伝統的に肉食が根付いているような地域においてこそ、断食のような風習が
伝統的に存在して来てもいる。昔の中国では親の死に際して絶食し、三年の服喪中
には一切肉を食わないなどの取り決めが実際に執り行われていた。富裕な権力者
こそは特にそのような取り決めを厳格に守るべきであるとされ、獣肉の食いすぎ
による知能の低下などを牽制することがそれなりに嗜まれていた。(戦国時代
などにはそのような風習も疎かになったため、知能の低下しきった大諸侯らが
道義性を全く欠いた勢力争いを引っ切り無しに繰り返すような羽目に陥ってもいた)
今では豚食が禁止されている中東などでも、古来からの風習であった断食が
イスラムの教義に即して実践され続けている。これは、知能を低下させるカルト教義
である新旧約の教義による低能化を防ぐ目的性を今では持ち合わせているようである。
肉食禁忌や屠殺人差別のような強硬な手段にまで及ばずとも、肉食がもたらす
低能化への対処というものを、大部分の地球人類がそれなりに講じてきている。
「血肉の穢れ」による低能化への対処というものを全くといっていいほど講じて
来なかった代表例といえば、せいぜいキリスト教徒か、春秋戦国時代以降の秦人
ぐらいのものであり、あとは今の南朝鮮人の先祖などを含む無名の蛮族に若干、
そのような事例があったのだろうと予想される程度である。体系的な文明を構築
しておきながら、血肉の穢れを全く問題視して来なかった連中ともなれば、本当に
ごく限られた部類に限られていて、しかも本人たちに独自の文明体系というものも、
かえって世の中にとって益以上の害になるようなものばかりが主となっている。
親の服喪中に限っての肉食禁忌や、期間を区切っての断食などの対策を講じた
ならば、肉食も必ずしも禁止されるべきものともならない。食べる肉の量を
減らしたり、脂肪分の低い肉を食べるようにしたりして、入浴時の行水
などで身体のほてりを十分に抑えるようにもするなどしたら、肉食の習慣と
共にであっても、それなりの知能を恒常的に保てるようにもなる。
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