イエスの顔


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001 2013/04/01(月) 18:23:58 ID:LotoKkyHZA
英BBC番組が復元したイエス・キリストの顔。
その結果表れた「イエスの顔」は、黒い巻き毛と浅黒い肌色の、
丸顔で丸い鼻をした中東の男性のものだった…。

イメージと現実。
上野の西郷さんと本物の西郷さんも全く似てないっていうし。
本気で信仰していれば顔なんて関係ないか?

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002 2013/04/01(月) 18:50:24 ID:f90IH1ab3g
こんな感じ?

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003 2013/04/01(月) 18:51:14 ID:gk0rJefOJI
スレ画の左は何を根拠にこんな顔なの?

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004 2013/04/01(月) 19:00:03 ID:Zx9gtBIHr6
だっふんだ!

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005 2013/04/01(月) 19:03:41 ID:LotoKkyHZA
スレ画の左は信者の望みと商売に都合の良い顔だ。
白人、金髪、目はブルー、細くて背が高く中性的。
偶像を自由につくるとこうなるからマズい。

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006 2013/04/01(月) 19:54:17 ID:LotoKkyHZA
アメリカで顔喰われた人に似てる。

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007 2013/04/02(火) 07:48:38 ID:OpYeypyqCE
右:イエス・キリスト
左:ノー・キリスト

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008 2013/04/05(金) 13:55:43 ID:L8skMaiLW.:au
ジョンレノンみたいな感じを想像してたけど実際はリンゴだったんだな

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009 2013/04/21(日) 08:25:29 ID:9jMeBE76QU
クリスチャンは顔なんて気にしていないでしょうね。
尾ひれが付いた奇跡話より真実のイエスを知りたいでしょう。

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010 2013/04/23(火) 02:59:45 ID:SDe5Wn8GZY

顔の復元はイイとして
髪型はどうとでもなるだろ

長髪にしたらたいして違和感ないぞ

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011 2013/04/23(火) 07:49:54 ID:UKiHTS9YBw
白人に描いたことでユダヤの宗教から西欧の宗教に拡散できた

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012 2013/04/26(金) 00:24:51 ID:KWosrSEZs2
沖田総司が美形なのも草刈正雄が演じたから、伊達政宗がカッコいいのも渡辺謙が演じたからやしなwwww

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013 2013/05/05(日) 17:37:30 ID:gBSMCxY7Dw
イスラエル人でユダヤ系に対抗してキリスト教作ったんだから
普通に考えりゃ中東系だわな。

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014 2013/06/18(火) 10:35:09 ID:moJ1wP1vFE
015 2013/06/24(月) 00:36:30 ID:P7zMurNH9Q
ちなみに
信仰するならどちらか ということだ

左を信仰するか?まるで上場企業の会社役員の顔だぜ。

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016 2013/07/05(金) 09:20:39 ID:iPxCrO8nGY
カルロス二世に似てない?

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017 2013/07/08(月) 00:36:09 ID:eep8hvJbIw
こりゃ認めたくないだろうな

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018 2013/07/13(土) 22:08:02 ID:coroI0lm7c
アルカイダみたいな顔だ

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019 2013/07/14(日) 10:22:45 ID:3DB92f9fVA
アルカイダみたいなモノだったんだろう。

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020 2013/07/21(日) 10:42:45 ID:DWmjnjnJ4c
人間にとって神はただただ恐ろしいだけの存在という神観を
ラブ(愛情、お大切)という概念を持ち込んで時代を大転換させた
人類史上最も影響力のある大思想家。

山本七平はイエスキリストをそう説明してた。

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021 2013/08/21(水) 02:35:58 ID:p5z6EAvWHA
>>20
山本七平がそんなこといってたの?ソース希望。

エロスとフィリアとアガペーじゃないの???

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022 2013/08/30(金) 17:04:33 ID:p10P0n.ZEg
キリスト教作ったのは後の弟子だぞ
イエスはユダヤ人

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023 2013/08/31(土) 17:42:05 ID:qJJzv1HyCk
後の弟子は教会制度を整えて、基督教を発展させただけで、
基督教を作ったのは、イエスだよ。

もしマニアックな教派の人だったらごめん。

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024 2013/08/31(土) 20:24:25 ID:.NLStyjnIc
マニアック以前の問題だから
まじで、イエスが自らキリスト教と名乗った事はただの一度もない

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025 2013/09/01(日) 00:10:14 ID:LHojwP.qKY
>>23
イエス自身は選民思想(ただし若干柔軟性あり)を持ったいわゆるユダヤ教徒。異邦人、つまり
割礼を受けない者への差別発言がある(マタイ9-5等)。律法を守るという点でも、いわゆるユ
ダヤ教徒(マタイ5-17等、ただし柔軟な対応をすべきという思想が新約聖書の根底にある)。教
会という固定した施設を持たず、たった2年弱、自分の教えを伝道しただけなので、彼の最終的な
目的が何だったかは不明。またイエスの教えも新約聖書を見る限り、当時のユダヤ人にそれほど
受けなかった可能性が高い(マタイ11-16等、マルコ6-1等、マルコ8-12等、ヨハネ6-30等)。
 
キリスト教の一部の教義はペトロに代表される十一使徒らと、イエスの従兄弟であるヤコブら
が開いたエルサレムの教会が作った。例えば『主の再臨』。使徒宣言の『全能の父である神の
右の座に着き、生者と死者を裁くために来られます』などの思想はエルサレム教会が作ったと
思われる。ただしエルサレム教会の使徒らはユダヤ教の神殿に詣でる熱心なユダヤ教徒の域を
出ない。イエスの従兄弟のヤコブはあくまでキリスト教(という概念も彼らにあったか疑わし
いので、ここはエルサレム教会と仮に呼んでおく)はユダヤ人のためにあり、異邦人(割礼を
受けていない者)は排除されるべきと最後まで主張した。
 
しかし『ギリシア語を話すユダヤ人』(使徒言行録6-1)、例えばバルナバのような者、がエル
サレム教会に増えて行き、彼らが(おそらく)独立した別の教会を作った。こちらは、キプロ
スやギリシアからの帰国者で、考え方も柔軟だったので、モーセ冒涜発言(らしい)に端を発
した『ステファノ事件』を起こすに至った(使徒言行録6-8以降)。
 
これによりエルサレム教会以外の教会が大迫害に逢った(使徒言行録8-1以下に『使徒たちの他』
の記述があることから、既に複数の教会が存在したことがうかがわれる)。この迫害をきっかけ
に、イエス死後わずか2年で、逃亡信者によりローマ帝国各地に、キリスト教が伝わった。

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026 2013/09/01(日) 00:13:01 ID:UjQqKveQS.
あまり世間的には有名ではないが、ステファノは第二のイエスともいうべき結果をキリスト教
にもたらした。この大迫害の先頭に立ったサウロ(彼はローマ市民権を持つ特権階級でエルサ
レムでユダヤ教を学んだエリート)が突然キリスト教に改宗した(使徒言行録9-1以降)こと
により、復活、永遠の生命、また罪の赦しなどがキリスト教の教義として加わった(ローマ信
徒への手紙8-10等、テトスへの手紙2-14等)。使徒宣言の『聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、
聖徒の交わり、罪の許し、体の復活、永遠の命を信じます』はサウロの思想と思われる。サウ
ロとはパウロのことである。

パウロおよびバルナバの本拠地とするアンティオキア教会は、パウロの影響を受けてエルサレム
教会と違う教義をとっていた可能性が高い。アンティオキア教会の信徒が初めてキリスト者と呼
ばれている(使徒言行録11-26)ことからもそれがうかがえる。ここにユダヤ教に固執するエルサ
レム教会と新教義を標榜するアンティオキア教会の間で確執が発生した(使徒言行録15-1、21-17
等)。

ペトロは異邦人に伝道をし、エルサレム教会から糾弾されている(使徒言行録11-2)ところを見
るとややパウロよりの傾向がみられる点もあるが、むしろ日和見的な傾向が強い。

しかしパウロやペトロが伝道の目標をローマに置き(パウロはスペインまで赴こうとしていた)、
例え囚人としてでもローマに到達し得た時点で(使徒言行録28-14)、キリスト教の総本山はロー
マとなった。そしてパウロの思想がキリスト教の本流になったと思われる。

なぜなら西暦70年に起きたローマ軍のエルサレム攻撃により、エルサレム神殿の崩壊と共にヤコ
ブのエルサレム教会も衰退したと思われるからである。

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027 2013/09/01(日) 01:02:43 ID:LHojwP.qKY
×:使徒宣言
○:使徒信条

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028 2013/09/01(日) 02:27:57 ID:43cyMwS57E
これも選民思想って言えるかも

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029 2013/09/02(月) 22:42:44 ID:gj1lDhXL7c
>>25
もちろん、基督教の成立と伝播については承知してるけど、
その何を持って「基督教は弟子が作った」と言えるのか?が問題なわけだよ。
ユダヤ教からの分派なことは神学上の常識だし、
イエスの最終的な目的などと言い出したら
それこそ密教顕教的議論などできはしないわけでさ。

26は話の流れともスレの趣旨からもズレタ書き込みのようだけど、
誰に話しかけていて、どこに着地したいのかが不明だ。

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030 2013/09/03(火) 00:21:15 ID:37F/.X2bZw
キリスト自身偶像崇拝を禁止してるのに
磔刑に処されたキリストを崇拝する
これ以上歪曲された教義があるだろうか

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031 2013/09/03(火) 00:52:23 ID:rpyqsAhxWM
もちろんだけど、偶像崇拝に関して
カソリックは教義的説明をしているよ。

イスラムなどはWebの世界だって当初議論になったくらいだけど
今は神学的に説明されている。

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032 2013/09/03(火) 03:53:26 ID:37F/.X2bZw
私の主張が正しい、イヤ私の解釈が正しいとなった瞬間宗教は死ぬ

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033 2013/09/03(火) 17:29:05 ID:T4V/B0.JY2
 
>>31
だーかーらー、カソリックじゃないんだってば。
カトリックなんだよカトリック。ギリシア語のカトリケーが語源なんだってばさあ。
それに偶像崇拝を教義的にどうこうよりも前にさあ、
一般信徒は奥のふか〜いらしい教義なんて知らなくても偶像なんて崇拝してないから。
 
偶像ってイコンのことかなあ。それとも教会にぶら下がってるキリストの像のことかなあ。
 
信徒はあれを最終的なターゲットにして祈ってるわけではないから。
あれを通して神に祈る。つまりイコンやキリスト像はライフルの照準器みたいなものかなあ。
それがあったほうが神に狙いを定めやすくなるみたいな。
 
キリスト教は弟子が作った・・・これは当然、新約聖書を書いたのは、キリスト教信徒だから、
または書簡とかも、全部パウロが書いたものとは言わないが(例えばバルナバとかアポロとか
もっと他の無名の信徒が書いたかも知れない)、いずれにしろ熱烈なキリスト教信徒が書いた
ものに違いないので、当時の彼らの信仰が新約聖書を書かせたと思うわけですよ。
 
するとその新約聖書の解釈を以て教義とする今のキリスト教は、イエスご自身の考えを反映し
ていない可能性が高いと言わざるをえない。イエスの教えを聞いて書き留めた『イエス言行録』
というメモが、新約聖書が書かれた当時に存在していたと私たちは教わっているわけですが、
その言行録の記者が、イエスの言葉を誤解して書いているかもしれない。
 
したがって紀元1世紀のキリスト教信仰者(たぶん大多数は生前のイエスを見ていない)の思い
が新約聖書を書かせキリスト教を作ったと言わざるを得ない。だから弟子(いわゆる使徒)が作っ
たというのも正確では無い。また当時のローマ帝国の気分という物も反映しているかもしれない。
たまたま新約聖書が書かれた時期は有名な暴君ネロの時代で、何か厭世的な気分があったかもし
れない。もちろん暴君ネロのイメージは伝説で、立派な君主だったと言う話もあるが。

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034 2013/09/03(火) 18:12:04 ID:T4V/B0.JY2
第一、紀元1世紀にはイスラエルにもユダヤ教とはちょっと風味
の違う教団が複数あった。洗礼者ヨハネ教団とかクムラン教団と
か。その中でもひときわ小さなイエス教会だけが(それはちっぽ
けな修道院で、使徒とその妻子やイエスの従兄弟たちが集団で生
活して、ひたすらユダヤ教の神殿に詣でていた)がなぜ、21世紀
まで生き残ったのか。
 
これはステファノ事件という偶然(といっては彼に申し訳ないが)によりイエス信者がローマ帝
国の隅々まで飛び散ったからであり、その逃亡信徒が開いた教会が思いがけず信徒を獲得でき、
また彼らの教義を統一しようと努力したパウロ(とか他の書簡筆者)が今のキリスト教を作った
と言わざるをえない。というのも、現在、信仰されている教義と言うのも、ほとんど書簡で言い
表されているからです。
 
>>32
SARO&Desperado隔離スレでもちょっと書いたけど、信仰というのは神秘という次元に属す質問なの
です。
 
『1+1=2』とか『○○の定理』とか、例えば病気だったら○○の薬を飲ませれば治るとか、そういっ
た解決できる質問は『問題』という次元に属し、『私は何者か?』とか愛、自由、自然、存在、誕生、
生、死、信仰、など簡単に答えの出せない質問は『神秘』という次元に属すのです。哲学的に。
 
カトリックでは『信仰の神秘、主の死を思い、復活を讃えよう、主が来られるまで』とミサで唱える
わけですが、まさに、主の死、復活、主の再臨、その他いろいろな信仰的な教義というのは神秘という
次元に属すので、問題という次元に客体化するのは無理なのです。だからデカルトがどのように神を
証明しようとも、またどんな哲学者が神が存在しないことを証明しようとも、そのような客体化で信
仰がどうなるものでもありません。
 
だからキリスト教に限らず、あらゆる宗教が(それが人々から見捨てられない限り)生き残るのです。
例えばオウム真理教。あれは現在のアレフがどんな教義を持っているか知りませんが、もう浅原被告
自体がすっかり客体化されてしまっているので、まだ信者がいるということ自体、バカバカしいと言
わざるをえませんね。

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035 2013/09/03(火) 18:25:48 ID:T4V/B0.JY2
神秘といえば、何という資料かはちょっと忘れたんですが、
紀元1世紀ごろ書かれた誰かの歴史書によると、イエス死後
2年も立たぬうちに、あの不思議な奇跡伝説(水の上を歩い
た、とか盲人を治したとか)が出来ていたと教わりました。
 
いくら当時の人間が迷信深いといっても、あんな荒唐無稽な
(と言っては神父様に怒られますが)伝説が、2年という短期に出来るとは思われ
ません。やはりこれもイエスが残した宿題…神秘なのだと思います。
 
それにイエスの死後2年という短期間に、ちっぽけなイエス教会(というか修道院)が、
ユダヤ教を第一に信仰し、ついでにイエスの教えをユダヤ教の会堂で説教しただけで、
色々な母国語を持つユダヤ人の信徒を多数獲得したというのも謎です。
 
使徒言行録によると、イエス死後たった2年でステファノ事件を起こすほどの信徒数が
当時いたというのも、ちょっと謎の部分ですね。使徒言行録を書いたルカがその間の
事情を詳しく語って無いのが残念ですが、パウロ書簡などからうかがい知られること
は、たぶんとても革命的な教えを、そのいわゆる帰国ユダヤ人がしていたんだと思い
ます。パウロが弾圧して捕えたそれらの帰国ユダヤ人の思想が、熱心にユダヤ教の
律法を学んだ当時のエリート階級パウロを虜にしたと思うのですが。

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036 2013/09/03(火) 19:35:50 ID:c3vcg2XHc.
また、なぜイエスがキリストになったのかというのも謎です。
ペトロとかアンデレなどは最初、洗礼者ヨハネ教団の信徒だったらしいので、
洗礼者ヨハネがキリストになってもおかしくない。

もっといえば、彼らが有難がっていたであろう旧約聖書には、あまたの預言者が
名を連ねている。例えば日本人でも良く知っているモーセがキリストになっても
いいわけです。いや、当時のユダヤ教徒にすれば、最も偉大な預言者はモーセですから、
モーセがキリストになるべきです。

我等のイエスといえば、マリアの家を出てから死刑になるまでの期間は3年とカトリックでは
教えられています。しかしその半分はヨハネ教団に属し、伝道期間はわずか1年半。しかも
実質の伝道期間はわずか半年なわけです。残りの1年は『人々の目を避けるように』行動し
『人の子には枕するところも無い』状態であったわけです。

これはイエスの人生の恥部なわけですが、聖書にはっきり隠さず書かれているので、
事実なのでしょう。イエス逮捕の夜には、使徒たちもイエスを見捨てて逃げ去ったわけです。
なぜ、このような憐れな、人々に見捨てられた男が、キリストになったのでしょう。

さらに考えると、聖書を書いた人々が、なぜ彼らが尊敬していたであろうイエスを、このよ
うに惨めな男に書いたのか。また聖書を書いた人々はたぶんローマ市民だったらしく、
ローマ人知事のポンティオ・ピラトを、痛々しいほど善人そうに書いていますが、結局
イエス処刑の張本人に仕立て上げている。こんな書物をローマ帝国の首都で書いて、罰せられ
なかったのでしょうか。

またルカは明らかにペトロ(67年?)やパウロ(65年?)の刑死を知っていたはずですが
(なぜなら最も古い福音書を書いたマルコが70年に起きた神殿崩壊を知っていたから)、
なぜこれを書かなかったのでしょう。二人とも福音書や使徒言行録ではいわゆるヒーロー
ですから、イエスや洗礼者ヨハネやステファノのように栄光ある刑死として書くべきだと思
うのですが。これは聖書を読めば読むほど深まる謎です。

それにパウロの書いた(であろう)書簡の自信満々な語り口。福音書の解釈として書簡がある
とすれば、その落差はとても大きいと言わざるをえません。

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037 2013/09/03(火) 20:55:28 ID:37F/.X2bZw
ブッダの死後弟子たちが自分の正当性を主張するため、独占欲を満たすため
遺骨の奪い合いを始めた

宗教などというものは
教祖が生きている間のみ正当性を確証できるのである
そして奇跡などというものを目撃した人間はただの一人も生きていない

キリスト教といえども死後、弟子達の分派、分裂のような見にくい人間欲に
まみれた宗教はもはや俗物としか言えないのである

全知全能の神が乗り物などを必要とするだろうか。。。
そんな戯言が記載されたものが信頼に足りる書物といえるだろうか

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038 2013/09/03(火) 22:20:16 ID:c3vcg2XHc.
>>37
キリスト教の場合、弟子たちの分裂というのは聖書を見る限り無いのです。
生前のイエスを知る使徒、対、イエスを知らない新参者、の構図があるわけです。

あくまでユダヤ教の範囲でイエスを捉えようとする使徒グループと、
イエスの教えを拡大解釈して暴走する新参者の教会。
前者はエルサレム教会であり後者の代表はアンティオキア教会。

その間で板挟みになり左右にぶれるぺトロ。

しかしローマ帝国各地に逃亡した信徒は後者の思想を持っていたので、
(だから大迫害の対象になったわけですが)、
いつの間にか後者の思想が主流になってしまった、と思うのです。

たとえば、原罪というキリスト教の思想。
これはパウロが自分の思想だと書簡ではっきり述べています。
律法を学べば学ぶほど私は罪深くなっていった。
律法に盗みは罪という文章があったので、私は盗みという罪を知ってしまった。
律法を知らなければ私は罪びとではなかった。
これは明らかな律法の否定です。
これではユダヤ教を大事にするエルサレム教会と対立するわけです。

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039 2013/09/04(水) 14:33:13 ID:ns44a9xPJ2
また律法から完全に自由になった、それはイエスの死によって人々の罪があがなわれたからである
…という思想も完全にパウロのものです。

パウロはユダヤ教の律法に対して完全無視の姿勢を見せていて、例えば、
コロサイ信徒への手紙では新月や安息日に捕らわれてはいけないと、
エルサレム教会から直接教えに来たであろう弟子を、暗に非難しているようでもあります。

ガラテヤ信徒への手紙でもパウロは律法無視を表明しています。
彼の自信あふれる口調は、彼がエルサレムで本格的に律法を勉強したインテリだから
成せるわざなのでしょう。
律法を学べば学ぶほど矛盾が出てくる、だから彼は自信を持って律法を否定します。

また、キリストを信仰することによって苦しみから解放されるという思想もそうです。
彼は牢獄に繋がれれば繋がれるほどそれを誇り、むち打たれれば打たれるほどそれを誇り、
あたかもマゾヒストのように自分の苦難を自慢します。
その苦難によってキリストと結ばれると。

彼にとって人間として生きていたイエスには全く興味がなく、
死んだ(そして復活した)という事実だけが重要でもあるようです。

彼のこのような考えはエルサレム教会では到底容認できるものではなかったのですが、
パウロはこの頃エルサレムで起きたらしい飢饉に、アンティオキア教会からエルサレム教会に
救援物資を送るという形で口封じ策に出ています。

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040 2013/09/04(水) 18:10:02 ID:ln1rIYmRdA
>>38
最初の弟子のマリアを教義上から抹殺してしまった事も含めて、聖書は真実という信用には全く当たらない書物という事を知っておいた方がいいかもしれないね
都合のいい編纂を受けた書物それが聖書

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041 2013/09/05(木) 23:48:41 ID:ax4CVdkUC6
>>40
ルドルフ・カール・プルトマンでさえもさすがに聖書は真実という信用には『全く当たらない』
とまでは言ってませんが、神話的(伝承的)部分を取り除くと、やはり初期キリスト教徒が
生活の座で述べた信仰告白が新約聖書の根幹となっているのは事実と思われます。さらに福音
書の趣旨はやはりケリュグマであると思います。教会にとって都合の悪いことは闇に葬られた
であろうことは間違いありません。したがって福音書を通じて真の(実在した人間としての)
イエスに迫るのは難しいと言わざるを得ません。

使徒言行録でも、アレクサンドリアからきたアポロというキリスト者が、パウロの教えを更に
上回った立派な事を言って人々を驚かせたというような逸話がありますが、たぶんアポロとい
うのはパウロとは違った教義(たぶんグノーシス主義?)を持っていたのでしょう。

現在に至るキリスト教(それはパウロの思想に他なりません)が確立されるために、様々な
教義が異端として退けられたであろうことは、既に紀元1世紀に書かれたアポロの逸話からも
うかがい知ることが出来ます。それは紀元2世紀に書かれた(らしい)トマスの福音書が20世
紀に再発見されるまで、完全に世間から抹殺されていたことからもわかります。

生活の座における信仰告白というのは、フェニキア女の信仰の逸話(マルコ7-24)が、初期の
教会の混乱をよく表していると思います。
シリアのフェニキアの女が、娘から悪霊を追い出して欲しいと頼むと、イエスの答えは、
『まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取り上げて小犬にやっ
てはいけない』。これに対して女は『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいた
だいてしまいます』。

これは子供たち=ユダヤ人、小犬=異邦人と解釈するわけですが、するとこれは明らかに異邦人
キリスト信者が、ユダヤ人を上位と位置付ける初期の教会から差別されていたことに対する、不
満を表明したものに他ならないということになります。マルコはどういった意図で異邦人の不満
をイエスの言葉として語ったのか。それはマルコの福音書を書いたマルコが、パウロの伝道旅行
に従ったマルコその人であるという証明のような気がします。

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