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聖書 Part6


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367 2011/11/21(月) 13:55:37 ID:20KSST9XKg
ただ「愛する」ということは、人間にとって最低レベルの情念であることが
孔子や孟子によって再三に渡って指摘されている。「愛しても敬いがないんなら獣畜も同然だ」
と孟子もいい、人間なら愛という感情に高い品性の備わった体系性を持たせるべきだとする。

たとえるなら、ボノボやチンパンジーも同然の、獣的に無軌道な愛が「洪水」である一方で、
親愛や仁愛といった志向性の備わった愛は、「治水によって自在に扱えるようになった用水」だといえる。

親愛や仁愛が人間精神に制御されて、その糧として自在に用いることができるようになった愛である一方で、
獣愛は人間精神の制御を全く受けない愛で、発露が行き過ぎると人間精神のほうを阻害すらするものである。

人間精神の部下となった親愛や仁愛こそは世の中に有益な影響をもたらす一方で、それ自体が一個の
至高価値と化した状態の仁愛は、世の中に氾濫すればするほど有害な影響を招く。獣愛も夫婦の営みや程度を
守った色遊びに用いられるぐらいなら許されても、人間社会を司る原理などとしては絶対に用いてはならない。

獣愛がメディアなどでも大々的にもてはやされて、それ以上の価値など存在しないような風潮にまで
持っていかれている点では、今の日本も聖書圏と様相を一にしている。君父への敬愛や万有愛護の仁愛を
蚊帳の外に追いやって、獣愛を原動力とする強欲ばかりを煽って、奴隷や牛馬も同然の過酷な経済活動に
従事させる。その原動力となっているのが一応は愛の一種であり、愛ゆえに多少は気休めともなるから、
民衆も自分たちが酷い迫害下に置かれていることを自覚しながらも、今の世の中の根本的なあり方に
疑義を呈するところまでには頭が回らない。まさに、愛の「鎮痛剤」としての悪用の最たるもの。

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