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001 2010/07/15(木) 09:39:07 ID:W48XNwq6hs
ネ申以上の存在ってあるのか

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002 2010/07/15(木) 11:08:05 ID:gWIr4GuQ8w
「神」は、十住心論では下から三番目の嬰童無畏心にあたる。
六道十界論でいえば、六道中最高の天道。声聞縁覚菩薩仏の四乗と比べれば、
天人五衰などの没落も免れないと、仏教では大昔から断定されている。

「ネ申」に関しちゃ、地獄餓鬼畜生の三悪道である場合がほとんど。
十住心論では最底辺の異生羝羊心。厳密な言葉でいえば「妖怪」ってやつだ。

神にしろネ申にしろ、仏よりは随分と格下の存在だ。
もちろんこれに反して、神やネ申を最高視するドグマ教義も作れなくはないが、
何しろ根本真理を把捉しているのが仏なので、返り討ちに遭うことこれ請け合い。
聖徳太子の頃から神仏習合を認めてきた日本では、高等な教義は全て仏教に
丸投げして、神道は天道としての身分をわきまえた、祭祀業務に特化してきた。

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003 2010/07/15(木) 14:39:45 ID:R0j.vjZCic
カミとゴッドでも定義実はぜんぜん違うし
語りようが無い

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004 2010/07/15(木) 14:40:11 ID:R0j.vjZCic
ゴッドという意味なら、より上がいるなら、それはゴッドじゃない

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005 2010/07/15(木) 21:26:19 ID:3PZP1kJgLk:DoCoMo
GODとは、人間自身による思考の束縛以外の何物でもない。

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006 2010/09/14(火) 20:45:29 ID:uBOz01jLEo
多神教なら幾つもあるから、神も絶対ぽくないねw

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007 2010/09/14(火) 20:58:31 ID:hdjDtuU9rM
界王さま

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008 2010/09/18(土) 13:29:12 ID:t5pG1nA5pg
時間

時間がなければ何も始まらないし何も動かない。
宇宙を支配しているのは時間なんだ。

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009 2010/09/18(土) 23:10:38 ID:jcYpeqSAcA
宗教や、教派によって定義がちがうから、何ともいえない。
当然2も数多くある教えの一つに過ぎないだろうし。

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010 2011/01/24(月) 19:47:43 ID:GeZOkRcNcs
6 mq8MmiXcRU (10/12/06 22:59)
神は全てだ。
人はその一部しか認識していない。
神だけが真実に存在するもので、人は物質的、時間的、空間的にただ一時現れた存在にすぎない。
人は愛をもって結び付く。
愛があればあるほど神に近づき、そこに真実がある。
神への理解が人間の基礎であり、私たちの意識の中に神は存在し、私たちを支配している。

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011 2011/01/24(月) 21:49:30 ID:q1NkFaIado
ポエマーが来るのも時間の問題だな。

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012 2011/01/24(月) 23:16:36 ID:Gl0YQQZnT.
「神以上」と言うならば、そもそも「神」がどのようなものであるかを
明らかにしなければならない。で、なければその「神」というものが
どのような基準点にあるか分からないからである。

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013 2011/02/03(木) 10:52:09 ID:HPZO9u81Pw
>>2こういうのは密教の考え方?
いろんな説明があっておもろいな。
それぞれの宗教が、それぞれの世界観を持っている。

よく出来たビックリマンワールドが、いくつもある感じですね。
どれを良しとするかは、あなた次第か。

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014 2011/02/21(月) 15:37:24 ID:3EYtrQEZyk
イスラム教徒の考えも聞いたら炎上するな。

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015 2011/02/21(月) 18:19:04 ID:XH4AgjFyjo
神道や道教やヒンズー教などの祭司も、自分たちが六道十界論でいう
ところの「天道」を司っていることは認めているし、人道に該当する儒学も、
「高きに登らず、低きに臨まず(礼記)」のわきまえによって人道に甘んずる。
宮本武蔵のような兵法家も自らが「修羅」の徒であることを認めていたし、
拝火教の最高神であるアフラ・マズダーこそは「阿修羅」の起源でもある。

それぞれに思うところがあって、天道や人道や修羅道といった、
仏門からすれば程度の低いものとされる、六道輪廻の一部分を司っている。

誰も彼もが仏門ばかりに帰依するのでは、確かに「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」にもなりかねず、
声聞・縁覚・菩薩・仏の四乗に自力で入道するのなら、家業を捨てての出家が当然必要にもなる。
昔の一家の次男坊や三男坊が、口減らしのために、婿養子などと並んで処世の手段としていたのが
出家行でもあるから、高尚なものとして敬われつつも、世間一般からは一定以上遠ざけられていた。

少なくとも、インド以東の社会においては、仏門の教義的優越性を認めることにかけては一致していて、
六道十界論や十住心論などに対しても、「全く違う」というほどもの異論が唱えられることはほとんどない。
ただ、当該の仏教理論に基づいて高度な境地に登ることは、大変なリスクが伴うことでもあるから、
高きに登りすぎず低きに降りすぎぬ、社会的立場からの中庸の堅持のほうが多くの支持を受けてはいる。
それが、そんなに高尚な境地ではないこともわきまえられた上で、修羅・人・天の三善趣程度に多数が安んじている。

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016 2012/05/05(土) 20:17:38 ID:gSh4UwpM8Y
sagemange

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017 2018/02/14(水) 20:39:17 ID:Kx.Ylss/bQ
ネコに謝罪せよ

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018 2018/02/14(水) 20:42:14 ID:Kx.Ylss/bQ
ネコは天と地を作った

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