また、なぜイエスがキリストになったのかというのも謎です。
ペトロとかアンデレなどは最初、洗礼者ヨハネ教団の信徒だったらしいので、
洗礼者ヨハネがキリストになってもおかしくない。
もっといえば、彼らが有難がっていたであろう旧約聖書には、あまたの預言者が
名を連ねている。例えば日本人でも良く知っているモーセがキリストになっても
いいわけです。いや、当時のユダヤ教徒にすれば、最も偉大な預言者はモーセですから、
モーセがキリストになるべきです。
我等のイエスといえば、マリアの家を出てから死刑になるまでの期間は3年とカトリックでは
教えられています。しかしその半分はヨハネ教団に属し、伝道期間はわずか1年半。しかも
実質の伝道期間はわずか半年なわけです。残りの1年は『人々の目を避けるように』行動し
『人の子には枕するところも無い』状態であったわけです。
これはイエスの人生の恥部なわけですが、聖書にはっきり隠さず書かれているので、
事実なのでしょう。イエス逮捕の夜には、使徒たちもイエスを見捨てて逃げ去ったわけです。
なぜ、このような憐れな、人々に見捨てられた男が、キリストになったのでしょう。
さらに考えると、聖書を書いた人々が、なぜ彼らが尊敬していたであろうイエスを、このよ
うに惨めな男に書いたのか。また聖書を書いた人々はたぶんローマ市民だったらしく、
ローマ人知事のポンティオ・ピラトを、痛々しいほど善人そうに書いていますが、結局
イエス処刑の張本人に仕立て上げている。こんな書物をローマ帝国の首都で書いて、罰せられ
なかったのでしょうか。
またルカは明らかにペトロ(67年?)やパウロ(65年?)の刑死を知っていたはずですが
(なぜなら最も古い福音書を書いたマルコが70年に起きた神殿崩壊を知っていたから)、
なぜこれを書かなかったのでしょう。二人とも福音書や使徒言行録ではいわゆるヒーロー
ですから、イエスや洗礼者ヨハネやステファノのように栄光ある刑死として書くべきだと思
うのですが。これは聖書を読めば読むほど深まる謎です。
それにパウロの書いた(であろう)書簡の自信満々な語り口。福音書の解釈として書簡がある
とすれば、その落差はとても大きいと言わざるをえません。
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