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聖書 Part10


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072 2013/03/09(土) 13:47:42 ID:FnAy9GqQI.
>>77
しかし、出典がその上げている本からって、さ。そんな手前味噌的な軽い書物ししてるそちらって。
で、>>25ー26あたりはもう、直でなにも言わないし。あのー、新來子(にらいし)の訳文は別のスレに投稿したが、あれ、そちらはなにも感ぜず、同じ事の繰り返しをやる雰囲気って。転載。
〜〜〜〜(訳文) 新來子曰く。
人の楽しみはわが本能の欲することが達せられたときです。
人は欲望を無限に抱くため、魂の餓えは癒えることがありません。
人の欲望は千差万別であり、その達成手段も各人各様です。
嘗て老子が「吾が言は甚だ知り易く、甚だ行い易し。
天下能く知るなければ、能く行う莫し」と嘆いたが、人は自身の天命によりその生涯を全うすることに集中するあまり、朝に目覚めてから夕べに就寝するまで目先のことに追われ、
ただ日々を慌しく過しているにしかすぎません。
だれもが自身の目的達成のため、知恵を絞り精力を傾け、社会に挑んでいるのです。
わが本能に従順に生きようとすれば、世間との軋轢を生じます。
世間の人々もまた吾が本能に従順だからです。
そうなると、どこもかしこも欲望のぶつかり合いとなり、世の中が騒然とます。
このような状態では世界中どこへ行っても住みにくいので、お互いの主張をゆずり合い、
より大多数の心が安らぐところで落ち着かせる必要が生じてきます。
これが寡欲の思考であり、人間にしかできない精神作用です。
だとするならば、その目的達成のためにわが身を苦しめる、わが本能とはいかなるものでしょうか
一時の毀誉褒貶や、死後数百年にしかすぎない名声を求めるといった、小賢しさを離れた、
本当の人生の楽しみを、いかにわが本姓に知らしめるか。老子に言う「知足」とはこのことなのです。
〜〜
==で、>>30のレスの英文、あれ無意味で書いていると思うか? そちらは光が良いもの闇は悪の象徴として
レスに書いていたが、文の内容は『光もまた漆黒のうちに生じる、それらの中のものうちのひとつ』。
分かる? この意味。森羅万象をすべてコンプリートと宣っているのに、それが出来ない理由についての
指摘もスルーだもんな。

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