こういうものしか、拠り所に出来ない類いの人種がいる。
しかし同時に、こんなものしか拠り所に出来ないような連中を
世にのさばらせ過ぎた結果、今にも人類が滅亡しようとしているのでもある。
育ちによる場合もあれば、産まれによる場合もあるだろうが、いずれにしろ、
こんなものしか拠り所に出来ないような、下等な品性の持ち主を無闇に増殖させて
世にのさばらせてしまうようなことから、本当は是正していかなければならないのであり、
すでに増殖させ、のさばらせてしまった挙句に「どうしようか」などと考えあぐねるのは、
その時点でもうすでに下策であり、多分に「後の祭り」でしかないのだ。
大幅に手遅れな状態にすでに行き着いてしまっているから、自決だの服役だの強制入院だの禁治産だのの、
家畜に対する殺処分にも等しいような仕打ちを、数多くの人々に強要しなければならなくなってしまっている。
本来ならそこまでいく以前に、狂牛も同然と化した廃人の増殖やのさばりを食い止めなければならなかったのであり、
決して上記のような酷烈な仕打ちが、この世に必ずもたらされるべきものだったりしたわけではない。
新旧約聖書に書かれてあるような、ひどく劣悪な人間規範が、実際問題として存在するのは仕方ないことだが、
それが金科玉条に掲げられて、産めや殖やせやの社会的繁栄の原動力とまで化してしまうのは全く仕方なくもなく、
あって余計であり、なくて別に困らないもの。むしろなくて安泰であり、あってどうしようもなく有害なばかりのもの。
ないところに平和と安寧があり、あるところに戦乱と破滅がある、それが新旧約聖書。
こんなものしか拠り所に出来ないような人間からして、始めからいないほうがいいのだ。
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