漢代や唐代に、中国で儒学による封建統治が大成功して、もはや封建統治のやり方が定型化されてしまった。
宋代にはもはや封建統治の開発が中だるみ状態となって、既成の儒学研究も伸び悩む状態となった。
そこで朱子を始めとする大儒が、儒学へのより主知主義的なアプローチを試み、数多の研究成果を挙げた。
それ自体は別にいけないことではなかったが、文書知識への依存度が非常に高いその研究内容が、
禅や武道の兼学にも根ざさない一概な実践対象として用いられた結果、「儒教」の様相を呈した。
儒教が生まれたのは宋代以降、明代や清代の中国、朝鮮などで一時ばかり帰依の対象とされたもので、
その実績は決して芳しいものとはいえない。夫唱別姓や犬肉食などの特殊な礼制が針小棒大に絶対化されて、
柔軟な応用の対象ともされず、受容した社会の文化的硬直や権力機構の腐敗を招く結果ともなっている。
宋代以前の中国や、江戸時代以前の日本で一貫して受容の対象とされて来たのは「儒学」であって、
少したりとも「儒教」ではない。古代中国にこそ特有だった礼制などを、時代や気候風土の違いに合わせて
柔軟に換骨奪胎もし、経書の文面以上にも現実での実践を重んずる古典儒学が特に受容の対象とされ、
江戸時代の日本でも、朱子学が、武道との兼学によって「儒教」となることを防止しつつの受容対象とされた。
東洋史上において、成功した儒家は概ね「儒学」である一方、失敗した儒家は概ね「儒教」をやっていた。
両者の違いは厳然としてあり、今の世の人々に対しても、儒学の学習は勧められる一方で、儒教への帰依は
決して勧められたもんじゃない。為政者が自力作善の指針としてこその儒家なのに、儒家自体が他力本願の
対象となるのでは、他力本願の対象としてこそ相応しくもある、神仏のお株すらも奪ってしまうこととなるから。
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