解決案が、ないわけがない。

重度精神障害者や、重権力犯罪者であるほどもの人間は、みな入獄や強制入院、
禁治産や参政権剥奪などの、個々の罪状や病状の程度に応じた適切な処分を受ける。
それだけで、人口爆発や環境破壊、全面核戦争などによって人類が滅亡するような、
最悪の破滅のシナリオを突き進み続けることを中止するぐらいのことはできる。

そして、処分を受けるまではいかなかった無罪の健常者などのほうも、
自分たちが小人に特有の精神障害や、その実効である権力犯罪などに
陥らないように、よくよく純粋精神や人間道徳をわきまえていくように努める。

天下全土の万人が、純粋精神や人間道徳を十二分にわきまえた聖人君子に
なったりするのはまず不可能だが、最低でも、聖人君子の勢力が、精神障害者の
勢力を大幅に上回って、精神障害者のやりたい放題を未然から十全に防止して、
人類を最悪の破滅へと陥れるほどもの不手際だけは避けるようにすればいいんだ。

精神障害者     権力犯罪者
       聖人君子
権力犯罪者     精神障害者

から、

聖人       君子
   精神障害者
君子       聖人

へ。(権力犯罪ぐらいは完全に根絶する)

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025 2011/01/06(木) 07:00:50 ID:zlXODwX1DQ:au
いままで考えてもなかったのですが…
これは宗教対立スレなのですか?
だとしたら宗教もずいぶんと手厳しいところがあるのですね
ボクは無宗教ですが

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026 2011/01/06(木) 11:59:52 ID:PpcUCZF/3Q
宗教ではなく、学問のスレだ。
キリスト教を始めとするカルト信仰の、病理的な精神障害としての不具さを、
方々の思想哲学や、正統宗教の学問的な部分などのみを材料にあげつらっている。

患者であるキリスト教徒などのほうが、純粋な学徒であったりすることはないが、
彼らを診療の対象として、切実に応対していく側のほうは、特定の宗教への信仰などには依らず、
無信仰的な学知の範囲内での問題解決に取り組む。確かに、仏学やウパニシャッド哲学などの、
正統宗教の知識材料を用いることもあるが、それもあくまで、非宗教的な範囲に限ってのことだ。

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027 2011/01/06(木) 19:33:44 ID:X0mitMGq8w

お前は生まれながらの罪人であると洗脳して罪悪感を芽生えさせる

キリスト教こそがその罪悪を浄化できる唯一の道だと洗脳する

この流れでカルト信者できあがり。



お前は世の中から不遇で酷い目にあっているとして搾取感を与える

マルクス主義こそが悪い世の中を改善する唯一の道だと洗脳する

この流れで共産テロリストの出来上がり

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028 2011/01/06(木) 20:38:15 ID:PpcUCZF/3Q
我れを救い、世を救う道がただの一本きりであるだなんてことからして、あり得ない。

いま俺なんかは儒学を志している身だが、儒学が世を治める唯一の道だなどとは決して思っていない。
むしろ、神道や道家や自力仏教などのほうが、より高度な手法をも用いて、世をさらなる安寧へと導く
優等な教学であるとすらも考えているが、今の世に生きているというだけでも相当に卑しい身分である
ことが確かな、俺などですらもが手出しできる最低限の学問としての、儒学や浄土教学などを専修している。

そもそも、世を治めるにすら値していない、破滅へとまっしぐらの邪義を振りかざすのがカルトであり、
人間が脳みそを使って何かをする上での最低最悪の規範をもたらす。それは、必ずしも宗教信仰で
あるとも限らず、カルト宗教への反目としてこしらえられた近代の洋学などの中にも、カルト並みに
精神障害を煽って、罪悪の執拗な積み重ねへと人々を導くような性向を宿した劣等学は数多い。

キリスト教の発生から約1800年もの後に、ユダヤ教徒であるマルクスが提唱した共産主義や、
プロテスタントの家柄であるニーチェが提唱したニヒリズムなども、非宗教的な学問で
ありながら、聖書信仰並みの精神障害をも伴った「カルト的学問」となってしまっている。

儒学にしろウパニシャッド哲学にしろ、聖書信仰やギリシャ哲学よりも発祥が数百年から数千年も早く、
仏教もキリスト教よりは500年程度その発祥が先んずる。別に聖書信仰みたいな精神障害カルトに
対抗してぶち上げられたのでもなく、健全な精神に即した真っ当な学問宗教が、カルトにすら先んじて
自主的に構築されていた。そうであることがありのままに、精神障害カルトやカルト的学問などが
人類文化の根本などであるはずがなく、精神障害やカルトこそは末節であり、精神的な健全さや、
その健全さに基づく正統な学問宗教のほうが、人類文化の根本でもある何よりの証拠になっている。

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