ある若き仏教研究者の自殺 西村玲さん享年43歳  


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001 2020/04/05(日) 14:29:43 ID:NZD59uPLZA
大きな研究成果を上げて将来を期待されながら、自ら命を絶った女性がいる。享年43歳。多くの大学に就職を断られ、追い詰められた末だった。
西村玲(りょう)さん、2016年2月2日死去。
東北大学で日本思想史を学んだ。江戸中期の普寂(ふじゃく)という僧侶に注目した仏教の研究で、04年に博士(文学)に。都内の多摩地区にある実家に戻って両親と同居しながら、研究に打ち込んだ。
翌05年、日本学術振興会の「SPD」と呼ばれる特別研究員に選ばれた。採用された人に月額約45万円の研究奨励金を支給する制度だ。「これで(研究で使う)本がバンバン買える」と、両親に喜びを伝えた。「もらったお金の分は、研究成果で返さないといけない」
年に論文2本、学会発表4本。自らにノルマを課し、経典などを大量に運び込んだ2階の自室にこもった。数少ない息抜きは両親と囲む食卓。箸を動かしながら、研究の内容を早口で熱く語った。「覚えたことが出ていかないよう、頭に巻き付けるラップがあればいいのに」。そう言って笑い合った日もあった。
https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.h...
https://bunshun.jp/articles/-/1148...

https://www.youtube.com/watch?v=GZvFkdu7lNk

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002 2020/04/05(日) 14:46:46 ID:gcZ8Cyn.DQ
自殺は仏教と対極やし離婚した日の自殺やんけ

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003 2020/04/05(日) 19:26:24 ID:YmiB0hjOQ6
いや、学問も支えにはならなかったわけで、学問も商売だと割り切らな生きては行けん。
離婚などに左右されない生き方を選ばされる時代だから、少子化になる。
個人の境遇や選ぶべきスタイルに、直接丸ごと観察不能な社会も凝される。
あたかも水滴に風景画映り込むがごとし。

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004 2020/04/05(日) 20:01:19 ID:RItRYJEM5.
なーんだ朝日新聞の記事かよ。
どうせ捏造だろ。

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005 2020/04/25(土) 06:57:58 ID:cVBcj1jyc.
仏教を「研究」しても体得は
できなかったお粗末なお人。

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006 2020/04/25(土) 12:43:51 ID:NaQ0vQ9A.w
>>5
体得するとどうなるんすかねー?
仏教、体得すると何かすげえことが起きるんすか?

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007 2020/04/29(水) 10:52:33 ID:JGQGXWl/eg
>>5
アカデミックな視点で研究するってのがどういう事か、実際に本を読んで肌で理解しよう。

宗教学者ってのはそこの信徒じゃない事が往々にしてあるわけだが、当然そりゃ宗教家や信者とは違うアプローチを取るわけだから、ハナから救済みたいなモノは目指してない。


創○学会や統○協会を研究する事と、創○学会や統○協会の素晴らしさを理解する事が違うのと同じようなもの。

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008 2020/05/03(日) 20:52:48 ID:e87VZ3tYQE
真面目に頑張っている方々が、
報われる社会になってほしいと思います。

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009 2020/05/04(月) 02:14:27 ID:FI7nC/tlyE
小説でも書ければよかったんだがな 今の作家には多いよ 院生崩れ
やっぱりある程度の学問の蓄積がないとまともな内容にはならないからね

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010 2020/05/06(水) 05:14:47 ID:CXEzWp8YlU
仏教の刹那を体現したんだな。 

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011 2020/05/06(水) 08:23:48 ID:LR.IVYXK9U
文系博士死にすぎワロタ

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012 2020/05/08(金) 12:50:53 ID:SaB6v9qOJ2
>>5
仏教の「律」の観点から、自殺を考えてみましょう。
律は僧侶の生活を規定する仏教の法律ですが、その律で自殺は罪とされているのでしょうか。
この議論の際にしばしば挙げられるのが、仏教には「人は自殺してはならない」という規則がある、という言説です。
しかし実際には、そのような規則はないのです。

ただし、釈迦が「この我々の肉体は汚れたものである」と説き示したため、これを曲解した弟子たちが、
「それなら死にましょう」と言って、自殺したり、互いを殺し合ったり、他人に自分を殺すよう頼んだりした
という逸話があります。
これを機に、釈迦は「人を殺してはいけない」という規則を制定したといわれます。
物語の中で記されている「自分で死ぬ」という言い回しから、あたかも自殺が禁止されているかのように理解する方がいますが、
そうではありません。
律のどこにも、自分で自分を殺すこと、すなわち、自殺が罪に問われるとは記されていないのです。

この物語を拡大解釈し、仏教は自殺も殺人と見なしているという学説を唱えた人もいましたが、今はもう否定されています。
『サマンタパーサーディカー』という律の注釈書は、この物語の中では相手を殺したり、お互いに殺し合ったりすることだけが罪であって、
自ら命を絶つこと、自分を殺してほしいと頼むことは罪に問われないと明記しているのです。
ここを見逃すと、仏教は自殺を犯罪と見なす宗教であるかのように誤解してしまいますが、実際はそうではありません。

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013 2020/05/08(金) 12:57:25 ID:SaB6v9qOJ2
釈尊は、「人は全て平等である」と説いています。
この意味について、カースト制のもと、人が生まれながらに差別されていた当時のインドでは、
生まれで人を差別しない教えととらえることもできます。
しかし、それだけではありません。

私たちは無意識のうちに、人は平等という意味を、“生きている人”は平等であると考えてしまいがちです。
しかし実際のところ、人としてこの世に生まれてきた者が、いつ死に、いつ生まれるかは分かりません。
全ての存在は偶然に過ぎないのです。

そのため、死者も生者も隔てなく、皆が平等であると釈迦は示したのだと、私は考えています。
つまり、「全ての人が平等である」という言葉の真の意味は、「生きている人と死んだ人には何の違いもない」ということなのです。

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014 2020/05/08(金) 13:01:12 ID:SaB6v9qOJ2
社会では、自殺に対するイメージが間違った形で広がりをみせており、とても残念に思います。

前述の「自殺は犯罪である」という考え方に加えて、自殺した人は「弱い人だった」「愚かな人だった」というような見方、
考え方が今なお存在し続けています。

こうした考えが生まれるのは、生きている私たちが正常であって、亡くなった方は正常な世界から外れた人間である
という意識があるからではないでしょうか。

これは、驕(おご)りであり、実は、欲望や、世俗の楽しみにしがみついて生きている私たちの方が、
よほど劣った人間なのではないかと感じることがあります。

この自死・自殺の問題を考える上で、釈迦が示した“平等”というものを、いま一度、とらえ直す必要があると思います。

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015 2020/05/08(金) 19:30:38 ID:9dcK/S.0/c
欲望は一つ叶えても次々に際限なく沸き
生きている限り絶えることがない。
「有っても有ってもまだ欲しい」

「ヒマラヤの雪山を黄金に変え、
更に二倍にしたとしても
一人の欲望を満たすことができない。
諸人よ、これを知って行いを正せ(相応部経典)」

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016 2020/05/11(月) 07:56:40 ID:iEjM8BkHo6
私が尊敬する酒井雄哉大阿闍梨の本を、最近良く読んでいる。
分かりやすい言葉で、とても大事なことを教えてくれる。

酒井師は自死はいけないと説いている。
せっかく生まれてきた大事な命であり、与えられた使命があるのだと仰る。
私もそう思う。

お釈迦様から始まり、歴代の偉いお坊様方が膨大な書物を残してくれたおかげで、
我々現代人が大事な教えを知ることができる。
ただ、私には般若心経でさえも難しすぎるのだ。
私のような無学の者でも分かるお経があると良いのに。

西村さんも仏の教えで救われてほしかったと思う。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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