国賊神道 現代日本最大の黒幕カルト
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ウチも神道と関わりの深い家だから、
始めはそんなものの存在を認めたくはなかったんだが、
残念ながら、そうみなす他ないほど劣悪なカルト教義を持ち合わせた
紛い物の神道が、今の日本の権力機構にも深く食い入ることで、
傾国や亡国の危機の元凶となっているようである。
発祥は明治以降、戦前には国家神道の拠り所となり、今以上に羽振りも良かったらしい。
古来、仏門や儒家に体系的な思想信条を丸投げして来たからこそ
独自の教義を持たなかった神道が、廃仏毀釈や儒学廃絶によって
独り立ちするにあたり、あえて儒仏の教えに似ないような教義ばかりを
捏造した結果、創価やオウムとも大差のないようなインチキカルトとなった。
賢聖を養い育てる糧となるような正統教義の真逆を行ったものだから、
信者の愚かさを助長するような教義となってしまい、日本精神の拠り所だからと
敬い慕ってくる権力者などを、かえって蒙昧ならしめて国を陥れることに加担している。
ーーこのスレでは、そのような国賊化している一部の神道教派について、
具体的な団体名などを特定しない範囲で論じることにする。
「ああ、どうせあの団体のことなんだろうなあ」などと推測しながら
聞いてくれればいいし、的外れを恐れることなく論議に参加してもらっても構わない。

始めはそんなものの存在を認めたくはなかったんだが、
残念ながら、そうみなす他ないほど劣悪なカルト教義を持ち合わせた
紛い物の神道が、今の日本の権力機構にも深く食い入ることで、
傾国や亡国の危機の元凶となっているようである。
発祥は明治以降、戦前には国家神道の拠り所となり、今以上に羽振りも良かったらしい。
古来、仏門や儒家に体系的な思想信条を丸投げして来たからこそ
独自の教義を持たなかった神道が、廃仏毀釈や儒学廃絶によって
独り立ちするにあたり、あえて儒仏の教えに似ないような教義ばかりを
捏造した結果、創価やオウムとも大差のないようなインチキカルトとなった。
賢聖を養い育てる糧となるような正統教義の真逆を行ったものだから、
信者の愚かさを助長するような教義となってしまい、日本精神の拠り所だからと
敬い慕ってくる権力者などを、かえって蒙昧ならしめて国を陥れることに加担している。
ーーこのスレでは、そのような国賊化している一部の神道教派について、
具体的な団体名などを特定しない範囲で論じることにする。
「ああ、どうせあの団体のことなんだろうなあ」などと推測しながら
聞いてくれればいいし、的外れを恐れることなく論議に参加してもらっても構わない。


古来、神道は家庭円満や子孫繁栄を祈願するための祖神崇拝の文化であり、
天皇家を頂点とする日本中の家元と密接な関係を結んできたものだが、
その代わり、社会的な活動に直接的に関わることはほとんどなく、
その役割はもっぱら儒仏の識者などに任せて来たのである。
近代以降に、儒仏が廃絶されたせいでその立場に躍り出たというのもあるし、
古来の家元制度が廃絶されたせいで、家の栄えを守る信仰というだけでは
神道自体がやっていけなくなるのもあって、権力に深く関わり始めたのである。
ただ、権謀術数渦巻く人間社会というのは、どうあっても汚濁の塊なわけで、
清浄さを尊ぶ本来の神道とは水と油のような関係にある。にもかかわらず、世間の事情に
阿った教義の捏造を試みたために、より一層の邪教化を来たしてしまったのである。
特に、国賊神道と呼ぶべきほど邪悪な教義性を帯びているのは、
ごく一部の流派だけであって、一般的な日本人が日常から関わるような
神道はむしろ、古来の祖神崇拝により近いものがほとんどである。
残念ながら、ランクで言えばより高位に当たるような流派の中に、
政財界などと結託しながら国賊化しているような連中がいる。
血筋的にも全くの偽者などではなく、昔からの神道家や公家の血筋の
人間が携わっていたりもするのだが、長年、社会的には仏門や武家に
一目も二目も置かされてきたことへの恨みを晴らすような心持ちで、
全く不得手な濁世の舵切りの顧問などとして立ち回っているのである。
不得手なものだから、親交を結んだ権力者などもかえって失敗するし、
何より自分たちの首長である皇室の存続をも危ぶませる大厄を招いている。
ごく一部の流派だけであって、一般的な日本人が日常から関わるような
神道はむしろ、古来の祖神崇拝により近いものがほとんどである。
残念ながら、ランクで言えばより高位に当たるような流派の中に、
政財界などと結託しながら国賊化しているような連中がいる。
血筋的にも全くの偽者などではなく、昔からの神道家や公家の血筋の
人間が携わっていたりもするのだが、長年、社会的には仏門や武家に
一目も二目も置かされてきたことへの恨みを晴らすような心持ちで、
全く不得手な濁世の舵切りの顧問などとして立ち回っているのである。
不得手なものだから、親交を結んだ権力者などもかえって失敗するし、
何より自分たちの首長である皇室の存続をも危ぶませる大厄を招いている。

たとえば仏門の密教にあるような印を、
全く別個のものに改変して独自に組んでいたりする。
修験道のように敬意を持った参考にしているのではなく、
ある種のパクリを試みているわけだから、効験などはさしてないし、
ウリナラ起源を主張しようするる不遜さが罰当たりの原因にもなる。
実際に、自分たちがやっていることを、仏教伝来以前からある
古来の神道文化の再現だなどと吹聴していたりもするわけだが、
そもそも仏儒と二人三脚三人四脚でやって来た近世までの神道文化自体が
古来の伝統を汲んでいるものなのだから、それを否定して新造しているようなものが
より伝統に適うわけもなく、ただカルト性を無駄に付随させただけにしかならなかったのだ。

仏教嫌いでいながら、キリスト教には親和的な態度も見せている。
これはおそらく、敗戦後のGHQとの取引で、
キリスト教への服従と引き換えに廃絶の危機を免れたからで、
CIAの走狗となることで生き延びた電通などともその存在性が似ているといえる。
ただ異教として認めるだけでなく、信者とキリスト教徒の婚姻なども斡旋している。
不和を来たして夫婦どちらかが早死にするようなことも多いようだが、
どちらも教義がカルト止まりなので打開の余地もないままでいる、
さらに悲惨なのがその子供で、カルト信仰と家庭内不和の板挟みによって心を病み、
そこからまた新たに不幸な家庭を築く親となったりしているのである。

信者が「これはヨガにも気功にもない呼吸法!」と
うそぶいていたものが、まんまヨガにあるなんてこともあった。
つまり不勉強で、非常に狭く浅い知識の中だけで教義を組んでいる。
江戸時代までに主たる学閥だった仏門や儒家を敵に回し、
なおかつ近代以降も舶来文化であることが紛れもない洋学界隈から
距離を置いたために、人一倍無知無学であるのがデフォとなった。
それでも今の所やって行けてるのは、
国家権力と不可分なほどに結びついて来たがための既得権益の故に。
上級国民が縁故まみれのボンクラだらけというのは、
多くの日本人が察している所だが、その一番の拠り所となっているのが、
無能無知でも偉そうにしてられる国賊状態な一部の神道だし、
そこに埋伏の毒のように昵懇でいるのがキリスト教なのである。
[YouTubeで再生]
宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
一般に、キリスト教、イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。
また、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教は民族宗教と呼ばれ、ユダヤ教や神道、ヒンドゥー教などがこれに分類される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#:~:tex...

一般に、キリスト教、イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。
また、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教は民族宗教と呼ばれ、ユダヤ教や神道、ヒンドゥー教などがこれに分類される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#:~:tex...
国家神道のこと?
まだあるの?
まだあるの?

汚濁の多い政治経済などに深く関わるべきものではない。
だからこそ徳川将軍家もまた、初代家康公を神君として崇めながら、
江戸から遠く離れた日光にその御霊を祀る本拠地を置き、
政治面では寛永寺の天海や、忍岡聖堂の林羅山のような近場の識者を頼るなどしたのである。
天皇家もまた、古来より皇祖を祀る神宮を比叡山はおろか、
高野山よりも禁裏から遠く離れた伊勢に構えることで、その神聖さを守ろうとした。
「男は家を出て働くもの」というのは、高天原から離れた場所での
スサノオやオオクニヌシの活躍のような、日本神話の伝承からも公認されている教条。
正しく扱えば、数百年以上の国家泰平を司る礎ともなる神道文化が、
その扱い方を間違えたせいで一挙にカルト化し、国賊の一味とまで成り果てた。
この大過を大いなる教訓として、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなければならぬ。
国賊神道は、神道と仏儒を分断したこと以上に、
古来の神道のあり方に反する振舞いを繰り返して来たことが、
最も大きな罰当たりの原因になっているようである。
戦前には日本軍の無鉄砲さを正当化し、
戦後には政財界の腐敗を正当化する最たる拠り所となった。
自分たちが全く携わって来なかった、この世の汚濁の吹き溜まりに
ろくな理論武装もなく関わったことで、さらなる壊乱を助長する元凶となった。
仏門や儒家ならそこが全く逆で、政治や軍事の退廃を予防する役割こそを
担えるのだが、それが退廃による利権の貪りを好むような連中にとっては
邪魔者になるために、自分たちにとってのいいカモとしての神道が優遇された。
同様なカモとしての役割はキリスト教なども歴史的に担って来ているために、
国賊神道は仏儒を目の敵としているのにも関わらず、キリスト教とは仲がいい。
腐敗的な権力者であれ別個のカルトであれ、自分たちの分不相応な振舞いが、
それに見合った者としての悪友ばかりを引きつけて、自分たちだけが
一抜けようにも抜け出せないぐらいな悪循環への埋没をきたしている。
これを、神道の神々からの天罰と言わずして、なんと言おうか。
古来の神道のあり方に反する振舞いを繰り返して来たことが、
最も大きな罰当たりの原因になっているようである。
戦前には日本軍の無鉄砲さを正当化し、
戦後には政財界の腐敗を正当化する最たる拠り所となった。
自分たちが全く携わって来なかった、この世の汚濁の吹き溜まりに
ろくな理論武装もなく関わったことで、さらなる壊乱を助長する元凶となった。
仏門や儒家ならそこが全く逆で、政治や軍事の退廃を予防する役割こそを
担えるのだが、それが退廃による利権の貪りを好むような連中にとっては
邪魔者になるために、自分たちにとってのいいカモとしての神道が優遇された。
同様なカモとしての役割はキリスト教なども歴史的に担って来ているために、
国賊神道は仏儒を目の敵としているのにも関わらず、キリスト教とは仲がいい。
腐敗的な権力者であれ別個のカルトであれ、自分たちの分不相応な振舞いが、
それに見合った者としての悪友ばかりを引きつけて、自分たちだけが
一抜けようにも抜け出せないぐらいな悪循環への埋没をきたしている。
これを、神道の神々からの天罰と言わずして、なんと言おうか。

反文化的、反知性的であり、無知無能を開き直ることを根本的な信条としている。
それがたとえば、今の日本の大学の遊び呆けた風潮などにも落とし込まれていて、
勉強はすれどもあくまで出世のため、卒業すればあとは何も学ばないような、
人としての根本的な不真面目さを助長する風潮の元凶ともなっている。
キリスト教もまた信者の愚妹さを助長するものだが、唯一神への帰依によって
表向き真面目ぶることをそれなりに信者に強いる一方、国賊神道のほうは
ただひたすら不真面目かつ、それを批判するような相手への攻撃意識を際限なく
増大させて行くことをモットーとしているために、所謂陽キャのふざけ過ぎのほか、
過当競争やブラック労働による経済の疲弊だとか、イジメの蔓延だとかの原因にもなっている。
日本の支配層の精神的拠り所なのだから、現代日本が抱えているほとんどの問題の
責任を問うことができるのだが、あまりにも日本人にとっての通用的な常識の
基礎となってしまっているために、そこにメスを入れることが思いもよらないのが、
現状では思想の左右などに依らず、ほぼ全ての日本人の限界となっている。

当然反共反赤反中な右翼思想の持ち主たちでもあるのだが。
左翼は、あくまで資本主義や軍国主義の打倒を本分としているだけで、
そのような傾向を神道が助長するのならばそれも認められない、というだけ。
宗教全般を阿片扱いして敵視するような極左からすれば、神道そのものもまた
認められないだろうが、そこまで過激派な連中は今の日本の左翼でもそういないし、
表向き国民の宗教意識が薄れきっている今の日本などで強く出る必要がある部類でもない。
左翼といえども、必ずしも敵対するべきでもないぐらいに思っているような所に、
実は日本社会の腐敗の大元凶がくすぶっている。神道の中でも、ごく一部が
カルト化してその役割を担ってしまっているという分別知があるのでなければ、
大多数の日本人が神道に親しみを抱いている現状で、左翼といえども
糾弾の目を向けることを躊躇するような所に、それがあるのである。

左翼もそんなものを具体的に糾弾する余地がない。
しかし、実際には上級国民御用達な一部の教派に限って、
表向きには公表もしていないような独自の教義があり、
それによって、権力中枢でのボンクラの専横や汚職の蔓延を、
「自分たちこそがその罪穢れを祓い清めてやる」という名目で後押しして来たのである、
神道は本来、罪穢れのない清浄さの保全を目的とする信教なのに、
ろくに反省することもなく幾度も繰り返され続ける過ちを清めるなどという
本末転倒な教義を持ち合わせているのだから、もはや本質的に神道ではなく、
キリスト教、中でも無戒律で悪行を開き直るプロテスタントあたりに酷似するもの。
日本は近代から戦前にかけてはイギリス、戦後はアメリカという、
プロテスタントが実質国教状態な国の実質的支配下に置かれて来たのだから、
そこで走狗的な振る舞いをする連中の拠り所となる信教が、本来の神道から
かけ離れながら擬似プロテスタント化して行ったのも自然なことだといえよう。
国賊神道と騒ぎ立てるほどには誰の身の回りにもそんな神道が存在しないんだよなあ。
日本には伝統的に国家観がない方が問題なんだけどね。
「国家を回避した社会」のひとつであり続けているんだと思うよ。
だから、対外的にはあまり使い物にならない人材しか出てこない。
日本は楽園なんだろう。やたら天災の多い楽園だが人災が少ない。
政治とは人災の別名だからね。
仏教で国家的神道に育てようとしたのが神仏習合であり、八幡信仰。
せっかくのこれをぶっ壊してしまった明治政府のマヌケ振りをよそに、
民間が自発的に育てた粋が国柱会を代表とする日蓮宗の国体思想。
戦後にこれも破棄されたからといって、キリスト教で国家的神道に育て直そうという運動は実在しないよ。
日本には伝統的に国家観がない方が問題なんだけどね。
「国家を回避した社会」のひとつであり続けているんだと思うよ。
だから、対外的にはあまり使い物にならない人材しか出てこない。
日本は楽園なんだろう。やたら天災の多い楽園だが人災が少ない。
政治とは人災の別名だからね。
仏教で国家的神道に育てようとしたのが神仏習合であり、八幡信仰。
せっかくのこれをぶっ壊してしまった明治政府のマヌケ振りをよそに、
民間が自発的に育てた粋が国柱会を代表とする日蓮宗の国体思想。
戦後にこれも破棄されたからといって、キリスト教で国家的神道に育て直そうという運動は実在しないよ。
話を煙にまくための故意だか知らないが、
俺の話を全く聞いてない&誤解しまくっている&現実が見えてない物言いだな。
国家神道の残党というだけで、今そいつらが国家神道の再興を目指しているわけでもない。
キリスト教的ドグマ志向の導入で、大衆の民族主義までをも鼓舞していたのは戦前の話で、
今は社会的な糾弾を恐れて表向きにはその手の方向性の鳴りを潜めている。
特に国賊化しているのは、上級国民御用達な一部の神道だけなのだから、
自分が一般国民の側にいるのなら、全く存在しないように思えるのも当たり前。
日本が人災のない国だなんてのも勘違い甚だしく、
政財界の汚職や失政続きによって亡国一歩手前な傾国の事態を招いているのが実情だろうが。
そんな忌まわしき事態を招いている現代日本の権力者を専門的に相手にしている神道教派がいて、
戦前に軍国主義の鼓舞で日本を破滅に追いやったのと全く同じような過ちを繰り返している。
仏門からの援助が強い八幡信仰あたりにはまだその手の素養があるかも知れないにしろ、
少なくとも、全くの我流かキリスト教との集合ぐらいしかアイデンティティの拠り所がない
その手の神道が、国家権力と癒着することには百害あって一利もないのである。
俺の話を全く聞いてない&誤解しまくっている&現実が見えてない物言いだな。
国家神道の残党というだけで、今そいつらが国家神道の再興を目指しているわけでもない。
キリスト教的ドグマ志向の導入で、大衆の民族主義までをも鼓舞していたのは戦前の話で、
今は社会的な糾弾を恐れて表向きにはその手の方向性の鳴りを潜めている。
特に国賊化しているのは、上級国民御用達な一部の神道だけなのだから、
自分が一般国民の側にいるのなら、全く存在しないように思えるのも当たり前。
日本が人災のない国だなんてのも勘違い甚だしく、
政財界の汚職や失政続きによって亡国一歩手前な傾国の事態を招いているのが実情だろうが。
そんな忌まわしき事態を招いている現代日本の権力者を専門的に相手にしている神道教派がいて、
戦前に軍国主義の鼓舞で日本を破滅に追いやったのと全く同じような過ちを繰り返している。
仏門からの援助が強い八幡信仰あたりにはまだその手の素養があるかも知れないにしろ、
少なくとも、全くの我流かキリスト教との集合ぐらいしかアイデンティティの拠り所がない
その手の神道が、国家権力と癒着することには百害あって一利もないのである。

共産主義者が反宗教意識を募らせる最たる根拠になって来たが、
信者の罪をどこまででも許容してやることを目的としたカルト宗教が、
法律すら自分たちで好き勝手に決められるような権力者にとっての
麻薬的な効能を持ち合わせるのは、たしかに違いないのである。
東洋社会においても、秦始皇帝が多くの方士や道術者からの詐欺被害に
遭っていた頃までは、その手のカルト信仰が広く横行していたのだが、
(「漢書」郊祀志にはキリスト教によく似た冤罪信仰の記録もある)
怪力乱神を敬遠する儒学の流布によって、俗世への干渉が排されてきた。
中国や朝魚羊の場合は、逆に儒教の過剰な強大化という弊害を招いたが、
ここ日本においては、特に真言宗あたりの高級仏教が、人道を重んずる儒家と
天道を重んずる神道のバランサー的な役割を果たし、この内のどれかばかりが
強大化して他の領分までをも侵し始めるような不和を防いでくれて来た。
近代以降は、廃仏毀釈や儒学の廃絶でその絶妙なバランスも崩れ、
儒仏との相補性があればこそ、中国の道教などよりもはるかに古来のあり方を
ありのままに保てて来た日本神道が、機械文明まで発達した現代社会には、
全く不相応にも程があるような迷信でのさばるような真似を来たしたのである。

ただだからこそ、体系的な教義などを学び尽くして体得する能力もなければ余裕もない、
婦女子や農工商の従事者のような弱者にとっての、より取っつきやすい拠り所ともなって来た。
弱者があればこそ強者がある、相対的価値観を多く孕む人間社会において、
虐待的差別の対象となりがちな弱者への保護のために、老子や荘子もあえて儒学の教えに
反するような言説を並べ立てた。「仁を絶ち義を棄てば民は孝慈に復す(老子・十九)」
の如き説話は、それだけを見れば無茶を言っているようにも思われるけれども、
儒教偏重で科挙のエリートばかりを優遇して、平民を人にも非ずな扱いに処していた
近世までの中朝などを見れば、そういう側面もまたあるということがわかる。
その、老荘が説いたような万有愛護の実践手段として、神道を重宝して来たために、
日本社会は伝統的に、婦女子や産業従事者を手厚い保護下に置けて来た。
万人の平等を謳う民主主義社会でも、結局は貧富の格差の拡大などによって
弱者への虐待が発生してしまうという実情があるからには、身分制そのものは甘受しながらも、
そこからさらに弱者の保護を実現して来た神道の効能は、民主制以上だったとすら言える。
声なき弱者に寄り添い、無為自然への敬意を強者にも育ませる礎となって来た神道が、
ごく一部とはいえ強者の提灯持ちとなり、無能の多動や弱肉強食をけしかけるカルトへと反転した。
日本神道史上の、最たる汚点と見なすほかない所業。
最終的には国家神道などと共に、「あんなものは神道の内にも入らなかった」とすべきに違いない。
そのためには、神道が国家権力に直接携わるような真似を仏儒以上に禁制とし、
全国民の家を守る信仰としての本分へと厳重に立ち帰らせる必要がある。
神道がナショナリズムを鼓舞する手段として利用されることに対しては禁忌扱いを徹底した上で、
個々の家庭や民間の事業体が、神道への崇敬の下に、清浄な営みを育んで行くことは奨励し続ける。
(もちろん政商の拠り所になるようなことは以ての外であるが)
すでに一般国民と親しい仲にある、ほとんどの神道教派にとっては特別な変革を迫られるような話ではないし、
むしろ全国民の疲弊のせいでカツカツとなっている自分たちの財政を建て直す好機ともなるだろう。
ごく一部とはいえ強者の提灯持ちとなり、無能の多動や弱肉強食をけしかけるカルトへと反転した。
日本神道史上の、最たる汚点と見なすほかない所業。
最終的には国家神道などと共に、「あんなものは神道の内にも入らなかった」とすべきに違いない。
そのためには、神道が国家権力に直接携わるような真似を仏儒以上に禁制とし、
全国民の家を守る信仰としての本分へと厳重に立ち帰らせる必要がある。
神道がナショナリズムを鼓舞する手段として利用されることに対しては禁忌扱いを徹底した上で、
個々の家庭や民間の事業体が、神道への崇敬の下に、清浄な営みを育んで行くことは奨励し続ける。
(もちろん政商の拠り所になるようなことは以ての外であるが)
すでに一般国民と親しい仲にある、ほとんどの神道教派にとっては特別な変革を迫られるような話ではないし、
むしろ全国民の疲弊のせいでカツカツとなっている自分たちの財政を建て直す好機ともなるだろう。
「一般向けの神道の話ではない」と繰り返し注記してるのに、
「そんなものは存在しない」と強弁できるぐらいなのだから、
その辺の事情に詳しい手合いなのだろう。
しかも、身に覚えがありまくる部類の。
たとえ権力の座から追放される政変が起きたとしても、
中核派のように姿をくらまして逃げ延びるつもりなのかも知れないが、
暴力にモノを言わせて対抗して来るのでもないのなら、それでも構わんよ。
どうせ体制側であることだけが強みだったような連中が、
在野に放逐されても独自の精神性で支持を取り付け続けることなどできまいしな。
それこそ、日蓮系カルトほどの生命力も保てまいし。
「そんなものは存在しない」と強弁できるぐらいなのだから、
その辺の事情に詳しい手合いなのだろう。
しかも、身に覚えがありまくる部類の。
たとえ権力の座から追放される政変が起きたとしても、
中核派のように姿をくらまして逃げ延びるつもりなのかも知れないが、
暴力にモノを言わせて対抗して来るのでもないのなら、それでも構わんよ。
どうせ体制側であることだけが強みだったような連中が、
在野に放逐されても独自の精神性で支持を取り付け続けることなどできまいしな。
それこそ、日蓮系カルトほどの生命力も保てまいし。
権力機構から、意識的に国賊神道やキリスト教の介入を追放しようとせずとも、
権力者たち自身が儒家や仏門のような修己治人の門派を拠り所とすれば、
腐敗を助長する部類のカルトのほうは自動的に放逐されざるを得なくなる。
なによりも、儒仏の教えは権力機構における政商の介在を許すものではないから、
そこを許容してしまうカルトとは決定的に相容れず、どちらかが体制側に
組み込まれる以上は、もう一方が追放を余儀なくされることとなる。
「不正な富で友達を作れ。そうすれば天国に行ける(ルカ16:9)」
「政商クラブの活動にも素晴らしいものがある(国賊神道の機関誌の記事より)」
富貴も道理に合わねば取らず、王族も万民の幸福のためとあらば乞食行に身をやつす
教えなどが到底相容れるわけもなく、廃仏毀釈や儒学廃絶も必須条件としてかつて講じられた。
要はその逆を行くだけでもいいわけだが、国から政商を全廃するだけでもほぼ自動的に達せられることだろう。
権力者たち自身が儒家や仏門のような修己治人の門派を拠り所とすれば、
腐敗を助長する部類のカルトのほうは自動的に放逐されざるを得なくなる。
なによりも、儒仏の教えは権力機構における政商の介在を許すものではないから、
そこを許容してしまうカルトとは決定的に相容れず、どちらかが体制側に
組み込まれる以上は、もう一方が追放を余儀なくされることとなる。
「不正な富で友達を作れ。そうすれば天国に行ける(ルカ16:9)」
「政商クラブの活動にも素晴らしいものがある(国賊神道の機関誌の記事より)」
富貴も道理に合わねば取らず、王族も万民の幸福のためとあらば乞食行に身をやつす
教えなどが到底相容れるわけもなく、廃仏毀釈や儒学廃絶も必須条件としてかつて講じられた。
要はその逆を行くだけでもいいわけだが、国から政商を全廃するだけでもほぼ自動的に達せられることだろう。

団体を特定した上での批判は、明和の禁止事項に抵触する危険があるので、
あくまでそこだとも断定はしないがな。一応、「そことも限らない」とだけ言っておく。
少しだけヒントをやるとな、稀勢の里の後援者でもあったような連中だ。
後援者も一つや二つではないから、これだけでは特定材料にもなるまいが。
体格や身体能力だけなら白鵬とも大差ないのに、メンタルの壊滅的な弱さばかりが
仇となって現役中、一度もうだつが上がらないままに終わった。それほどにも、
精神面に致命的な危害を及ぼしてしまう教義ばかりを濃縮還元している。
どうあってもみんなの望みを叶えてくれない、あのもどかしさ。
日本会議系の政治家などに似たような失望を感じている人間も多いかも知れないがな。
個々人の資質問題だけでは済まされない、トップダウンな「均し」があるとすれば、
米英中韓みたいな外圧とはまた別に、邦人同士で出る杭を打ち合う機関が現存すると
見込むのも自然なことでな、まあ残念ながらそれも実在するのである。
神道という、日本人にとって最も根本的な精神性の部分から。

各界でその道に長じた能力者をヘッドハンティングして宮司に据えるなどして、
自分たちに箔をつけるような真似を試みたりもしている。
ハントされる側は本物の能力者だったりもするのだが、
あくまで自力や別個のより本格的な流派を拠り所として得られた能力であるために、
ボンクラしか育てられないような流派に属することが、木に竹を継ぐような真似にしかならず、
Fラン大が著名人を特別講師に招こうとも、所詮FランはFランのまま、みたいな体たらくでいる。
近代以降、庄屋や豪商の血筋による縁故が主要権力を簒奪した関係で、
「上は無能、下は有能」が日本社会の恒常的なあり方となってしまった。
そのような悪習を改善もしないままに、「上」側のための高級神道(という扱い)が
いくら部分的に能力者を引き抜いて先生扱いなどした所で、焼け石に水にしかならない。
むしろ、上級国民が政商的派閥を作って民を虐げる我田引水に及ぶような真似には
一切協力しないようにした方が、よっぽど世の中の浄化にも与するものなのに、
現実はそのような真似を権威付ける役割を買って出ているのだから、
能力者を侍らせたりするのも逆効果にしかなってないのである。
明治以前の文化を買いかぶって、西欧文明を低く見過ぎ
餓死者がほとんど居なくなったり、福澤諭吉が批判した封建主義や身分差別が無くなったりしたのは、西欧のお陰だろうに
英米が世界一のワルであるのは間違いないが、それも功罪半ば。西洋医学がなきゃ助からなかったり、栄養失調に陥っていた日本人の数を考えるに、その恵沢を無きものとし、断罪にばかり走るのはいかがなものか?
その上、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと、西欧人が政治利用していた宗教にその非を帰して、何になろうか?
餓死者がほとんど居なくなったり、福澤諭吉が批判した封建主義や身分差別が無くなったりしたのは、西欧のお陰だろうに
英米が世界一のワルであるのは間違いないが、それも功罪半ば。西洋医学がなきゃ助からなかったり、栄養失調に陥っていた日本人の数を考えるに、その恵沢を無きものとし、断罪にばかり走るのはいかがなものか?
その上、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと、西欧人が政治利用していた宗教にその非を帰して、何になろうか?

日本が餓死も絶やせて民主主義などでいられているのも、世界平均の3倍以上の資本を
占有する我田引水状態でいるからで、富裕度が世界平均を下回るミャンマー等はおろか、
ほぼ平均のフィリピンや、わずかに上回るエジプトでも民主化がうまくいってはいない。
つまり地球人類の過半数は未だに民主化の恩恵などに与れているわけではない。
「おまえは日本に生まれてるんだから関係ないだろ」と思いきや、
GHQがルール改悪したスポーツ剣道で身体を壊して瀕死の窮状に追い込まれた身だし、
そんな俺に限らず、氷河期世代等の中には江戸時代の平民未満の人生を送らされている者が多い。
国際間では資本主義先進国とその他の国々での経済格差を極大化させ、国内においても
バブル世代以上と氷河期世代以下や、上級国民と一般国民の格差を拡大させ続ける。
結局、どこまで文明を発展させたところで、我田引水の罪障をどこまででも開き直り続ける
プロテスタンティズム的な価値観によって世の中の大多数の人間が幸福になれることはなく、
経済破綻からの争乱などを防ぐこともできない。功罪相半ばするのではなく、常に罪が功を
上回り続けることが免れられないのが、米英ユ的宗教観に基づく世の中の取り回しであり、
残念ながら日本にもその猿真似を試みているような連中がいるのである。体制の中枢にも。

日本における鎌倉新仏教の、特に完全な非実践主義である
念仏信仰の流布と類似扱いされることがある。
俺も最初はそうかなと思っていたが、
プロテスタントが「信仰義認」の名の下に許容して来た罪の開き直りを、
‖
浄土真宗などでは「本願ぼこり(歎異抄)」と呼んで堅く戒めて来ている。
この一点において、真宗が国内最大の仏教宗派となった日本と西洋とでは、
万民への信仰の流布が精神面から決定的に枝分かれすることとなったのである。
鎌倉新仏教の中でも、日蓮宗は若干以上に信者の本願ぼこりを助長する側面が
あったのだが、その点で浄土門などと比べた場合の凶悪さが露わとなるために、
仏教に好意的でない信長までもが安土宗論で日蓮宗を念仏以下と糾弾するなど、
世の中総出を挙げての抑圧が利いて来たために、弱小止まりで済んできたのである。
その、日蓮宗すらもが実現し得なかった、権力中枢での本願ぼこりの流布という、
日本宗教史上最大の禁忌を犯しているのが、今いう国賊神道であり、その実害の
大きさたるや、創価やオウムが足元にも及ばないほどのものとなっている。
つまりは、より高度な文明の狡猾さやワルにどう足掻いても勝てなかったわけだ。あたかも、縄文人が渡来勢力に懐柔されたかのように
文明が進めば人口と知識が爆発的に増える代わり、人間同士の抗争や差別やマウント、富の偏在も激化し、環境負荷などによる持続可能性も減少する。こればかりは避けられないので、文明が邪悪さを伴うのもそのせいだろう
その点、釈迦や孔子の時代よりも、無為自然を体現した狩猟採集時代の方が、罪深さや不平等、我田引水の政治的駆け引きが少ないと言えよう。「それを言っちゃお終いよ」じみた言説にはなるが、歴史上、そのように考えていた人々も決して少なくなかっただろうしね
文明が進めば人口と知識が爆発的に増える代わり、人間同士の抗争や差別やマウント、富の偏在も激化し、環境負荷などによる持続可能性も減少する。こればかりは避けられないので、文明が邪悪さを伴うのもそのせいだろう
その点、釈迦や孔子の時代よりも、無為自然を体現した狩猟採集時代の方が、罪深さや不平等、我田引水の政治的駆け引きが少ないと言えよう。「それを言っちゃお終いよ」じみた言説にはなるが、歴史上、そのように考えていた人々も決して少なくなかっただろうしね

プロテスタンティズムを実質国教とする米英や、国賊神道が権力者の
本願ぼこりを助長している今の日本はその内に入らないために、
自分たちから世界規模での破綻を招き、工業生産の外注依存による
中国の世界的覇権を招いたりしているのだから、より低レベルで儚いという他ない。
本願ぼこりを助長する邪教に乗っ取られた国は、
権力者が誰も彼も世の中の大局を見失っての我田引水に惑溺し始めてしまうのだから、
一時的な強大さで猛威を奮うことはできても、短命かつ竜頭蛇尾に終わってしまうのもまた必定。
文明社会を司る理念の中でも、特に罪が功を上回るような劣悪な教えに限って
そのような醜態を招くのだから、だからといって文明の全てを否定したりする必要もなく、
ただより堅実で普遍的に強固な聖教正学に則った社会運営へと立ち還ればいいだけのことである。

カルト信仰を新たに試みている連中もまたいるようである。
戦前に、ナチスドイツの宣伝広告を担当していたレニ・リーフェンシュタールも、
まるで文明社会の汚濁から逃げるかのように、アフリカの土人との親交を試みていた。
別に、土人文化も全否定されるべきものではないが、土人たち自身は別に好き好んで
文明以前の生活様式に止まっているのではなく、近代文明に接すればすぐに同化して
しまうぐらいには、特別な志操もなく古来の文化を継承しているのがほとんどである。
そんな土人文化を、文明にドップリ浸かっている側から一方的に片思いして、
なんちゃって程度に好き好むことこそは、度が過ぎればカルト信仰の域となる。
リーフェンシュタールが、東西に分断されて米ソからのレイプ対象となっていた
祖国の惨状から目を背けたくてそんな信仰に走っていたように、あまり上等な動機で
試みられるものではない。国賊神道の関係者が試みているのも同様な目的のほか、
自分たちが廃仏毀釈や反仏教の旗手であり続けて来たことのしっぺ返しを、
日本仏教の再興によって喰らわされることを恐れての避難目的などもあるのだろう。
当然、リーフェンシュタール教などに文明社会を治められる能力はなく、
他国に蹂躙されるに任せる負け犬の慰みモノぐらいにしかならない。
せめてでも、そんな信仰を好むような連中は、権力の座ぐらいからは去らねばならぬ。
プロテスタンティズムがどうのというより、産業革命やら理系学問の応用という武器を得たのがマズかったんじゃないかい?
天下統一後の戦国武将が朝鮮すら取れなかった所、アメリカ大陸を発見・征服したんだから大したモノよ。
日本が世界初の産業革命国だったとして、参勤交代みたく各国の国力を削ぐ措置はしていただろうし、「破壊的な技術力を西欧より良心的かつ持続可能な社会運営に用いたであろう」と考える根拠が薄弱。
仏教や孔子がどうのと美辞麗句を垂れつつ、アイヌ民族に対してしてきた事、或いはそれより不平等なことを、西欧に代わって世界規模でやっていたかも知れないではないか。
天下統一後の戦国武将が朝鮮すら取れなかった所、アメリカ大陸を発見・征服したんだから大したモノよ。
日本が世界初の産業革命国だったとして、参勤交代みたく各国の国力を削ぐ措置はしていただろうし、「破壊的な技術力を西欧より良心的かつ持続可能な社会運営に用いたであろう」と考える根拠が薄弱。
仏教や孔子がどうのと美辞麗句を垂れつつ、アイヌ民族に対してしてきた事、或いはそれより不平等なことを、西欧に代わって世界規模でやっていたかも知れないではないか。
やらないんだよ。
まともな仏道や儒学を享受して、覇道の王道に対する劣悪さを
よくわきまえている者なら、始めから侵略支配のような真似を犯さない。
キリスト教やカルト神道のような、本願ぼこりを助長する信仰に
乗っ取られた国だけが他国や他民族を一方的な支配下に置いて、
奴隷化や奴隷同然の扱いに処するような真似までをも犯す。
(日本がアイヌや琉球を完全征服したのも近代以降のこと)
36も米英の覇権拡大を讃えるような真似をしているのだから、その内だろう。
自らの身の程や徳分を超えたイキがりで、一時的には世界に覇を唱えるほどの
勢力を誇るも、ごく自然な自業自得として自滅的な行き詰まりに陥る部類の輩。
覇道を避けて王道を守って来た側は、そのような愚かな振る舞いをも他山の石として、
己が自重や全人類の安寧を守る誓いと引き換えに、最終勝利という餅を頂くのである。
まともな仏道や儒学を享受して、覇道の王道に対する劣悪さを
よくわきまえている者なら、始めから侵略支配のような真似を犯さない。
キリスト教やカルト神道のような、本願ぼこりを助長する信仰に
乗っ取られた国だけが他国や他民族を一方的な支配下に置いて、
奴隷化や奴隷同然の扱いに処するような真似までをも犯す。
(日本がアイヌや琉球を完全征服したのも近代以降のこと)
36も米英の覇権拡大を讃えるような真似をしているのだから、その内だろう。
自らの身の程や徳分を超えたイキがりで、一時的には世界に覇を唱えるほどの
勢力を誇るも、ごく自然な自業自得として自滅的な行き詰まりに陥る部類の輩。
覇道を避けて王道を守って来た側は、そのような愚かな振る舞いをも他山の石として、
己が自重や全人類の安寧を守る誓いと引き換えに、最終勝利という餅を頂くのである。
まず以って、自分たちの保身のためとあらば、
国民に土人還りを強いることも辞さないという発想自体が、国賊そのもの!
リーフェンシュタールですら、自分自身の個人的な現実逃避のために
土人好みに走っただけなのに、それを他人に押し付けようなどとするのなら、
それこそが彼女の領分をも逸脱した正真カルトのはしりともなるだろう。
儒仏とて、惰弱きわまる現代人にそう愛好されるものでもあるまいが、
こちらは「良薬口に苦し」な効能が確認されている上、無宗教的で卑俗な
大衆文化などとの共存も、ある程度以上に可能であるのが間違いない。
にもかかわらず、権力者の都合であらゆる文化文明を原始に引き戻す
土人趣味ばかりが強いられるのならば、それこそ、創価やオウムはおろか、
戦前の国家神道をも上回る、カルトによる国難の極みとなるにちがいない。
国民に土人還りを強いることも辞さないという発想自体が、国賊そのもの!
リーフェンシュタールですら、自分自身の個人的な現実逃避のために
土人好みに走っただけなのに、それを他人に押し付けようなどとするのなら、
それこそが彼女の領分をも逸脱した正真カルトのはしりともなるだろう。
儒仏とて、惰弱きわまる現代人にそう愛好されるものでもあるまいが、
こちらは「良薬口に苦し」な効能が確認されている上、無宗教的で卑俗な
大衆文化などとの共存も、ある程度以上に可能であるのが間違いない。
にもかかわらず、権力者の都合であらゆる文化文明を原始に引き戻す
土人趣味ばかりが強いられるのならば、それこそ、創価やオウムはおろか、
戦前の国家神道をも上回る、カルトによる国難の極みとなるにちがいない。
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スレッドタイトル:国賊神道