哲学者たちに聞きたい。恋って何だろう?


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001 2010/10/10(日) 06:47:19 ID:G1PFPgJ2BQ
「恋」に似た言葉を探しています。
ものすごい近い言葉では「愛」とか「情」とか「欲」とか「性」。
でもこれらの近距離の言葉って
本質的なところではなんか違うというか、
つながりが浅い気がしてなりません。
哲学に足をつっこんでいる皆さんに聞いてみたいのです。
あなたなら「恋」をどういう言葉で表現しますか?
ふと思い立ったら何か記してくれますか。

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023 2010/10/14(木) 23:35:50 ID:Z4S2BMCUKY
>1
ギョヱテに訊け

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024 2010/10/15(金) 14:31:36 ID:1ja3MRhPdg:SoftBank
025 2010/10/15(金) 19:18:39 ID:XaGkivMJyw
愛とか勇気とかいった感情は、人間にとって最も原始的な感情のうちであり、
ある程度社会性が発達してから備わった、道徳意識や罪悪意識などよりも遥かにその歴史も古い。
だから金科玉条にも掲げやすいが、現代社会のような文明的に発達した世の中は、
愛や勇気ばかりによって成り立っているわけでもなく、規矩準縄の多用による構造的な開物成務が行き届いている。

その全てを今さら愛や勇気ばかりが司れるわけもなく、文明は文明で相応の技術的な理念に即す必要がある。
それは、たとえば礼節に世の中を正していく仁徳統治であったり、どこまでも争乱を増幅させる劣悪支配であったりする。

その根幹となる道徳性や犯罪性は根本的には愛や勇気とはまた別個のものであり、「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」のような
成長した大人にのみ備わる、善悪のわきまえやその不全などによってもたらされる。愛や勇気にも善悪が備わらないことはないが、
善悪以前のものであるが故に必ずしも善悪と関係はない。ただ、善悪と関係がある場合には、愛は仁愛となったり偏愛となったりし、
勇気は大勇となったり蛮勇となったりする。善用も悪用も自由自在な諸刃の剣、それが愛や勇気であるために、世の中を善くしたり
悪くしたりする上での根本理念になったりするわけではなく、ただ善用されたり悪用されたりする「都合のいい道具」となるのみ。

愛こそは世の中を繁栄に導くわけでも破滅に導くわけでもないし、勇気こそは人を善行に導くわけでも悪行に導くわけでもない。
善悪に対しての個々人の前もっての選択があった上で、その後に愛や勇気が注入されて善や悪が推進されていくだけのこと。

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026 2010/10/15(金) 19:42:35 ID:sd2XX/UZWw
>>愛とか勇気とかいった感情は、人間にとって最も原始的な感情のうちであり

思想板とは思えないトンデモ発言だなあ。
哲学史と文学史をやりなおせよ・・・。

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027 2010/10/15(金) 20:45:25 ID:x11Flx65hA:SoftBank
今の『愛』はキリスト経の概念だな。

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028 2010/10/15(金) 21:32:17 ID:ck8XHnV1FU
>>26
えーっとつまり情動とか3大欲求とか本能とか
そういう類の指摘?

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029 2010/10/15(金) 22:17:57 ID:CBFfc12UPk
「愛」という概念自体が人工的なもので文化によって差異が激しいため
生得的な感情や本能的な衝動として「愛」という言葉は普通使わない

ということだと思う。

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030 2010/10/15(金) 22:34:48 ID:XaGkivMJyw
10万年前のネアンダルタール人が行なった形跡すら発見されている「埋葬」は、
親族などを手厚く葬って、その亡骸を野ざらしなどにはするまいとした愛情の現われであるし、
200万年以上前のものまで発見されている石器なども、未知なる自然界を切り開き、
猛獣などに対しても果敢に立ち向かおうとしていた勇気の現れだ。

人類文化はその最原初から、愛や勇気と共に始まっていて、愛や勇気とのみその生活を営んで来た
原始時代の歴史のほうが、規矩準縄の扱いを覚えて粗大な文明を発展させてきた歴史よりも遥かに長い。

もしも原始時代の生活水準にまで遡ってもいいというのなら、真に愛や勇気こそは人間性の根本としても
認められるわけだが、粗大な物質文明を愛や勇気ばかりに司らせようとすれば、色々と問題を引き起こす。
夫人の仁愛は一部分ばかりに利益を呼び込んで他をないがしろにし、匹夫の蛮勇はことごとく何もかもを
破壊するばかりで何ら生産的な成果を残さない。人間の感情の理想像としての愛や勇気も、自分たちの領分
ではないところ、ことの善悪こそは問題である文明社会の運営については、大きな顔をするべきではない。

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031 2010/10/16(土) 05:11:39 ID:lFtGN.WNy6
繁殖行動

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032 2010/10/16(土) 12:07:08 ID:uaMdWVGdW2
>>30
いや、だから学術的にそれを「愛」と表現することは絶対にしないんだよ。
「愛」自体が時代や地域性によって定義を異なるのでね。

宗教心のことを「アガペー」と表現したら大問題なのと同じ。

ちなみに、ネアンデルタール人の埋葬は「宗教心」と表現されてきたが
いまの学会では否定的な見解のほうが強いという事と、
言うまでもないが、ネアンデルタール人とクロマニョン人は別の種族で
今の人類とつながりがないことは強調しておこう。

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033 2010/10/16(土) 12:46:01 ID:Hru.3JCSA6:DoCoMo
親族を丁重に葬ろうとする親愛の情すらも愛として認めない学会なんて、カルト団体もいいところだ。

自分たちで勝手に愛や恋の定義をねじ曲げて、間違った定義に即したいい加減な論議に終始する、
ネアンデルタール人以下のサル同士の戯れでしかない。

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034 2010/10/17(日) 21:42:46 ID:VHIZ.19.g.
>>25>>30
だからあなたは「恋」を何だと思うわけ?
あなたの長文は趣旨がわかりにくいの

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035 2010/10/17(日) 22:04:17 ID:dJsnDEdyC6:DoCoMo
一言や二言で愛が尽くせたなら、
誰も苦労しねえよ。

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036 2010/10/18(月) 18:47:13 ID:OP8o3pnMVI
こいつ例のニートだろ?
頭悪すぎて誰にも相手されてない。


>>33
言っても理解できなさそうだけど、
それは「親愛の情」であって「愛」じゃないんだわ。
それを「愛」と言ってしまったらお前はクリスチャンになるぞ。

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037 2010/10/18(月) 19:43:33 ID:O5qkPdUIio
くそばか。
親愛を愛の第一に掲げているのは儒家だ。

親子兄弟の殺し合いすら聖典中で予言されている凶悪カルトなどと一緒にするな。

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038 2010/10/18(月) 20:56:43 ID:2ezgthEz.E
恋っていう字は
変っていう字に似てるんだがなあ

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039 2010/10/18(月) 21:34:33 ID:01073iHWYM
過去の宗教教義を土台にしないで
いま生きてる自分の言葉で語ってみろよ
恋くらい誰でも経験あるだろ
自分の経験を観察し言葉にしようとする試みが哲学だろが

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040 2010/10/18(月) 21:58:26 ID:O5qkPdUIio
血の繋がりのある父母への親愛こそは愛の本質。
妻子への家庭愛は、情的には極まるがその次。

まだ他人に過ぎない異性を、父母や妻子といった
家族の輪に組み入れたいという気持ちの発端が、恋(故意)。

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041 2010/10/18(月) 22:11:56 ID:O5qkPdUIio
過去の宗教教義なのもキリスト教のほうであって、
無宗教的な学知に即して親愛を愛の第一とする儒家のほうではない。

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042 2010/10/19(火) 20:24:30 ID:tDW1Tlmy5E
>>40
恋(故意)
 ↑
これセンスいいと思う

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043 2010/10/20(水) 05:03:01 ID:FKKkJ8vV7I
>>1
哲学者に聞くより、虫や動物観察したほうが真理に近づくんじゃまいか

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044 2010/10/21(木) 22:48:43 ID:e1RKpa4R9U:SoftBank
≫37
あほか。「愛」と言う字は昔から漢字圏にあったが、
今の「愛」の概念とは全然使われ方が違う。
現代日本語で使われる「愛」は
キリスト教概念に「愛」という漢字を当て嵌めたもの。
近代思想史とか少しは勉強しろよ。
そもそも「愛=親愛」ではないし、無茶苦茶すぎる。

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045 2010/10/22(金) 10:33:51 ID:7UYot1NZSs
キリスト教概念なんてどうでもいいんだよ。
そんなものは愚民化のための洗脳措置でしかないのだから。
せいぜい「虚構の愛」ぐらいでの扱いしか必要はない。

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046 2010/10/25(月) 12:03:54 ID:7HJOmaIPdY
自己愛が敷衍されたもの 

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047 2010/10/25(月) 20:11:16 ID:siVTDRer/.
「自愛から他愛」という方向性を持つのが女の愛。
「他愛から自愛」という方向性を持つのが男の愛。

股間を犯されまくっても喪失しないほどの自愛は、女にはあるが普通の男にはない一方で、
仁愛にも昇華されるほどの体系だてられた他愛は、男にはあるが普通の女にはない。

親愛を中心に博愛や自己愛、夫婦愛などの、数多くの愛を秩序立てて世の中の根本構造にすら
昇華させてしまうほどの仁愛は、自愛が中心である女には到底抱けないし、ちょっとやそっとの
匹夫である男にも抱けない。父母にもらった身体を傷つけることなく土に還すことを重んじた
曾子の仁愛などは、腹を傷めて子を産むことで世に貢献する女などが見習うわけにもいかない。
男でも、極端に自己を卑下して客にへつらう商売人などは、上記のような親愛から派生する自愛
をたしなむことはできない。自愛から派生する他愛が自ずからの他愛とは異質なものであるのと
同じように、他愛から派生する自愛もまた、自ずからの自愛とは相当に異質なものとなっている。

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048 2010/10/26(火) 14:48:38 ID:m7YbJfE7xc
哲学的というんだから、とりあえず意見は
「経験的な」ものか「先験的」なものに分けなきゃ…。
これがけっこう厄介なんだけど、そうでなきゃ「自分はそう思う」
なんて他人に関係ない代物になっちゃって、対話になんない。
愛に文明的なものまで含まれるなら「規制された本能」だけで片付けられない
性欲と情欲も分けなくてはいけない。さらに「万人に内在するある情緒」とまで進めば
「先験的」あるいは「ア・プリオリ」な、はたまた
生まれる前にプリ・インストールされたプログラム?とまでいかないと
みんなに共通なテーマとはならない。んじゃない?
これ、グダグダにしないで続けるのって大変だぞー!

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049 2010/10/26(火) 20:15:31 ID:d2c2TCg3n2
愛にアプリオリもアポステリオリもない。

というよりも、あらゆる構造的な理念に先験性はないのであり、
構造現象的な理解によってどうにかなるようなものに形而上性を期待することから間違い。

異性の身体が突出した情愛の対象となるように、愛は構造現象を支える最大級の根幹であり、
構造現象への偏重が自然と情愛への偏重とも繋がる。愛とか勇気とかはそこまでの存在であり、
だからといって尊重される資格もなければ、卑下される謂われもない。

人として最大級に美麗な女子には大きな愛があり、人として最大級に雄大な男子には真の勇気がある。
それは、男とか女とか美醜とか勇怯とかの、実質的な構造性に根ざしたものであるからして、
いっさい形而上性に基づく必要性がないものの内での、最大最強最高の存在であると捉えるのが
正解であり、その領分を超えて、形而上に連絡するなにがしであるかのように思い込むのが間違い。

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050 2010/10/27(水) 08:34:40 ID:QRs.i//l3g
>>48の登場でようやく板らしくなってきた

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051 2010/10/27(水) 19:54:58 ID:.i.XoDgfLs:SoftBank
そして49は中身ナッシング

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052 2010/10/27(水) 19:57:45 ID:.i.XoDgfLs:SoftBank
≫45
どうでもいいとかじゃなくて、
明治になって「愛」の意味がかわっちったから、
現代的定義でとらえるならキリスト経的だし、
中世までの概念で今の「愛」を語るなら「愛」という言葉は適当でない。

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053 2010/10/27(水) 20:24:28 ID:BYu0G9nT8k
わざわざ劣悪化させた愛の定義を、いちいち根本に据えようとしてんじゃねえや。

親愛から自愛や夫婦愛、さらには君臣の義までをも派生させていた、仁に根ざした愛のほうが高等である一方、
せいぜい隣人や友人程度までにしか親交の輪を広げない、キリスト教的な愛のほうがよっぽど低劣だ。

低劣なものを根本に据えて、高等なものを脇に追いやるのが現代であるのなら、そんな現代は終わってしまえばいい。
孔子も自らが政治を任された時には、まずは名辞(言葉の定義)から正していくと言っている(「論語」子路第十三・三、「荀子」正名篇などを参照)。
愛も義も信も道徳も、下劣な定義ばかりが後付けであてがわれて本来の名辞を失っている昨今、人々は言葉を有効に使いこなすこともできないでいる。
ちゃんと名辞が正されたところには、無制限といえるほどもの豊潤な文学世界が広がっているというのに。

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054 2010/10/27(水) 22:03:59 ID:tY3D.2E162
>>48
経験的でもいいから語れというのがこのスレの趣旨
>>1に「あなたなら「恋」をどういう言葉で表現しますか?」と書いてある
その言葉が適切かどうかの吟味は求められてない
つまりブレーンストーミングってことだ

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055 2010/10/27(水) 22:16:41 ID:tiGwhfqpYM
プラトニックなフェティシズム

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056 2010/10/28(木) 13:29:29 ID:IEULUG3S8g
>>49 「最大級に美麗」とか「最大級に雄大な男子」って…?????
たとえばUFOとか心霊現象のこと?それとも通販の美容器具みたいなもの?
ま、最強と言えば最強だね…

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057 2010/11/02(火) 13:45:59 ID:sKfJ.VsCYE
欲かな。

♂はエッチをやりたい。
♀はわがままを聞いてもらいたい。

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058 2010/11/02(火) 14:22:50 ID:EZBBVbINCc
それが本心?
考えなしに吐き捨てただけでしょ?
汚れた美徳を嫌っても
その汚れには自分の汚れもたくさん着いてる
洗って磨き直さなきゃどうしようもない時代が
もうそこまで来ているんだけどなあ。

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059 2010/11/02(火) 19:05:55 ID:4UshTOWNec
>>53
完全にスレ違い。
1の問いにあるように「恋に近い愛」が趣旨なんだから。
何言ってんだか。

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060 2010/11/16(火) 08:13:38 ID:yuVH4bpAHg
恋=麻薬

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061 2010/11/16(火) 17:44:38 ID:RBkcEtjlnc:au
発情期

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062 2010/11/16(火) 20:32:16 ID:7TowPO6Ua2:DoCoMo
背理期

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063 2010/12/08(水) 13:20:58 ID:n6ONIW/z7g
カトゥーンの亀梨くんのような若い子にモテモテのイケメンが、
キョンキョンのような40代熟女を選んだのは、
まさに、今日の男性が、いかに熟女にメロメロか、
ということを証明している。

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064 2010/12/08(水) 20:54:22 ID:JD5RXSu9uY
肛門期

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065 2010/12/19(日) 16:05:09 ID:z1skv1hycw
恋=愛の手前

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066 2011/01/08(土) 20:42:58 ID:7hNWjEt8aM
067 2011/01/22(土) 14:21:41 ID:gzzEg5m7.k
ステータス異常だよ。

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068 2012/04/07(土) 14:55:12 ID:Q4fev2c9ac
謙信とかかw

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069 2018/01/23(火) 23:55:52 ID:yYQ/IuZl9k
哲学者に恋と言う感情があるのか

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070 2018/01/23(火) 23:59:17 ID:yYQ/IuZl9k
無いし、理解できないんじゃないのか

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071 2020/09/22(火) 11:53:34 ID:V701tWfR/I
恋愛というのは、相思相愛でないと成り立たないと、とにかくみんな誤解しているんじゃないだろうか。
それだけが必ずしも恋愛じゃない。

たとえば片想いも立派な恋愛なんだ。
相思相愛とひと口にいうが、お互いが愛し合っているといっても、その愛の度合いは必ずしも同じとは限らない。
いや、どんな二人の場合だって、いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない。

つまり、男女関係というのは、デリケートにみていくと、いつでもどちらかの片想いなのだ。

(岡本太郎)

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