漢の高祖劉邦なども、若い頃から誇り高ぶってホラを吹くクセがあったらしいが、
それとは裏腹に臣下の言うことにはよく耳を傾けて、自らに過ちがあれば即座に
改めてもいた。これこそは、劉邦の誇り高ぶり癖が単なる虚勢だった証拠であり、
誇り高ぶりなんぞがただの虚勢であったればこそ、かえってよかった。
平清盛存命中の平氏のように、驕り高ぶりが完全な真性となったとき、本人たちが
自業自得での破滅に至るに及んで、全くの救いようもなくなる。高ぶりをもはや拭い去る
こともできないため、自分たちから救いの手を振りほどくようなことになってしまう。
歴史上において、投降すらすれば救われそうなものを、自らあえて最悪の乱暴に
及んで身を滅ぼしたような類いの人間がかなりの人数見受けられるが、それら全て、
もはや誇り高ぶりを捨て去ることもできないほどに肥大化させてしまった者どもである。
天命のために命を賭したりしたわけでもない、単なる無駄死にであったには違いなく、
そのような死に方がいくら悲劇的なものとして持て囃されるのであっても、決して範と
するには値しない。話として面白いのと、見習うべきなのとは、全く違うことなのだから。
「驕淫矜侉、将に悪に由って終えん。放心を収むると雖も、
之れを閑ぐこと惟れ艱し。資富能く訓えば、惟れ以て年を永うせんに」
「(紂王の放辟邪侈にあてられた元殷の民たちは)誇り高ぶりによるうぬぼれがひどく、
このままでは最悪の末路を辿ってしまうことになりかねない。不埒な思いを一時ぐらいは
収められたとしても、完全に防ぎ止めるのもなかなか困難なこと。(人から嫉まれる原因になる)
財産があっても、やたらと誇り高ぶらぬ恭謙の資質があったなら、長命を全うできるというのに。
(無闇に誇り高ぶって長命を全うできることわりはどこにもない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・畢命より)
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