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聖書 Part6


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341 2011/11/03(木) 18:05:57 ID:7QmLUJLO7Y
「牛山の木は嘗て美なるも、其の大国に郊たるを以て、斧斤之れを伐る。以て美と為す可けんや。是れ其の日夜の
息する所、雨露の潤す所、萌櫱の生ずる無きに非ざるも、牛羊又た従いて之れを牧す。是れを以て彼の若く濯濯たるなり。
人其の濯濯たるを見、以て未だ嘗て材有らずと為すも、此れ豈に山の性ならんや。人に存る者と雖も、豈に仁義の心無からんや。
其の良心を放つ所以の者も、亦た猶お斧斤の木に於けるが如きなり。旦旦と之れを伐らば、以て美と為す可けんや」
「昔、斉国の牛山は美しい木々の生茂る名山として知られていたが、都市の近郊にあったせいで誰しもがその植生の木々を
斧まさかりで伐って取ったため裸山となってしまい、到底美しいとは呼べない外見になってしまった。日々の自然風土や
雨水も新たな木々の芽を生やさせようとはするものの、木を伐った跡地にさらに人が牛羊を放牧したりするものだから、
やはり木々が生長するだけの余裕もない。大雨の雨水を受け止めることもできずに、よく土石流を巻き起こしてもいるが、
それを以て『牛山には始めから木材になるような木などなかった』としたりする。どうしてこれが山の本来ある通りの姿だなどと
いうことがあろうか。これと同じような言いがかりで、生まれながらの人間には仁義を志す心がないなどと決め付けてしまって
いいものか。決してそんなはずはなく、人に良心が欠けているのも、元はといえば木々の生い茂っていた山を後から開墾して
禿山にしてしまっているようなもの。毎日良心の芽を刈り取ってばかりいて、どうしてかつての牛山のような美しさになれようか。
(ちょうどユダヤの行いは牛山の木々を刈り取る行いに、キリストの行いは禿山となった牛山に家畜を放牧する行いに該当する)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句上・八より)

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