破約の美徳 未開社会にはない、先進的な文明理念


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001 2012/07/13(金) 18:24:09 ID:gzrv6XKUEY
「魏武子に子供のいない愛妾がいた。武子は病になり、子の魏顆に対して『わしが死んだらあの女を再婚させてやってくれ』と遺言した。
しかし病が重くなってからもう一度『やはりわしを追って殉死させてくれ』と遺言した。武子が死ぬと、顆は武子との後の約束を破棄して、
愛妾を再婚させた。顆はいった。『病が重くなれば心も乱れるものだから、私は最初の正しい遺言に従ったのだ』。後の合戦(輔氏の合戦)で、
顆は老翁が芝草を結んで敵の杜回を妨害するのを見た。杜回はうまいこと結んだ草に躓いて転び、味方に捕らえられた。その夜の夢に老翁が
出てきて言った。『私はあなたが再婚させた妾の父親です。あなたは先代の正しい遺言に従って下さいましたので、恩を返させて頂きました』」
(「春秋左氏伝」宣公十五年より)

徳川家康が、老耄した豊臣秀吉の「息子の秀頼を天下の大将に」という遺言を引き受けておきながら、
牢人集やキリシタンなどの不穏分子を好んで囲い込む秀頼を、母の淀殿らと共に大坂の役で滅ぼしたことなども
つとに有名な話ではあるが、東洋にはこういった、契約よりも忠孝などを優先する「破約の美徳」という伝統がある。

法律はあっても道徳はないような未開の土人社会においては、契約こそはこの世で至上の理念とされ、
契約なり約束なりを破ること(破約)は、漏れなく人としての自らの信用を根底まで貶めることと見なされる。

しかし、忠孝や四端(仁義礼智)のようなより高尚な理念を尊ぶ、先進的な文明社会においては、
それらの進んだ理念を優先するために、律法のような遅れた理念に基づく契約や約束などを反故にすることが、
時に賛美の対象にすらなることがある。未開社会においては絶対無上のものとすらされる契約を、
より絶対的で大きな価値を持つ理念によって破棄することが、先進的な文明人ならではの美徳として嗜まれていた。

今は、東洋の日本などでもそのような考え方はほとんど失われ、契約こそは全てとする未開社会へと逆戻りして
しまっているが、大義によって時に破約をも美徳とする、先進的で未来的だったかつての精神を、取り戻したいものである。

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002 2012/07/13(金) 23:44:24 ID:k6jYobQpP2
明和にちんたら書き込んでいても・・・
笠ペディアかジゾペディアつくってくれ
HPたちあげたら毎日のぞくきにいくで!!

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003 2012/07/14(土) 00:18:37 ID:1Tr7LxzNGQ:au
もう、400字詰め原稿用紙40000枚分ぐらいは書いたよ。

並みの作家が一生に書く文章量ぐらいはすでに尽くしてるんだから、
整理ぐらいはおまえらでやれよ。こっちは他にもやることあるんだから。

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004 2012/07/27(金) 10:19:54 ID:8ZEkwFk4e.:au
西洋だと、特にロシア人あたりが破約上等で信用ならないものとされているが、
何の道義性もなくただ約束を破棄するのであれば、それは信用を失うに決まっている。

そうではなく、仁義礼智の四端のような、信そのものよりもさらに高度な理念を貫くために、
些末で有害無益な契約などを破棄することで、自分がより一層の社会的信頼を得すらする。
そういった所に、「破約の美徳」もまたあるのだといえる。

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