>>212 過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
返信する