我思う、ゆえに我あり


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001 2011/01/17(月) 06:51:29 ID:iUBJAOG44M
やれやれ「我は在る」こそ本当の答えなのだ!

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002 2011/01/17(月) 10:17:42 ID:w1FQYqVyqg:DoCoMo
チャンチャン♪


――――完――――

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003 2011/01/17(月) 10:28:09 ID:3M5th54E7.
わけわからんな。
「俺が俺はここに居ると思えば、ここに居るんだよ!」という事か?

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004 2011/01/17(月) 16:17:20 ID:0iRhdia0aY:DoCoMo
全ては幻想かもしれんが、それを疑ってる俺は存在している、だから俺は存在している ってことか?

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005 2011/01/17(月) 20:19:20 ID:5tyoFymWUc:au
Yahoo!知恵袋で 天上天下唯我独尊とおなじ意味だとか書きこみがあったけど何故だか分からない(笑)

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006 2011/01/22(土) 15:52:19 ID:eU62S70NDg
人間だけが「なぜ自分は人間なんだろう?」と考える
それこそが人間が人間である証だ。

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007 2011/01/25(火) 13:50:13 ID:R84NQx5Jec:au
疑念から入る思索
最後には疑っている自分だけが確かな存在

すべては疑わしいが疑っているワタシは確かに存在する

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008 2011/01/26(水) 20:17:16 ID:CQAe1tfMpI
俺がお前でお前が俺で

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009 2011/01/26(水) 21:06:07 ID:4IbTJBZV0k
食べたり人を恋うたりする私。
デカルトに俟つまでもなく私は生きている。
そして必ず死ぬさだめだ。

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010 2011/01/26(水) 23:41:35 ID:bt57cFItAA
ポエマー思う、ゆえにポエマーあり。

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011 2011/01/27(木) 03:20:40 ID:ViZsnUZjPE
つまり、「そこにある>>9のドーナツは我の物じゃ!」という事なんだな!

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012 2011/01/27(木) 09:46:42 ID:lSgoxrAbso
でもさ自分の見ている世界と他人に見えている世界は
違うんじゃないかって思うときってあるな
例えば自分が認識してる赤という色は他人にも同じ色で見えてるのか?とか

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013 2011/01/27(木) 18:50:09 ID:uXQT5CzmeM
光の波長によって(振動数も波長に反比例して決まる)色が違う。
色を見分けるとは、網膜が受け取る光の波長を見分けているのだ。
色神の遺伝的形質によっては色を見分ける機能が弱い人もある。
つまり違ったように見えているわけだ。

だが感覚でどうとらえるかに関係なく実在=物質世界がある。
これが唯物論の立場。
実在がまずあってそれをさまざまに認識している。

認識は発展する。実在のさまざまな要素が次々に認識されていく。
記憶という働きがそれを支える。

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014 2011/01/28(金) 18:55:13 ID:Iki/ZMGY3.
>>12
それでも一緒に海を見れば「綺麗な青だね」と共感できる。

それでいいのさ。

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015 2011/01/30(日) 00:01:09 ID:MBlKr6ZTlw
その近代二元論を乗り越える事が、現代哲学のテーマとなったわけで、父さん…
因みにデカルトは、ニュートンに先駆ける運動の3法則とか、天文、数学、物理、政治、宗教、文化などを論じた『省察』という博覧強記の著作を残しています。
「我思う、故に我あり」はその前書きみたいな『方法序説』という著作に書かれた一つです。
ラテン語で「cogito, ergo sum(コギト エルゴ スム)」
コギトは意識(思う)、エルゴはエゴ(自我)、スムは存在を示す(英語でいうB動詞)です。
「我思う、故に我あり」は随分古い訳語で、まあ、いろんな異論があります。
で、デカルトは、まあそんな分析というか思索を経て、神の存在証明に取りかかるわけです。

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016 2011/01/31(月) 11:23:13 ID:gfz/nW1Fhw
エルゴとエゴは別だべな

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017 2011/01/31(月) 16:14:46 ID:gfz/nW1Fhw
「唯物論」と称して機械論や観念論が横行する。

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018 2011/02/08(火) 23:54:57 ID:fH8gb6fGz2
デカルトの方法的懐疑は、14才の僕を独断のまどろみから覚醒させた。

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019 2011/02/19(土) 13:31:38 ID:/2azd14hhs
1である

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020 2011/02/19(土) 13:33:01 ID:/2azd14hhs
2である

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021 2011/02/26(土) 20:08:31 ID:lYkg6tZ0Cg:DoCoMo
思考は現象の一種であり、自我の根本に当たる精神とは別物。

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022 2011/03/01(火) 16:30:26 ID:HPRfFEC25Y
脳神経の活動によって成立している知覚・意識・思考を精神と言う。
自我(ego)は生理現象と本能の作用(id)に衝き動かされるものだ。
そこをフロイトが初めて体系的に述べた。

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023 2011/03/01(火) 16:35:51 ID:HPRfFEC25Y
S. Freud 1914

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024 2011/03/01(火) 21:05:52 ID:VD6BsbJ9fc
>>22
それは、古来からの「精神」という定義とは大いに異なる。

人体には、「丹田」と呼ばれる身心機能の中核に該当する部位が上中下と三つ存在し、
上丹田は人体のバランス感覚を司る中脳付近に、中丹田はご存知、生命維持機能の根幹である心臓付近に、
そして下丹田は、妊娠中の母体に宿る胎児の位置付近に該当する。

この三つが人間にとっての「精神」の所在位置であり、これらをそれぞれ八卦の三爻に見立てたなら、
あらゆる人間関係を六爻六十四卦の卦辞や爻辞として表すこともできる。

上丹田と中丹田と下丹田のうちのいずれもが、人間の「思考」を司っている部位には当たらず、
頭部に位置する上丹田ですら、無意識に姿勢制御を司る中脳付近であるとされる。しかも、
これらの三つの丹田のうちでも、最も重要とされるのは、接頭語抜きで「丹田」と呼ばれる場合も多い
下丹田であり、妊娠中の女性や肥満した男女でもない場合には、体外に露出するともされる。
この下丹田が安定していなければ、中丹田や上丹田も安定せず、よって必ず精神が不安定になる。

とにもかくにも、上中下の丹田こそは、太古の昔から伝統的に「精神の在り処」とされており、故にこそ、
左右の大脳皮質が司っている思考などは、丹田が司る精神という根本に対する末節でしかないとも断定できる。

中脳付近に該当する上丹田が脳内にあるわけだから、脳が全く精神の在り処ではないなどとは言えない。
しかし、脳のうちでも大脳皮質のような一部分だけが司っているに過ぎない思考などが、
精神の在り処でもあるなどと考えるのは、それこそ思考自体の自意識過剰による過ちだといえる。

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025 2011/03/02(水) 07:12:28 ID:QSKlCzCAIE
人が死ぬ時、その人の神経活動も止まる。一たび生きてやがて死ぬ人体。
死なない「精神」がそんな人体に宿る。という言い方も比喩的に理解はできる。

しかしその「精神」が人体の特定の部位に所在するという言説は、
物質的実在と観念を同列に扱うような謬論である。

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026 2011/03/02(水) 10:13:21 ID:t9f7r4on5Y:DoCoMo
「人体に精神が宿っているのなら」という話であって、
梵我一如や物我一理に即するなら、この宇宙に精神が遍満していて、
生物としての有機構造を持った人間が精神を持つことからして「借用」の範囲に過ぎないともいえる。

ただ、身体に精神が宿っているとしたとしても、その妥当な在り処であると考えられるのは、
思考を司る左右大脳などよりはむしろ、人間の正中線にも位置する丹田のほうであるといえ、
実際、大脳が損傷しても人間は高い確率で生存できるが、
中丹田に位置する心臓が損傷を受ければ一発で死亡する。

思考能力がIQ20〜35程度にまで低下した重度知的障害者や重度精神障害者(聖書信仰者含む)も、
疾患部位が思考を司る大脳に限られていれば、一応命を保つことができる。

人間よりも遥かに低脳な動植物にもやはり精神があり、自律的な思考に頼らずとも生育する。

思考が精神の在り処でもあるなどという甚だしい謬見が、
万物の霊長としての、人という存在に対する根本からの誤った見方までをも来している。

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027 2011/03/02(水) 20:11:03 ID:uMiuRxnbHk
「精神」という言葉で汎神論を説いているが、個人の思考で解釈・構成した
カテゴリーにすぎない。言葉としてのみ取り扱えるものだ。

旧軍隊で「精神」を注入すると称して家畜的調教が行なわれたことを連想した。
自分らに都合の良いイデオロギーを「精神」と称することが横行している。

精神神経医学で言う精神は生理作用の意味である。
身体を温めれば精神が和らぐ。というように遣う。

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028 2011/03/03(木) 03:38:43 ID:l4Uxk7dKnQ
医学が発達していない時代の実在しない器官の寓話や
愛と根性で精神注入とかの汗臭い話題には興味ない。

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029 2011/03/03(木) 11:54:30 ID:uIwYueQ352:DoCoMo
現代医学からして「精神」という言葉の使い方を根本から間違えているものだから、
あたかも火元を処理せずに大火事の末節に小水を振り掛けるようにして、
真性の精神障害が増長し続けてもいるわけだ。

思考は、精神という光に対する影のようなもの。
精神それ自体に思考のような情報としての構造はなく、
思考や意識とも無関係にすら、生命が生育する原動力となる。
その生命力を直接的に司っているのは、第一には心臓であり、
心臓から送り出された血液によって生命力を得た諸々の身体機能を、
次に姿勢制御のような消極的な身体制御を中脳が司る。そしてその次にやっと、
大脳の思考に基づいて、小脳が積極的な運動を身体に促したりする。

心臓や中脳が身体機能を司っていることと比べれば、
大脳や小脳による身体制御は副次的なものであり、
熟睡中には大脳や小脳からの身体制御もほぼ完全に停止する。
それでも人間は生き続けているわけで、仮に大脳の司っている思考が
精神の在り処であるとするなら、精神は人間にとってあったりなかったりするもの
ということになる。それこそ、生命を司るより根本的な神秘としての、
本来の定義に基づく「精神」の実在から目を背ける蒙昧であり、
真の宇宙精神への冒涜ともなる、俗悪極まりない卑言であるといえる。

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030 2011/03/03(木) 12:21:21 ID:kW5QNEx4gk
「宇宙精神」を解するという触れこみで詐欺をはたらく輩。

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031 2011/03/10(木) 19:59:33 ID:38JFb0Afiw
唯の「有る」が正解

(注:「在る」ではない)

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032 2012/10/17(水) 10:08:04 ID:Qhm0mX32G6:SoftBank
033 2012/10/17(水) 10:35:42 ID:Qhm0mX32G6:SoftBank
034 2014/12/23(火) 18:04:03 ID:.wpxD9Pbfg
チャンチャン♪


――――完――――

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