聖書の論理が世界を滅ぼす


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001 2012/05/27(日) 20:38:06 ID:4MDqaMqwIM
1.今の全世界、地球人類社会の政治を独裁しているのが欧米露聖書圏である。
2.今の世界は人口爆発や深刻な環境破壊、核戦争勃発の危機などによって着実な破滅へと向かっている。
3.1と2の事実から「聖書の論理が世界を滅ぼす」と結論付けることができる。

聖書の論理以外の論理によって、人類が確実に滅亡の危機を免れられるか、
必ず人類が繁栄へと導かれるかは、定かではない。しかし、新旧約聖書の論理が世界を滅亡へと
導いていることだけは間違いがないため、人類が「100%確実な、即座の滅亡」を免れるためには、
聖書の論理が世界を動かすことを、滅亡が決定的となる前に、途絶する必要がある。

誰もが薄々気づいていることだが、恐れたじろいで誰もまともに指摘しようとしない事実を、ここに明言する。

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002 2012/05/27(日) 21:16:11 ID:MRqnWLLvuA
あ〜いあむあ あんち くらいすと!

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003 2012/05/27(日) 21:21:01 ID:kHQCqRfdK6:au
茶化してる余裕も、まだ無くはない。

その余裕がなくなってからは、もう助かる余裕もないがな。

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004 2012/05/27(日) 21:30:28 ID:4MDqaMqwIM
からかう余裕 ∝ 助かる余裕

からかう余裕が絶えた時には、助かる余裕も絶えている。

からかう余裕がある内に、助けを乞わなければ助からない。

からかう余裕がある内から、助けを乞えるだけの改悛をしなければならない。

からかう余裕がある内から、助けを乞えるだけの改悛を受け入れることこそは、屈辱である。

からかう余裕がある内から、助けを乞えるだけの改悛を受け入れる屈辱を呑まなければ、助からない。

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005 2012/05/27(日) 22:22:17 ID:4MDqaMqwIM
最大級の屈辱を呑んで改悛し、必死で助けを乞うのでなければ、全人類ごと自分たちが
滅んでしまう窮地に追い込まれてしまっていることに対する同情なども、別に湧かない。

同情など少しも抱かせないに値するだけの、悪逆非道と悪態とを、自分たちで積み重ねてきているのだから。

誰にも同情されない中で、最大級の屈辱を味わわされること、それ自体が地獄の責め苦であり、
人類史上にも未曾有の悪逆非道を繰り返してきた者どもにとっての、至極ふさわしい末路だといえる。

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006 2012/05/28(月) 05:52:00 ID:Kg9Qev97U6
そういうことを言うと、
あなたは、常に、イエスの言葉の逆を行わねばならない責任と義務が生じてしまうのだぞ。
是非とも、その結果を報告してもらいたい。
その時真実に気づくだろう。

言葉とは、呪詛なのだ。発した自分を最も縛る呪詛は、実は、自分が発した言葉なのだ。
自分を縛り、不幸にする言葉は発するべきではないのだ。

マタイ12章
12:36あなたがたに言うが、審判の日には、
人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
12:37あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである。

言葉とは、怖いものなのだ、
それは、キリスト教も、佛教も、ヒンドゥ教も、古神道も、あらゆる宗教が知っている。

真理は、聖書や仏典やその他の聖典の中の、たった一つに気づけば、それが最初の一歩なのだ。
その瞬間が来るのだ。
たった一行の言葉を読んで、聞いて、

「これは、事実だ」

そう気づいた瞬間、真理の目が開けるのだ。
誰でも、ある日、それに気づくのだ。

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007 2012/05/28(月) 11:52:29 ID:0t24hiDqtc
権力犯罪聖書——通称聖書にあるイエスなりエホバなりのほざいている戯れ言の
逆を実践するということは、四書五経の記述の実践に務めるということだ。それは
周代や漢代や唐代の中国人、平安時代や江戸時代の日本人などが身を挺して示しているあり方で、
(ただし唐代の中国や平安時代の日本の場合は、仏教の実践も相当に兼ねている)
場合によっては、謀反人や火付盗賊への懲罰などの血なまぐさい事態もあったにしろ、
全体としてはよく泰平や繁栄を保てていた時代で、確実に人類社会が滅亡や困窮へと
追いやられている、犯罪聖書を実践した状態よりは確実にマシな様相を呈していたといえる。

真理や道理がある以上は、完全誤謬や概括誤謬もまたある。

仏教の把捉するものが完全なる真理であったり、儒学の把捉するものが概括的な道理であったり
する一方で、権力犯罪聖書——通称聖書が把捉しているものは、完全なる真理に真っ向から
反する完全誤謬や、概括的な道理に真っ向から反する概括誤謬である。真理とも道理とも
全く無縁なのではなく、本物の真理や道理に真っ向から反する転倒夢想である。だからこそ、
真理や道理と全く無縁な「単なる概念」など以上にも、本物の真理や道理であると錯覚しての
信仰や実践の対象ともしてしまいやすい。とはいえそれはやはり転倒夢想に根ざした邪信であり、
完全誤謬や概括誤謬の実践でしかないため、着実に人類を破滅へと追いやってしまうのである。

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008 2012/05/28(月) 12:29:01 ID:0t24hiDqtc
あたかも、仏典を信仰の対象としたり、四書五経を実践の対象にしたりするようにして、
権力犯罪聖書——通称聖書もまた、信仰や実践の対象とすることができる。しかしそれは、
犯罪聖書の記述が真理や道理に真っ向から反する「作為的な誤謬」の集大成であるからで、
その記述内容までもが、真理や道理そのものに根ざしていたりするからではない。

仏典の基本的な論調:
「生きとし生けるものは皆いつかは必ず死に、死んだ以上は二度と生き返らない」
犯罪聖書の基本的な論調:
「人はたとえ死のうとも、神を信じれば生き返ることができる」

四書五経の基本的な論調:
「父子君臣の関係を第一としてよく、尊重していかなければならない」
犯罪聖書の基本的な論調:
「父子兄弟は殺し合いをし、社会的な上下関係よりも絶対神への服従を優先しろ」

真理や道理が二つも三つも並立している時点で、それは真理でも道理でもなんでもない。
いずれも真理でも道理でないか、もしくはいずれかが真理や道理であり、
それ以外が真理や道理に違う誤謬でないのならば、筋が通らない。

四書五経や仏典の記述を実践や信仰の対象とすれば、我れと人とを総括した人間社会全体が
安寧や繁栄へと導かれる一方、それらの記述に真っ向から反する記述の集大成である
犯罪聖書を信仰や実践の対象とすれば、自分と社会のいずれもが多大なる不幸に見舞われて、
実際に困窮や滅亡と言った破滅へと陥れられる。だから四書五経や仏典の記述こそは
本物の道理や真理に適っていて、犯罪聖書の記述こそは道理や真理に真っ向から反する
概括誤謬以内の完全誤謬以下の代物であるということが言える。

完全誤謬や概括誤謬の塊でしかない、にもかかわらずではなくだからこそ、
信仰や実践の対象としていくこともまたできる。単なる「一般的な虚構」ではなく、
真理や道理に決定的に違背する邪義だけを選別して集めた「特殊な虚構」だからこそ、
あたかも真理や道理を尊ぶようにして、それを尊ぶこともまたできなくはない。

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009 2012/05/28(月) 13:13:18 ID:wY5XRD.7gw:au
「始め吾れの人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。
今吾れの人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る」
「昔、わたしは人の言葉を聞けば即座にその行いまでをも信じた。今は改めて、
仮に人の言葉を聞いたとしても、必ずその行いにまで注意を向けるようにしている。
(言葉はよさげでも行いは非道だったり、口汚くても行いは正しかったりするから)」
(真正福音書——論語——公冶長第五・一〇より)

権力犯罪聖書——通称聖書の逆を実践するために、何も仏典の実践にまで務める必要はない。
ごく当たり前な道理を無宗教的に取り揃えた、四書五経の記述を実践するだけでも十分である。

それだけで、儒学の実践に特に忠実だった前漢の頃の中国や、江戸時代の日本程度の繁栄は達成できる。
確かに当時の中国や日本にも、謀反の多発や匈奴との小競り合い、火付盗賊の一時的な横行などの
問題は来たしていたが、それとて、世の中の破滅を決定付けるほどのものではなかった。しかも、
漢帝国や江戸幕府の崩壊を決定付けたのは、黄巾党のようなカルト集団の跳梁や、米英を始めとする
侵略勢力による外圧であり、それにより儒学の実践が妨げられたからこそ、崩壊をも来たしたのだった。

四書五経だけでなく、仏典の実践にまで及んだときに、世界最高の文化大国となった大唐帝国や、
死刑一つ行う必要もないほどに罪業が絶やされた平安朝ほどもの未曾有の治世が達成される。
それもまた選択肢としてあることはあるが、それはもはや「聖書の記述の逆の実践」なんていう
低レベルな領域に止まらない、より積極的な断悪修善の先にこそある代物なので、今はまだ措く。

まるで、ザラスシュトラがアンラマンユを罵倒するようにして、俺もイエスやエホバに対して、
「ほざく」とか「戯れ言」とかの侮辱的な言葉を用いている。これも、漢代の中国や江戸時代
の日本であれば、まだある程度は容認されていた程度のたわ言だから用いているのであって、
侮蔑一つ許されることがないような時代が到来するのは、まだ先のことだと踏んでいるからだ。

言葉の良し悪しなど以上にも、行いの良し悪しのほうを重視する、四書五経の実践にもなっている。

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010 2012/05/28(月) 22:27:28 ID:xUnUy6PvP6
視野が狭くないですか?
いずれは、人類も地球も宇宙も滅びるそうですよ。
もしも、それが事実だとするとあなたの膨大な執筆も無意味で無価値ですね。

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011 2012/05/28(月) 23:54:59 ID:0t24hiDqtc
だから>>1でも書いてるじゃないか。
>「100%確実な、即座の滅亡」を免れるためには
と。

100%確実な、即座の滅亡までもが免れ得ない事態だからこそ、
視野の広狭の極致でもある、絶対的な境地でもあるんじゃないか。

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012 2012/05/29(火) 06:42:22 ID:l4q7RA6ago
ご立派な思想家さんは、こんな明和なんかで何してんの?
本でも出せば良いんじゃないですか?
それとも、「闇の勢力が出版を邪魔している」んですか?

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