千日回峰行


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001 2011/05/07(土) 06:32:42 ID:/oYpUWcmbQ
最初の3年間は、1年のうち100日だけ行が許され、1日30Kmを歩いて255ヶ所の霊場を巡拝ます。
続く2年間は1年に200日、同じ修行を行ない、この5年間で通算700日となります。

 ここに至って、9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」に入ます。
この行を修めないと次の行に進むことは許されません。
通常、人間が断食・断水状態で生きられる生理的限界は3日間とされていることを考えれば
信じがたいほどの苦行といえるでしょう。

 この行の後、6年目は1年間に100日の行となります。
1日に歩く距離は60Kmと倍増し、巡拝する場所も266カ所に増ます。

 7年目は、前半の100日間が1日84Km、300カ所の巡拝となります。
1日にこれだけの距離を歩くとなると睡眠時間はわずか2時間。
夜中の12時に起きて歩き始めるそうです。

 最後の100日間は当初の1日30Kmの行に戻ります。
これで合計1000日間、歩く距離は地球1周に匹敵する4万Kmにも及びます。

 一連の行の中でそばが登場するのは、9日間の断食・断水という超人的な苦行に入る直前です。
いよいよ厳しさの増す6年目からの行に備えて、「五穀断ち」の「前行」が100日間行なわれます。
この間、修行者はそばと少量の野菜以外はいっさい口にしません。
 人間の細胞は3カ月で入れ替わるとされていますが
この期間に、その後の厳しい修行に耐え得るだけの肉体と
精神力を養うのではないかと考えられています。

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002 2011/05/07(土) 09:43:05 ID:/lDEA2dYzM
戒律否定主義のキリスト教徒なら、こんなものの価値は完全否定することだろう。

同じく無戒律ではあるものの、煩悩愚縛の凡夫としての至らなさをわきまえて、
自力作善の修習者を敬遠する浄土信者などとも違って、戒律も道徳律も守らずに
処刑用具(十字架)ばかりを金科玉条に掲げる、自分たちこそは最高に偉大だ
などと思い込んで、律儀な修行や道徳の実践者を貶めの対象にすらするだろう。

高尚であるものを己れに分不相応なものとして遠ざけるのではなく、
高尚なものこそは低劣であり、低劣なものこそは高尚だなどという転倒夢想の
迷妄に溺れ続けているのだから、当然こんなものの価値は寸分たりとも認めるまい。

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003 2011/05/07(土) 10:16:18 ID:EZ4OL4SMc2
この100日とか、9日とかの
数字は、どこで決まったんだろう。

昔の偉い坊さんが、これだけ凄い修行をした
って記録が残ってて、それをまねて、続けてるのかな。
しかし、武勇伝って盛られる事が常だし
だんだん数字が大きくなっていきそうな気もする。

トランス状態でいろんなものが見えそうだな。
暇だから、思索も果てしなく続けそうだし。

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004 2011/05/08(日) 11:22:32 ID:pNI8TSRI2I
何か嫌な事、しんどいと思い気乗りしない時など
千日回峰行を思い浮かべるようにしている
これに比べれば大抵のことは屁みたいなもんだ

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005 2011/05/18(水) 18:23:08 ID:EALcbRAki2
こんなことより、普通の会社に10年勤めることの方がはるかに辛く険しい道だと思います。

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006 2011/05/18(水) 18:35:56 ID:2iCyAonZYw
「肩を脅かし諂い笑うは、夏畦より病る」
「縮こまってヘコヘコとへつらい笑いを浮かべているのは、真夏の炎天下で田畑を耕すよりも精神を病む。
(悪い仕事はどんなに軽作業だろうとも、どんなに重作業な善い仕事よりも辛い)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句下・七より)

ってやつだな。

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