仮に、自分が強盗などの犯罪被害に遭ったとしよう。
その強盗を行った相手が、ヒゲ面半裸のおっさんを連れて目の前に現れて、
「こいつが俺の代わりに罪を背負ってくれるから許してくれヘヘヘ」と言ってきたとしよう。
許せるもんかよ。
たとえその、代わりに罪を負ったヒゲ面半裸のおっさんが、民間人に対する刑罰
としては最重度にあたる磔刑で殺されようが、殺されてまた生き返ろうが(爆)、
罪を犯した張本人が罪を償わないのなら、決して許せるわけがない。
この程度のことは、自分が犯罪被害者の身になって考えてみればすぐに分かることなのに、
「アダムのあばら骨を一本とってイヴが作られた」と旧約に書いてあるもんだから、
「男のあばら骨は女よりも一本少ない」などという迷信を、ろくに調べることもなく
頑なに信じ続けていたキリスト教徒などには、その程度の注意力すらもが欠けているわけだ。
「性を成し存すべきを存するは、道義の門なり」
「人に天分として具わっている本性を成就させ、保存に努めるべき判断を
保存していくことが、道義に適うための唯一無二の門戸であるといえる」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・繋辞上伝より)
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