国賊神道 現代日本最大の黒幕カルト
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ウチも神道と関わりの深い家だから、
始めはそんなものの存在を認めたくはなかったんだが、
残念ながら、そうみなす他ないほど劣悪なカルト教義を持ち合わせた
紛い物の神道が、今の日本の権力機構にも深く食い入ることで、
傾国や亡国の危機の元凶となっているようである。
発祥は明治以降、戦前には国家神道の拠り所となり、今以上に羽振りも良かったらしい。
古来、仏門や儒家に体系的な思想信条を丸投げして来たからこそ
独自の教義を持たなかった神道が、廃仏毀釈や儒学廃絶によって
独り立ちするにあたり、あえて儒仏の教えに似ないような教義ばかりを
捏造した結果、創価やオウムとも大差のないようなインチキカルトとなった。
賢聖を養い育てる糧となるような正統教義の真逆を行ったものだから、
信者の愚かさを助長するような教義となってしまい、日本精神の拠り所だからと
敬い慕ってくる権力者などを、かえって蒙昧ならしめて国を陥れることに加担している。
ーーこのスレでは、そのような国賊化している一部の神道教派について、
具体的な団体名などを特定しない範囲で論じることにする。
「ああ、どうせあの団体のことなんだろうなあ」などと推測しながら
聞いてくれればいいし、的外れを恐れることなく論議に参加してもらっても構わない。

始めはそんなものの存在を認めたくはなかったんだが、
残念ながら、そうみなす他ないほど劣悪なカルト教義を持ち合わせた
紛い物の神道が、今の日本の権力機構にも深く食い入ることで、
傾国や亡国の危機の元凶となっているようである。
発祥は明治以降、戦前には国家神道の拠り所となり、今以上に羽振りも良かったらしい。
古来、仏門や儒家に体系的な思想信条を丸投げして来たからこそ
独自の教義を持たなかった神道が、廃仏毀釈や儒学廃絶によって
独り立ちするにあたり、あえて儒仏の教えに似ないような教義ばかりを
捏造した結果、創価やオウムとも大差のないようなインチキカルトとなった。
賢聖を養い育てる糧となるような正統教義の真逆を行ったものだから、
信者の愚かさを助長するような教義となってしまい、日本精神の拠り所だからと
敬い慕ってくる権力者などを、かえって蒙昧ならしめて国を陥れることに加担している。
ーーこのスレでは、そのような国賊化している一部の神道教派について、
具体的な団体名などを特定しない範囲で論じることにする。
「ああ、どうせあの団体のことなんだろうなあ」などと推測しながら
聞いてくれればいいし、的外れを恐れることなく論議に参加してもらっても構わない。


古来、神道は家庭円満や子孫繁栄を祈願するための祖神崇拝の文化であり、
天皇家を頂点とする日本中の家元と密接な関係を結んできたものだが、
その代わり、社会的な活動に直接的に関わることはほとんどなく、
その役割はもっぱら儒仏の識者などに任せて来たのである。
近代以降に、儒仏が廃絶されたせいでその立場に躍り出たというのもあるし、
古来の家元制度が廃絶されたせいで、家の栄えを守る信仰というだけでは
神道自体がやっていけなくなるのもあって、権力に深く関わり始めたのである。
ただ、権謀術数渦巻く人間社会というのは、どうあっても汚濁の塊なわけで、
清浄さを尊ぶ本来の神道とは水と油のような関係にある。にもかかわらず、世間の事情に
阿った教義の捏造を試みたために、より一層の邪教化を来たしてしまったのである。
特に、国賊神道と呼ぶべきほど邪悪な教義性を帯びているのは、
ごく一部の流派だけであって、一般的な日本人が日常から関わるような
神道はむしろ、古来の祖神崇拝により近いものがほとんどである。
残念ながら、ランクで言えばより高位に当たるような流派の中に、
政財界などと結託しながら国賊化しているような連中がいる。
血筋的にも全くの偽者などではなく、昔からの神道家や公家の血筋の
人間が携わっていたりもするのだが、長年、社会的には仏門や武家に
一目も二目も置かされてきたことへの恨みを晴らすような心持ちで、
全く不得手な濁世の舵切りの顧問などとして立ち回っているのである。
不得手なものだから、親交を結んだ権力者などもかえって失敗するし、
何より自分たちの首長である皇室の存続をも危ぶませる大厄を招いている。
ごく一部の流派だけであって、一般的な日本人が日常から関わるような
神道はむしろ、古来の祖神崇拝により近いものがほとんどである。
残念ながら、ランクで言えばより高位に当たるような流派の中に、
政財界などと結託しながら国賊化しているような連中がいる。
血筋的にも全くの偽者などではなく、昔からの神道家や公家の血筋の
人間が携わっていたりもするのだが、長年、社会的には仏門や武家に
一目も二目も置かされてきたことへの恨みを晴らすような心持ちで、
全く不得手な濁世の舵切りの顧問などとして立ち回っているのである。
不得手なものだから、親交を結んだ権力者などもかえって失敗するし、
何より自分たちの首長である皇室の存続をも危ぶませる大厄を招いている。

たとえば仏門の密教にあるような印を、
全く別個のものに改変して独自に組んでいたりする。
修験道のように敬意を持った参考にしているのではなく、
ある種のパクリを試みているわけだから、効験などはさしてないし、
ウリナラ起源を主張しようするる不遜さが罰当たりの原因にもなる。
実際に、自分たちがやっていることを、仏教伝来以前からある
古来の神道文化の再現だなどと吹聴していたりもするわけだが、
そもそも仏儒と二人三脚三人四脚でやって来た近世までの神道文化自体が
古来の伝統を汲んでいるものなのだから、それを否定して新造しているようなものが
より伝統に適うわけもなく、ただカルト性を無駄に付随させただけにしかならなかったのだ。

仏教嫌いでいながら、キリスト教には親和的な態度も見せている。
これはおそらく、敗戦後のGHQとの取引で、
キリスト教への服従と引き換えに廃絶の危機を免れたからで、
CIAの走狗となることで生き延びた電通などともその存在性が似ているといえる。
ただ異教として認めるだけでなく、信者とキリスト教徒の婚姻なども斡旋している。
不和を来たして夫婦どちらかが早死にするようなことも多いようだが、
どちらも教義がカルト止まりなので打開の余地もないままでいる、
さらに悲惨なのがその子供で、カルト信仰と家庭内不和の板挟みによって心を病み、
そこからまた新たに不幸な家庭を築く親となったりしているのである。

信者が「これはヨガにも気功にもない呼吸法!」と
うそぶいていたものが、まんまヨガにあるなんてこともあった。
つまり不勉強で、非常に狭く浅い知識の中だけで教義を組んでいる。
江戸時代までに主たる学閥だった仏門や儒家を敵に回し、
なおかつ近代以降も舶来文化であることが紛れもない洋学界隈から
距離を置いたために、人一倍無知無学であるのがデフォとなった。
それでも今の所やって行けてるのは、
国家権力と不可分なほどに結びついて来たがための既得権益の故に。
上級国民が縁故まみれのボンクラだらけというのは、
多くの日本人が察している所だが、その一番の拠り所となっているのが、
無能無知でも偉そうにしてられる国賊状態な一部の神道だし、
そこに埋伏の毒のように昵懇でいるのがキリスト教なのである。
[YouTubeで再生]
宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
一般に、キリスト教、イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。
また、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教は民族宗教と呼ばれ、ユダヤ教や神道、ヒンドゥー教などがこれに分類される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#:~:tex...

一般に、キリスト教、イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。
また、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教は民族宗教と呼ばれ、ユダヤ教や神道、ヒンドゥー教などがこれに分類される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#:~:tex...
国家神道のこと?
まだあるの?
まだあるの?

汚濁の多い政治経済などに深く関わるべきものではない。
だからこそ徳川将軍家もまた、初代家康公を神君として崇めながら、
江戸から遠く離れた日光にその御霊を祀る本拠地を置き、
政治面では寛永寺の天海や、忍岡聖堂の林羅山のような近場の識者を頼るなどしたのである。
天皇家もまた、古来より皇祖を祀る神宮を比叡山はおろか、
高野山よりも禁裏から遠く離れた伊勢に構えることで、その神聖さを守ろうとした。
「男は家を出て働くもの」というのは、高天原から離れた場所での
スサノオやオオクニヌシの活躍のような、日本神話の伝承からも公認されている教条。
正しく扱えば、数百年以上の国家泰平を司る礎ともなる神道文化が、
その扱い方を間違えたせいで一挙にカルト化し、国賊の一味とまで成り果てた。
この大過を大いなる教訓として、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなければならぬ。
国賊神道は、神道と仏儒を分断したこと以上に、
古来の神道のあり方に反する振舞いを繰り返して来たことが、
最も大きな罰当たりの原因になっているようである。
戦前には日本軍の無鉄砲さを正当化し、
戦後には政財界の腐敗を正当化する最たる拠り所となった。
自分たちが全く携わって来なかった、この世の汚濁の吹き溜まりに
ろくな理論武装もなく関わったことで、さらなる壊乱を助長する元凶となった。
仏門や儒家ならそこが全く逆で、政治や軍事の退廃を予防する役割こそを
担えるのだが、それが退廃による利権の貪りを好むような連中にとっては
邪魔者になるために、自分たちにとってのいいカモとしての神道が優遇された。
同様なカモとしての役割はキリスト教なども歴史的に担って来ているために、
国賊神道は仏儒を目の敵としているのにも関わらず、キリスト教とは仲がいい。
腐敗的な権力者であれ別個のカルトであれ、自分たちの分不相応な振舞いが、
それに見合った者としての悪友ばかりを引きつけて、自分たちだけが
一抜けようにも抜け出せないぐらいな悪循環への埋没をきたしている。
これを、神道の神々からの天罰と言わずして、なんと言おうか。
古来の神道のあり方に反する振舞いを繰り返して来たことが、
最も大きな罰当たりの原因になっているようである。
戦前には日本軍の無鉄砲さを正当化し、
戦後には政財界の腐敗を正当化する最たる拠り所となった。
自分たちが全く携わって来なかった、この世の汚濁の吹き溜まりに
ろくな理論武装もなく関わったことで、さらなる壊乱を助長する元凶となった。
仏門や儒家ならそこが全く逆で、政治や軍事の退廃を予防する役割こそを
担えるのだが、それが退廃による利権の貪りを好むような連中にとっては
邪魔者になるために、自分たちにとってのいいカモとしての神道が優遇された。
同様なカモとしての役割はキリスト教なども歴史的に担って来ているために、
国賊神道は仏儒を目の敵としているのにも関わらず、キリスト教とは仲がいい。
腐敗的な権力者であれ別個のカルトであれ、自分たちの分不相応な振舞いが、
それに見合った者としての悪友ばかりを引きつけて、自分たちだけが
一抜けようにも抜け出せないぐらいな悪循環への埋没をきたしている。
これを、神道の神々からの天罰と言わずして、なんと言おうか。

反文化的、反知性的であり、無知無能を開き直ることを根本的な信条としている。
それがたとえば、今の日本の大学の遊び呆けた風潮などにも落とし込まれていて、
勉強はすれどもあくまで出世のため、卒業すればあとは何も学ばないような、
人としての根本的な不真面目さを助長する風潮の元凶ともなっている。
キリスト教もまた信者の愚妹さを助長するものだが、唯一神への帰依によって
表向き真面目ぶることをそれなりに信者に強いる一方、国賊神道のほうは
ただひたすら不真面目かつ、それを批判するような相手への攻撃意識を際限なく
増大させて行くことをモットーとしているために、所謂陽キャのふざけ過ぎのほか、
過当競争やブラック労働による経済の疲弊だとか、イジメの蔓延だとかの原因にもなっている。
日本の支配層の精神的拠り所なのだから、現代日本が抱えているほとんどの問題の
責任を問うことができるのだが、あまりにも日本人にとっての通用的な常識の
基礎となってしまっているために、そこにメスを入れることが思いもよらないのが、
現状では思想の左右などに依らず、ほぼ全ての日本人の限界となっている。

当然反共反赤反中な右翼思想の持ち主たちでもあるのだが。
左翼は、あくまで資本主義や軍国主義の打倒を本分としているだけで、
そのような傾向を神道が助長するのならばそれも認められない、というだけ。
宗教全般を阿片扱いして敵視するような極左からすれば、神道そのものもまた
認められないだろうが、そこまで過激派な連中は今の日本の左翼でもそういないし、
表向き国民の宗教意識が薄れきっている今の日本などで強く出る必要がある部類でもない。
左翼といえども、必ずしも敵対するべきでもないぐらいに思っているような所に、
実は日本社会の腐敗の大元凶がくすぶっている。神道の中でも、ごく一部が
カルト化してその役割を担ってしまっているという分別知があるのでなければ、
大多数の日本人が神道に親しみを抱いている現状で、左翼といえども
糾弾の目を向けることを躊躇するような所に、それがあるのである。

左翼もそんなものを具体的に糾弾する余地がない。
しかし、実際には上級国民御用達な一部の教派に限って、
表向きには公表もしていないような独自の教義があり、
それによって、権力中枢でのボンクラの専横や汚職の蔓延を、
「自分たちこそがその罪穢れを祓い清めてやる」という名目で後押しして来たのである、
神道は本来、罪穢れのない清浄さの保全を目的とする信教なのに、
ろくに反省することもなく幾度も繰り返され続ける過ちを清めるなどという
本末転倒な教義を持ち合わせているのだから、もはや本質的に神道ではなく、
キリスト教、中でも無戒律で悪行を開き直るプロテスタントあたりに酷似するもの。
日本は近代から戦前にかけてはイギリス、戦後はアメリカという、
プロテスタントが実質国教状態な国の実質的支配下に置かれて来たのだから、
そこで走狗的な振る舞いをする連中の拠り所となる信教が、本来の神道から
かけ離れながら擬似プロテスタント化して行ったのも自然なことだといえよう。
国賊神道と騒ぎ立てるほどには誰の身の回りにもそんな神道が存在しないんだよなあ。
日本には伝統的に国家観がない方が問題なんだけどね。
「国家を回避した社会」のひとつであり続けているんだと思うよ。
だから、対外的にはあまり使い物にならない人材しか出てこない。
日本は楽園なんだろう。やたら天災の多い楽園だが人災が少ない。
政治とは人災の別名だからね。
仏教で国家的神道に育てようとしたのが神仏習合であり、八幡信仰。
せっかくのこれをぶっ壊してしまった明治政府のマヌケ振りをよそに、
民間が自発的に育てた粋が国柱会を代表とする日蓮宗の国体思想。
戦後にこれも破棄されたからといって、キリスト教で国家的神道に育て直そうという運動は実在しないよ。
日本には伝統的に国家観がない方が問題なんだけどね。
「国家を回避した社会」のひとつであり続けているんだと思うよ。
だから、対外的にはあまり使い物にならない人材しか出てこない。
日本は楽園なんだろう。やたら天災の多い楽園だが人災が少ない。
政治とは人災の別名だからね。
仏教で国家的神道に育てようとしたのが神仏習合であり、八幡信仰。
せっかくのこれをぶっ壊してしまった明治政府のマヌケ振りをよそに、
民間が自発的に育てた粋が国柱会を代表とする日蓮宗の国体思想。
戦後にこれも破棄されたからといって、キリスト教で国家的神道に育て直そうという運動は実在しないよ。
話を煙にまくための故意だか知らないが、
俺の話を全く聞いてない&誤解しまくっている&現実が見えてない物言いだな。
国家神道の残党というだけで、今そいつらが国家神道の再興を目指しているわけでもない。
キリスト教的ドグマ志向の導入で、大衆の民族主義までをも鼓舞していたのは戦前の話で、
今は社会的な糾弾を恐れて表向きにはその手の方向性の鳴りを潜めている。
特に国賊化しているのは、上級国民御用達な一部の神道だけなのだから、
自分が一般国民の側にいるのなら、全く存在しないように思えるのも当たり前。
日本が人災のない国だなんてのも勘違い甚だしく、
政財界の汚職や失政続きによって亡国一歩手前な傾国の事態を招いているのが実情だろうが。
そんな忌まわしき事態を招いている現代日本の権力者を専門的に相手にしている神道教派がいて、
戦前に軍国主義の鼓舞で日本を破滅に追いやったのと全く同じような過ちを繰り返している。
仏門からの援助が強い八幡信仰あたりにはまだその手の素養があるかも知れないにしろ、
少なくとも、全くの我流かキリスト教との集合ぐらいしかアイデンティティの拠り所がない
その手の神道が、国家権力と癒着することには百害あって一利もないのである。
俺の話を全く聞いてない&誤解しまくっている&現実が見えてない物言いだな。
国家神道の残党というだけで、今そいつらが国家神道の再興を目指しているわけでもない。
キリスト教的ドグマ志向の導入で、大衆の民族主義までをも鼓舞していたのは戦前の話で、
今は社会的な糾弾を恐れて表向きにはその手の方向性の鳴りを潜めている。
特に国賊化しているのは、上級国民御用達な一部の神道だけなのだから、
自分が一般国民の側にいるのなら、全く存在しないように思えるのも当たり前。
日本が人災のない国だなんてのも勘違い甚だしく、
政財界の汚職や失政続きによって亡国一歩手前な傾国の事態を招いているのが実情だろうが。
そんな忌まわしき事態を招いている現代日本の権力者を専門的に相手にしている神道教派がいて、
戦前に軍国主義の鼓舞で日本を破滅に追いやったのと全く同じような過ちを繰り返している。
仏門からの援助が強い八幡信仰あたりにはまだその手の素養があるかも知れないにしろ、
少なくとも、全くの我流かキリスト教との集合ぐらいしかアイデンティティの拠り所がない
その手の神道が、国家権力と癒着することには百害あって一利もないのである。

共産主義者が反宗教意識を募らせる最たる根拠になって来たが、
信者の罪をどこまででも許容してやることを目的としたカルト宗教が、
法律すら自分たちで好き勝手に決められるような権力者にとっての
麻薬的な効能を持ち合わせるのは、たしかに違いないのである。
東洋社会においても、秦始皇帝が多くの方士や道術者からの詐欺被害に
遭っていた頃までは、その手のカルト信仰が広く横行していたのだが、
(「漢書」郊祀志にはキリスト教によく似た冤罪信仰の記録もある)
怪力乱神を敬遠する儒学の流布によって、俗世への干渉が排されてきた。
中国や朝魚羊の場合は、逆に儒教の過剰な強大化という弊害を招いたが、
ここ日本においては、特に真言宗あたりの高級仏教が、人道を重んずる儒家と
天道を重んずる神道のバランサー的な役割を果たし、この内のどれかばかりが
強大化して他の領分までをも侵し始めるような不和を防いでくれて来た。
近代以降は、廃仏毀釈や儒学の廃絶でその絶妙なバランスも崩れ、
儒仏との相補性があればこそ、中国の道教などよりもはるかに古来のあり方を
ありのままに保てて来た日本神道が、機械文明まで発達した現代社会には、
全く不相応にも程があるような迷信でのさばるような真似を来たしたのである。

ただだからこそ、体系的な教義などを学び尽くして体得する能力もなければ余裕もない、
婦女子や農工商の従事者のような弱者にとっての、より取っつきやすい拠り所ともなって来た。
弱者があればこそ強者がある、相対的価値観を多く孕む人間社会において、
虐待的差別の対象となりがちな弱者への保護のために、老子や荘子もあえて儒学の教えに
反するような言説を並べ立てた。「仁を絶ち義を棄てば民は孝慈に復す(老子・十九)」
の如き説話は、それだけを見れば無茶を言っているようにも思われるけれども、
儒教偏重で科挙のエリートばかりを優遇して、平民を人にも非ずな扱いに処していた
近世までの中朝などを見れば、そういう側面もまたあるということがわかる。
その、老荘が説いたような万有愛護の実践手段として、神道を重宝して来たために、
日本社会は伝統的に、婦女子や産業従事者を手厚い保護下に置けて来た。
万人の平等を謳う民主主義社会でも、結局は貧富の格差の拡大などによって
弱者への虐待が発生してしまうという実情があるからには、身分制そのものは甘受しながらも、
そこからさらに弱者の保護を実現して来た神道の効能は、民主制以上だったとすら言える。
声なき弱者に寄り添い、無為自然への敬意を強者にも育ませる礎となって来た神道が、
ごく一部とはいえ強者の提灯持ちとなり、無能の多動や弱肉強食をけしかけるカルトへと反転した。
日本神道史上の、最たる汚点と見なすほかない所業。
最終的には国家神道などと共に、「あんなものは神道の内にも入らなかった」とすべきに違いない。
そのためには、神道が国家権力に直接携わるような真似を仏儒以上に禁制とし、
全国民の家を守る信仰としての本分へと厳重に立ち帰らせる必要がある。
神道がナショナリズムを鼓舞する手段として利用されることに対しては禁忌扱いを徹底した上で、
個々の家庭や民間の事業体が、神道への崇敬の下に、清浄な営みを育んで行くことは奨励し続ける。
(もちろん政商の拠り所になるようなことは以ての外であるが)
すでに一般国民と親しい仲にある、ほとんどの神道教派にとっては特別な変革を迫られるような話ではないし、
むしろ全国民の疲弊のせいでカツカツとなっている自分たちの財政を建て直す好機ともなるだろう。
ごく一部とはいえ強者の提灯持ちとなり、無能の多動や弱肉強食をけしかけるカルトへと反転した。
日本神道史上の、最たる汚点と見なすほかない所業。
最終的には国家神道などと共に、「あんなものは神道の内にも入らなかった」とすべきに違いない。
そのためには、神道が国家権力に直接携わるような真似を仏儒以上に禁制とし、
全国民の家を守る信仰としての本分へと厳重に立ち帰らせる必要がある。
神道がナショナリズムを鼓舞する手段として利用されることに対しては禁忌扱いを徹底した上で、
個々の家庭や民間の事業体が、神道への崇敬の下に、清浄な営みを育んで行くことは奨励し続ける。
(もちろん政商の拠り所になるようなことは以ての外であるが)
すでに一般国民と親しい仲にある、ほとんどの神道教派にとっては特別な変革を迫られるような話ではないし、
むしろ全国民の疲弊のせいでカツカツとなっている自分たちの財政を建て直す好機ともなるだろう。
「一般向けの神道の話ではない」と繰り返し注記してるのに、
「そんなものは存在しない」と強弁できるぐらいなのだから、
その辺の事情に詳しい手合いなのだろう。
しかも、身に覚えがありまくる部類の。
たとえ権力の座から追放される政変が起きたとしても、
中核派のように姿をくらまして逃げ延びるつもりなのかも知れないが、
暴力にモノを言わせて対抗して来るのでもないのなら、それでも構わんよ。
どうせ体制側であることだけが強みだったような連中が、
在野に放逐されても独自の精神性で支持を取り付け続けることなどできまいしな。
それこそ、日蓮系カルトほどの生命力も保てまいし。
「そんなものは存在しない」と強弁できるぐらいなのだから、
その辺の事情に詳しい手合いなのだろう。
しかも、身に覚えがありまくる部類の。
たとえ権力の座から追放される政変が起きたとしても、
中核派のように姿をくらまして逃げ延びるつもりなのかも知れないが、
暴力にモノを言わせて対抗して来るのでもないのなら、それでも構わんよ。
どうせ体制側であることだけが強みだったような連中が、
在野に放逐されても独自の精神性で支持を取り付け続けることなどできまいしな。
それこそ、日蓮系カルトほどの生命力も保てまいし。
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