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聖書 Part7


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252 2012/03/12(月) 15:37:56 ID:9enI4AG1Mg
儒家道徳の、一度目の過ちだけはゆるすという規定と比べれば極めて精密であり、中には懺悔すれば許されるような、
儒家以上にゆるいと言えるような戒も多くある(ただし、世俗社会では守る必要もないとされているような戒ばかりである)。
しかし、「一度犯せば二度と許さない」とする罪が波羅夷として四つあり、「犯せば必ず罰を科される」とする罪が
全部で四十九戒もある。「どんな罪を犯しても七の七十倍の回数ほどにも許す」なんてことはもちろんないわけで、
四諦八正道という真理に根ざした仏門の出家修行が、儒家以上に厳しい規定に即していることこそあれど、
より緩い規定に即しているなどということは、全くもってないわけである。

俗世の分別たる俗諦を、正法に得入するものではないとして低く見る仏門においても、俗諦をありままに実践する
儒学以上にも厳しい規定に即した出家を是とする。これは、釈迦が真諦や真俗二諦の修得に精進した結果、
実践面では世俗道徳の中庸と同じ、中正志向である「中道」が最も真理に適っていると再認したからで、
絶対真理の求道の先にあったのはやはり、過ちは一度ぐらいは許しても二度とは許さない世俗道徳と同等か、
それ以上にも厳しい言動規範の守備であり、「過ちは七の七十倍の回数繰り返しても許す」などとする、極端な放逸を
よしとするものなどではけっしてなかった。世俗の道理だけなく、絶対真理もまた、決してそんなものを是とはしない。

「敬讓以て此れを行うときは、過ち有ると雖も、其れ甚しからず。夫れ恭なれば過ち寡し」
「畏敬と辞譲の心をもって物事を行えば、過ちを犯したとしてもそんなに甚だしいものとはならない。
それに恭しさが伴っていれば、自然と過ちも少なくなっていくものだ。(甚だしい過ちを
際限なく繰り返すような人間の心には、畏敬も辞譲も恭しさも全く欠けているのである」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・表記第三十二より

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