>>3 まず、そちらの言の結びが、“無知者の致命的な事実誤認”となっていますが、
それは“人の心に 信頼の集約先を一切置かない”ことが不始末となっている風で、
さらにその波及の元は“本性の所の善性を見失うことで、上っ面だけの振る舞いしか
できなくなってしまったような 人間の言うことなどは全く信用に値するものでもないが、”
と前置きをしておられます。
で、
>そこで神を 信じたりするというのなら、
>そのような神が信じるべきでない神であることまでもが確かである。
とありますが、仏だろうが神だろうが、宗教的なことがらについての信じる行為は、
その人間の根本に由来しておりませんか? どの宗教が正しいとかの話しではなく、
そちらがレスの頭で、“人間の本性の部分にある善性は信用できる”と言い、
さらに宗教などでの信心は、その人それぞれの周囲の評価などを度外視した人間的な行為ではないですかね?
それが、妄信であればあるほど、なりふり構わない言動をしたりすることもあるようで、
倫理や社会通念など明後日においている感じで、より濃いような気もしますが。
人間の心とおっしゃるのなら、その人が信じる神が“信じるべき神でない”と誰が否定できますでしょうか?
(レスの引用はレスから直接コピペで、半角スペースは原文ママです)
返信する