ペスカドール・デ・オンブレスは初代ローマ法王になったぺトロ目線の曲なんだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
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